拾:収束
ヴィオラは飛翔魔法で壁の外へ出ると、第一陣の罠魔法の前に降り立った。
「置罠魔法!」
地面に手を置いて唱えると、元々張り巡らされていた罠魔法が反応して魔法陣が光り輝いた。
罠魔法を強化したので、魔物がここに到達したら今までの倍の数くらいまでは足止めができる。
罠魔法の設置を確認したヴィオラは、再び飛翔魔法で壁内に戻ったが、着地したところでふらりとよろけて壁に手をついた。
「……流石に魔力を使い過ぎたか……」
魔力回復薬はない。そうなると身体を休めて自然回復させるしかないが、完全回復となると数日は掛かるだろう。
だが、これで大群が押し寄せてきても、しばらく足止めをすることができる。
そうすれば、迎撃部隊が対応するまでの時間を先延ばしできる。大群の様子を確認する時間が稼げれば、より適切に対応でき、怪我人を減らすことができる。
本来であれば常時こうしておくのが理想だが、毎回このレベルの罠魔法を設置するのはヴィオラの負荷が高すぎる。
今度罠魔法を設置するための魔法使いの派遣を帝国政府に頼んでみよう、とそんなことを考えるヴィオラである。
そんな彼女がふらつきながら自宅へ向かうと、前からウィルフリードが駆けて来た。
「ヴィオラ嬢! 大丈夫か?」
頼りない足取りで歩く彼女の姿に驚きながら手を貸して、ウィルフリードが顔を覗き込んでくる。
「すみません、罠魔法を強化してきたら、思ったより魔力を消費してしまって……」
「君が魔力を使い果たしてどうする」
嘆息するウィルフリードに、ヴィオラは初対面の時を思い出した。
そのせいで、つい棘のあるような口調で言い返してしまう。
「私一人が魔力を消費して、前線の騎士たちを守れるならそれでいいんです」
「英雄の魔力が枯渇した状態だなんて、皆に知られたら士気に関わるぞ」
やや呆れたようにそう言いながら、彼は青い小瓶を差し出してきた。
「魔力回復薬……?」
予備を持っていたのか、と顔を上げると、ウィルフリードは苦笑した。
「君が北東の国境に援軍として来た時に忘れていった小瓶だそうだ。本物のアインハルトが、これを君に届けようとしていたから、預かって来た」
意外な人物の名前が出てきて、ヴィオラが目を瞬く。
「アインが……?」
「ああ。彼は、君が前線に出ているのに、自分は屋敷に閉じ籠っていることに対して引け目を感じているらしい。診療所の魔力回復薬が盗まれたことを聞いて、家にあったこれをどうにか君に届けようとしたんだ」
「だからって、どうしてアインハルト自身が……」
「使用人に預けたら使用人が危険にさらされることになる。かといって、今は兵士もバタついていて頼めない。自分が届けるしかないと判断したんだろう」
そんなことをして、アインハルトが二人いる、という状況を誰かに見られたらどうするつもりだったのだろう。
そんなことが頭を過ぎるヴィオラに、その思考を読んだウィルフリードが静かに続ける。
「一応ローブで顔を隠していたがな。それはそれで怪しかったから諭して俺が預かった、という訳だ。ついでに、俺が英雄アインハルトの正体を知っていることは、話しておいた」
「……そう、ですか」
ヴィオラは詰めの甘い弟の行動に、思わず額を押さえて嘆息した。
とりあえず、その小瓶を受け取って飲み干す。
魔力が回復するのを実感して、居住まいを正した。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
その言葉を受けて、ウィルフリードは少々残念そうな顔をした。
「そうか。もう少し甘えてくれても良かったんだがな」
「え?」
予想外の言葉に目を瞬く。
ウィルフリードは少し意地悪な笑みを浮かべた。
「忘れたのか? 俺は君に求婚した立場だ。君が弱みを見せてくれるのは嬉しい」
「そ、それは、お断りしたはず……」
「俺はまだ諦めていない」
しれっとそう言い、彼は踵を返した。
「俺は諦めが悪いんだ。だから今の俺がある」
そこまで言い、彼は思い出したように続ける。
「魔力回復薬は、一番近い町にある分を送るように手配を掛けた。明日には届く。それが届いたら、俺はビスチェンを帝都に送還してくるが……またここへ来る。覚悟しておけよ」
「か、覚悟?」
決闘でも申し込まれるのか、と身構えるヴィオラに、その思考を読んだのか、ウィルフリードはやや呆れ気味に嘆息した。
「全力で口説くという意味だ」
顔を近づけてそう宣言すると、彼はヴィオラの鎧を填めた左手を取り、そっと口付けた。
鎧越しで温もりも感触も感じないはずなのに、手の甲から一気に熱が広がったような気がした。
真っ赤になるヴィオラを少し愉快そうに見るウィルフリードに、ヴィオラは心に引っ掛かっていたことを思い出した。
「……一つ、お聞きしてもよろしいですか?」
「何だ?」
「ビスチェン卿が、三年前に北西の国境で起きた大戦で、貴方に自分のいた部隊を見捨てられたと仰っていました……それは、本当ですか?」
そう切り出すと、ウィルフリードは表情を僅かに曇らせた。
「……事実ではある」
「事実では?」
奥歯にものが挟まったような物言いに、ヴィオラは首を傾げる。
「ああ。あの時、ビスチェンは上官である俺の命令を無視し、兄君の直下の部下を引き連れて小隊を作り、無茶な特攻を仕掛けたんだ。当然、魔物の群れに囲まれて帰還もできない状態になった。俺は、命令を無視したビスチェンを助けに行かないことを選んだ。俺の部下を、アイツのために危険に晒す訳にはいかないと判断したからだ」
それが本当だとしたら、ダリウスは完全に自業自得だ。巻き込まれた兄の部下が気の毒でしかない。
「ビスチェン卿はどうやって生還を……?」
「兄君が公爵家お抱えの魔法使いに強制召喚魔法を使わせて回収していた」
「……じゃあ、ビスチェン卿が連れて行ったという兵士たちは……?」
その問いに、ウィルフリードは瞑目して首を横に振った。
「一部はビスチェンの作戦が無謀だと気付いて、囲まれる直前に逃げ出して来たが、ほとんどが命を落とした……それを、あいつは俺のせいだと逆恨みしているんだ」
「……そうだったんですか」
ウィルフリードが語ったことが事実であるならば、彼の対応は上官として軍人として、当然だと思う。
もしも自分が彼の立場だったとしても、命令を聞かずに同胞を巻き込んで無謀な特攻を仕掛けるような部下を、他の部下の命を危険に晒してまで助けには行かないだろう。
戦場に立つ者は、時には冷徹な判断を下さなくてはならない時がある。
判断を間違えれば、国境が瓦解して帝国自体が滅びてしまう可能性が出てくるのだ。
と、ウィルフリードは、少し不安そうに眉を下げた。
「……少しは、見直してもらえたか?」
「見直す?」
「その話をビスチェンから聞いて、俺を軽蔑していたんじゃないのか?」
「軽蔑していた訳では……ただ、ビスチェン卿の話が本当かどうかは、ストランド卿に直接聞いて確かめたいと思いました。他者から聞いた話だけで決めるのではなく、私は私が見たもので、相手を判断したいので」
ヴィオラがそう答えると、ウィルフリードは少しだけ驚いた様子で眉を上げた。
「……そうか」
彼女は本当に、肩書きで相手を判断しないのだな、と妙に感心するウィルフリードであった。
「ありがとう……やはり、君は俺が理想とする女性だ」
それだけ呟くと、ウィルフリードは身を翻して去っていってしまった。
残されたヴィオラは、その後ろ姿を見送って、複雑な感情が芽生えたのを、確かに感じていた。
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