参:秘密の約束
ウィルフリードが降り立ったのは、帝都の外れにある大聖堂の鐘楼の上だった。
「……案内したい所ってここですか?」
なだらかな三角屋根の上に立ったヴィオラが、怪訝そうにウィルフリードを振り返ると、彼は視線を帝都の街並みに向けて頷いた。
夜でも賑わう街並みの向こうに、月明りに照らされた立派な城が聳えている。
帝都の様子が一望できるその景色に、ヴィオラは息を呑んだ。
「……綺麗」
思わず呟いたヴィオラに、ウィルフリードが満足そうに頷き、屋根の上に腰を降ろした。ヴィオラも、一瞬迷ってそれに倣う。
「ここは、飛翔魔法を習得して以来、子供の頃から何かある度に来ていた場所だ」
「何かある度に……?」
「嫌なこと、嬉しいこと、考えたいことがある時、色々だ」
視線は街に向けたまま、ウィルフリードが感慨深そうに呟く。
「軍に入ってからは、ここに来るたびに、ここに暮らす人々は俺が守るんだって、自分に言い聞かせてきた……まぁ、守る対象は帝都だけじゃないんだけどな」
「……ここは、ストランド卿の大切な場所なんですね」
「ウィルだ」
強めの口調で遮られて隣を振り返ると、やや拗ねたような顔をしたウィルフリードと目が合った。
「もう婚約者だろう? ここには誰もいないし、もし見られても遮蔽魔法を掛けているから、会話を聞かれる心配もない」
「……う、ウィル……フリード……さん……」
愛称で呼び捨てることはどうしてもできず、絞り出すように名を呼んだヴィオラに、ウィルフリードはやや不満そうな顔をする。
「ウィルだ」
もう一度促されてしまい、ヴィオラはやや恨みがましげにウィルフリードを見つつ、口を開く。
「……ウィル」
そう呼ぶと、彼は今までで一番優しい笑みを浮かべて頷いた。
「ん、悪くないな」
「……アインハルトになっている時は、もう呼びませんからね」
「ああ、わかっている。仕事中はこれまで通りで構わない……が、二人きりの時は今みたいに呼んでほしい」
「……善処します」
彼とはあくまで、彼が第二皇女との結婚を回避するまで婚約者のフリをするという関係だ。
まだ正式にそれを受け入れると決めた訳ではない。
それ以前に、魔王討伐隊に加わったということは、いつ死んでもおかしくないということだ。
騎士となって以来、常に死と隣り合わせの戦場に身を置いていたヴィオラにとって、死はとても身近なものだが、魔王討伐となると今以上に死が大きく近いものになる気がした。
「……どうした? 何か心配事でも?」
表情を曇らせて視線を落としたヴィオラに、ウィルフリードが顔を覗き込むように首を傾げる。
「……魔王討伐なんて、本当にできるのかと……」
「まぁ、魔王の存在自体が、前代未聞だからな」
ウィルフリードは小さく嘆息する。
それから、ヴィオラの右手をそっと握った。
「約束する。何があっても、君は俺が守る。魔王の力がどれほどかわからない以上、命を懸けたとしても守り通せるかは正直わからないが、もしもの時、死ぬときは一緒だ」
じっと自分を見つめてくる赤みがかった紫の瞳に、ヴィオラは見惚れてしまう。
討伐隊といっても、まだ会議もしておらず、どのようにして討伐に出ることになるのかはわからない。
もしかしたら、隊長の采配で別動隊として動く可能性だって充分にある。
「……いつになるかはわからないが、もしも、魔王討伐を成し遂げられたら、フリではなく本当に俺と結婚してほしい」
成し遂げられなかったら結婚しなくていいのか、そんな意地悪な返答が頭を過ぎるが、それを口にする気にはなれなかった。
正直、まだウィルフリードのことを好きかどうかはわからない。
あの皇女と結婚させられたら気の毒だと思って婚約者のフリをすることを了承したが、実際にこのまま結婚することを覚悟した訳ではない。
だがもしも、本当に魔王を打ち倒すという偉業を成し遂げられたとしたら。
魔王を討伐すれば魔族や魔物が消滅するのか、それはわからないが、少なくとも今よりは奴らの勢いは衰えるはずだ。
そうなれば、この国は少し平穏になる。今はそんな未来は想像もできないが、もしもそれが叶ったら、これだけ自分を想ってくれるウィルフリードと結婚するのも悪くないように思えた。
ヴィオラはウィルフリードの目を見て小さく頷いた。
「わかりました。魔王討伐を成し遂げたら、貴方と結婚します」
そう答えると、ウィルフリードはほっとした様子で破顔した。
本当に嬉しそうなその顔に、ヴィオラの胸がぎゅっとなる。
「約束したからな」
ヴィオラの手を握る手に、少しだけ力が込められる。
「ええ……私は騎士です。一度交わした約束は違えませんよ」
ヴィオラがそう答えると、ウィルフリードは少し意外そうな顔をしてから、ふっと相好を崩した。
「そうだったな……ヴィオラ・シシェルは間違いなく騎士だ」
そう言って、ウィルフリードは腰を上げた。手を引かれて、ヴィオラも立ち上がる。
「そろそろ戻ろう。明日の任命式と会議に備えないとな」
「……そうですね」
少しだけ名残惜しいと思ってしまったヴィオラは、自分の心を誤魔化すように視線を帝都の街並みに投じたのだった。
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