陸:禁じられた呪詛魔法
ヴィオラが何か思いついた様子で顔を上げたので、ウィルフリードは怪訝そうに首を傾げた。
「どうした?」
「呪詛魔法! 呪詛魔法です!」
「うん?」
ヴィオラの言葉の意図が読めずに、ウィルフリードが戸惑いを見せる。
「魔族や魔王退治に、呪詛魔法を使うんです!」
ヴィオラの提案に、ウィルフリードははっと目を瞠った。
「そうか! その手が……!」
しかし、すぐに表情を曇らせる。
「いや、しかし、呪詛魔法を扱うには、様々な制約や術者にも危険が伴うはずだ……それを調べるだけでも、神殿の禁書の棚の閲覧許可を皇帝陛下にいただかなくてはならない……」
「難しいでしょうか……?」
「……それでも、陛下に提案してみる価値はある」
ウィルフリードは頷くと、ヴィオラに向き直った。
「ただ、その提案のためには、俺が帝都に戻る必要がある。だが、あの雷雲の魔族のことが片付いていない以上、この場を離れる訳にはいかない……」
「まずは、派遣を要請した国家魔法使いに相談して意見を仰いでもいいかと思います」
「そうだな。さっき伝書魔法を飛ばしたから、早ければ明日には到着すると思う」
「そんなに早く?」
北の国境から帝都まで、馬車で休まず進んで十日はかかる。途中休息を入れたら更に数日増える。
早馬を途中で乗り換えることができれば、最短三日ほどで移動できるが、基本的には五日以上かけて移動するのが常だ。
勿論、優秀な魔法使いであれば飛翔魔法ないし転移魔法が使えるので、一瞬で移動できる者も存在はする。
だが、帝都からここまで転移魔法で移動するとなると、膨大な魔力を消費することになるのであまり現実的ではない。
それとも、国家魔法使いとなるとそれも可能なのだろうか。
「ああ、あれはそういう男だ」
意味深長に答えるウィルフリード。
その表情は呆れているようにも、面白がっているように見える。
「どなたが来るか、もう決まっているのですか?」
「指名した訳じゃないがな。今代の大魔法使い宛に、魔法使いの派遣要請を出したから、当人が来る可能性が高い」
「大魔法使いが、自ら……?」
大魔法使いとは、国家魔法使いの頂点に君臨する者の称号だ。つまり、国でもっとも優れた魔法使いだということ。
そんな偉い魔法使いが、こんな国の外れに、呼ばれたからといって来るのだろうか。
そんな疑問が顔に出たヴィオラに、ウィルフリードは肩を竦める。
「会えばわかる」
腑に落ちないでいるうちに、ウィルフリードは「また明日」と言って、再び転移魔法で軍の宿舎に戻ってしまった。
そして翌日、鎧を纏ったヴィオラが騎士団の宿舎に向かうと、妙に騒がしかった。
ちなみに、騎士団の宿舎と軍の宿舎は隣接していて、訓練などもよく合同で行う。
入り口付近に騎士と兵士が入り乱れた人だかりができていて、ヴィオラが近づくと、気付いた騎士が困惑した様子で振り返った。
「だ、団長! おはようございます!」
「おはよう。何かあったのか?」
ヴィオラが声を掛けると、騎士と兵士は一斉に道を開けた。
その先に、深紫色のローブを纏った男が立っている。
燃えるような真っ赤な髪に、鮮やかな青の瞳、細身で二十代半ばくらいに見える青年だ。
彼は柔和な表情でヴィオラを見て、僅かに目を瞠った。
「……ロジーナ、様……」
そう呟いたのを、ヴィオラは確かに聞き取った。
ロジーナは、ヴィオラとアインハルトの実母の名前だ。
ロジーナ・シシェル。ロクスの妻であるシシェル伯爵夫人は、元々名のある貴族令嬢だったが、国家魔法使いとなり、二十歳で大魔法使いになった逸材てある。
そして大魔法使いとして北の国境に派遣されて来た時、ロクスと恋に落ちて結婚した。
そして彼女は、十年前に亡くなっている。
当時、ロクスが前線に出ていて、ロジーナも補佐のため同行していた。魔物の大軍に襲われて分断され、ロクスがどうにかロジーナの元に駆けつけた時には、彼女の姿はなく、ズタズタになったローブだけが残されていた。
遺体は見つかっていないが、近くにいた騎士が「彼女が魔物に食われるのを見た」と証言したことから、ロジーナは死亡したと断定されたのだ。
「アインハルトシシェルと申します……母を、ご存知なのですか?」
ヴィオラは一礼して尋ねる。
青年が纏っている深紫のローブは、国家魔法使いの証であり、更に金の刺繍が施されたそれは、彼が大魔法使いであることを示している。
つまり彼は、今代の大魔法使い、イザーク・ディクバウムだということ。
と、彼ははっとした様子で居住まいを正した。
「失礼。僕はイザーク・ディクバウム。国家魔法使いの派遣要請を受けて来ました」
彼は優美な所作で一礼し、改めてヴィオラを見る。
「ロジーナ様は、僕の尊敬する大魔法使いです。彼女に憧れて、国家魔法使いを目指しました」
彼はそう言いながら、少し寂しそうに笑う。
ヴィオラは少々違和感を覚えた。
彼はどう見ても二十代半ばほど。
ヴィオラの母が亡くなったのは十年前だが、二十一年前に国家魔法使いを辞してシシェル家に嫁入りしている。
ロジーナは存命であれば四十二歳だが、国家魔法使いになったのは十八歳の時で、大魔法使いになったのは二十歳の時。つまり二十二年前。
今代の大魔法使いイザークは史上最年少で国家魔法魔法使いになり、最速で大魔法使いになった天才として非常に有名であるが、だとしても計算が合わないのでは。
それとも、見た目は二十代半ばほどだが、実年齢はもっと上なのか。
「来たか、イザーク。早かったな」
ヴィオラの背後から声がして、振り返るとウィルフリードが立っていた。
彼を見たイザークが、肩を竦める。
「そりゃあ、北の国境に出向く口実がやっと僕に回ってきたんですから、文字通り飛んで来ました」
「北の国境に出向く口実……?」
いやに親しそうな二人と、意味深長な言葉にヴィオラが目を瞬く。
「イザークはかねてより北の国境に来たがっていたんだ。だが、大魔法使いは、帝国が誇る魔法使いの頂点。国だけでなく皇帝や皇族を守るための立場でもある。よほどの事情がない限り帝都を出ることは許されない」
「何故、北の国境に……? 普通の貴族は絶対に自ら来ようなんて思わないのに……」
首を傾げるヴィオラに、ウィルフリードは耳打ちするように囁いた。
「……大魔法使いロジーナが没したた場所を、己の目で確かめたいそうだ」
「母上の……?」
「アイツは、大魔法使いロジーナへの憧れと敬愛が限界突破してるからな」
「限界突破……?」
どういう意味だろうと目を瞬くヴィオラに、イザークは大股で近付いてきて跪いた。
「噂には聞いておりましたが、アインハルト様はロジーナ様に瓜二つでございますね……髪と瞳があの忌まわしき下郎のものなのが口惜しいですが……」
心底憎らし気に吐き捨てた最後の呟きに、ヴィオラは面食らう。
「い、忌まわしき下郎……?」
「ええ。あの男のせいで、僕はロジーナ様の下で魔法を学ぶ機会を奪われました。その上、むざむざロジーナ様を死なせたあの男を、僕は絶対に許しません」
青の瞳に燃えるような殺意を宿らせるイザーク。
先代の英雄と名高い実父のことをそこまで憎む人間を初めて目の当たりにし、なんだか居た堪れない気持ちになるヴィオラである。
「イザーク、念のため言っておくが、帝国が国境を保持していられるのは、シシェル卿の功績が非常に大きい。個人的な恨みで礼節を欠くなよ」
ウィルフリードがやや強めの口調で告げる。
それを受けて、イザークはにこやかな笑みを浮かべるだけだ。
その様子を眺めながら、なんだか妙な胸騒ぎを禁じ得ないヴィオラだった。
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