コーヒーの味と、5つの銃口
全日本大会を目前に控え、確執の火種を抱えたまま沈黙するRagdoll。冷え切った5人の心を解きほぐそうと、師匠・龍崎が苦心する。
第5話:
全日本エアガンサバイバルゲーム大会の開幕が目前に迫る中、東京の片隅にある喫茶店『Ayuzoroy』には、いつにも増して張り詰めた静寂が漂っていた。 店内のアンティークな振り子時計が刻むコチコチという音だけが、テーブルを挟んで座る「Ragdoll」の5人の間に流れる重苦しい空気を際立たせている。
テーブルの片側には、リーダーの「オセロット」こと進藤麻耶と「バーマン」こと一番合戦葵。もう片側には、「アテナ」こと青木朋佳と「リンクス」こと岩見凛。そして、その中央でどちらの側にも寄れずに困ったような笑みを浮かべる「セラ」こと渡辺未来。
二週間前の廃工場遠征での勝利も、彼女たちの間に生じた決定的な亀裂を埋める役には立たなかった。むしろ、お互いの実力を知り尽くしているがゆえに、戦術の「正義」を巡る対立はより深く、より感情的なしこりとなって5人を縛り付けていた。
カウンターの奥では、店主であり、彼女たちのサバゲの師でもある龍崎が、黙々とサイフォンを揺らしていた。 パチパチとアルコールランプの炎が揺れ、ガラス球の中で琥珀色の液体が沸き立つ。店内に立ち込める、豊潤でどこか野性味のある甘い香りは、東アフリカの王、キリマンジャロのものだった。
龍崎は手際よく5つのウェッジウッドのカップに温かいコーヒーを注ぎ、トレイに乗せて彼女たちのテーブルへと運んだ。
「お待たせ。まずはこれを飲んで落ち着いてくれ」
5人は無言でカップを手に取り、それぞれ一口、喉に流し込んだ。
「……美味しい。でも、いつものキリマンジャロより、少し酸味が強い気がする」
最初に口を開いたのはリンクスだった。
「そうかしら? 私はいつもよりボディが重くて、ビターなコクが前に出ているように感じるけれど」
バーマンがカップを見つめながら首を傾げる。
「私はすごくスッキリして飲みやすいと思う。フルーティーな香りが引き立っているわね」
セラが目を細めて微笑む。 アテナとオセロットもそれぞれ一口啜り、無言のまま、しかし明らかに違った表情でカップをテーブルに戻した。
5人の反応を見届けた龍崎は、自身のカップを手に取りながら、穏やかに笑いかけた。
「どうだ? 同じキリマンジャロのはずなのに、それぞれ感じ方が違わないか?」
「ええ……。淹れ方を変えたんですか?」
オセロットが尋ねると、龍崎は首を振った。
「いや、豆そのものは同じだ。だがな、キリマンジャロという単一の銘柄であっても、農園や収穫された年度、あるいは焙煎メーカーのブレンド具合によって、その表情は千変万化する。酸味が際立つものもあれば、深いコクが勝るものもある。当然、お客様の好みによって、どれが一番美味しいかの評価も分かれるんだ」
龍崎は一度コーヒーを口に含み、言葉を続ける。
「喫茶店において、お客様の好みに合わせて毎回味をブレンドし直していたら、その店の『スタイル』自体がブレてしまう。だから、店としては自分が信じたスタイルを頑なに貫く方が良いと俺は思っている。だがな……それと同時に、たまには新しい豆や異なる焙煎を取り入れて、店の中に『新たな空気』を入れ替えてみるのも決して悪いことじゃない」
龍崎の視線が、オセロットとアテナの二人へとしなやかに注がれた。
「Ragdollは元々、オセロットたち4人で熟成を重ねてきた素晴らしいチームだ。だからこそ、伝統的な4マンセルのライン統制による美しさは他の追随を許さない。一方で、アテナは長年俺の元で個人の戦技を学び、その流動的な判断力とアジリティは間違いない。ただ、アテナはこれまでインドアフィールドでの電撃戦が主軸だったから、アウトドアの経験はまだ浅い」
2人はハッとしたように顔を上げ、師の言葉を噛み締めるように俯いた。
「お互いの良さを認め合うことだ。オセロット、お前は『2-1-2』のフォーメーションに拘りすぎるあまり、現場の自由度を殺してはいなかったか? ほら、いくら完璧な陣形を決めて臨んだところで、実際の戦闘が始まれば、前衛と後衛のポジションなんて一瞬で入れ替わるだろう」
「……はい」
オセロットの張りのある声が、少しだけ小さくなった。
「誰がどのポジションに転がり込んでも、同じようにカバーし、同じように敵を排除できる。そうやって臨機応変に動けるように、チーム全体の『練度の底上げ』をしていくことこそが、本当の戦術なんじゃないか?
――よし、理屈はここまでだ。今日は地下のトレーニング施設を開放する。俺が久しぶりにリーダーとして入って、6マンセル(6人編成)で一緒にトレーニングしてみようじゃないか」
「師匠が、リーダーに……!?」
リンクスが目を丸くする。元インストラクターであり、彼女たちにとって絶対的な強者である龍崎が直接指揮を執る。それはRagdollの5人にとって、誰もが初めて経験する、極めて刺激的な提案だった。
『Ayuzoroy』の地下に広がるプライベート・タクティカル・トレーニングエリア。 ここはコンクリート打ちっぱなしの壁に、自由に可動できるキルハウス(屋内戦闘訓練用バリケード)が設置された、龍崎専用の特殊訓練場だ。
薄暗いオレンジ色のライトが照らす中、5人はそれぞれの愛銃を手にする。 リンクスのMP5SD5、バーマンのMP5A5、セラのMP5SD6、アテナのMP5A5、そしてオセロットの次世代MP5A4。 そして、その先頭に立つのは、使い込まれたMP5A4を構えた龍崎だった。
「これより、6人による統合タクティカルフォーメーションの訓練を開始する。俺がコマンダーとして逐一ポジションを指定するが、お前たちはその瞬間、自分が何をすべきかを自分で考え、流動的に動け。いくぞ!」
龍崎の鋭い号令とともに、訓練用のシチュエーション・ライトが赤く点滅した。
「フォーメーション『2-2-2』! 前衛アテナ・リンクス、中衛バーマン・オセロット、後衛セラ・龍崎!」
龍崎の指示は、電撃のような速度で飛んできた。 アテナとリンクスが電光石火のスピードで最初のドアを突破する。普段なら「コマンダーの指示待ち」が発生するタイミングだが、中衛のオセロットとバーマンが、阿吽の呼吸でその背後をタイトにカバーし、射線を十文字に交差させる。
「シフト! 『3-3』! セラ、前へ出ろ!」
「了解!」
普段は最後方で睨みを効かせるセラが、軽量なMP5SD6を構えて驚くほど軽快なステップで前衛ラインへと合流する。3人が横並びで同時にクリアリングを行い、残る3人がその後方を完璧にロックする。
「さらにシフト! 『2-4』! 龍崎、アテナが前衛、残る4人は全員ミドルロック!」
目まぐるしく変わる陣形。2人が突破し、4人が圧倒的な火力でバックアップする。 多彩極まりない戦術を次々と繰り出し、流れるようにフォーメーションを変化させる龍崎の指揮。Ragdollの5人は、その超高速のタイムラインに食らいつくだけで必死だった。 しかし、その必死さの中で、不思議と誰の胸にも「異論」など湧き上がらなかった。
なぜなら、ポジションが入れ替わるたびに、アテナの後ろをオセロットが守り、オセロットの死角をアテナが極限の反応速度でクリアしていくという、奇跡のような「相互補完」が自然と発生していたからだ。 2人の戦術思想のブレンド。それは、龍崎という強力な触媒によって、今、この地下訓練場で強制的に結合されつつあった。
「ふぅ……ストップ! そこまで!」
訓練用のブザーが鳴り響き、エリアの照明が元に戻る。 5人は激しく肩を上下させ、額から流れる汗を拭った。ゴーグルの奥の瞳は、どれも信じられないほどに輝いていた。
龍崎は銃のセレクターを安全位置に戻し、5人を見渡して優しく微笑んだ。
「どうだ? 俺はお前たち全員を信頼して適宜配置や指示を出したが、結局のところ、現場での戦闘は出たとこ勝負だ。完璧な戦術を立てていても、敵の動き一つでジャンケンのように勝ったり負けたりする。それがサバイバルゲームというものだ」
龍崎は一歩歩み寄り、5人の肩をそっと叩いた。
「勝つための本当の心得、それはな……勝敗に固執することじゃない。この瞬間、チーム全員で『楽しむこと』だよ」
楽しむこと――。 その言葉は、アテナとオセロット、2人の心に深く、重く響いた。
「私たちは……勝つこと、そして自分の戦術の正しさを証明することばかりに気を取られていました」
オセロットが進藤麻耶としての素顔に戻り、ぽつりと呟いた。
「私もです。オセロットのやり方を否定して、自分のスピードを通すことばかり考えていました。サバゲが楽しいから、Ragdollが好きだからここにいるのに……」
アテナもまた、美しい顔を少し歪めて反省の言葉を口にした。
勝っても負けても、心から楽しめたかどうかが一番大事なのだ。 それを思い出した5人の瞳から、ここ数週間まとわりついていた暗い霧が、嘘のように晴れていった。
「さあ! 身体を動かしたらお腹が空いただろ。今日の昼飯は、俺特製の『冷し中華』でいいかな?」
龍崎の突然の提案に、リンクスが「やったー!」と声を上げて飛び跳ねた。
5人は首にかけたタオルで汗を拭い、喫茶店の厨房から運ばれてくる香ばしい匂いに鼻をくすぐられた。 テーブルに並べられたのは、ガラスの器に美しく盛り付けられた特製の冷し中華だった。細切りのきゅうり、錦糸卵、艶やかなチャーシュー、そして中央に鎮座する真っ赤なトマト。龍崎秘伝のさっぱりとした醤油ダレが、初夏の熱気を帯びた身体に心地よい酸味を予感させる。
「いただきます!」 5人が一斉に箸を伸ばす。
一口食べた瞬間、全員の顔に、この二週間見ることのなかった心からの笑顔が戻った。
「美味しい……! 汗をかいた後にこの酸味は最高です!」
「これならいくらでも食べられちゃうね」
和気あいあいとした、いつもの温かいRagdollの空気が、Ayuzoroyのテーブルに完全に復活していた。
午後の訓練では、さらに実践的な戦技の叩き込みが行われた。 サバゲならではの龍崎オリジナル戦術とも言える「ルームエントリーにおけるカウンターアタック(突入に対する逆襲技術)」。 そして、不意の遭遇戦から瞬時に火力を集中して離脱、あるいは制圧する「コンタクトドリル」をSAS式とSEALs式。 これらを、お互いのポジションを瞬時に入れ替えながら、身体が勝手に動くまで何度も反復した。
「リンクス、エントリー! バーマン、前方をロック!」
「アテナ、コンタクト! セラ、カバー射撃!」
オセロットの鋭い指揮のもと、5人はかつてない流動性と、鉄壁の統制を高い次元で融合させていく。 もはや、誰がオセロット派で、誰がアテナ派などという境界線は存在しなかった。5つの個性が一つの大きなうねりとなり、死角のない完璧なクランとして新生していく。
全日本大会2連覇を狙う「五匹の猫」は、師・龍崎の淹れた一杯のコーヒー、そして特製の冷し中華をきっかけに、かつてないほど強固な「絆」を結び直した。 新生Ragdollの爪牙は、今度こそ、あらゆる敵を切り裂く準備を整えたのだった。
同じ豆でも淹れ方で味が変わるように、戦術もまた、絶対の正解など存在しない。師・龍崎の温かな教えと冷し中華は、意地を張り合っていたオセロットとアテナの心を劇的に氷解させた。統制の美学と、流動の機能美。互いの牙を認め合い、真のシナジーを手に入れたRagdollは、もはや死角のない最強のクランへと新生を遂げる。大会二連覇という頂を見据え、固く結び直された五匹の猫たちの絆は、どんな強敵の猛攻をも退けるに違いないはずだった。
現在、新作サバゲ小説を執筆中。その物語のサイドストーリーとして本作である外伝を書きました。
全日本チャンピョンのRagdollに強敵が現れます。こうご期待ください。




