ノワールルージュ(黒と紅)との戦い
インドアでの敗北から二週間。オセロットとアテナの間で燻る戦術思想の火種は、Ragdollの内に冷たい沈黙をもたらしていた。そんな彼女たちが足を踏み入れたのは、一万坪もの広さを誇る錆びついた廃工場。100人を超える熱気の中で蠢くのは、ルール無用の凶牙を隠した闇落ち女子バディ「ノワールルージュ」。不穏な影がRagdollのロゴに隠された「宿敵・龍崎」の系譜に気づいたとき、廃工場を舞台に、憎悪と機能美が交錯する新たな弾雨が降り注ぐ。
第四話:
――あの暗澹たるインドア遠征から二週間。
チーム「Ragdoll」を包む空気は、初夏の湿気も手伝って、かつてないほど重く、ギクシャクとしたものになっていた。
セーフティエリアのテーブル。いつものように横一列に並んでギアを調整してはいるものの、会話の絶対数は明らかに減っている。 リーダーの「オセロット」こと進藤麻耶と「バーマン」こと一番合戦葵のテーブル。そして「アテナ」こと青木朋佳と「リンクス」こと岩見凛のテーブル。その間に挟まれた最年長の「セラ」こと渡辺未来が、アイスコーヒーを口にしながら心配そうに4人を見つめる。
それでも、彼女たちはプライベートな感情をフィールドへは持ち込まない。それだけの誇りと、互いの実力への最低限の信頼はあった。
「いくら確執があっても、私はコマンダーよ。ゲーム中は私の指示に従ってもらうわ。いいわね、アテナ」 オセロットの冷徹な言葉に、アテナは濃紺のウェアの袖をまくりながら、静かに頷いた。
「ええ、もちろん。フィールドに入れば、私はただの駒ですから」
今日の遠征先は、一万坪もの広さを誇る錆びついた廃工場フィールドだ。巨大な煙突、うねるように這う配管、コンクリートの壁が幾重にも重なるその場所は、100人を超える参加者たちの熱気で満ちていた。 赤チームと青チームの2つに分かれた大戦。Ragdollの5人は「青チーム」として参加していた。
第一ゲーム。 初めての広大な廃工場ということもあり、オセロットは慎重なルート選択を指示した。統制を重視し、2-1-2のフォーメーションをがっちりと維持しながら暗い通路を進む。しかし、射線の多さと遮蔽物の不規則さに対応しきれず、激しい十字砲火を浴びることとなった。
「アテナ、右の通路をクリアして! バーマン、カバー!」
オセロットの指示が飛ぶが、アテナの動きはほんのわずかにオセロットの統制と噛み合わない。一瞬のズレを突かれ、バリケードの隙間から撃ち込まれた弾がバーマンの身体を叩く。
「ヒット!」
さらに、ラインを修正しようとしたオセロット、カバーに奔走したアテナが相次いでヒットコールを上げる。
結局、第一ゲームはリンクスとセラの2人だけが泥臭く生き残った状態で、タイムアップのホーンを迎えた。
セーフティエリアに戻ると、何やら騒がしい声が聞こえてきた。入り口近くの受付テントで、数名の一般参加者とフィールドスタッフが、強い口調でクレームのやり取りをしている。
「……何か揉めてるみたいね。ちょっと様子を見てくる」
そう言ってリンクスがトコトコと人だかりの方へ歩いていった。 数分後、戻ってきたリンクスは、眉をひそめて首を傾げていた。
「どうしたの、リンクス?」 バーマンが尋ねると、リンクスは声を潜めて言った。
「何だか、すごく場違いな服装の女性二人組が来てるみたいなんです。フリルがついた黒と赤のゴシック調の服で……。ルールがグレーなところを突いてプレイしてるらしくて、参加者からクレームが出てるんだって」
「ルールがグレー?」
オセロットが銃のメンテナンスを止め、顔を上げる。
「うん。ヒットしたときに、普通のヒットコールじゃなくて『当たり!』ってボソッと呟くだけで、周囲に聞こえにくかったり。あと、BB弾をギリギリのところで身を躱しているみたいだけど、あまりに際どすぎて当たってるようにも見えて、ゾンビ疑惑をかけられてるみたい。おまけに、ヒットされた人に対して、至近距離からえげつない連射でオーバーキルを平然とするんだって」
「サバゲの紳士協定を無視した、ただの荒らしね」 バーマンが不快そうに吐き捨てる。
「参加者が100人以上いるから、すぐには私たちのところまで被害は来ないでしょうけど。――いい、みんな。私たちはせめて、クリーンなプレイだけは絶対に忘れずにいきましょう。あんな手合いと同じレベルに落ちる必要はないわ」
オセロットの言葉に、ギクシャクしていたメンバーたちもこの時ばかりは深く頷いた。
しかし、その「二人組」――自らを「ノワールルージュ(黒と紅)」と呼ぶ、闇落ちしたサバゲ女子二人組、ユリとマイとの遭遇は、次の第二ゲームで現実のものとなった。
第二ゲーム。中央の広大なクレーンエリア。 Ragdollは、確執を抱えながらも完璧な「2-1-2」の機能美を取り戻しつつあった。
「前衛、キャニオンの廃鉄板まで前進。セラはクレーンのキャットウォークから狙撃ポイントを確保。アテナはセラのカバーして」
オセロットの的確な指示。 リンクスがMP5SD5を携え、音もなく鉄板の影へと滑り込む。その後方をバーマンがMP5A5でがっちりとロック。
その時、リンクスの視界の端に、場違いな「黒と紅」のシルエットが飛び込んできた。
「――コマンダー、ターゲット捕捉。噂の二人組です」
そこにいたのは、黒いレースと深紅のリボンをあしらった戦闘服を纏うユリとマイだった。 彼女たちの使用する銃は、禍々しいカスタムが施されたH&K416。2人は肩を合わせ、不敵な笑みを浮かべながら進軍してくる。
「行くよ、マイ。綺麗なお人形さんたちを、蜂の巣にしてあげる」
ユリが引き金を引く。バララララ! と、サイクルを極限まで高めたハイサイクル電動ガンの暴力的な銃声が廃工場に響き渡る。
だが、彼女たちの目の前に立ちはだかったのは、連携に確執を抱えながらも、戦術の何たるかを極める「Ragdoll」という本物の壁だった。
「セラ、12時方向、鉄柱の影。赤いリボン。狙撃可能?」
「了解。風はほぼ無風――『点』で落とすわ」 はるか後方のクレーン上、セラのVSR-10が静かに獲物をロックする。 セラの冷静な視線が、ユリの肩口を捉えた。
パシュ。
消音化された精密な弾道がユリの極めて至近を通る。しかし、ユリは驚異的な反射神経で上体をのけ反らせ、文字通り髪の毛一筋の差でBB弾を躱してみせた。
「ふん、そんな甘い狙いじゃ当たらないわよ!」
ユリが挑発的に笑う。
彼女の「ギリギリで躱す」というプレイスタイルは本物だった。だが、それはあまりにもリスキーで、周囲にゾンビと誤解されるのも当然の際どさだった。
「よく躱すわね。だけど、それなら逃げ場のない『面』で包むまでよ」
前衛のバーマンが冷静に呟き、すぐさま無線でアテナに呼びかける。 確執はあっても、戦闘中の彼女たちの呼吸は狂わない。
「アテナ、あの身軽なルージュに、躱しきれない連射を」
「了解!」
アテナは濃紺のウェアをしなやかに躍動させ、MP5A5を構えてバリケードから一瞬だけ身を乗り出した。 電子トリガーによって制御された、極限までブレのない高速3点バースト。
タタタン! タタタン! タタタン!
アテナが放ったのは、ユリの予測動線をあらかじめ塞ぐように展開された、精密な「弾幕の檻」だった。 右へ躱そうとしたユリの視界に、無数の白い弾道が迫る。一発、二発は超人的な身のこなしで避けたユリだったが、編み目のように迫る弾幕を全て躱すことは物理的に不可能だった。
バチチッ! と激しい被弾音がユリの胸元と太ももに響く。
「……っ、うそ、躱しきれない……! あたり! 当たりよっ!」
言い訳の余地もない完全なクリーンヒット。ユリは悔しそうに顔をしかめ、手を挙げて退場していった。
残された相方のマイが、H&K416を乱射しながらカバーをに入ろうとする。
「ユリをよくも! 死ねぇ!」
激しい連射がリンクスのバリケードを叩くが、マイの戦術は単調だった。ただ引き金を引き、感情に任せて弾をバラ撒くだけのプレイスタイル。
「動きが雑よ」
コマンダーのオセロットが、無線を介さずともマイの横側に回り込んでいた。 オセロットのMP5A5が、セミオートで確実にマイの脇腹を捉える。
パン、パン。
「は、ハイ、当たり!」
マイはヒステリックな叫び声を上げ、自分の銃を強く握りしめながら手を挙げた。
終始、Ragdollの5マンセルの前に、ノワールルージュの「バディ戦術」は児戯に等しかった。
セーフティエリアの隅。
「何なのよ、あのオリーブドラブとネイビーの女たち……!」
ユリは真っ赤な口紅が歪むほどに奥歯を噛み締め、Ragdollのテーブルを睨みつけていた。
「特にあのネイビーの女。私の回避ルートを完全に読んで、弾幕でハメてきた……。絶対に許さない。あいつら、徹底的に叩き潰してやる……!」
隣でマイもまた、憎悪に満ちた目で自分の銃を強く握りしめていた。
「次のゲームで……、あのお人形たちの綺麗なフライトスーツを、泥と弾痕塗れにしてあげる」
ブツブツと呪詛のように呟いていたユリだったが、ふと、相手のテーブルに置かれたガンケースと、そこに施された特徴的な刺繍に目が留まった。 可愛いデフォルメ調の猫の顔。そしてその下に刻まれた、流麗なアルファベット。
――『Ragdoll』
ユリの脳裏に、自分の前に立ち塞がり、そしてユリが一方的に激しい復讐心を抱くに至った「あの因縁の男」の顔がフラッシュバックする。
「……あ。ユリ、あのケースのロゴって……」
マイも同じものに気づき、息を呑む。
「やっぱりそうよ……。あの男、龍崎のチームだわ! あのクソオヤジが手塩にかけて育てたっていう、お気に入りのお人形共……!」
ユリの目が、怒りと復讐心でギラギラと狂気に染まっていく。
彼女たちにとって、龍崎は絶対に許すことのできない不倶戴天の敵だった。その具体的な経緯や深い遺恨の理由は別の物語で話すとして、その男が関わる全てを叩き潰したいという一念こそが、今の彼女たちの衝動の源だった。
「龍崎のチームRagdoll……! そう、あれがそうだったのね。道理で小賢しい連携をするわけだわ。好都合よ、ここで奴らのプライドごと、龍崎の鼻を明かしてやる!」
二人の胸中に燃え盛る復讐の炎は、個人的な逆恨みから、仇敵である龍崎、そしてその愛弟子たちであるRagdollへの強烈な敵対心へと昇華した。
迎えた第三ゲーム。フィールドは廃工場の最奥、入り組んだ大型重機が立ち並ぶエリア。
「ゲームスタート!」
ホーンと同時に、復讐鬼と化したノワールルージュがRagdollの進行ルートへ猛然と突っ込んできた。 先頭を突進するリンクスは、これまで同様に鋭い身のこなしで遮蔽物を渡り歩く。だが、ノワールルージュの執念は凄まじかった。
「見つけたああっ! 龍崎のガキがっ!」
ユリとマイは、リンクスのフットワークを完全に予測し、二人がかりで同時に牙を剥いた。H&K416の激しい面制圧射撃が、コンクリートの角を削り取りながらリンクスを包囲する。
「キャッ!?」
躱しきれない弾幕がリンクスの太ももを捉え、彼女は悔しそうに声を上げた。
「ヒット!」
リンクスを仕留め、勝ち誇った笑みを浮かべるユリとマイ。しかし、彼女たちの歓喜はそこまでだった。
「――そこまでよ」
暗がりの配管の隙間から、冷徹な声が響く。
飛び出そうとしたマイの足元に、正確無比なセミオートの銃撃が突き刺さる。 アテナとバーマンによる、完璧なバディシステムが作動していた。 確執はあっても、戦闘中の彼女たちの動きに妥協はない。アテナが前線を押し上げ、マイの射線を制限すれば、その瞬間に空いた死角からバーマンが鋭いバーストを叩き込む。2人の描く美しい射線のクロスラインに、ユリは完全に足止めされた。
「マイ、下がって! カバーして!」
ユリが叫ぶが、そのマイの頭上から、静かな死神の鎌が振り下ろされる。
パシッ、パシッ。
キャットウォークの上に陣取ったセラが、高所からユリとマイの退路を正確に封鎖していた。逃げ場を失ったマイが焦って銃口を上に向けるが、その一瞬の隙を、アテナのが見逃すはずがなかった。
タタタン!
「うそっ! 当たり、当たりよ!」 マイの腰に3発のBB弾が綺麗に吸い込まれ、彼女はガックリと肩を落とした。
「マイ! くそっ、龍崎のチームのくせに……!」
一人残されたユリが、遮蔽物に身を隠しながら狂ったように銃を乱射する。だが、その背後に、影のように忍び寄る存在があった。
「背中ががら空きよ、お嬢さん」
冷徹な声の主は、コマンダーのオセロット(麻耶)だった。 彼女はセラ、アテナ、バーマンの3人に徹底的な制圧を行わせ、ユリの意識を前方と上方に完全に釘付けにした上で、自ら完璧な回り込みを完了させていた。 至近距離から突きつけられる銃口。
「勝負ありね。ヒットコールは?」
オセロットの絶対的な統率と冷ややかな瞳の前に、ユリは悔しさで唇を噛み切りそうな表情になりながら、小さく、しかしはっきりと叫んだ。
「……当たりよ! ちくしょう!」
終始、圧倒的な実力差。確執を内包しているとはいえ、Ragdollの5マンセルの完成度の前には、ノワールルージュの復讐心など赤子の手をひねるようなものだった。ユリとマイは一度として勝利の糸口を掴めず、屈辱に塗れてフィールドに沈んだ。
しかし、ノワールルージュを完全に打ち負かしたとしても、Ragdollの内に生じた亀裂が埋まることはなかった。
セーフティエリアへの帰り道。
「リンクスの損失はあったけれど、終わってみれば完璧な戦術統率だったわね」
勝ち誇るように語るオセロットに、アテナはグローブを外しながら、冷ややかな視線を向けた。
「いいえ。最初のゲームでの判断ミス、そして今のゲームでリンクスが落とされたのも、フォーメーションが硬直化しているからです。相手がノワールルージュ程度のレベルだったからカバーできたけど、本当の実力者相手なら、リンクスを起点に全員がドミノ倒しにされてたわ」
「……まだ言うの、アテナ。私は全体の安全と勝利を最優先にしているのよ」
オセロットの表情が再び凍りつき、凍てつくような緊張感がチームを支配する。
「私は、ただ勝ちたいだけです。本当の強敵に」
アテナはそう言い残し、自分のギアを抱えてすっと席を外した。リンクスが心配そうにその後を追う。
見事な勝利。因縁の相手との戦い。しかし、Ragdollの心は未だバラバラのままで、夕暮れの廃工場に冷たい不協和音が響き続けるのだった。
圧倒的な機能美による完勝。しかし、ノワールルージュをどれだけ戦術的に蹂躙しようとも、Ragdollの内に生じた亀裂を埋める弾丸は存在しなかった。龍崎という宿敵の影を見出し、さらなる暗い復讐心を膨らませるユリとマイ。そして、勝利の味すら苦く変えてしまうオセロットとアテナの決して交わらない二つの正義。外敵を退けたはずの5匹の猫たちは、互いの牙の鋭さに怯えるように、より深い沈黙の闇へと沈んでいくのだった。




