第91話 選べる者、選べない者
そうして次の朝が来た。それが当たり前のことと思える自分とあり得ない奇跡であるような自分が居る。昨日のあの死体の山を見たことで誠は明らかに別人に変わっている。ベッドの中で目だけで天井を見上げながらその事だけは誠には嫌でも思い知らされた。
目覚めた誠は身を起こすとベッドの上から部屋を見回した。まだ乾ききっていない洗濯物が床に投げ捨てられている。机には未完成の模型が並び、紙やすりと接着剤の匂いが漂う。
昨日の朝と何一つ変わらない部屋だった。
だが、それを見ている自分だけが違っていた。
昨日までの誠は、死体の白目も、銃口の冷たさも、仲間が人を撃つ瞬間の顔も知らなかった。
誠はただうんざりした気分しか感じないこの僅か一週間余りを過ごした寮の空気から解放されたいという一心で急いで着替えを済ませて、わずかにあるだけの必要な身の回りの品を先週運んで来たばかりのダンボール箱の中に放り込んで苦笑いを浮かべた。
「たった一週間で、いろんなことがあったな……ありすぎた……いや、昨日ですべてが変わってしまったのかもしれないな……僕にはこの世界は厳しすぎるよ……僕は人殺しが嫌いな遼州人なんだ。西園寺さんみたいに人殺しをしないと生きていけない地球人の血なんて継いでいないから戦場なんて見たくもない。僕がここから出て行けばそんなことは無くなる。……それが最上の結論なんだ」
誠は、手荷物をまとめながら思い返した。口に吐いた平和への願いと戦場への忌避の念を超える数々の思い出が誠の脳裏を駆け巡った。
……『ちっちゃな敗戦国の英雄』クバルカ・ランとの出会い。
……嵯峨惟基という『駄目人間』の策謀。
……アメリアたち悲しい運命を背負った戦闘用人造人間『ラスト・バタリオン』との騒がしい日々。
……かなめの歌声、カウラの沈黙、島田のうるさい笑い。
……そして、まだ名前すら呼びにくい『ひよこ』の詩。
どれも面倒で、滑稽で、どこか温かかった。
そして誠は、自分がこれほど濃密な時間を生きたことが、一度も無かったことにも気づいていた。
そのことを認めている自分とそれでもその本質が血にまみれていることを知った今の自分。そのどちらも否定できない自分自身であることに誠は自嘲の笑みを浮かべて立ち尽くすことしかできなかった。
そんな温かさの裏に、血の匂いが染みついていることを知ってしまった今、もう今の誠には何のかかわりのないまるで『フィクション』の中の登場人物との出会いのように感じられていた。
「……まあ、いいや。もうこんな生活は終わりだ。僕はもうこことは無関係な人間なんだ。あの人達にはあの人達のすべきことがあって、僕はそれには関わらずに自分の人生を生きていくようにする。僕はそう決めたんだ……そう決める事だけが今の僕に出来ること……他の選択肢なんて存在しないんだ……他の選択肢なんて……」
布団を畳み、汗に濡れた制服から私服に着替えバッグに目に付いた私物を詰め、プラモデルの道具を段ボールに入れる。
テープで段ボールを閉じる音が、やけに大きく響いた。
「それじゃあ、行こうかな……挨拶は必要ないだろうな。どうせ、島田先輩の所に顔を出せば殴られるに決まってるし、あの嫌われ者の菰田先輩の顔なんか見たくもないし。僕がいなくなってもこの部隊は大丈夫ですよ。逆に僕みたいな役立たずがいたらあの戦場では足を引っ張るだけです。僕は何処まで行っても普通の遼州人なんですよ。戦いも嫌いだし、人を殺すなんて無理なんです。僕が生まれたのはこの400年間戦争をしていない東和共和国なんです。僕はこれまでもそれを当たり前のこととして生きてきましたし、これからもそれを当たり前のこととして生きていくつもりです。アメリアさんの言ったこの国の闇も……忘れます。知らなければ平和に生きられるのがこの国の良いところなんですから」
立ち上がった瞬間、背後に気配を感じて振り返った。
……カウラ・ベルガーが立っていた。あまりに意外な人物が隊の制服を着て誠を黙って見守っている光景はあまりに誠には衝撃的だった。
窓から吹き込む風が、彼女のエメラルドグリーンの髪を揺らす。なぜ彼女がまだ出勤前の朝早くにこの男子寮にいるのかは少し気になったが、おそらくアメリアから誠が隊を辞めると言い出したことを聞いて小隊長としての責任感から誠を止めるためにやって来たのだろうと誠は思った。
「すみませんね僕はここを辞めて出ていきます。……カウラさん。ご期待に沿えなくて。僕は実家に帰ることを決めました。止めるんですか?無駄ですよ。僕も一応大人なんで。自分のことは自分で決められます。職業選択の自由って言葉があるじゃないですか。それに僕はここに来てからクバルカ中佐に走らされるか西園寺さんに銃を撃たされるかしかしてないんで、隊の機密とかには触れていませんから僕が止めても何の問題にもならないと思うんですけど。そもそも僕にあの僕の拉致事件のような日常を過ごすだけの神経の太さなんて期待する方がどうかしてますよ。僕は人殺し大好きな地球人じゃないんです。どこまで行っても平和しか考えられない遼州人なんです」
誠の問いに、カウラは首を横に振った。
「そうか、そう決めたのか。出ていくんだろ?貴様が決めたことだ。それで間違いはない。人は選べるときに選んだ方がいい。……それが、人工的に作られた私が学んだ唯一のことだ。だから私は自らの意思でここにいる。アメリアのように意地でもうちに残るように説得するほどに人に関してこだわりを私は持つことはできないんだ。アメリアも私も同じ『ラスト・バタリオン』だが、社会に完全に適応できているアメリアと私とでは経験の差があまりにも大きすぎる。アメリアは社会に適応する中で人とのつながりに意味を見出したらしいが、今の私には隊内の人間関係を理解するのが精いっぱいだ」
その声は穏やかだった。
誠は少し肩透かしを食ったように、苦笑する。
「そうですか……僕の決断を認めてくださってありがとうございます。アメリアさんが言うように僕に『力』とやらがあったとしても『法術師』なんていうなんだかよく知らされていない異能者と戦うのは僕には無理です。カウラさんは軍しか知らないみたいだからこれから僕が何をするのか分からないかもしれませんが……しばらくバイトでもして、大学に戻って教職でも取ろうかなって……そもそも戦いなんて僕には向いていません。そう言う生き方もあるんですよ。戦いだけが人生じゃないんですから。そもそも僕には戦いなんて無理なんです」
自嘲気味にそう言う誠にカウラは珍しい心のこもった興味を引かれたような笑みを浮かべた。
「確かにな。私は軍しか知らない。私と同期でロールアウトした人間には軍や警察以外の民間企業に就職した個体もいるが、連中とはどうしてもその仕事上疎遠になってしまっているから軍や警察以外で何が行われているかは社会適応訓練所で学んだ表面上の知識しか持っていないのは事実だからな。それにしても教師……か。私の知っている浅い知識で言うのもなんだが貴様には似合うかもしれないな。あの、運用艦の副長のパーラも『隊を一日でも早く辞めて体育教師になりたい』と言っていた。人を導き教えるような仕事。クバルカ中佐を見て居れば分かるがやりがいはあるようだ。ここでも、軍人しかしたことが無いクバルカ中佐が例えとして出てくるというのが私の限界か……私は軍以外の環境をあまり知らなくてな……貴様の気持ちを上手く説明できなくて済まん」
淡々とした口調に、なぜか胸が締め付けられる。カウラはその少ない軍や警察以外の知識を総動員して誠の今後のことを心配してくれている。その想いが深いと思えるほど誠の心は深く傷ついていった。
「カウラさんこそ、軍以外の生き方があるんじゃないですか?戦いだけが全てじゃないでしょう?さっきカウラさんも同期には民間企業に勤めた人もいるらしいじゃないですか。戦闘用人造人間として生まれたからって戦うことが義務と言うわけじゃないってことですよね?それならそういう可能性をパーラさんみたいに探ってみるのも悪いことじゃないように僕には思えますよ」
はかなげなカウラの笑みに思い切って誠はそう言ってみた。
カウラは一度だけ、何かを言いかけた。
だが、その言葉は喉の奥で止まった。
引き留める資格が自分にあるのか。
戦うために作られ、戦う場所に残ることしか選べなかった自分が、逃げようとする誠に何を言えるのか。
そう考えたように、彼女は静かに目を伏せた。
そして、かつての誠の笑顔を思い出したように、カウラは顔を上げた。
「そうかもしれない。だが私は……戦うために作られた。戦いを離れて生きるほど器用ではない。民間企業に勤めた私の同期たちはそれなりに苦労していると社会適応訓練所の所長が3年前までカウンセリングに来ていたがそう言っていた。我々にとって戦うことが一番心地よい職場なんだ。そう作られてそう生きる。それが私の私なりの選択だ。丁度、貴様がここを今出て行こうとしているようにな」
短い沈黙が二人の間に流れた。
夏の風が、机の上の紙片をさらう。
「出ていくんだろう……貴様が決めたことだ。それで間違いはないだろう。教師……なれると良いな。頑張ってくれ。あのクバルカ中佐の無茶なトレーニングに耐えた貴様だ。出来ない事は何もないと思う。応援している」
カウラはそう言い、誠の背中を静かに見送った。そう言いながら、カウラは自分の足には、まだ逃げ出せないほど重い鎖がついていることを、改めて意識していた。
誠は廊下に出て、振り返らずに歩き出す。
「カウラさん……あなたも縛られる必要は無いんですよ……。でもこれで……僕は自由になれた。もう誰にも縛られない……これが本当の自由なんだ……確かに先は見えないけれど……誰かに用意された未来なんて僕は欲しくないんだ。僕の未来は僕が開く。そう決めた。それが僕の僕なりの答えだ……そう思わないと僕はこの決断を下せない……これまでで一番重い決断かもしれないけど……それが最善としか僕には思えないんだ……」
僕は自由になる。
そう思わなければ、歩けなかった。
そう信じなければ、振り返ってしまいそうだった。
だから誠は、振り返らなかった。




