第7話 捨てられた理由
夜。
辺境伯領の屋敷――静寂に包まれた庭園。
セレスティアは一人、月明かりの下に立っていた。
足元には、春を告げるように芽吹いたばかりの若葉。
その淡い緑を、彼女はじっと見つめている。
指先でそっと触れかけて、やめた。
「……どうして」
零れ落ちた声は、風に溶けるほど小さい。
けれどその響きは、今ではなく――遠い過去へと向けられていた。
ーーー
幼い頃。
「すごいわ、セレスティア!」
庭いっぱいに咲いた花を前に、母は心から嬉しそうに笑った。
小さな手で咲かせた奇跡を、何よりも大切なもののように扱ってくれた。
「あなたは優しい子ね」
そう言って、柔らかく頭を撫でてくれる。
その温もりが、世界のすべてだった。
――けれど。
その世界は、あまりにもあっけなく終わった。
母は、早くにこの世を去った。
ーーー
「その程度?」
代わりに屋敷に響くようになったのは、冷え切った声。
「役に立たないわね」
継母は、咲き誇る花を一瞥すらせず言い放った。
どれだけ花を咲かせても意味はない。
どれだけ心を込めても価値はない。
戦えない力など、無価値だと。
繰り返し、繰り返し――そう刻み込まれていった。
ーーー
「婚約は破棄だ」
追い打ちのように告げられた言葉。
「お前は王妃に相応しくない」
王子の声は冷たく、周囲の視線は鋭かった。
囁き合う声。
隠そうともしない嘲笑。
そして、あからさまな失望。
逃げ場など、どこにもなかった。
ーーー
「……私が、弱いから」
いつの間にか、それが答えになっていた。
誰に言われるでもなく。
自分自身で、そう思い込んでいた。
ずっと。ずっと――。
ーーー
「違うな」
不意に、背後から低い声がした。
振り返ると、そこにヴァルカスが立っていた。
夜の闇を背負いながらも、その存在ははっきりと感じられる。
「……聞いていましたか」
セレスティアはわずかに目を伏せる。
「少しな」
彼は気にした様子もなく、隣へと歩み寄った。
一定の距離を保ちながら、同じ景色を見つめる。
「お前は弱くない」
短く、しかし迷いなく言い切る。
「むしろ逆だ」
その言葉は、驚くほど自然に落ちてきた。
「……でも」
反射的に否定しようとした言葉は、途中でかすれる。
「周りが見る目ないだけだ」
あっさりとした口調。
まるで当然のことを述べているだけのように。
「少なくとも俺はそう思ってる」
セレスティアは、何も言えなかった。
胸の奥で、何かがわずかに揺れる。
それが何なのか、まだうまく掴めないまま――時間だけが静かに過ぎていく。
やがて。
「……信じても、いいですか」
ためらいがちに、けれど確かに問う。
その声は小さいが、逃げてはいなかった。
「好きにしろ」
ヴァルカスはそっけなく答える。
けれど。
ほんの一拍置いて――
「裏切らない」
低く、静かに付け加えた。
その一言は、不思議なほど重みを持っていた。
セレスティアは目を見開く。
言葉ではなく、その響きが胸に届く。
疑う余地のない、まっすぐな確かさ。
「……はい」
今度は、はっきりと答えた。
唇に浮かんだ微笑みは、かつてのような儚さだけではない。
ほんの少し――ほんの少しだけ。
強さを宿していた。




