弍:初めての帝都
帝国軍の宿舎はヴィオラの想像よりも遥かに新しく綺麗だった。
というのも、帝国軍の兵士には貴族出身者も多いためだ。
帝国軍に入れば、基本的に寝食は宿舎となる。
如何なる高位貴族であっても、まずは訓練兵から始まり、実力次第で階級が上がる。
裕福な貴族の子息が入隊すると、己の子息が軍で質素な生活を強いられるのを哀れんだ父親が多額の寄付をする、ということが多々あり、結果として宿舎や装備が潤沢になるのである。
「この部屋を使え」
案内されたのは宿舎の最上階の部屋だった。
「ここは?」
「地方に長期任務に出ている将官や佐官が、一時的に帝都に戻った時に使う部屋だ。隣は俺の部屋だから何かあれば声をかけてくれ。むさ苦しい場所ですまないが、将官も使う部屋だから風呂とトイレは部屋についている。アインハルトである君を令嬢扱いする訳にはいかないが、ここなら正体を隠せるだろう」
「お気遣いありがとうございます」
「……では、荷物を置いて準備ができたら声をかけてくれ」
彼はそう言うと、隣の部屋に戻っていく。
残されたヴィオラは、手荷物から持参した服を並べて渋い顔をした。
ウィルフリードは帝都を案内すると言った。
それはあくまでも、初めて帝都にやって来た北の英雄アインハルトをもてなすため、というのが対外的な理由だ。
当然、騎士として街中を見て回る訳ではないが、女の格好をして出歩く訳にはいかない。
そもそも、今回の旅はアインハルトとしてのものなので、寝巻き含め男の服しか持って来ていない。
持参してきた服は全部で四着。今着ている騎士の正装と寝巻き、それから登城時以外で着るために借りてきたアインハルトの私服が二着。
帝都がどんな街かよくわからないが、この私服で出歩いて大丈夫だろうか。
そんなことを考えつつ、そのうちの一着、白のシャツとこげ茶のベストとパンツという組み合わせを選ぶ。
アインハルトが病弱故に細身なため、長身のヴィオラとはほぼ体格が変わらないのが幸いだ。
それでも、胸はサラシを巻いて潰さないといけない。
身支度を整えて部屋を出て、隣の部屋のドアを控えめに叩く。
と、早足でドアに近づく音がして、すぐにドアが開かれる。
「っ! お、お待たせしました」
勢いに気圧されたヴィオラがそう謝罪すると、ウィルフリードはすんとした顔で首を横に振る。
「いや、大丈夫だ。行こう」
彼もまた、軍服から私服に着替えている。
貴族としての階級的にウィルフリードの方が格上なので、ヴィオラが追従する形で歩き出すと、階段を降り切ったところでウィルフリードが不満そうに振り返った。
「……状況的に、エスコートできないことは承知していたが、せめて隣を歩いてくれないか」
「ええ? しかし……」
ヴィオラがウィルフリードとの婚約を承諾したことになっているにしても、今はアインハルトとしてここにいる以上、帝国軍の大佐と私設騎士団の団長とでは身分が違う。
「……ヴィオラ嬢との婚約が成立した以上、英雄アインハルトは俺の義弟だ。あまり遜りすぎるのも不自然だろう」
それは一理ある。
ヴィオラはおずおずとウィルフリードの隣に並んだ。
ウィルフリードは満足そうに微笑むと、改めて歩き出すのだった。
帝都の街は、ヴィオラの想像をはるかに超える賑わいだった。
伯爵領にも町はあるが、普段国境付近の自宅で暮らしているヴィオラは滅多に町へ行かないし、比べ物にならないくらいの規模だ。
立ち並ぶ店と、行き交う人々。その通り一本だけで、伯爵領の町三つ分くらいありそうだ。
「凄い……これは、何かの祭りですか?」
思わず尋ねたヴィオラにウィルフリードはふっと笑みを零して首を横に振る。
「いや、これが普通だ。祭りの日はもっとすごいぞ」
想像がつかず、唖然とするヴィオラにウィルフリードは少し得意気な顔である店に近付いていく。
精肉店のようだが、焼いた肉も売っているらしく、ウィルフリードは店の前で立ち止まり、ヴィオラを振り返った。
「苦手な食べ物はないか?」
「はい、ありません」
ヴィオラの回答を受けて、ウィルフリードは店主に声を掛けると、串に一口大の肉が数個刺さったものを二本購入した。
それを一本ヴィオラに差し出す。
「串焼きだ」
「あ、ありがとうございます……あ、代金……」
「いい。それくらいの稼ぎはある」
彼女の申し出を断って、ウィルフリードは先に串焼き肉にかぶりつく。
貴族令嬢であれば外で串焼き肉を頬張るなんてありえないが、今はアインハルトの姿であり、自分より高位のウィルフリードがやっているのだから問題ない。ヴィオラは素直に串焼きを口に運んだ。
「……美味しい……!」
北の国境付近の地域にはない、香草が効いた味付けであるが、それがとても食欲をそそる。
思わず呟いたヴィオラに、ウィルフリードは嬉しそうに頷いた。
「だろう? この店の味付けが好きで、帝都に戻ったら必ず食べるんだ……北の国境に永住することになったら、ほとんど食べられなくなってしまうがな」
少し意地悪な笑みを浮かべるウィルフリードに、ヴィオラは動揺し、肉を危うく喉に詰まらせかけて盛大に咽込んだ。
「大丈夫か?」
「っ! だ、大丈夫です……!」
落ち着いてから一度深呼吸して答えるヴィオラだが、動揺させられたことが無性に悔しくなり、返す言葉を考える。
「……数種類の香草を使ってますね。それがわかれば、シシェル家の料理人でも再現できるかもしれませんよ。それでも冬場はどうしても新鮮な肉が入って来なくなるので、食べられる季節は限られますが」
そう言い返してから、自分は求婚を正式に承諾した訳ではなく、あくまでもウィルフリードが第二皇女との結婚を拒否する正当な理由を得るための仮初の婚約者であることを思い出す。
しまった、と思ってウィルフリードを見ると、彼は頬を紅潮させていた。
「……まさか、北の国境に永住することを肯定するような返答がもらえるとは思わなかった……」
どうやら照れているらしいウィルフリードを見て、ヴィオラは彼のどこが冷徹大佐なのだろうと不思議な気持ちになるのだった。
「ふ、深い意味はないですよ。もしもの話です」
慌てて弁明するヴィオラに、ウィルフリードはふっと笑う。
「今はそれで充分だ」
仕事中とは打って変わって気さくな雰囲気のウィルフリードに、親しみを覚えたヴィオラはその後、帝都の街を楽しんだ。
数時間ウィルフリードと過ごして、わかったことがある。
彼はとにかく女性にモテる。
少し通りを歩けば若い女性のはしゃぐ声が聞こえてくるし、中には声をかけてくる者たちもいた。
しかしウィルフリードは、それを心底迷惑そうな顔で「結構だ」「悪いが今忙しい」と断っていた。
見た目だけですり寄ってくる女性には厳しいのだな、と他人事のように考えるヴィオラだった。
そうして陽が沈んだ頃、彼のお気に入りのレストランで食事をして、昼よりも静かな、それでも田舎町の夜とは比較にならないくらい賑やかな街を歩く。
何だかんだ、ウィルフリードに案内された帝都はとても楽しかった。
毎日のように魔物との戦いに明け暮れていた日々からは想像もできなかった。
もちろん、今こうしている間にも魔物の襲撃があるかもしれない。
それでも、こんな時くらいは少しくらい楽しんでも許されるだろう。
と、帝国軍の宿舎の前まで来て、ウィルフリードはちらりとヴィオラを一瞥した。
「……ここからは俺の我が儘だが、まだ時間はあるか?」
「え? ええ、大丈夫ですが……」
「君に案内したい場所が、あと一つあるんだ」
そう言うと、彼は左手でヴィオラの手を掴み、気配を消す遮蔽魔法と、飛翔魔法を唱え、空へふわりと舞い上がった。
「わっ!」
自身が飛翔魔法を使うことはあっても、人に手を引かれて空を飛ぶことはないため、ヴィオラは思わず掴まれたのとは反対の手でウィルフリードの左腕を掴んだ。
「っ! 飛ぶときは飛ぶって言ってください!」
思わず声を上げると、ウィルフリードは小さく笑って「すまん」と謝り、高度を上げてある場所に向かって一直線に飛んでいったのだった。
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