表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣  作者: 橋本 直
第三章 『特殊な部隊』の『特殊』な面々

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/81

第8話 駄目人間・嵯峨の算段帳

 扉が閉まって誠の足音が遠ざかると、隊長室の空気が明らかに戻った。外側から入ってきた風が一瞬だけ埃を巻き上げ、黄ばんだ蛍光灯の下をゆっくりと舞う。誠の影はもう廊下の角を曲がっている。残されたのは、雑誌の山と酒の匂い、そして二人だけの時間だった。


 誠が残していった緊張だけが、まだ薄く空気に残っていた。


 嵯峨は椅子に沈み込むと、無造作に差していたタバコに火を点けた。火種が赤く瞬いて、古い紙の山に反射する。ランは乱雑に置かれた茶碗に手を伸ばして冷めたお茶を啜り、ぽんと胸の前で手を打つと、子供じみたくせに妙に老けた声で言った。


「やっぱ、あいつ大丈夫かね?アイツの『才能』ってことに食いつかなかったけど……まあうちは『ツッコミ』がいないからな……ボケが飽和して困ってるから呼んだなんて……」


 本気ともふざけているとも取れないやる気のない表情の嵯峨は目の前で黙って苦笑いを浮かべているランに向けてそう言った。


「まあ2割はそれが本音なのはアタシも一緒だ。うちの隊員はボケが多すぎんだ。特に西園寺のボケの暴走は最悪死者が出る可能性がある。それがうちの隊員でしかも野郎なら世の中の人達は『自業自得』で済ませられるからな。事後処理が神前一人の業務中の事故と言う書類一枚で済むならその方が楽だしマスコミも騒がねーだろ。一人……常識人ツッコミがいるがアイツは常識人過ぎていてつまんねーからな。しかも、アイツは過去が過去だからフリーライターが取材でも始めたらうちの存続に関わる。その点アイツなら……西園寺もいきなり射殺したりはしねーだろ。アタシも神前の前では思い切りボケ倒せるからアイツを連れてくる時の車の中でも退屈しなかったぞ」


 ランもまた誠を『ツッコミ』として認定していることを公言した。とくにかなめの話が出たあたりで嵯峨が心底楽しそうに目を細めた。


「でもまあ、……さすがに『ツッコミ』要員としてこんなところまで引っ張り込まれて人生潰されたなんて言ったらいくらアイツでも怒るだろうな」


 笑いあう二人の目が半分本気なのをもしこの場に誠が見たとしたら怒りでそのまま携帯端末でタクシーを呼んでそのまま近くの駅まで向かい、数日後に内容証明郵便で除隊申請書が届くのが確実な光景なのは間違いなかった。

挿絵(By みてみん)

「で、冗談はそのくらいの所にしておいてだ。ラン、正直に言ってくれないかな?あいつ、どう思った?東和陸軍教導隊隊長……ああ、今でも本務はあっちにあるんだったな。これまで何百人となく新人パイロットの中でも普通の教官じゃ手に負えないような問題児を担当してきたお前さんは散々ああいった頭でっかちで世間に目が行かない自分の置かれた立場を理解できない餓鬼をただ操縦技術を教えるだけじゃなくて世間というもんが見えてる一人前の人間にする仕事をしてた……いや、今でもしてるんだろ?だったら俺に見えないところが見えてるかもしれないね。どう?」


 嵯峨は煙を吐きながら肩をすくめた。目は眠そうだが、瞬きの合間に企みの光が走る。


「まーあんなもんだろ、最近の若いのなんて。アタシも教導隊の教導官をやってた時は新米の教官が手に負えないとアタシに押し付けてくる問題児はもっとひどかったぞ。要は親御さんの(しつけ)の問題だな。連中の頭の中では『夢のスーパーロボットパイロット』になれるという幼稚園児並みの発想しかねーから、自分がまず軍に入ったという自覚もねーし、そーなったら何をさせられるかなんて考えたこともねー。それ以前に元々人手不足のこの世の中で東和陸軍なんていうどこからも期待されていねー組織に入るには何らかの人格的問題があるのが普通だしな」


 東和陸軍シュツルム・パンツァー・パイロット教導隊。その教官は10名を超えるが、この400年間戦争をしたことがない東和共和国にあって、ランのような百戦錬磨の実戦経験者などいるはずもない。

 

 当然、定員割れ寸前の東和陸軍では、多少問題のある候補生でも簡単には切れない。ランの部下の教官たちが『これは自分では手に負えない』と感じた時点で、その候補生はランの担当になった。


 ランはこの8年の教官業務の中で1名以外は一人前のパイロットとして各部隊へと送り出し、上層部には『誰もが手に負えない問題児をも御する天才教官』の名をほしいままにしていた。そしてラン自身がパイロット失格と烙印を押したパイロット候補生もこの『特殊な部隊』の隊員として軍に残っているということから考えてもランの『パイロット教育とは人間教育である』というとても見た目の8歳幼女が言いそうにないモットーが言葉ばかりのものではないことを証明していた。


「人格面。その点ではアイツは合格点だ。でもまあ、書類とこの数時間車に一緒に乗っただけで判断できるもんじゃねーことはアタシもこれまでの問題児たちに嫌というほど思い知らされてる。ただ、アイツの目はまだ『自分の物差し』を持ってねえ目だ。そこはちょっと面倒だけど、伸びしろでもある。だが、実戦なんて関係ねー東和陸軍ならそれでも通用するが、逆にそこには落とし穴があるのもアタシは実戦で嫌というほど知ってる。そんな表には出てこない問題が出てきてアイツが手に負えねーような何か馬鹿をやったらそん時は考えねーとな……『泣いて馬謖(ばしょく)を斬る』って言葉もあるくれーだ。アイツがアタシの思いもしないよーな馬鹿な思い込みで突っ走ったら斬ればいい。部屋にはアタシの愛刀『関の孫六』がある。久しぶりに使うのも悪かねー」


 ランの問題児教育の最終手段はあの文豪三島由紀夫の首を落とした名刀『関の孫六』を抜いての延々と続く説教だった。問題行動でランを極限まで怒らせた問題児たちは切れ味鋭い日本刀の刃をちらつかせつつ人生を説くランの前にことごとく屈服し悔い改めるのが普通だった。


「あと、初対面の印象はかなり素直で……アタシみたいな問題児専門の教官が育てて良い素材なのか分からねーってのが本音だな。それに素直なのは悪かねーが、それならなんであんなにこれまでの訓練実績がアタシも見ていて腹が立つほどひどいのか理解できねー。それにどこかの誰かと違って奇麗好きなのは大したもんだとは思ったよ。確かにアイツの言う通りこの部屋はどーかしてる。まずアイツのことをどーこー言う前にどーにかしろよ、この部屋」


 ランそう言うと埃だらけのソファーに胡坐をかいた小さな脚先で床を軽く弾く。幼い顔立ちに浮かぶ笑みは無邪気だが、その目は獰猛だった。


「随分と高い評価じゃ無いのよ。確かに、お前さんの教習を受けるのは東和陸軍の希少なシュツルム・パンツァーパイロット候補の中でも最低最悪の部類の連中ばっかりだったらしいからね。うちにいるアイツを見れば分かるし、お前さんが教えたどんな教官も見放す問題児が今でもお前のことを慕って定期的に連絡を入れてくるくらいだからな」


 いかにランが優れたシュツルム・パンツァーパイロットかをかつて敵として戦った経験のある嵯峨はよく理解していた。


「まあ、俺の評価も似たようなもの。人格面、体力面は問題なしで、技術面が極端に落ちる。そしてあの体質が……まあ、これは本当に『習うより慣れろ』としか言えないね。良いんじゃないの?今のところのアイツの評価はそんなもんで。でも、この部屋の掃除は勘弁して。この部屋は雑然としているようでいてその配置の一つ一つまで俺の考えがすべてつまってるんだから。そうしてくれると助かるんだわ」


 相変わらず悠然とタバコをくゆらせながらそう言った。

 

「『助かる』もなにも、オメーのやることはいつもそうだ。人の人生を軽くひっくり返す。今回だってそうだ……それで満足か?それほどまでにして手に入れたい何かがアイツにあるって言うのか?本当にアイツは『使える』のか?そーじゃなきゃアイツは本当にツッコミ要員以外の何の役にも立たねーぞ」


 ランはその見た目からは感じさせない誠に対する配慮のこもった口調で言った。


「普通に言う満足ってのは違うな。これは俺特有の好奇心だよ。策で世の中を動かすのが好きなんだ、俺は。力任せ、金任せで人生が決まるんだったらそんな世の中生まれた瞬間にその人間には死んでもらった方が資源の無駄にはならない。策を使い、頭を使い、時には人を使う。だから人が生きているってことには意味がある。それが俺の哲学。誠の就活も、インターン先の連中の反応も、全部パズルのピースみたいでね。適当にピースを擦り合わせるだけで、面白い絵が見えるだろ?今回もそんな俺の楽しみの一つ……そうでもしなきゃこの人生なんざ楽しみの無い糞みたいなもんでしかないよ……そしてアイツは間違いなく『使える』ピースだ。アイツ無しにはこの『特殊な部隊』は機能しない……ツッコミとしてもそして純粋に『戦闘集団』としてもだ」


 そう言って嵯峨は冷たさを感じる笑みを浮かべた。棚の琵琶が低い光を拾い、和の音色にならない弦の余韻が室内をかすかに震わせる。部屋は汚れている。埃は家具の固縁に溜まり、雑誌の角は黄ばみ、靴箱は乱れている。だがその乱れの中で、嵯峨は平然と自分の生き方を弁護する。


 ランはその言葉を聞きながら、視線を窓の曇りガラスに移した。外では夏の空気が厚く、遠くの工場の煙突が揺れているのが見えた。彼女の小さな肩が、少しだけ震えたように見えた。


「アタシは他人を壊すのが好きなわけじゃねえ。そんなもんあの地球人の『外道』にしたがって何にも考えずに生きてきた時代にうんざりするほどやった。ただ、今のアタシは当時のアタシじゃねえ。『力を持ってる者が正しく使えるようにするのが、今の俺の仕事』だって……アンタはあの時そう言った……だからアタシは今ここでアンタの前に立ってる。敵としてそのアンタの策に負けたアタシはアンタの策の怖さを知ってる。そして大体においてそれが人の道に反してねーことも……まー今回がその人の道に外れた策の第一号になるのかもしれねーがな」


 それなりに感心したというようなランの言葉を聞いて嵯峨は肩越しにランを見た。その目には軽い嘲笑が混じる。

挿絵(By みてみん)

「俺の策は何時だって人道的であることを第一にしているよ……それにアイツの人生を潰して誰が損するって言うんだよ。アイツのお袋か?確かに今回の策にはアイツのお袋さんには世話になったが……まあ、あいつの母親は真面目で、綺麗な剣道場をやってるって話だな。お前さんも何度か会ってるだろ?そんでそん時にはそのお袋さんから『誠を導いてください』って言われたんだろ?人を導くんなら、俺みたいな汚い手を使うのも一法だと思うぜ。直球で説教食らわせても、耳は閉じられるしな。だが、誠のような奴は一回転ばされると、案外目が覚めることがある。人生そう言う経験も必要だと俺もお前も『戦争に負ける』というけっ的なものを経験してるんだから……分かるだろ?」


 ランの唇の端がわずかに上がった。嵯峨の言葉が良そうにたがわないものであったかのようにうなずいた小さな鼻息には、子供のような歓びと老練な戦士の冷笑が混じっていた。


「分かってる。だが、教え方には順序ってもんがある。力を持ってる奴は、それを振れば人を殺せる。お前は覚えてないか?俺がどんな目を見てきたか。俺は、少なくとも部下に『無駄死に』はやらせねえ。俺の部下は誰一人無駄な死に方はさせねえのが俺の主義だ。矛盾するように聞こえるがだからこそ、手荒なこともする。そいつには『自分は見捨てられたんじゃないか?』と思わせるような窮地にも平気で置く。だけど最後は、自分で選ばせる。それが筋だ」


 嵯峨はワンカップを傾け、アルコールの匂いを深く噛んだ。部屋の古着の匂い、煙草の焦げた匂い、そして酒の匂いが混ざり合う。駄目人間の生活臭だ。誠が残していった微かな緊張は、まだ室内に漂っている。


「お前のやり方は分かる。だがアタシはな、誠に『選択』を与えいんだ。選ばせた上で、アイツが行くか帰るかを見届けるつもりだ。たとえアタシ等が仕組んだとしても、最後に決めるのはアイツ自身でなきゃ意味がない。そうだろ?」


 そんな言葉を口にしながらランはソファーの背に寄りかかり、目を細める。肩の力が抜けると、どこか少女然とした所作に戻る。それは本当に外見通りの子供じみた瞬間で、だが内面の厚みがそれを覆った


「選ばせるのはいい。だが、俺には一つだけ条件がある。あいつが『殺す力』に惹かれていくのを見過ごすわけにはいかねえ。あいつが覚醒した時、どう扱うか。そこを俺が握る。誰かに任せるなんて出来ねえよ。お前のやり方で、多少の痛みを与えるのは構わんが、あいつを俺と戦うためにあの遼南内戦で俺と俺の部下達に殺されていったお前さんの部下達みたいに『使い捨て』にするな。いいな?」


 嵯峨は長い指で顎を掻き、どこか申し訳なさそうに笑った。


「今のアタシがが使い捨てにする?馬鹿言ってんじゃねえよ。アタシはアンタと出会って人の何たるかを知ったんだ。今のアタシにアンタのような細やかな気遣いは出来ねーからやり方が雑だが、部下を捨てる趣味はねー。だが、面白い結果が出ればアタシの気分もよくなる」


 ランはそう言うといかにも見た目通りの幼い笑みを嵯峨に向けた。

挿絵(By みてみん)

「なんだよ、お子様の単純な計算だね。それに、ラン、お前はやっぱり情深い……いや、深すぎる。それゆえに人を傷つけることがあることをまだ理解してるとは俺には見えないね。だから人を守ることにこだわるんだろ。そこが、まあ……お前の可愛いところでもあるんだが……そこは一つアイツの前では『鬼』になってくれ。それがお前さんには似合いの人の道だ」


 嵯峨の自分を馬鹿にしたような言葉にランの頬がふっと緩む。ついぞ見せたことのない幼い笑顔が、隊長室の陰影に一瞬影を落とした。だが、次の瞬間にはいつもの毒舌が戻る。


「やかましい。余計な邪魔をするなよ。私のやり方は『結果』で証明する。余計な感傷は、戦場では邪魔だ。覚えておけ。ただし……」


 ランは言葉を切って、そっと嵯峨の方へ身を乗り出す。顔は子供、目は獣。空気が一瞬凍る。


「だがな。アタシは、アイツがもし迷って血を見そうになったら、その場で止めに入る。アタシは血で塗れた英雄を作るつもりはねえ。血塗られた英雄はうちにはアタシと西園寺だけで沢山だ。いや、アンタが居たな……隊長の手も随分と血に汚れてる……そんな地に汚れた人間を増やす趣味はねえのがアンタの本意なんだろ?」


 嵯峨は少し考え、その後に深くうなずいた。嗜好的な下世話さと、どこか救済的な自己正当化が混じる。


「分かった。俺も本心ではそう願っている。だが、世の中には『必要な犠牲』ってのがあるんだ。俺がそれを正当化する気はねえ。だが、時として大きな歪みを正すには犠牲が伴う。それが嫌なら、この仕事は向いてない。だがな、ラン。お前も覚悟しておけよ。お前が守りたいって思う奴ほど、痛い目に遭うんだ。俺はそれを見てきた……それこそ嫌と言うほど……20年前の『第二次遼州大戦』、そして、10年前に終わったお前さんを相手にしての『遼南内戦』どちらでも、俺はうんざりするほどそんな場面に立ち会ってきた。もうこりごりなんだ……お前さんもそうなんだろ?俺も20年前の戦争で負けた時はそうだった。お前さんも10年前の戦争で俺に負けた時……きっとそう思ったはずだ」


 ランの小さな身体が、嵯峨の言葉を聞いた瞬間わずかに震えた。


「そうだな。戦争に負けてうれしい人間なんて居るわけがねえ。確かに、あの敗戦はアタシにとっては『解放』だったが、それでもアタシは数多くの部下を率いる身として負けた責任があった。そんな人間に負けを喜ぶことなんか許されねえ。だからこそ、アタシは導く。力を持つ者が自分の軸を曲げないように。俺のやり方は荒いが、最終的に守るのはアイツの身……そしてアイツの心だ。隊長、アンタは自分が『駄目人間』だって言うけど、あんたの『策』がなきゃここは動かねえ。汚いけど、必要な汚さってやつだ。それだからここは『特殊な部隊』って呼ばれてる。言いたい奴には言わせとけ……それでも司法局にとって……いや同盟機構にとってここが必要不可欠な存在なのは間違いねーんだから」


 まるで我が意を得たようなランの言葉に嵯峨は笑った。


「『人類最強』のお前さんにそう言われるとな、妙に心強いねえ。まあ、俺も生き直しってのが好きだからな。自分のやらかしを少しでも埋め合わせるために、誰かの道を弄ぶこともする。犯罪紛いのこともやった。風俗も行くしギャンブルもやるし、娘には3万円やってる。生活はボロアパート、通勤は自転車、プライドはゼロ。だがな、俺は俺なりに信じてる。人は生きている限り何度でも生きなおせるんだ……これまでの事をすべて捨ててちっぽけな自分と向き合って生きることを心に決めればね……そうとでも思わなきゃ俺もお前さんも浮かばれないよね」


 ランは苦い笑いを漏らした。ランの小さな掌が、グラスの縁をきゅっと掴む。彼女の指先には、古い傷のような跡がうっすら見えた。


「何かと言うとその小遣い3万円の話を持ち出すんだな。そんなに言うならアタシがオメーの代わりにアイツに……ああ、あの頑固娘には何を言っても無駄か。だが、それで済む問題でもないだろ。オメーのやり方は、いつ見ても卑怯だ。だが卑怯であることを恐れないところがオメーの常に勝ち続ける理由だ。少なくともアタシに対してはそーだった。世の中は残酷だし、アタシはそれを知ってる。だからこそ、人を守る。お前は人を弄ぶが、守る時には手厚い。そこが、オメーとアタシの似ているところだな。同じ世間様には顔向けできねーひでー行いで後ろ指さされても当然の存在。そんな部隊の隊長と副隊長か……神前の野郎も飛んでもねーところに来ちまったもんだ」


 自嘲気味なランの言葉が終わると二人は沈黙した。扉の向こうからは、遠くで誰かが笑う声が響き、廊下の空調が弱く唸る。外の蒸し暑さと隊長室の燻った空気が混じり合い、時間がゆっくりと溶けていく。


 嵯峨がふと、棚に置かれた古い写真立てに手を伸ばす。写真の中には、若い頃の嵯峨がどこかの演説会場で拳を突き上げる姿が写っていた。目元に刻まれた皺が、かつての理想と現在の堕落を同時に物語る。


「昔はね、立派なことを言ってたんだ。反戦演説とか、口先だけの正義とか。だが年食って分かったよ。口先の正義で腹は膨れない。だが、人の運命を弄ぶのも飯を食わせるのも、どっちも地続きなんだ。どっちか捨てるわけにいかねえ……あの頃の俺を知ってるたった一人の友達が言うには俺は変わっているようで変わっちゃいないそうだ。見た目も、考え方も……世間慣れした策のキレの良さだけが変わったところだと奴は俺を言ったよ。まあ、アイツの見た目は立派な中年の将軍様になってたな。話してみるとアイツの中身もたいして変わっちゃいないかったがね」


 ランはその写真を見て、静かに息を吐いた。目の中に、ほんの一瞬だけ哀しみが揺れる。


「アタシもな。昔は力で全部解決できると思ってた。今は違う。力があるってだけで人を幸せに出来る訳じゃねえ。だが、力を持ってるからこそ、責任が付いて回る。それをあの神前の馬鹿に教えるのがアタシらの仕事なんだろうな。隊長、アタシたちはいつも矛盾だらけだ。いつ誰に殺されても文句の言えねー存在だ。だがまあ、それがアタシらの生き方ってもんだ……違うか?」


 急に真顔になったランは嵯峨を見つめてそう言った。二人は顔を見合わせて、ついどちらともなく笑った。笑いは乾いていて、少し寂しげだが誠実だった。


 笑みを浮かべるランに突然、嵯峨は静かに頭を下げ、空いた左手で祈るような仕草をした。


「話は変わるが、お前さんの『不殺不傷』というご立派な信条。神前が一人前になるまで……中断と言うことにしてくれねえかな?これまでのアイツの教育方針だが……そん時に俺はこの『特殊な部隊』を『戦闘集団』にすると言った……司法局実働部隊は名目上は『武装警察』……つまりお巡りさんなんだ。ただ、神前の目覚めを俺と神前のお袋さんが急ぐには……ちょっと訳があってね……」


 頭を下げた嵯峨はそういうと静かにランを見つめた。ランは先の大戦での虐殺行為を強制されたことを思い出して苦笑いを浮かべた。


 何も好き好んで無抵抗の市民や捕虜を虐殺したわけでは無い。だが、その事実は消しようが無かった。


 ランが東和共和国に亡命した理由も『不戦中立』を国是としていたところにあった。彼女は東和陸軍に入る時の条件も『戦闘には参加しない』と言う軍人としては奇妙に見える一文がその契約書に含まれていたのを思い出した。


 そんなランに嵯峨はあざ笑うような下品な笑顔で見つめながら頭を下げた。


「俺の得意の『土下座外交』って奴だよ。頼むわ。人間、生きてりゃなんとかなるもんだ。すべての人間は『生きなおせる』ってのが俺のポリシーだ。お前さんには『英雄』を作れとはいわねえよ。アイツなりに成長してくれればそれでいい、駄目ならやり直す。それが人生さ」


 嵯峨の言葉にランは子供のような顔に戻り、ニヤニヤ笑いながら嵯峨を見つめた。


「『不殺不傷』を置いておいてくれってことは……軍関係の『英雄』を自称する『修羅』は斬っていーってことだな?」

 

 そう言うとランは黙って嵯峨をにらみつけた。


「いいぜ。死んでご立派な『護国の神』にでもなりゃあいい。それが俺達の仕事だ。『英雄』は自分の引き起こした『悲劇』の責任を感じて『切腹』でもしてろってところかな……俺の育った国、甲武国は『サムライの国』を自称しているが腹も切れないサムライに何の意味がある。まあ、俺が公家だから侍が嫌いでそう言っているのは半分は事実だけど」


 嵯峨はそう言って冷めたお茶を飲んだ。そして、下世話な雑誌の下から一枚の男の写真を取り出した。


 そして手に持ちランから見えるように、長髪の美丈夫の顔写真をつまみ上げた。


「こいつが復活したおかげで……神前には迷惑をかけそうだ……こいつさえいなければ神前の野郎には平和に暮らしてもらえたのに……こいつが俺達の運命を変えた男……俺がこの『特殊な部隊』を立ち上げた理由を作った男だ」


 その写真の男を見る嵯峨の目つきはこれまでの眠そうなそれとは明らかに異なっていた。


 敵意と憎悪に満ちた鋭い眼光がそこにはあった。


「この男は俺達とは『力』に対する認識が違うんだ。この男は『力』は神から与えられた『権利』だと思ってる。そうじゃなくてそれは『責任』だという気持ちがあれば……みんな平和になるのに……この男にはそんな気持ちはない。そしてこれからもそんな気持ちになる可能性も無い……ある意味救いのない男さ……悲しいけど『力』を責任として引き受けた奴は、もう普通の幸福には戻れないんだ。だからこそ俺達の顔はどいつもこいつもろくでもねえ顔をしてる……コイツみたいに『迷いのない顔』が出来るのは自分の『力』を当然の権利だと考えている証拠だ」


 ランの目が殺気を帯びる。これまでにない明らかに大量殺戮を経験した少女の目に嵯峨は眉をひそめた。だが、それを見たランは一度目を閉じると再び柔らかい笑みを浮かべた。


「わかってるよ。こいつ、『力の有るものだけが生き残るのが正しい世界』だテメー勝手な理想を掲げて200年前に自分の国を滅茶苦茶にしたせいで無理やり手に入れた皇帝の地位を追われた『廃帝ハド』は同じ力を持つアタシ達『遼州人』が倒す。こいつにはアタシ等、『力』を持つものじゃなきゃ対抗できねーからな。アタシは地球人は嫌いだが……力のねー連中がいくら自慢の科学をもってしてもこいつには対抗できねー。それどころかコイツ自身が地球の科学を学んで地球人を支配する気満々でいるんだ……アタシ等、この宇宙の科学とは無縁な『力』を持つ遼州人がどうにかしねー限り『廃帝ハド』は止められねー」


 かわいらしい少女の顔に不敵な笑みが浮かんだ。


「そうだ、俺達の『廃帝誅滅』の邪魔な奴は殺して神の世界に返してやんな。ラン?お前さんなら簡単なことだろ?何ならお前さんが育てた神前をそれに使うのも悪いことじゃない」


 嵯峨の言葉には迷いも相手に対する哀れみも無く冷酷の一言に尽きる響きを湛えていた。そんな嵯峨の冷酷な言葉を聞くとランはかつての殺戮者の笑顔を浮かべて静かにうなずいた。


「そして進歩を望まない遼州人の本能を利用してこの東和共和国を『アナログ世界』に止めておくように一切の進歩的なものが地球圏から入ってこないよう監視している。それでいて同じ監視を地球人には考え付かない技術を使ってもはやはたから見ていて暴走に近い科学の進歩で自滅の道を歩もうとしている地球圏まで隅々まで監視して、連中から富を巻き上げる事だけを考えている地球圏の特権階級よりよっぽど質の悪い『永遠に続く1984年』に住んでる『ビッグブラザー』の信者は殺して地獄に落とせばいい」


 そう言う嵯峨の笑いはより残酷さを帯びてきていた。


「その二つが俺達『遼州人』の『特殊な部隊』の本当の目的だ」


 嵯峨の自分への視線に気づいたランは、静かにうなづいた。


「その為の『(つるぎ)の戦士』には神前がぴったりなんだ。そのために『力』に目覚めれば……そんときゃ、俺達と同じ『法術師』だ。そうなったらあいつは逃げたくても逃げられなくなる……『力』を持った責任があるからな」


 嵯峨は静かに焼酎の入った小鉢をあおった。


「アタシ等と同じ『法術師』……」


 ランの目が少し悲しみに染められた。


 そして一言つぶやいた。


「そうなりゃ、神前と俺達『特殊な部隊』の出会いは『悲しい出会い』になるな。『素敵な出会い』を求めて……人はいつも……道を誤る……神前も俺達と同じこんな気分になる時が来るのかね……」

挿絵(By みてみん)

 嵯峨の言葉を聞くとランはやれやれという調子で嵯峨を一瞥した後、覚悟を決めたように静かに嵯峨に背を向けて隊長室を後にした。


 一人残された嵯峨はそのまま椅子をくるりと回して窓の外に目を向けた。


「俺は『力』なんて欲しくなかった。生まれてからそんなことを一度も願ったことなんかないんだよ。だが、そう生まれてしまった以上、そしてその存在を知った以上、俺には生まれながらにその『力』と向き合う責任がある。そのために俺は『生かされている』……と思う」


 嵯峨のあきらめに似たような響きの言葉が響いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ