玖:奇襲
ヴィオラが姿を見せた瞬間、英雄アインハルトが帰ってきたと、騎士たちがすぐに反応して駆け寄ってきた。
「団長! お戻りになられたのですね! 良かった……!」
焦った様子の騎士ゲルツが、ヴィオラの顔を見るなり心底安堵したように息を吐いた。
「ゲルツ、状況を説明しろ」
ヴィオラが命じると、彼はすぐに答えた。
「北方に魔物の群れを確認。数は百程度ですが、先頭にいるのが、先日現れた魔族です」
「雷雲は?」
「今のところ確認されていませんが、魔族の周辺に、強い魔力を検知しています」
報告を聞きながら、ヴィオラとウィルフリードは壁の上へ登り、国境の向こうを見渡した。
森の手前に、魔物の群れが見える。
それを見て、すぐにヴィオラは眉を顰めた。
「……妙だな」
普段なら、群れを確認した直後にはもう突進が始まっている。
しかし、今の魔物たちはじっとこちらを睨んで動かない。
「……極大魔法に気付いているのかもしれない」
ウィルフリードが目を細める。
彼が複数の兵士と騎士の力を借りて仕掛けた極大魔法は、魔力によって生成された雷雲をも消し飛ばすほどの威力をもった攻防一体の強大な魔法だ。
今回は罠魔法の応用で、発動条件に『強大な魔力および攻撃を検知したら』と指定している。
逆にいえば、罠魔法を検知できるだけの能力があれば極大魔法を見破られてしまう。
「……警戒を怠るな。私は鎧を取りに一度屋敷へ戻る」
今のヴィオラは騎士としての正装ではあるが、そのまま戦場に身を投じられるような装備ではない。
「ウィ……ストランド卿、私は屋敷へ戻ります。その間、指揮を頼みます」
「承知した」
うっかり「ウィル」と呼びそうになったヴィオラに気付いたウィルフリードが一瞬口元を緩めたが、即座に表情を引き締めて頷いた。
ヴィオラが自宅へ急ぎ、装備を整えて壁の上へ戻ると、ウィルフリードとイザークがいた。
第二皇女が呪詛魔法に掛けられている以上帝都から出られないのでは、と怪訝に思った直後、ああ、分身か、と気付く。
「戻りました」
言いながら、視線を北方に投じる。状況は変わっていない。魔物に動きはなかった。
「……まだ、動きはないのですか……?」
流石に不気味だ、と思いながらヴィオラが視線を北に向けると、魔物の群れが踵を返して森へ引き返していった。先頭にいたヴォルと思われる魔族も同様だ。
「……え?」
驚いて目を凝らすヴィオラは、森へ入る直前、ヴォルや他の魔物の姿が掻き消えたのを、確かに見た。
遠くても、その違和感ははっきりと感じ取った。
あれは、幻を創り出す幻惑魔法が解けた瞬間特有の消え方だ。
「幻惑魔法……?」
怪訝に呟いたヴィオラに、イザークの分身が、悪戯がバレた子供のように眉を下げた。
それから、辺りを見渡して、話が聞こえる範囲に人がいないことを確認した上で口を開く。
「……申し訳ありません。謀りました。しかし、こうしなければ、貴方は貴族の名を騙ったとして、皇帝陛下にあの場で断罪されかねませんでしたから」
「え……?」
思わず目を瞠るヴィオラと、何かを察して諦めたように嘆息するウィルフリード。
「いつから気付いていた?」
短く尋ねるウィルフリードに、イザークはへらっとした笑みを浮かべた。
「いやですね。僕はこれでも史上最年少で大魔法使いになった天才ですよ。鑑定魔法を使わなくても、相手の魔力を見れば性別くらいわかります」
「え……つまり初対面の時点で……?」
思わず溢すヴィオラに、イザークは頷く。
「ええ。おそらくヴィオラ嬢がアインハルトを名乗って戦場に立っているのだろうということはすぐに察しがつきました。ですが、相手はロジーナ様の忘れ形見であり、英雄アインハルト殿ですからね。何か事情があるのだと思い、黙っているつもりでした……まさか、あのボンクラ三男がそのことに気付いていて、陛下の前で口にするとは思いませんでしたよ」
「……今回、誤魔化してくださったことは助かりましたが……根本的な解決にはなっていません。どうするおつもりですか?」
ヴィオラが尋ねると、イザークはちらりとウィルフリードを一瞥した。
「……先程の反応からそうだろうとは思っていましたが、ストランド卿はご存知だったのですね」
「ああ、偶然な」
「ヴィオラ嬢の婚約者となったストランド卿が事情をご存知なのは正直ありがたいですね。口裏を合わせてくれる人は一人でも多い方がいい」
「口裏?」
「僕の推察では、このことを知っているのは、ここにいる三人の他は、シシェル卿と本物のアインハルト殿のみ。そして疑惑を持っているのは、皇帝陛下とビスチェン中将とボンクラ三男、あと、覚えているかはわかりませんが、話しを聞いた可能性のある第二皇女ですね」
指折り数えて確認するイザークに、ヴィオラとウィルフリードはそれがどうしたと目を瞬く。
「これくらいの人数なら何とかなるでしょう。本音を言えば、ヴィオラ嬢と本物のアインハルト殿に帝都までいらしていただき、証言していただくのが手っ取り早いのですが……」
言いながら、イザークがヴィオラを見る。
「……お二人が帝都に行かれてから、一度探知魔法で本物のアインハルト殿を確認したのですが、見た目は瓜二つでも、よく観察すると違いが明らかですね。体格は服装で誤魔化せても、手を見れば騎士かどうかはわかります。逆に言えば、ヴィオラ嬢がいくら令嬢の格好をしても、手を見たら剣の使い手であることがすぐにわかる……本物のアインハルト殿とヴィオラ嬢が、それぞれ騎士と令嬢の正装をしても、お二人が掌を陛下に見せれば、陛下は一瞬で状況を把握されることでしょう」
そう、だからヴィオラはヴィオラとして人前に出る時は、必ず手袋をするようにしていた。
幸い、体質のおかげなのか、体格は筋肉質ながら華奢なままでいられた。だから今までバレずに済んだのだ。
では、どうするのか。
イザークの様子からすると、何か案はありそうだ。
彼の言葉を待つと、彼はヴィオラに対してにっこりと微笑んだ。
「ヴィオラ嬢は、アインハルト殿の影武者、ということにしましょう」
「か、影武者?」
この世界において、影武者はとても古い因習だ。
かつて人間同士で領土争いを繰り返していた時代、追い詰められた王侯貴族は、いざとなったら影武者を置いて逃げおおせ、敵に影武者の首を斬らせて、大将を討ち取ったと油断させた隙に敵を討ち取る、という戦法があったのだ。
しかし、人間にとって共通の魔族、魔物という敵が現れ、多数あった人間の国が一つの帝国となった今、影武者という文化はすっかり廃れてしまっていた。
何故なら、魔物相手では影武者を殺させても意味がないからだ。
「確かに影武者であれば、名を騙ったとはされないが……今の時代で、ヴィオラがアインハルト殿の影武者だと言い張ったとして、そこに合理的な理由がなければ陛下とて納得はしないだろう」
「シシェル家は、後継者を確保するために、アインハルト殿ではなくヴィオラ嬢を戦場に送り込んだ、とするのです。貴族にとって、後継者確保は重要ですからね。まして、シシェル家は国境を守る使命のある一族。途絶えさせる訳にはいかないという強迫観念から、そのようなことをしてしまった、とするのです」
「ええと、つまり、ヴィオラがアインハルトの名を騙っていた、とするのではなく、シシェル家の後継者を守るため、アインハルトの影武者として戦っていたことにする、と……?」
「そうです。シシェル卿の評判が下がる可能性はありますが、お二人の名誉を守り断罪を避けるにはこれしかありません。実際のところ、ヴィオラ嬢がアインハルト殿の名前で戦場に立っていたので、実際影武者のような役割を果たしていた、というのは事実でありますし」
ちゃっかり、ロジーナを奪ったロクスの評判を下げようとするあたり、やはり侮れない男である。
実在する貴族の名を騙ることが重罪である一方、影武者に対する罪は整備されていない。
影武者は、自らが進んで貴族の名を名乗るのではなく、当主に命じられて代わりを務めるからだ。
よく考えたら、ヴィオラがアインハルトの名で戦場に立つことにしたのはシシェル家の当主だ。当主の命令で行ったのだから、影武者として通しても問題ないように思う。
実際の理由は、後継者であるアインハルトを守るため、ではなく、ヴィオラが自分の名前で戦場に立ったら嫁の貰い手に苦慮することになるから、というものであったが。
「そういうことにして、シシェル卿と本物のアインハルトには口裏を合わせるように、僕から伝えておきます。そういうことなら、陛下も黙認されるでしょう。英雄アインハルトが北の国境を守り続けてきたこと自体は事実な訳ですし」
うんうん、と自分で話す内容に納得した様子で頷くと、イザークはくるりと踵を返した。
「皇帝陛下へも僕から報告します。おそらく問題ないという判断になると思いますので、そうなれば、予定通り英雄アインハルト殿に稽古をつけてもらうために、討伐隊の兵士がこちらへ派遣されることになるはずです」
さくさくと話が進んでいき、イザークの分身が北の国境にいて、本体が帝都にいる、という状態が非常に便利だと痛感するヴィオラであった。
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