弐:神官と嘘
応接室に入ったヴィオラが、ソファに腰を降ろしながら首を傾げた。
「……私に話って?」
英雄の仮面を取ったヴィオラに、ランドルフも対面に座りながら、僅かにほっとした様子を見せた。
それから、言葉を選ぶようにして口を開く。
「……ヴィオラ、嬢、君は本当に、ストランド大佐と結婚するのか?」
「え、ええ……魔王討伐隊に選ばれたから、すぐって訳ではないけど……」
実際は、魔王討伐を成し遂げたら、という約束だ。
今の婚約状態は、あくまでもウィルフリードが第二皇女からの結婚を回避するためのものだ。
つまり、第二皇女との結婚が回避できた後、魔王討伐を成し遂げられなかった場合には、結婚しない可能性があるということ。
その可能性を考えると、少しだけヴィオラの胸がざわついた。
「……そうか。一応、言っておく。僕は君に結婚を申し込むつもりで、今日ここに来た」
「え……」
ヴィオラが言葉を失う。
先程ウィルフリードにもそうではないかと言われ、まさかそんなはずないと一蹴したことが、現実になってしまった。
固まるヴィオラに対して、アインハルトはそうなることがわかっていた様子で二人をゆっくりと見比べた。
「……ランドルフ、ヴィオラは君のことを兄のように慕っていた。急に結婚と言われても戸惑うのは当たり前だ。それに、実際ヴィオラはストランド卿と婚約している。今君が何を言っても、それは変わらない」
「わかっている。だが、ようやく……ようやく神官になれて、ヴィオラに求婚することができると思ってここまで来たんだ。想いさえ伝えずに帰ったら、僕はきっと一生後悔する」
ランドルフは膝の上で握った拳に、更に力を込めた。
「ヴィオラ、僕は子供の頃から、ずっと君が好きだった……もしも気が変わってストランド卿との婚約が破棄されることがあれば、僕のことを思い出してほしい」
縋るような目で見つめてくる幼馴染に、ヴィオラは戸惑いを隠せなかった。
「……ランドルフ、ごめんなさい。私、何も気づかなかった……」
「それは当然だ。僕だって自分の気持ちを隠していたんだ……アインハルトには筒抜けだったようだけどね」
そう言いながら、苦々しい顔でアインハルトを一瞥するランドルフ。
アインハルトは小さく笑った。
「そりゃあ、僕に対する態度とヴィオラに対する態度があからさまに違うんだから気付くに決まっているだろう?」
「そうだったか……?」
「ああ、僕以外は、誰も気付いていなかったようだけどね」
穏やかに微笑むアインハルト。
彼は昔から人の心の機微に聡かった。しかし、まさかランドルフの気持ちにまで気付いていたとは驚きだ。
「……とにかく、僕の気持ちは伝えたよ。どうか、忘れないでほしい……もしもヴィオラの婚約者が、ヴィオラを傷付けたり泣かせたりするようなことがあれば、僕は絶対に許さない」
「ああ、それは僕も同感だ。ヴィオラは僕の片割れだからね。幸せになってくれなきゃ困る」
アインハルトがそう言って笑う。
「その時は、一緒にストランド卿を呪おうか」
物騒なことを冗談めかして笑いながら話すアインハルトに、ランドルフも笑いながら頷いた。
「そうだな。そうしよう」
「ちょっと、やめてよ……」
言いかけて、ヴィオラはふとランドルフを見た。
「ねぇ、ランドルフ、神官になったって言っていたけど、浄化魔法は使えないの?」
呪い、という言葉で思い出した。
第二皇女の容態が変わっておらず、今も尚、イザークが呪詛魔法の進行を遅らせていて、国家魔法使いが浄化魔法を使えそうな人物を探しているということを。
しかし当然だが、最も浄化魔法に適性がある可能性が高い神官や神官見習いたちは、真っ先に国家魔法使いによって確認されている。
ランドルフは苦笑しながら答えた。
「……浄化魔法が使えたら、今頃神官どころか聖者として帝都に送られているよ」
その表情を見たアインハルトが、僅かに目を細める。
「それはそうだよね。神官になる時、真っ先に浄化魔法を発動できるか、試験を受けさせられるって言うし」
「……ああ、残念ながら、僕には浄化魔法は使えなかった」
試験の時のことを思い出したのか、ランドルフは僅かに視線を落とした。
「……そう」
第二皇女が呪詛魔法に冒されていることは口止めされている。
アインハルトにもロクスにも話していない。
ヴィオラがここで余計なことを話す訳にはいかない。
「ランドルフ、折角だし、修行中の話を聞かせてくれないか?」
アインハルトが話を逸らしたことで、その後は昔のように、他愛ない話をして夕食までの時間を過ごしたのだった。
夕食を終え、ランドルフは一晩シシェル邸に泊まることとなり客室に案内され、ヴィオラとアインハルトが共に自室へ戻ってきて、それぞれの部屋に入る直前、アインハルトが足を止めた。
「……ヴィオラ、少しだけいいかい?」
「うん?」
怪訝そうにしながらヴィオラがアインハルトの部屋に入ると、彼は至極真面目な顔で口を開いた。
「ランドルフは、おそらく嘘を吐いている」
「え……嘘を?」
「ああ」
どのことだろう。
求婚の話か、ずっと好きだったという過去のことだろうか。
「……多分、彼は浄化魔法を使えると思う」
「……え?」
耳を疑う。
「何でそう思うの? 浄化魔法が使えるなら、使えないって嘘を吐く必要なんかないのに……」
聖者になれば、帝都で一生食うに困らない生活ができる。
聖者を輩出した家は平民であっても貴族と同等の扱いになり、元々貴族であっても聖者を輩出したとなればそれは多大な栄誉となる。
つまり、浄化魔法が使えることがわかれば、それを隠す理由がないのだ。
「……聖者になれば、帝都の神殿に住むことになる。北の国境の地を離れないヴィオラへの求婚は絶望的だ。それでなくても聖者は基本的に独身を推奨されるし、それでも結婚するとなると、聖者の配偶者として相応しいか、皇帝が判断することになる……」
「……あ」
彼はさっきまで、ヴィオラがウィルフリードと婚約したことを知らず、ヴィオラに求婚するつもりでここへ来ている。
浄化魔法を使える確信があったとしたら、神官試験を受ける際に使えないフリをするのは当然のように思われた。
聖者と聖女は、浄化魔法という稀有で強力な魔法が使えるため、与えられる権限も強い。
その代わり、帝国に忠誠を誓うことを強制される。
過去の聖者と聖女の中には、その力を囲おうとした皇族によって、意に沿わない結婚を強制させられた者もいると聞いたことがある。
魔法を使える者が、ある程度のレベル以上の魔法使いの前で魔法を使えないフリをすることは困難である。魔力を視れば魔法の訓練をした者かどうかわかるからだ。
しかし一方で、浄化魔法だけに焦点を当てると、できないフリをしていると見ただけで判断することはほぼ不可能である。
「……ランドルフはまだヴィオラを諦められていない。今の状況では、名乗り出たりはしないだろうね」
それに、とアインハルトは意地悪な笑みを浮かべる。
「そもそも、ランドルフが本当に浄化魔法を使えたとしても、ヴィオラを呪おうとして撥ね返りに遭った皇女なんて、絶対に助けないだろうね」
「……何で、皇女殿下が呪詛魔法の撥ね返りを受けたことを知ってるの……?」
アインハルトはずっとこの地にいた。帝都で起きたあの事件を知っているはずがない。
目を瞠るヴィオラに、彼はきょとんと目を瞬いた。
「イザーク殿の分身が僕を訪ねて来たんだよ。僕の魔力を鑑定させてほしいって。理由を聞いたら教えてくれたよ」
「アインハルトとして私が帝都にいるのに、アインの部屋を訪ねて来たの?」
「あはは、流石は大魔法使いだよね。急に僕の部屋に現れて驚いたけど、嘘は言っていなかったから彼は信用できると思っているよ」
渇いた笑みを浮かべるアインハルト。
確かに、イザークはアインハルトに扮するヴィオラを一目で見破った。
先代の大魔法使いロジーナを盲目的に崇拝している彼なら、彼女の子供であるヴィオラとアインハルトを守ろうとするだろう。
だから、アインハルトの名を騙っているという疑惑がヴィオラに向いた時、彼は真っ先に彼女を庇うことを考えた。
同時に、ヴィオラとアインハルトが第二皇女エレオノーラを呪った容疑者となった時、彼は即座に二人の無実を信じたはずだ。
そして、それを証明するためにすぐに動いた。
彼はヴィオラを北の国境に呼び寄せるより早く、アインハルトの魔力を鑑定するために分身に訪ねさせていたのだ。これにより、アインハルトとヴィオラの魔力を識別できるようになる。
呪詛魔法が込められた魔法道具に残っていた魔力はすぐに消えてしまったそうだが、イザークなら、ヴィオラとアインハルトの魔力を改めて鑑定すれば、どちらのものだったのかわかるだろう。
結果、魔法道具に残っていた魔力の残滓はヴィオラのものであると確信したイザークは、ヴィオラが皇女を呪う理由はなく、その逆なら大いにありうることと、ダリウスから手鏡を受け取ったという皇女の状況から、皇女がヴィオラを呪おうとして撥ね返りを受けたのだと推測した。
しかし、その推測を確かめるより前に、ヴィオラがアインハルトの名を騙っているという疑惑が浮上してしまったため、北の国境に幻惑魔法で魔物の群れを映し出し、ヴィオラを北の国境に呼び戻させた。
事実を知る者たちで、罰を回避するための口裏合わせをするために。
「……アインがそう言うなら、そうなんだろうね」
アインハルトは人の感情の機微に聡いと同時に、嘘やごまかしをよく見抜くし、性根が腐った者を見極めるのがとても上手い。
ヴィオラからしてみると、イザークはいまいち何を考えているかわからない人物だが、アインハルトの目にはまた違ったように見えているらしい。
「……とにかく、ランドルフが浄化魔法を使えるとしても、ヴィオラとの結婚を完全に諦めるまでは聖者になるとは考え難いし、ヴィオラを呪った皇女を救うためだとしたら尚更拒否するだろうね」
もう一度結論をまとめたアインハルト。
その顔が、まだ何か言いたそうに見えて、ヴィオラは無言で続きを促した。
「……でも、このことが皇帝に知られたら、間違いなくランドルフを聖者にしようとするだろうね」
「それは、そうでしょうね……」
「帝国民である以上、皇帝には逆らえない。そして皇帝は、自分の娘を救うためなら、あらゆる手を使ってランドルフを聖者にしようとするはずだ」
そこに個人の意思は関係なく、皇帝が命じたら、従うほかない。
それだけの権力が、皇帝にはあるのだ。
「……だから、ヴィオラ、くれぐれも気を付けて」
「うん? 私?」
意図が読めず首を傾げるヴィオラに、アインハルトは曖昧に微笑むだけだ。
彼は昔からそういうところがある。
唐突に意味深長なことを言い、どういうことかと尋ねても答えてくれない。
そういう時、大体彼は何かを確信しているが、証拠がないから明確なことは言わず忠告だけしているのだと、ヴィオラが気付いたのは割と最近だった。
ヴィオラの推測ではあるが、アインハルトはヴィオラとは物事の見え方がまるで違うらしい。
こうなってしまうと、何を聞いてもはぐらかされてしまうことは身に沁みてわかっているので、ヴィオラは諦めて自室へ戻ることにするのだった。
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