終:再会
翌日、魔法による速達便で、魔法薬が数本、シシェル領に届いた。
それと入れ替わるように、ウィルフリードが厳重に捕縛魔法をかけて馬車に閉じ込めたダリウスを連れて帝都に戻っていった。
そしてそれから更に十日が経った頃、シシェル伯爵家に一通の封書が届いた。
侯爵家の紋章入りのそれは、ウィルフリードからの正式な縁談の申し入れだった。
「……先日の定期視察の際に、ヴィオラとは顔を合わせていないはずだが……」
怪訝そうに首を捻る父ロクスに、ヴィオラは額を押さえて溜め息を吐いた。
「……父上、実は……」
観念して、ウィルフリードに正体がバレたことを白状すると、ロクスが心底驚いた顔をした。
「お前が英雄の正体だと知った上で、お前と結婚したいと……?」
「……父上、驚くところはそこですか?」
冷静につっこみを入れるヴィオラ。
ロクスはこほんと咳払いをした。
「……この世界の男、とりわけ高位貴族の男は、自分より強い女性を忌避する傾向が強い。お前が英雄の正体であると知った上で結婚したいなどと言う男がいるとしたら、妻に自分を守ってもらおうと考える軟弱な男くらいだろうと思っていたが……」
ウィルフリード・ストランドといえば、帝国一の軍人と謳われるほどの人物だ。
その戦闘力の高さは、この辺境の地にも名を轟かせるほど。
つまり、彼が妻となる女性に強さを求める必要性はない。
いや、とロクスは気がついた。
自分もそうだったが、ある程度武勲を立てて名を上げると、守って欲しくて近づいてくる王侯貴族が後を絶たなくなり、それを目的とした縁談の申し込みが殺到するのだ。
そういう輩は非常に自分勝手な振る舞いをしてくることが多く、辟易したものだ。
そうか、だからこそ、ウィルフリードは自身が強いために守られようとしないヴィオラを気に入ったのか。
「しかも、ストランド大佐は侯爵家の次男。侯爵家を出ているが、軍での功績を認められ、皇帝陛下から騎士爵を与えられている」
騎士爵は、領地を持たず一代限りで継承できないが、皇帝陛下から与えられる栄誉ある地位である。
「しかも、噂では近いうちに侯爵位を賜るのではと言われている」
「侯爵位を?」
爵位の序列は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。
騎士爵は準貴族の扱いではあるが、そこを足掛かりにさらに功績を積んで爵位を上げるケースが多い。
とはいえ、それでも男爵子爵伯爵を飛ばして侯爵位となると、かなり異例であり、その噂の真偽が問われる。
「それだけ、皇帝陛下の覚えがめでたく、そばに置きたい逸材ということだろう。少なくとも、来月には少将に昇進するという話は聞いた」
ロクスは辺境伯でありながら、独自の伝があり帝都の情報に詳しい。
と、その時、早のドアがノックされ、執事のカステンがおずおずと顔を出した。
「旦那様、お客様です」
「客? そんな予定はないはずだが……誰だ?」
「ウィルフリード・ストランド様でございます」
ヴィオラは思わず父と顔を見合わせた。
求婚の手紙が届いたのはつい先程だ。それで今ここへ、その差出人本人が来るとは。
やっていることがダリウスと同じでは、と過ったが、そもそも国境の定期視察の最中にあの事件が起きたので、その続きのために来たと考えると不自然ではない。
「ヴィオラ様とお会いしたそうですが、いかがなさいますか?」
「応接間に通せ。ヴィオラ、必要があれば私を呼びなさい」
「わかりました」
父の指示通り、ヴィオラは応接間に向かった。
部屋に入ると、先に案内されてソファに座っていたウィルフリードが、彼女を見て僅かに驚いた顔をした。
「……何か?」
「あ、いや……ヴィオラ嬢に会うのは初めてだからな……その、想像より可憐で驚いただけだ」
少し照れ臭そうに視線を逸らして頬を掻くウィルフリード。
ヴィオラは心底驚いた顔をした。
「か、可憐……?」
今までそんな事を言われたことはない。
ヴィオラとして来客の対応をすることは稀にあったが、それでも立ち振る舞いに出てしまうのか、「凛々しいお嬢さんですね」と言われることばかりだった。
戸惑うヴィオラに、ウィルフリードは立ち上がって近付いてきた。
「……正式に結婚の申し込みをさせてもらった」
「……はい、聞きました」
「返事はまだ聞かない。だが、これからは全力で口説かせてもらう」
その言い方に、ヴィオラは目を瞬いた。
「ストランド家の力を使えば、私との結婚なんて簡単に決められるのでは?」
ストランド家は侯爵家、シシェル家は伯爵家それも辺境貴族だ。
爵位でいえば一つしか違わないが、それでも身分差はあり、格上であり名門貴族であるストランド家がその気になれば、シシェル家にこの縁談を断る手立てはない。
「そんなことをして、君に嫌われたまま結婚するのは、俺も本意じゃない」
この世界において、貴族は政略結婚が常識だ。
相手の心が誰に向いていようと、家同士の繋がりを強固にするために結婚するのが当たり前なのに。
「……君に本当の意味で受け入れてもらって、俺の伴侶になって欲しいと思っている」
「何で、そこまでして……」
ヴィオラが怪訝そうに呟くと、彼は片膝を衝いてヴィオラの手を取った。
「君を愛しているから」
「あ、愛……?」
「ああ……初めて戦場で君を見た時、美しいと思った……変な話だが、その時は英雄アインハルトは男だと思っていたのに、だ……そして、俺に媚びない君に、いつの間にか惹かれていた」
唐突に語られる話に、ヴィオラは困惑する。
と、赤みを帯びた紫の瞳が、彼女を射抜く。
「っ……そ、そんなこと言われても……」
初対面の印象は最悪だった。偉そうな上から目線と、皮肉めいたものの言い方が癪に障った。
しかし、最前線での彼の的確な指示、魔物の大群の中での身のこなしは、自分が今まで見て来た誰より洗練されていて、軍人としての彼には尊敬の意を抱き始めていた。
だが、異性に対して、男としてどう思うか、と聞かれたら、正直わからない。
「もしや俺は男が好きなのかと、最初は困惑した……英雄アインハルトのような女性がいたら、そんな馬鹿げたことまで考えていたら、本当にアインハルトの正体が女性だったんだ……あの時は、奇跡が起きたと思った」
ぎゅっと、ヴィオラの手を握る手に、僅かに力が込められる。
「もしも、心底俺のことが嫌いでないのなら、少しずつでも、俺との結婚を考えてほしい」
熱の籠った眼差しで見つめられ、ヴィオラは胸の奥がぎゅっとなるのを感じた。
顔が熱くなり、鼓動が急に速くなる。
「……その顔は、少しは期待していいのか?」
ウィルフリードが、窺うように僅かに首を傾げた。
精悍な顔立ちに似合わない、少しだけ不安そうな、希望に縋るような、そんな表情だ。
ヴィオラは、小さく口を開く。
「……わかりました。少し、時間をください」
その場で断られなかったことに、ウィルフリードは安堵した様子でふっと笑みを零した。
「ありがとう」
そう言って微笑むウィルフリードを見て、ヴィオラは自分の胸の内に芽生えた感情の正体が、まだよくわからなかった。
彼のことを尊敬している。
信頼もしている。
共に戦う仲間として、これ以上ないほど頼もしいとも思う。
けれど、それが恋なのかと問われれば、まだ答えは出せない。
だからこそ、もう少しだけ時間が欲しかった。
ウィルフリードはそんな彼女の意図を汲み取ったらしく、それ以上答えを急かすことなく、穏やかな表情で立ち上がる。
窓の外では、北から吹く冷たい風が木々を揺らしている。
魔物との戦いは終わっていない。
英雄アインハルトを取り巻く環境は、何も変わってはいない。
それでも、ヴィオラの運命は、確実に動き始めているのだった。
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