第90話 英雄になりたくない
夜のとばりに包まれた機動部隊詰め所は、まるで終業後の工場のように静まり返っていた。
蛍光灯の光が金属机の表面をぼんやり照らし、書類の端が風にかすかにめくれる。
誠は重い足取りで部屋に入り、無人の事務椅子に身を投げ出した。
「……疲れた……こんなことがこれからも続く……それがここでの仕事……ここでの生活……この仕事……僕に合ってるのかな……」
椅子の背もたれが軋み、遠くの換気扇の音だけが響き、誠の不安をさらに増幅した。
彼の頭の中では、今日という一日の映像が何度も再生されていた。
飛び交う銃弾、転がる死体、その合間に殺人を楽しむかのようなかなめの笑顔。どれもこれも誠が望んでいた世界とはかけ離れたものだった。
そして救出後に聞いたかなめ達の会話からするとこの事件の全てを仕組んだのはおそらく嵯峨……あの男ならそんなことくらい平気でやりかねない。
だが誠がこの部隊に配属される前から、何者かの監視を受けていたのも事実だった。嵯峨が動かなかったとしても似たような運命が誠を待っていたのかもしれないとは思うが、それはこれほど血と暴力に包まれたものだとは誠には思えなかった。
「おそらく……この『特殊な部隊』を辞めても監視は続くだろうな。アメリアさんが言ってた『目』は消えないんだろうし。でも今回、あの嵯峨が流した情報を聞きつけた無法者たちに拉致られたことで、僕に地球人には無い『力』があるって裏社会で知れ渡っちゃった。地球人にない、遼州人だけの……そんなもの僕は一度も欲しいなんて思ったことは無いのに……そんなものが無ければ誰も僕になんか見やしないのに……その方が僕には良い。あんな思いをするくらいなら……そんな『力』なんて必要ないんだ」
口に出した瞬間、自分の言葉に寒気が走る。
もはや『普通』の生活には戻れない。この『特殊な部隊』での普通ではない生活を、延々と続けるしかないのかもしれない。けれど、そう思いたくない自分もいた。自分は縛られたくない。誠の心は次第に心の奥深くで変わりつつあった。
「そうよ。誠ちゃんはうちから逃げる事なんてできないのよ」
突然、背後から声がした。
振り返ると、詰め所の入り口にアメリアが立っていた。
帰り際らしく蛍光灯に照らされた水色のTシャツに『危険人物』の黒文字が彼女の趣味らしく輝いて見える。糸のように細い目が、笑っているようで笑っていない。
「なんですか、いきなり。僕は『特殊な部隊』を出ていきます!今決めました!こんな思いをするのはうんざりです!別にアメリアさんの格好がどう考えてもおかしいこととは何の関係も無いです!しかもその結果が僕が全部悪いとあの嵯峨という人とクバルカ中佐は言うんですよ!無茶苦茶ですよ!これが世の中という物なんですか!つまらないことを言って誤魔化しにかかっても今の僕は騙せません!僕の決断は変わりませんよ!」
誠はもうすでに出ていた結論。この『特殊な部隊』を出ていく。その言葉を相変わらずのアルカイックスマイルで立ち尽くすアメリアに向けて口にすることで、誠の決意はさらに固まっていった。
「へー、そんなお子様みたいなことを言いだすんだ。別に隊長が情報を教えなくてもああいった連中はいずれ誠ちゃんの前に現れるわよ。今回拉致されて、そして『特殊な部隊』の仲間達が居て命が助かってよく分かったでしょ?誠ちゃんは、誰かの『監視の目』から逃げられないなら……もし生きたいなら……ここに残るしかないのよ。ここに居ればそのことについて知り尽くしている私達が居る……かなめちゃんのやり方が異常に見えるのは認めるわ、でも嫌悪感を感じたのなら嫌うならかなめちゃんだけにしてね。私は誠ちゃんには嫌われたくないから。でも普通の会社に誠ちゃんが勤めていたら誠ちゃんは今頃はどうなってると思う?恐らく次から次へと誠ちゃんの持って生まれちゃった『力』に関心のある人の間をたらい回しにされて挙句の果ては……。誠ちゃんがもし生きたいのなら選ぶ道は一つしかないのよ」
アメリアはカウラの席に腰を下ろし、脚を組んで誠を見つめた。
その理屈は、分かった。
分かってしまった。
だからこそ、誠は余計に腹が立った。
正しいから嫌だった。
逃げ道を一つずつ塞がれていくようで、息が詰まった。
アメリアの言葉は優しい忠告ではなく、見えない檻の説明にしか聞こえなかった。
誠はその糸目に見つめられ続けているという事実に耐えられず、視線を逸らした。
「確かに……他に行っても監視されて、また拉致されるかもしれないですけど。今回だって東都警察は僕たちの動きを掴んでたみたいじゃないですか?彼らだって自分の管轄内で地球人に好き勝手されるなんて気分が悪いはずですよ!その時は警察がなんとかしてくれます!東和警察は突入作戦であんな強引な銃撃戦なんか仕掛けないことで知られてますから、嫌というほど死体を見るような今日みたいなことは起きないはずです!『特殊な部隊』の強引すぎる作戦で僕以外の人が死ぬのを見るのはもうたくさんです!」
誠の脳裏にはこの『特殊な部隊』から逃げ出す論理しか生み出せないでいた。
「そう。そんなことまで知ってるんだ。警察が何でも守ってくれると思うのは世の中舐めているとしか私には思えないわね。だったらなんで営利目的誘拐なんて起きるの?そういう誘拐される人がお金を持っている事なんて警察だって知ってるのにそんな事件が起きる。それって誠ちゃんが今回誘拐されたことと何の違いも無いじゃないの。でも、今の彼等は誠ちゃんの『力』について知ってはいても、その『力』を自分で使えるように訓練してはいけない。誠ちゃんの『力』は表ざたにならない様にだけ気を付けろ。そんな二つの命令を絶対守れと上から言われている彼等に何ができるのかしら?だから誠ちゃんは一生、警察にそれなりの配慮を受けるだけの存在として扱われてその警察に隙が出来れば今回のような目に遭って……人間に隙が無いなんてことはあり得ないからたぶん遠からずそうなるわね。その事実は認めた方がいいんじゃないかしら?もし今回の襲撃者が金目当てのマフィアなんかじゃなくて地球の諜報機関や『法術』研究機関に捕まってたら、今頃は……仮死状態にされてどこかの地球の実験施設へ向かう便に乗せられて……そのままモルモットみたいな実験動物扱いよ……それが現実よ……いい加減認めなさいな」
アメリアは軽い調子で言うが、その内容は背筋が凍るほど冷たい。それでも冗談めかして言わないと、この話はきっと誰の口からも出てこないのだと、誠はぼんやり思った。
誠は苛立ちを隠せず、にらみ返した。そんな誠のあからさまな敵意を受けてもアメリアの糸目とアルカイックスマイルは崩れることはない。
「そんな怖い目で見ても、現状は変わらないわよ。個人の願いで世の中がその個人の望むように変わるほど甘くはないってその年になっても気付かないのかしら?誠ちゃんが安全に生きるには、私たちのような『力』の何たるかを知る人間達の『監視』の下にいるのが一番なの。だから、私と島田君であなたに『監視』をつければ誠ちゃんは今回のような目に遭うことはほとんどあり得ない。それじゃあ不満?それじゃあ誠ちゃんは何を希望してるの?」
淡々と語るアメリアに、誠の胸に小さな怒りが灯る。
「でも、一生この『特殊な部隊』の一員として、隊員の誰かと一緒に過ごせとでもいうんですか?そんなの籠の鳥ですよ。僕は一生『特殊な部隊』で飼われるんですか?そんな人生最悪ですよ!」
誠は怒りに駆られてそう言った。
「『飼われる』なんて言葉で自分の『最善の状況』を表現するなんて誠ちゃんは今日の出来事で本当にうちが嫌いになったのね。若い男の子を『飼う』なんて私に似合うかしら?かなめちゃんなら『男を飼う』とか言う状況は好きそうだけど……じゃあ、言い換えて『安全を守る』とでもすれば満足なわけ?どうすれば私達は分かりあえるのかしら?ただ、私達は誠ちゃんに安全に『力』を使えるようになってもらって活躍してもらいたいだけ。それまでの命の保証はすると言ってるんだけど……それじゃあ不満?何が気に入らないの?」
アメリアは苦笑した。だが、その奥にどこか本音の影があった。
誠はその表情を直視できなかった。
「でも、隊長の狙い……そしてでも、隊長の狙いどおり、誠ちゃんがこれからもここに居続ければ、もうすぐ状況は変わるわ。……誠ちゃんの地球人には理解不能な力『法術』が、公然の秘密じゃなくなる時が近いの。もしかしたら、誠ちゃんがその扉を開けることになるかもしれない……あんだけゲームが好きでゲームの中では何度となく世界を変えるヒーローになる体験をしてるんだから自分がそんなヒーローになってみたいとは思わないの?」
相変わらずふざけた調子でアメリアはそう言った。
「僕が?ただの出来損ない士官候補生ですよ。ヒーローは最初は出来損ないですけどそれなりの生まれの過去とか何か伏線があるものですけど、僕には剣道場の道場主の母と剣道教師の父と言うありふれた伏線しかありません。それに、そのアメリアさんが言う『法術師』について何も知らされていません。僕が何者なのか、いい加減教えてくれてもいいんじゃないですか?部長なんでしょ、アメリアさん。そのぐらい知ってて当然じゃないですか?アメリアさんが僕に何かを隠しているのはバレバレですよ。そんなに言いたくないんですか?」
誠の顔には皮肉混じりの笑みが浮かぶ。
アメリアはしばし沈黙した後、机の端を指で軽く叩きながら口を開いた。
「そうね……ちょっとはなぜ誠ちゃんの『力』が私達に必要になったかくらいは知っててもいいかもね。だいぶ前に、ある男が目覚めたの。巨大な『災厄』をもたらす遼州人が。ほとんど野心を持つことのない遼州人でもあの男は異質な存在で、野心に満ちていた……まあ、地球人にもいろんな人間が居るように遼州人にもいろんな人間が居るのよ。そんなアブナイ考えの人間に限って強力な『力』を持っているだけに質が悪いのが遼州人にそんな人間が少ないことの理由なんだけどね」
アメリアは真面目でいながらどこかふざけた調子でそう言った。
「……ある男?」
誠にはまるで無関係に思える言葉を何故アメリアが口にしたかが気になってそう尋ねた。
「その男の『法術師』としての能力は異常なほど高い。そして遼州人としては珍しい『野心』がその男を突き動かしている。その男……『廃帝ハド』と呼ばれる男。彼が目覚めた時点で、この『特殊な部隊』は必要になる運命だったのよ」
誠の中で、何かが軋んだ。
捨てられた臣民すら見放した存在を意味する言葉『廃帝』と呼ばれる野心に狂った男……その響きに、ぞっとするような既視感があった。
「でも、いくら超能力者でも、一人の力で何ができるんですか?それに今は何も起きてないじゃないですか。そんな野心家がどうこうして世の中がどうにかなるなら逆に見てみたいくらいですよ」
自分に与えられた不条理に近い処分に頭に来ていた誠はそう吐き捨てた。
「そうね、今のところ何も起きていない。でもそれはまだ『ハド』がかつての自分の失敗を学習して行動を自粛しているからなだけ。彼を封印から解いた連中は、それが無かったことが『ハド』が封じられるきっかけを作ったと説得して今は身を潜めて力を蓄える時だと考えて密かに動いている。遼州圏を中心に『法術師』の『力』で、今の『地球圏中心の科学と経済が作った秩序』を、まるごと塗り替えるつもりでね」
静かな声に、誠は言葉を失った。
「……その『災厄』って、どんなものですか?この東和にも影響が及ぶほどのものなんですか?」
アメリアは再び笑った。だが、笑みの下に微かな怯えが見えた。
「『力あるもの』が支配する世界。選ばれた『法術』を持つ者を頂点とした新しい宇宙の秩序……それが『ハド』と彼を復活させた連中の理想の世界。かつて帝位を追われ、遼大陸に封印された時に彼が望んだ世界よ。僅か5年で滅んだその理想の世界を今度は地球人と言う力を持たない人間を利用して永続できる帝国としてこの宇宙に存在させようとしている……遼州人の『力』の前では無力な存在でしかない地球人を上手く利用する方法を考え付いた……『ハド』のことを多少褒めてあげてもいいんじゃないかしら?」
皮肉めいた笑みを浮かべてアメリアはそうつぶやいた。
「……それを阻むために、この部隊があるってことですね……そんな組織に力もない連中に銃で脅されて拉致される人間が必要なんですか?」
誠は卑屈そうにそうつぶやいた。
「それは誠ちゃんが『力』について何も知らないからでしょ?私は卑屈ですって言うことがそんなに自慢?でも、うちに居着く覚悟を決めた誠ちゃんがここに根付いた時には状況は変わる。そう。でも、隊長……あの『駄目人間』がその全容をどこまで掴んでいるかは分からない。『災厄』がどう形を取るか、誰にも読めない……いいえ、『駄目人間』は読んでいるけどそれを誰にも話そうとしない」
誠はしばらく黙り込んだ。
机の上の書類が一枚、エアコンの風にめくれた。
「隊長一人でだんまり。そんなの意味無いじゃないですか!じゃあ、こんな部隊無駄じゃないですか!」
声が詰め所に反響した。
アメリアは、微動だにしなかった。
「それが無駄かどうかは……これから分かることよ。少なくとも私は無駄だとは思っていない。だから私はここにいる。別に私は趣味で私の部下の女の子達にエロゲを作らせるためだけにここにいるわけじゃないの……ああ、ここはツッコミを入れるところよ」
それ以上、何も言わなかった。
沈黙が降り、時計の針がゆっくり進む音だけが残る。
誠は深呼吸をひとつして立ち上がった。アメリアのボケにツッコむような余裕は今の誠には無かった。
世界を救う話など、今の誠には遠すぎた。
彼の頭にあるのは、世界ではなく、今日見た死体の白目と、自分の額に押しつけられた銃口だけだった。
誠の心にはただ、この死の恐怖と歪んだ組織から一刻も早く逃げ出したいという思いしか浮かばなかった。
「僕は、そんなSF小説に出てくるような野心に狂った異能力者の野望を挫く『英雄』にはなれませんよ。柄じゃないです。今日は帰ります。今日は真っすぐ寮に帰って荷物をまとめて、明日、実家に戻ります」
アメリアは肩をすくめた。その『力あるものが支配する世界』という言葉に、誠はほんの少しだけ、ぞっとする懐かしさを覚えた。
だが、その感覚に名前をつける前に、アメリアの声が上書きする。
「そうなんだ……誠ちゃんの覚悟はその程度ってことなのね……それにしても寂しくなるわね。……地球で飼い殺しにされる危険の方が、ここにいるよりマシって言いたいのね、誠ちゃんは」
誠は答えず、苦い笑みを浮かべた。
「僕がいなくても、誰かが代わりを務めますよ。僕が特別なわけじゃない。東和には1億2千万人の遼州人がいるんですよ……僕の代わりなんていくらでも見つかりますよ。それに警察が無能ってアメリアさんは言いますけど東和の治安は宇宙一なんですよ!なんとかなります!」
投げやりに誠はそう言ってアメリアを見つめた。アメリアの糸目に少し影が差すのが誠には悲しかった。
「そう思うなら、そうしてみなさい。ただ、誠ちゃんほどの『素質』を持つ者は、今のところ他にいないわ。それにまた一からこの国の全国民からそんな人間を探す苦労なんて私もしたくないの。目の前にはすでにその『力』を持つ人物がいる。これを手放したくない……それに警察をそんなに当てにしていて大丈夫?東和が治安が良いって言っても、ちゃんと事件は起きてるわよね。その事件の中心人物に自分が成る可能性が高いと言う想像力は誠ちゃんには無いの?」
アメリアの声は、意外なほど静かだった。
誠は無理に明るく笑って、出口へ向かった。
「バカにして言ってるんですか?冗談のつもりはないですよ。僕は英雄なんて、なりたくないんで。いるんじゃないですか?英雄になりたい人。ネットで『英雄募集します』とか書き込めば意外と簡単に見つかるかもしれませんよ。そうすれば本人も希望している訳だしその『力』とやらもあるんだから何も僕を罠にかける必要なんてなかったんですよ……良いアイデアでしょ?」
誠は自分でも、今の言葉が筋道立っていないことに気づいていた。
だが、止められなかった。
理屈を組み立てようとすると、必ず死体の顔が割り込んでくる。
かなめの笑顔が浮かぶ。
嵯峨の煙草の煙が浮かぶ。
そのたびに、言葉はただの怒りになった。
もうすでに言うべきことを言った誠は、扉を開ける。。
慣れた機動部隊の詰め所の引き戸を開ける音だけが響く。
背後から、アメリアは何も言わなかった。
「……僕は英雄になんてなれない。それに、英雄になったところで何が変わる?それで世の中が変わるって?今のままの世の中で何が不満なんだよ……それに『ハド』なんて……そんな野心が実現するなら、この世の中はとうにそんな人間に支配されて変わっている。アメリアさんは僕を騙そうとしているだけだ。あの人が信用できないのは隊長の次くらいだからな」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。
その声は、広い廊下に吸い込まれていった。
「僕は……英雄にはならない……凡人で良い……絶対に英雄にはならないんだ……」
アメリアの言葉は、たぶん重要なのだろう。
だが、今の誠には遠すぎた。
『宇宙の秩序』も『廃帝』も、今夜見た死体の匂いを消してはくれない。
世界を救う理由より、まず自分が明日も眠れる理由が欲しかった。




