壱:噂の英雄
シシェル伯爵が下した決断は、ヴィオラと、彼女の直轄部隊に在籍する精鋭騎士五人だけを北東の国境に送るというものだった。
北の国境を守ることを疎かにできない。これが限界だった。
ヴィオラの剣と魔法の腕前は一騎当千であり、英雄の仮面をつけた彼女が戦場に現れるだけで、魔物は逃げ出すとさえいわれている。
彼女なら、北東の国境の窮地を救ってすぐに帰って来られるだろう、という判断である。
ただし、彼女が長く北の国境を不在にすれば、その隙を魔物に狙われかねない。
それ故、ヴィオラは一刻も早く、北東の国境の危機を乗り越え、帝国軍の増援が来るまでしのげるようにした上で、戻って来なければならなかった。
「アインハルト様、参りましょう」
白銀の鎧を纏う騎士の正体がヴィオラであることを知らない五人の騎士と共に、彼女は馬に跨り出発した。
目的の北東の国境とは、馬を飛ばせば一日で着く距離だ。
六人がそこに着いた時、彼女たちはあまりの惨状に言葉を失った。
「……酷い」
壁は何とか守られていたが、重症の騎士と兵士が多数、その辺に転がっている状態だった。治療がまったく間に合っていない。
それでも魔物の群れが押し寄せてきていて、いつ壁を突破されるか、時間の問題のように見えた。
「団長……!」
「行くぞ」
ヴィオラは手綱を引き、この地の責任者に挨拶するよりも、先に五人を率いて壁の向こうに出て魔物を制圧する方が先だと判断し、大扉の前に向かった。
「我はアインハルト・シシェル。援軍として参った! 扉を開けよ!」
扉の向こうは、この地の騎士達が戦っている。激しく斬り合う音と、人間の怒号、そして魔物の雄叫びが聞こえる。
「シシェルの英雄が……!」
「助かるぞ……!」
「いや、でも、たった六人だけじゃ……」
希望に満ちた声と、困惑の声が耳に届く。
「行くぞ。隊列を乱すなよ」
ヴィオラの言葉に、五人の騎士が頷く。
彼らもまた、シシェルが誇る精鋭の五人だ。
扉が開き、その向こうに阿鼻叫喚の地獄絵図が現れる。
魔物たちが、扉の音に一斉にこちらを向き、駆け出して来るのが見えた。
「強化魔法」
ヴィオラが剣を抜き、静かに唱えた。
淡い魔力の光が彼女を包み込む。
そして、ヴィオラの合図で、駆け出した。
そこからはあっという間だった。
魔法によって強化されたヴィオラたちの攻撃により、魔物の群れの半数以上が、薙ぎ倒された。
そして、魔物の数が減ったところで、ヴィオラが繰り出した火炎魔法により、魔物の群れは散り散りに逃げ去っていったのだった。
日暮れと共に壁の内側に戻ったヴィオラたちを待っていたのは、駐屯する兵士と騎士たちからの歓待だった。
「アインハルト殿! お見事でした!」
駆け付けて来たのは、この地の責任者である、グリジニエン伯爵だった。
三十代前半の彼は、最近父が亡くなって爵位を継いだばかりだという。
「いえ、挨拶もせず前線に飛び出して失礼いたしました。一刻を争うと判断したもので」
「とんでもない! おかげで助かりました」
「帝都からの増援はいつ来るのですか?」
そう尋ねたヴィオラに、彼の背後にいた人物が口を開いた。
「おそらく明日には到着するはずです」
「そうですか。では、明日までは待機しますが、増援が到着次第、私たちは帰ります。私たちにも領地を守る義務と責任がありますので」
淡々と答えるヴィオラに、その人物が頷く。
長身で逞しい体躯の、金髪に赤みがかった紫の瞳の美青年だ。年は二十代前半ほど。伯爵の秘書だろうか。
そんなことを考えていると、伯爵がさっと間に入る形で紹介してくれた。
「ああ、こちらは帝国軍のウィルフリード・ストランド大佐だ。増援の先遣部隊として先程到着された。ストランド様、こちらが北の国境の英雄、アインハルト・シシェル殿です」
「これは失礼いたしました。アインハルト・シシェルと申します」
まさか帝国軍の大佐がいるとは思わず、ヴィオラは慌てて一礼した。
しかも、ウィルフリード・ストランドはかなり有名な人物だ。
侯爵家の出身なのに軍に入り、最年少で大佐になった逸材だと。
そして、その戦い方や自他共に厳しい姿勢から冷徹大佐と呼ばれている。
この世界において、帝国軍は国が管理し、騎士は個人や家に仕えるという違いがある。
シシェル家は辺境伯という立場もあり、軍には属さず独自の騎士団を結成しているが、国境そのものは帝国軍の管轄なので、軍の兵士に協力する形で警備に当たっているのだ。
見張りや砲撃を担当するのは主に兵士で、壁外で直接魔物と戦うのは主に騎士の役割である。
と、ウィルフリードはヴィオラを見て僅かに表情を緩めた。
「貴殿の先程の戦い、壁の上から眺めていたが、実に見事だった。英雄の名に相応しい」
率直な褒め言葉に、ヴィオラは頭を下げる。
アインハルトとしてこの場に立っている以上、変に関わりすぎると正体が露見する恐れがある。
褒め言葉は素直に受け取りつつ、適当に流すのが最良だろう。
「お褒めいただき光栄です。ですがその栄誉は、私だけのものではありません。共に戦ってくれたシシェルの騎士五人の力なくしては、私も力を発揮できませんでした」
そう言って、背後に控える五人を示す。
謙虚な振る舞いに、ウィルフリードは感心した風情で頷いた。
「そうか。今宵はゆるりと休んでくれ。グリジニエン殿、彼らに部屋を」
「勿論でございます! 生憎ここには城はありませんが、私の屋敷があります。どうぞ客室でお休みになられてください」
「お気持ちはありがたいのですが、私たちは客人ではなく、あくまで援軍です。今晩は壁の近くで休みます」
ヴィオラはそう断って一礼すると、五人の騎士を振り返った。
「兵士の休憩所を間借りさせてもらい、お前達はもう休め」
「団長は?」
「私はまだやることがある」
ヴィオラはそう言い残し、重傷を受けて倒れている兵士たちの許へ駆け寄っていった。
「この中で最も重傷な者から案内してくれ。治癒魔法と回復魔法をかけていく」
救護小屋で治療をしている看護師にそう声をかけ、実際に彼女は重傷者の傷をどんどん癒していった。
「……団長って、本当に凄いよな」
遠巻きにその姿を見ていた騎士の一人が呟く。
「帝国一の英雄で、治癒魔法も回復魔法も使えて、おまけにあの美貌だろ。まだ独身なのが不思議だよな」
「縁談の申し込みは殺到してるらしいぞ。ただ、どれも内地に来て自分を守って欲しいという自己中心的な要望付きだからな。全て突っぱねているらしい」
「馬鹿だよな。団長が北の国境からいなくなったら、魔物が一気に攻め込んでくるようになって、内地だって危なくなるのに」
「内地の貴族令嬢は、自分のことしか考えてないんだろう」
そんなことを言いながら、彼らはヴィオラの指示通り、兵士たちの休憩所を間借りして仮眠を取ることにしたのだった。
夜が完全に更けた頃、兵たちの治癒魔法を施し続けたヴィオラは、急を要する重傷者の治療が終わった所で自身も休むため、救護小屋を出た。
魔法を連発して使ったため、すっかり疲弊してしまっていた。
「……ふぅ」
魔力を回復するための魔法薬を飲まないと、この後眠ったらしばらく起きられなくなってしまう。
そう思いながら懐を探る。
「……あ」
その魔法薬がないことに気付き、ヴィオラは額を押さえた。
そう言えば、忙しなく準備を整えたため、魔法薬を入れ忘れた気がする。
まずい、疲労困憊で睡魔が襲ってきた。
足がふらついて倒れそうになったところを、誰かの腕が支えてくれた。
「大丈夫か?」
顔を覗き込んできたのは、先程挨拶したウィルフリードだった。
端正な顔が間近に迫り、思わずどきりとする。
「っ! すみません。ちょっと眩暈がしたもので」
「魔法の使い過ぎだ。これを飲め」
ぶっきらぼうに言うと、彼は目の前に青い小瓶を差し出してきた。
魔力回復薬だ。
「……申し訳ありません。頂きます」
拒否する理由はない。
ヴィオラは素直にそれを口にすると、身体がふんわり暖かくなるような心地がした。魔力回復薬を飲んだ時に現れる感覚だ。
「怪我人を助けるのは結構だが、己を顧みないやり方は感心できないな」
苦言を呈され、ヴィオラは思わず顔を顰めた。
「普段は魔力回復薬を持ち歩いているのですが、今回は急な出立でしたので、持参し損ねただけです。忘れたことは間違いなく私の失態ですが、回復薬がないことをわかっていたら、ここまで無茶な魔法行使はしていません」
我ながら言い訳がましいと思ったヴィオラだが、黙ってはいられなかった。
「失礼します」
叱責される前に退散しようと、ヴィオラは一礼してその場を離れていく。
その後ろ姿を見送ったウィルフリードは、己の右手を見つめた。
英雄アインハルトは、伯爵の屋敷で休むことを断って、ここの兵士が使用している休憩小屋を使うと言った。
他の五人の騎士の身分はわからないが、少なくとも伯爵令息であるアインハルトがそう言ったことに、ウィルフリードは驚きを隠せなかった。
しかもアインハルトは騎士と別れ、救護小屋へ向かった。
何をするつもりなのかと観察していたら、騎士たちが彼を称える言葉が聞こえて、それが真実かを確かめるためにアインハルトの後をつけてきたのだ。
高位貴族として生まれたウィルフリードは、傲慢な貴族たちを内地で嫌という程見てきていた。
それこそ、最年少で国立軍の大佐に就任したウィルフリードもまた、守ってほしいと願う貴族たちから、自分の娘と結婚してほしいという縁談の申し込みが常に殺到している。
同じような境遇で親近感が湧き、少し話したいと思ってアインハルトが怪我人に治療を施し終わるのを待った。
まさかこれほど夜が更けるまで、治癒魔法を使い続けるとは思わなかった。
そして彼が出てきたところで声を掛けようとしたら、魔力切れでふらついていたので、思わず手を出してしまった。
素直に彼の行いを賞賛し、労おうと思っていたのに、口をついて出たのが皮肉るような言葉になってしまった。そのせいで、アインハルトは不快そうな顔をして、さっさと立ち去ってしまったので、己の口下手さを密かに反省するウィルフリードである。
それにしても。
「……シシェルの英雄は、随分と軽く華奢なんだな……」
鎧を纏っていたのに支えた身体はかなり軽く、咄嗟に掴んだ腕も驚くほど細かった。
あの細腕で、あれほどの魔物の群れを一掃していたのかと思うと、驚嘆に値する。
そして、自分に向けられた視線。
意志の強さを感じさせる深い青の瞳は、「お前になど興味はない」とでも言っているように思えた。
男も女も、貴族は皆自分に対して媚び諂うような視線を向けてくるのが普通だった。皆、いざという時に守ってもらいたいからだ。
ウィルフリードはそれにうんざりしていた。
だから、己に強さがあるが故に、守ってもらおうという意図の一切ないアインハルトとのやり取りは、短かったがとても心地よかった。
「……あれが女だったら良かったのにな」
正直、先程の魔物と戦いを壁の上から見て、アインハルトの戦う姿に見惚れた。
人間に対して、「美しい」と思ったのは初めてだった。
それがまさか、戦場で戦う白銀の騎士に対してだとは、自分でも驚きだ。
ウィルフリードは嘆息して身を翻すと、静かにその場を後にしたのだった。
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