弐:招かれざる客
ゴッテスフルス帝国の現皇帝には、二人の妃と五人の子供がいる。
正妃の子である二十五歳の皇太子、二十歳を迎えたばかりの第一皇女、十八歳の第三皇子。
第二皇妃の子である、二十二歳の第二皇子、十八歳の第二皇女。
つまり第二皇女は側妃の子であり、皇帝の第四子である。
「は? 皇女……?」
当然だが、皇族は基本的に高い壁に囲まれた帝都の中心にある城に住み、滅多なことでは帝都はおろか城からも出ることはない。
まして、最も魔族魔物と接する機会の多くなる国境になど、絶対に近寄りはしないのに。
「……そ、それで、ストランド大佐を呼べと……」
「ストランド卿を? 悪いが、ストランド卿は緊急事態の対応中だ……」
いくら皇族の命令でも、軍人である彼にとって、国の防衛の要である国境の死守が最優先だ。
それを中断させることができるのは、皇帝による勅命くらいだが、皇女がその勅命をもってきた可能性も否定はできない。
「用件は聞いたか?」
ヴィオラが尋ねると、兵士は首を横に振る。
「いえ、ただ、『皇女命令だ』とは仰っていました」
つまり、皇帝による勅命ではないということ。
「ならば申し訳ないが、あの北の黒雲の件がある程度片付くまでは待っていただくしかない」
「それが、あの……」
「なんだ?」
「一応、お伝えだけしておきますが、皇女殿下はヴィオラ様にもお会いしたいと仰っていて、シシェル様が困惑されていました……」
「え?」
ヴィオラが目を瞬く。
第二皇女が自分に一対何の用だろう。
当然ながら、ヴィオラは皇女どころか皇族の誰一人とも会ったことはない。
伯爵位でありながら辺境伯でもあるシシェル家は、国の防衛の要であることから、社交界への参加も免除されているからだ。
ヴィオラは表向き騎士ではなくただの伯爵令嬢ではあるが、領地経営の手伝いがあるという名目で夜会などの誘いは全て断っているのだ。
一切接点のない皇女が何故自分に会いたがっているのか理解できないヴィオラだが、今はそれどころではないので、その対応は父ロクスに任せることにする。
「……準備ができ次第、偵察隊として五人を送る」
誰にすべきかと一同を見渡すと、十人以上が手を挙げた。
勇敢な部下たちの立候補に、ヴィオラは頷き、その中から偵察役として向いていそうな五人を選出した。
全員、飛翔魔法が使える魔法使いとしても優秀な騎士達だ。
「何が起きているのかを確認、または危険を感じたらすぐに退避してこい。第一陣を抜けたところで、遮蔽魔法を展開すること。いいな」
「は!」
ヴィオラの命令に、五人が敬礼して応える。
彼らが偵察へ行くのを、壁の外で見送ったところで、ウィルフリードがハンスとゲルツとほか四人の兵士を引き連れて戻ってきた。
「魔法陣を敷き終えた。そっちはどうだ?」
「今偵察隊を向かわせたところです」
ヴィオラの答えに頷くウィルフリード。彼女は言うべきか一瞬迷ったが、報告はすべきだろうと思い直して口を開いた。
「先程、第二皇女のエレオノーラ殿下がお見えで、ストランド卿を呼べと仰っているそうです」
と、それを聞いたウィルフリードは一瞬信じられないと言いたげに目を瞠ったが、すぐに心底嫌そうに顔を顰めた。
「用件は聞いたか?」
「いえ……ただ、皇女命令だ、とのことです」
「陛下の勅命ではないんだな?」
そこだけ確認して、ウィルフリード深々と溜め息を吐いた。
「……誤解を生みたくないから先に言っておくが、先日一度帝都に戻った時、陛下からエレオノーラ殿下との結婚を打診されたんだ」
「えっ!」
それは流石に驚きだ。
彼の生家であるストランド家は、確かに侯爵という格式高い家ではあるが、帝国の中には属国の王族もいる。
政略のためにそちらへ嫁に行かせるだろうと皆が噂していた。
しかも、ウィルフリードは次男であり次期侯爵ではない。皇女を自国の軍人に嫁がせたなんて話はこれまでに聞いたことがない。
「もちろん断った。既に俺はヴィオラ嬢に心を奪われていたからな」
後半は声を顰めて悪戯っぽく笑う。
その表情に、ヴィオラはどきりとした。
「陛下としては、俺を手元に置いておくための提案だったんだろう。断る際に、ヴィオラ・シシェルに求婚したと報告したら、それなら国境も安泰だと仰ってくださり、特に反対もされなかったからな」
しかし、と彼は続ける。
「エレオノーラ殿下は昔からやたらと俺を気に入っていたからな。おそらく俺との結婚を望んでいて、俺がヴィオラ嬢に求婚したと知ってここまで来たんだろう」
「ええ……?」
それは面倒臭い話だ、とヴィオラは引き気味に唸る。
「無論、君に迷惑をかけるつもりはない。俺がなんとかするから、気にするな」
ウィルフリードはそう言って小さく笑う。
「まぁ、いずれにしても、あれが片付かない限りはそんな話もできそうにないがな」
ウィルフリードが視線を北方に向ける。
黒い雲は、確実にこちらへ広がってきていた。
と、北の空から何かが飛んでくるのが見えた。
目を凝らすと、白銀の鎧を纏った五人の騎士だった。
遠目でも、様子がおかしいとすぐにわかった。
三人が固まって飛んでいる。二人に支えられながら飛んでいる一人は項垂れていて、意識がないように見えた。
その後ろを飛ぶ二人も、右腕を押さえていたりどこか怪我をしているらしかった。
ヴィオラはすぐさま、その場にいた部下に担架の用意を指示する。
彼らが到着すると、すぐに重傷者を担架に乗せて診療者へ向かわせる。
「何があった?」
一番傷が軽そうな一人に尋ねると、彼は青褪めた顔で口を開いた。
「魔族です。視認した瞬間、遮蔽魔法を見破られ、攻撃を受けました。咄嗟に避けきれなかった三人がそれをもろに喰らい、ルッツは気絶し、マルテとフーガは右腕を損傷しました」
「そうか。まずは全員で戻ってこられてよかった。敵の魔族について、他にわかることは?」
「見た目は二十代半ばくらいの若い男でした。長い黒髪で赤眼の。魔狼に乗っていて、その後ろには魔豹や魔熊も多数見えました」
「魔族は一体だけ?」
「僕が見たのは一体だけでした」
それでも、シシェル家が誇る騎士団の精鋭五人に対し、遮蔽魔法を見破った上で攻撃を喰らわせるとは相当の強者だ。
「……どうするつもりだ?」
共に報告を聞いたウィルフリードがヴィオラを見る。
彼女は北の空を睨みながら答える。
「その魔族は私が倒します。他の魔物の相手は騎士団と連携して迎撃部隊と砲撃隊でなんとかしてください」
ヴィオラの言葉に、ウィルフリードが僅かに眉を上げた。
「君が一人で、魔族の相手を?」
「一人の方が集中できますから」
「いや、そうじゃなくて……」
じゃあ何だ、と首を傾げるヴィオラに、ウィルフリードは頬を掻いた。
「厄介な方を率先して選ぶのかと、感心したんだ」
「騎士団で一番強いのは私です。私が行かなくて誰が行くんですか」
ヴィオラのその言葉を受けて、ウィルフリードは小さく笑った。
「……そうだよな。君はそういう人間だ……」
納得した様子で呟き、彼はヴィオラに何かを差し出した。
「これを持っていてくれ。君に危険が迫った時、それを知らせてくれる」
見ると、それはペンダントだった。紫色の宝石が填め込まれたシンプルなもので、一目で魔法を組み込まれた魔法道具であるとわかった。
「……くれぐれも気を付けろ」
「わかっています」
そう答えたヴィオラは、ペンダントを着けて鎧の中に入れ込むと、迎撃部隊の先頭に立つのだった。
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