弍:縁談の申し込み
翌朝、壁の近くに魔物の気配がしないことを確認したヴィオラは、壁の外に出て、壁から一定の距離に広範囲の罠魔法を施した。魔物がその地を踏んだ瞬間に爆発する魔法だ。
攻撃にもなる上、魔物が近付いてきたことがわかるため一石二鳥で、北の国境でも用いられている。
「……ふぅ」
一通り完了したところで、背後に控えていたウィルフリードが一歩ヴィオラに近付いた。
ヴィオラが魔法をかけ終えるまで、護衛を買って出てくれたのだ。
「見事だな」
「お褒めに預かり光栄です。ストランド卿」
淡々とした様子で一礼するヴィオラ。
その反応が、ウィルフリードにとっては珍しく、興味を持たずにはいられなかった。
「君は、一切俺に媚びないんだな」
思わずそう声を掛ける。
ヴィオラは目を瞬いた。
「私はしがない辺境の騎士です。帝国軍の大佐殿に媚びて、一体何の得があると?」
本気で解せないと思っている様子の態度が、更にウィルフリードの関心を引き付ける。
「出世に興味は?」
「ありません。私は北の国境を守ることが使命ですので、国境の騎士たちを動かせるだけの権限さえあれば、それ以上は望みません」
潔く言い切るヴィオラ。
実際、これ以上の地位を与えられても持て余すだけだ。
何しろ、自分はアインハルトではないのだから。
下手に勲章でも授与することになれば、帝都に呼ばれて式典に出席することになり、英雄アインハルトが影武者だったことが露見する危険性が出てきてしまう。
「……ここに長く留まるのは危険です。戻りましょう」
ヴィオラに促されて、ウィルフリードは頷いた。
二人が壁の中に戻ると、帝都からの増援が近付いてきたと、見張り塔からの報告が上がった。
「よし、私たちは帰ろう」
罠魔法も設置したので、増援到着まで数分であれば、魔物が湧いてきても何とかなるだろう。
ヴィオラは五人の騎士に帰り支度をするよう指示し、グリジニエン伯爵の許へ向かった。
「罠魔法の設置が完了しました。これで、魔物が近付けばすぐにわかりますし、一陣は一掃されます。増援も間もなく到着するようですので私共はこれで」
「もう少しゆっくりされても……」
「私の使命は、北の国境を守ること。あまり長く、持ち場を離れる訳には参りませんので」
引き留めようとする伯爵を振り切り、ヴィオラは五人の騎士を連れてその場を去っていった。
その様子を、壁の上の見張り塔から眺めていたウィルフリードは、何か思うように目を細めるのだった。
ヴィオラが北の国境に戻った時、そこはいつもと変わらない様子だった。
自分が不在の間に攻め込まれてやいないかとヒヤヒヤしていたヴィオラは密かに嘆息する。
「アインハルト様、おかえりなさいませ」
そう言って出迎えたのは、シシェル伯爵家に仕える執事のカステン・ウーツェルだ。
四十代半ばで物腰穏やかな紳士で、シシェルの英雄アインハルトの正体がヴィオラであることを知る数少ない人物である。
正体は知っていても、ヴィオラがアインハルトに扮している時はきっちりとアインハルトの名を呼ぶよう徹底してくれている。
「お勤めお疲れ様でございました。湯浴みとお休みの準備は整っておりますので、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
自室に戻って鎧を脱ぐと、すぐ隣の浴室に向かう。
この世界の普通の貴族なら、メイドが湯浴みの手伝いをするのだが、アインハルトからヴィオラに戻る瞬間でもあるため、ヴィオラはいつも一人で入浴を行うのだ。
すっかりヴィオラに戻って、父の書斎へ赴く。
本来帰宅してすぐに報告に行くべきだが、この家には本物のアインハルトがいるので、周りに露見させないための習慣だ。
北東の国境でのことを報告すると、ヴィオラの父であるロクス・シシェル伯爵は何か思うように眉を寄せた。
「……父上?」
「……ストランド大佐が先遣隊として来ていた、というのは気にかかるな」
言われてみれば、確かにそうだ。
通常、先遣隊として派遣されるのは、それなりの力量がある中堅兵士であることが多い。地位で言うと少佐クラスだ。
大佐のような地位の人物が、先遣隊に入るのは非常に珍しい。
ヴィオラは、救護小屋を出た時に鉢合わせた青年の態度を思い出して、渋い顔になる。
何だか偉そうで鼻持ちならない男。それがストランド大佐に対する第一印象だった。
「……たまたま近くの町に視察に来ていたとか、何か別の目的があったのでしょうか。ああ、あとは国境の定期視察も兼ねていたとか」
ヴィオラが呟きながら、机上に広げられていた地図に視線を落とす。
大陸全土の地形が描かれたそれには、太くくっきりと国境の線が引かれ、その地を守る貴族の名前が記されている。
「……まぁ、その可能性が一番高そうだな」
ロクスはそう呟き、地図に視線を戻す。
「……代替わりしたグリジニエン伯爵はどうだった?」
「人当たりのよい印象でした」
特段変わった人ではない認識だった。この世界ではよくいる辺境貴族だ。
とはいえ、貴族と腹芸は切り離せないものなので、彼の本性まではわからないが。
「……定期視察を兼ねて、代替わりしたばかりの伯爵の様子を見に来た、ということでは?」
「その可能性もあるな」
先遣隊として到着することで、抜き打ち的に相手の挙動を見ることができる。
「……もしかしたら、こちらにも事前通達なく来るかもしれんな」
「見られて困るものなどないでしょう」
シシェル伯爵家の領地経営に不正は一切ない。急に来て帳簿を見せろと言われたとしても何も問題はない。
そういう意図でヴィオラが即答すると、ロクスは「何を言ってるんだ」と露骨に顔を歪めた。
「あるだろうが。英雄の正体が、ヴィオラだという、シシェル家最大の秘密が」
「あ……」
自分がアインハルトとして魔物と戦うことがすっかり日常になっており、そのことはヴィオラの頭から抜け落ちていた。
「……まぁ、もし突然訪問して来たとしても、ヴィオラかアインハルトの私室に押し入られない限り、露見することはないと思うが……」
ロクスが額を押さえて嘆息する。
「とにかく、当分は気を引き締めておけ」
「わかりました」
ヴィオラが頷くと、ロクスは何か思い出したように、机の引き出しから何かを取り出した。
机上に無造作に置かれたのは、一通の封書だった。
「ヴィオラ、お前に縁談の申し込みだ」
「父上、それは……」
ヴィオラが嫁入りしてこの地を離れたら、待っているのは国の終焉だ。
彼女の力無くして、この北の国境は守れないのだから。
それをよくわかっているロクスは、これまで来ていた縁談の話を全て断っている。
「相手は、ビスチェン公爵家の三男だ。婿入りでもいいと言ってきている」
突然出てきた大物貴族の名前に、ヴィオラはぎょっとした。
「ビスチェン公爵家……?」
それは、このゴッテスフルス帝国最大の貴族の名だ。
帝国を治める皇帝は、十二の王国のうち最も大国であったラガーハウス王国の国王の子孫である。
ビスチェン公爵家はその初代皇帝の弟が臣籍降下した家系であり、先代の皇女が臣籍降下したこともあり、帝国に属する王国の国王並みに権力を有している。
「三男とはいえ、公爵家の方が婿入りだなんて……」
この世界の貴族の爵位は、原則嫡男が継ぐ。公爵家も例外ではない。
三男であれば、実家から領地を分け与えられて分家となるか、何か功績を立てて皇帝から直々に爵位を与えられない限り、貴族としての地位を守りながら生きる道はない。
公爵家の分家化や、新たな爵位の授与の噂は今のところ聞いたことがないので、おそらく結婚を口実に公爵家から追い出したいのだろうか。
公爵家の次男は帝国軍の中将として活躍していると聞いたことがあるが、三男の噂は聞いたことがない。もしかしたら無能な穀潰しなのでは、と捻くれた見方をしてしまうヴィオラだ。
「……私は嫌です」
「相手が相手だ。流石にこちらの一存で断ることなどできん」
首を横に振るロクスに、ヴィオラは深々と溜め息を吐いた。
「わかりました。お会いします。ただし、なるべく相手から断っていただけるように立ち振る舞います」
「相手はゴッテスフルス帝国最大の貴族だぞ? 下手をしたら……」
「大丈夫です。上手くやります」
ヴィオラはそう言って、唇を吊り上げるのだった。
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