参:異変
その夜、異変が起きた。
自室のベッドで眠っていたヴィオラが、突然息苦しさを覚えて目を開けると、信じられないくらい身体が重く、身動きができなかった。
「な、なに……?」
怖い。嫌な魔力を感じる。
と、その刹那、部屋に別の魔力が迸った。
「ヴィオラ!」
ベッドサイドに姿を現したのはウィルフリードだった。
ああ、あのペンダント、着けたままだったな、とヴィオラはぼんやり考える。
ヴィオラの身に危険が迫ったことを察知して、転移魔法で駆けつけてくれたらしい。
「なんだこの魔力……まさか、呪いか!」
ウィルフリードは青褪めつつ両手をヴィオラに掲げた。
「回復魔法!」
咄嗟に唱えたのは、神聖魔法の一つ、回復魔法だった。
魔法の分類は大きく四つ、攻撃、防御、神聖、特殊に分かれており、回復、治癒、解毒は神聖魔法に分類されている。
しかしそれらは神聖魔法の中でも比較的扱いやすく、国家魔法使いであれば皆が習得している魔法でもある。
「……ぐっ……」
ヴィオラは胸を押さえて蹲る。
寝間着で露わになっている首元に、黒い蔦のような文様が広がってくるのが見えた。
「……呪詛魔法か……!」
先日イザークが言っていたことを思い出す。
第二皇女エレオノーラが魔法道具を用いてヴィオラを呪ったと見られているが、ヴィオラの魔力の方が強かったがために、呪詛は成立せず撥ね返った。しかし、呪詛魔法は強力である上に、あの魔法道具は古かったため、今後ヴィオラへ呪詛が飛んで行かないとは限らないと。
まさか、今になって呪詛が届くとは。
呪詛魔法を解くことができるのは浄化魔法のみ。そしてそれを使える人間は、まだ見つかっていない。
「くそっ……!」
ウィルフリードが歯噛みする。
このままでは、ヴィオラは呪いに侵され命を落としてしまう。
と、その時。
ヴィオラの胸元から淡い光が漏れ出し、黒い紋様のあたりを包み込んだ。
「な……!」
何が起きているのかわからず言葉を失うウィルフリード。
数秒後、ヴィオラが大きく息を吐き出して身を起こした。
「……ふぅ……」
「大丈夫か?」
「はい……急に、楽になりました……」
答えながらヴィオラがウィルフリードを見上げると、彼はヴィオラを見てはっとした様子でくるりと背中を向けた。
「す、すまない。非常事態だと思って転移してきてしまった……」
その言葉に一瞬きょとんとしたヴィオラだったが、すぐに自分が寝間着姿であることを思い出して、毛布を胸元まで引き上げた。
寝間着は、貴族令嬢がよく着る首回りが開いたネグリジェを着ていたのだ。ワンピースになっているため、非常事態が起きてもすぐに着替えられるという利点もある。
「い、いえ、おかげで助かったので……」
「……体は大丈夫か? 何か違和感などはないか?」
そう問われて、ヴィオラは自分の身体を見下ろす。
手を数回握ったり開いたりしてみたり、腕や胸元を確認してみるが、黒い紋様は完全に消え去っていた。
「はい、大丈夫みたいです」
「よかった。だが、一度イザークに診てもらった方がいいだろう。今すぐ呼ぼう」
「もう夜も遅いですし、今すぐじゃなくても……」
すっかり違和感の消えたヴィオラは、戸惑いながら眉を下げる。
「だがもし、また先程みたいな状況になったらどうする? どうしてもイザークを呼ぶのが嫌なら、俺が一晩中君の傍にいて異変が起きないか見張るぞ」
背を向けたまま、呆れたような様子で嘆息するウィルフリードに、ヴィオラは唸った。
「それは、困ります……」
ウィルフリードが傍にいると思ったら、変に緊張してしまって眠れる気がしない。
「それに、ウィルだって眠らないと……」
「俺は一晩眠らなくても大丈夫だ。慣れている」
「眠れる時にきちんと睡眠を取るのは鉄則ですよ」
「君の命が懸かっているんだから寝ている場合じゃない」
背を向けられたまま淡々と返されて、ヴィオラは言葉に窮する。
お互い妥協するつもりはなさそうなので、折り合いを付けられるところを探すしかない。
「……なら、私も起きてます。とても寝られそうにないので」
「なっ! 君こそ眠れる時にしっかり寝ておけ」
「お互い様ですよ。着替えてきますので、そのまま後ろを向いててくださいね」
そう言うと、ヴィオラはベッドから降り、部屋の隅にあるつい立ての奥に向かった。そこで普段着に着替え、ウィルフリードの横を通り過ぎて、テラスの窓を開ける。
「今日は夜風が心地良いので、少し話しませんか? 生憎こんな時間なのでお茶の用意はありませんが」
振り向いてそう告げると、ウィルフリードはふっと微笑んで頷いた。
「それなら賛成だ」
二人はテラスに出て、置かれていたベンチに並んで腰を降ろした。
晴れた夜空には、綺麗な月が浮かんでいる。
「……訓練の方は順調か?」
何か話題を、とヴィオラが思った矢先、ウィルフリードが話を振ってくれたので、ヴィオラは内心ほっとしつつ頷く。
「ええ、皆頑張っていますよ。強化魔法が使えなかった方々も、まだ効果は弱いですが、全員発動させられるところまではこぎつけました」
元々兵士の中には魔力は有していても魔法として使うことを苦手としている者も多い。
今回魔王討伐隊に選出された者たちの中にも、十名ほど強化魔法が使えない者がいた。
強化魔法は剣で魔物や魔族と戦うには必須ともいえる魔法だ。
現に、ヴィオラ率いるシシェル家の騎士団員は全員習得している。
「そうか。それはよかった……ところで、俺と話す時、職務中でなければ敬語はやめてくれないか」
「え……」
思いもよらぬ言葉に驚くと、ウィルフリードは少し拗ねたように視線を逸らした。
「あの神官には、敬語を使ってなかっただろう……職務中はアインハルトとして接する以上難しいことは理解しているが、そうでない時は、対等でいたい」
その言葉に、ヴィオラはまた胸がぎゅっとなるのを感じた。
自分より大柄な男性に対し、可愛いと思ってしまった自分に驚く。
「……わかりました」
早速敬語で答えてしまって睨まれ、ヴィオラはすぐに「わかった」と言い直した。
「……すまない。自分でもどうかしていると思う。だが、君のことになるとどんどん欲張りになっていくんだ……何だかんだ君が応えてくれるから、余計に、どこまで許してもらえるのか、試したくなる」
そう言いながら、ウィルフリードはそっとヴィオラの右手に己の左手を重ねた。
「っ!」
驚くヴィオラに、ウィルフリードは自嘲気味に微笑む。
「嫌なら、嫌だと言ってくれ」
「嫌じゃ、ない、けど……」
「けど?」
「不意打ちは、困る……」
ヴィオラが頬を紅潮させて、左手の甲で口元を隠す。
と、ウィルフリードは天を仰いで右手で己の目元を覆った。
「……ウィル?」
「……あまり、可愛いことを言わないでくれ。堪えられなくなる」
重ねた手をぎゅっと握り、ウィルフリードは一度大きく深呼吸した。
「……下手に暴走して嫌われるのは俺も本意じゃない。だからあまり煽らないでくれ」
「煽ったつもりは……」
ヴィオラは完全に無意識だ。
そもそもアインハルトとして以外に異性と関わったことがなく、恋愛面は完全に初心者なのである。
「煽ったつもりがないなら尚更問題だな。俺以外の男に、同じことをされては困る」
「ウィル以外に私の手を握る人はいないよ」
ヴィオラの言葉に、ウィルフリードは心底嬉しそうに微笑んだのだった。
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