玖:謎
時は少しだけ遡り、壁の上から飛翔魔法で飛び出したヴィオラは、森の前にやってきていた。
何かに呼ばれたような気がしてやってきたヴィオラは、森の前に佇む人影を見つけて目を細めた。
「……!」
そこにいたのは、昨日雷雲を伴って現れ、ヴォルと名乗ったあの魔族だった。
長い黒髪と、血を吸ったような深紅の瞳。
二十代半ば程の青年に見えるが、魔族は人間とは異なる生態らしいので、見た目で年齢や性別は判断できない。
「来たか。ヴィオラ・シシェル」
彼は、ヴィオラを見て満足そうに頷いた。
「何故、私をヴィオラと呼ぶ?」
警戒しながらヴィオラが尋ねると、彼は怪訝そうに目を瞬いた。
「見ればわかる。ロジーナと同じ目をしている」
「っ! 母上を、知っているのか……!」
「ああ、知っているとも……我が半身を封じた、忌まわしき魔法使い……!」
ヴォルの声色に、憎悪が滲む。
しかし、その赤い瞳には別の感情が宿っているように見える。
だがそれよりも、彼の言葉を聞いてヴィオラは訝しげに眉を顰めた。
「半身を、封じた……?」
そんな話を聞いたことは一度もない。
魔族を封じたなんて、帝国の人間にしてみればとんでもないニュースだ。
「我を解き放てるのは、ロジーナと同じ血を有する者のみ」
ヴォルの言っていることの意味がわからず、ヴィオラはただ困惑する。
「それで、私を呼び出したの……?」
「ああ、そうだ。昨日お前を一目見てすぐにわかった。だが、あの場には人間共が多く厄介だったからな」
「私をどうする気……?」
「ロジーナの施した封印を解け」
そんなことをすれば、ただでさえ化け物じみた強さを見せているこのヴォルの半身とやらが解放されてしまうのではないか。
半身の封印というものがどういうことなのかよくわからないが、少なくとも人間にとっては封印されている状態が望ましいのだろうと思われた。
「嫌だと言ったら?」
ヴィオラが挑むような眼差しで尋ねると、ヴォルは唇を歪めた。
「その時は……」
深紅の瞳が無機質に煌めく。
ついと伸ばされた右手から、黒い魔力が噴出して渦を巻き始める。
攻撃される。防御しないと。
そう思うのに、思考に反してヴィオラの身体は動かなかった。
ああ、駄目だ、殺される。
絶望が脳裏を支配した、その時。
カッと銀色の光が一閃した。
ヴィオラの背後から飛んできたそれは、ヴォルの胸を貫く。
「……やるな。人間……分身とはいえ我の身体に穴を開けるとは」
胸に大穴を開けながら、ヴォルは平然とした様子で呟く。
今話していたのは分身体だったのか、と驚きつつ、ヴィオラが光が飛んできた方を振り返ると、血相変えたウィルフリードが駆けて来るところだった。
「ヴィオラ! 無事か!」
「ストランド卿!」
「邪魔が入ったな……今回はここで退こう」
その言葉を残し、ヴォルはその場に溶けるように掻き消えてしまった。
「……逃げられたか」
ヴィオラの前まで来たウィルフリードが舌打ちする。
「ストランド卿、どうしてここに……」
「どうしてだって? 目の前で君が何かに吸い寄せられるように飛び出して行ったから、追いかけて来たんだぞ」
「あ……」
ヴィオラはようやく、先程何かに呼ばれるように飛び出して来たことを思い出した。
『何かに呼ばれた』と直感した瞬間から、ヴォルと対峙するまでの記憶がほとんどない。
「何があった? 今の魔族は、あの雷雲の魔族か?」
「はい。でも、分身だったようで……」
「なら、本体にダメージは与えられていないか……」
目を眇めるウィルフリードに、ヴィオラは森の方に視線を投じる。
「……あの魔族、ヴォルと名乗り、母のことを知っているようでした」
「ロジーナ様を?」
「ええ。ロジーナに半身を封じられたと、その封印を解くためには、彼女の血を引く私が必要だと言っていました」
「シシェル卿から、ロジーナ様が魔族を封印したという話は?」
「聞いたことはありません。父も知らないと思います。もしかしたら、母が魔物に喰われる寸前に、何かしたのかもしれません」
大魔法使いロジーナは、十年前の魔物との戦いで命を落としたとされている。
死体は見つかっていないが、共に戦場に出た兵士が、魔物に喰われるのを見たと証言したからだ。
だがもしも、喰われる寸前に、自らの命と引き換えに魔物や魔族を封印する魔法を発動させていたとしたら。
ロジーナは、当時の大魔法使い、つまり帝国で最も優れた魔法使いだった人物だ。その可能性は充分にある。
「……わからないことだらけだな……とにかく、壁外は危険だ。一度戻ろう」
ヴィオラとウィルフリードが飛翔魔法で壁の上に戻ると、そこにはイザークが不安そうな面持ちで立っていた。
「まったく! 報せを聞いて驚きましたよ! 北の騎士団の団長と帝国軍の大佐ともあろう方たちが、勝手に壁外に出るなどと……!」
「すまない。だが、アインハルト殿を一人で行かせて、何かあってはまずいだろう」
「それはそうですが……一体、何があったのですか?」
訝るイザークに、ウィルフリードとヴィオラは順番に何があったかを説明する。
「……なるほど、ヴォルと名乗る謎の魔族が、ロジーナ様に半身を封印されたと言っていたと……」
「魔族や魔物を封印する魔法なんてあるのか?」
ウィルフリードの問いに、イザークは頷く。
「魔族や魔物に限定せず、何かを封印する魔法は存在します。とても高度な魔法かつ、維持するには膨大な魔力が必要となりますが、ロジーナ様なら可能でしょう。まして、命と引き換えに発動させたのだとしたら、強大な魔力を有する魔族を封印できたとしても不思議はありません」
魔法は通常、魔力を消費して発動させる。
そして、命を削って効力を増大させることが可能である。
つまり、死の間際に命を全て捧げた封印魔法を発動させた可能性は充分ありえるということだ。
「……もし、そうだとしたら」
イザークの声色が、妙に重々しくなる。
「ロジーナ様が命懸けで封じた魔物が解放されるということは、つまりロジーナ様の死が無駄になるということ……そんなことには、絶対にさせませんよ。ロジーナ様の名誉は、僕が守ります」
昏い表情で呟くと、彼は踵を返してどこかへ行ってしまった。
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