第5話 配属先不明
ここは遼州星・東和共和国。
その首都である東都の官庁街の一角に赤レンガで知られるひときわ目立つ建物があった。
400年間にわたり、元地球人の国々が起こす度々の紛争と一切かかわらず『一国平和主義』と『武装中立』を支えてきた東和共和国宇宙軍がその建物に入る組織だった。
その先進的な電子戦装備の航空・航宙戦力により相手を戦わずにして無力化するという戦い方は、火力や白兵戦力による戦闘を行う遼州圏の元地球人の国々ばかりではなく、遥か地球圏の国々にとっても脅威であり、東和宇宙軍のその地球人には理解不能な戦い方への対抗策を考えるよりはその一切攻撃的な対応を取らない東和共和国とは対話による問題解決をした方が、一方的な戦力の消耗が避けられると元地球人や地球圏の国々は考えるようになった。
結果、この400年間の間、戦乱が続いた遼州圏や地球圏や地球が侵略を行った植民惑星などとは違い、東和共和国は一切戦争に参加せずに20世紀末日本の状況を守ったままでその姿を変えずに時を重ねてきた。
その実績を誇るように、東和宇宙軍総本部の赤レンガ造りの十二階建て庁舎は、官庁街の中でもひときわ異彩を放っていた。
そんな東和共和国の平和を守って来た誇り高き軍事組織の赤レンガのビルの地下三階の駐車場は、朝の喧噪と蛍光灯の冷たさだけを抱えていた。直線状に並ぶ蛍光灯が床に淡い帯を作り、車列の隙間を抜ける空気がひんやりと頬を撫でる。その寒さに似合わないほど長身でありながらどこか気弱さを感じさせる若者が、穴のように開いた目で辞令を睨んでいた。
彼の名は神前誠と言った。これまで同級生や東和宇宙軍で出会った軍人達にも誠以上の身長の人物に誠は出会ったことが無かったほどの長身が特徴で、その鍛え上げられた厚い胸板はまるでプロスポーツ選手を思わせるほどの立派さだった。彼が地下駐車場の出入り口に手荷物と辞令を一枚持って呆然と突っ立っていることは明らかに周りから見れば『邪魔』としか思えない状況なのは普段の心理状態の誠ならば理解できる話なのだが、今の誠の心理状態ではそんな今自分が置かれた状況を客観的に考えることができる状況にはなかった。
この地下駐車場に来る前に告げられた言葉のせいで誠の表情は頼りなく、どこか落ち着かない様子に見えたことだろう。元々、人からは『メンタルが弱い』と言われがちな誠にはそのプロスポーツ選手すら見劣りして見えるような立派な体形を生かして勝負の世界で生きていくことは諦めるべきだと、彼を知る人間ならば誰もがそう思うほどに誠は今見せている困惑した表情が通常運転状態というような内面の弱い青年だった。
そんな誠は大柄な誠を見上げながら小声で『邪魔なのよね』とつぶやく若い東和宇宙軍の女子勤務服の女性の言葉が誠の心臓に刺さった。
見下ろす形になった女性士官の顔を見た瞬間、誠は反射的に目を逸らした。
身長は187cmもあるくせに、女性とまともに目を合わせる経験は、小学校のフォークダンス以来ほとんどなかった。
誠はとげとげしい女性の言葉でようやく自分が通行の邪魔になっていることに気付くと、誠は床に置いた荷物を持ち上げ、自動ドア脇へ移動すると暗めの蛍光灯の明かりの中で利き手の左手に持っていた辞令にもう一度目を通してみた。
「遼州同盟会議・遼州同盟司法局実働部隊、機動部隊第一小隊に配属する……って、何だこれ?遼州同盟司法局って何?僕は東和共和国東和宇宙軍に入った覚えはあるんだけど、いつの間に僕は遼州同盟に所属する国際公務員になったんだ?そんな話は誰もしていなかったぞ?なんでだ?」
誠は舌を噛むように言い、辞令をもう一度目でなぞった。いかにもお役所の辞令と分かる紙質の悪い辞令には確かにその一文が記されていた。誠にもそれが自分の配属辞令であることは理解できる。しかし、なんで東和宇宙軍のパイロットである自分がそんな遼州同盟と言う国際組織の一部局である『司法局』なる組織の一員に配属になるのか全く理解できずに、通路の脇に避けたこともあって誰も誠を気にしなくなったことをいいことに誰にも邪魔されずに穴が開くまで辞令の一文を眺めていた。
「遼州同盟司法局……って何?そんなところで僕に何をしろって言うの?司法局……つまり法律関係のお仕事でしょ?僕、法律の勉強なんてしたこと無いよ。大学は理工学部だし。東和宇宙軍の教育課程でも国際法とか遼州同盟法とか国際戦争法とかの授業はあった……のは事実だけどほとんど教官の言っている意味が分からなかった僕に何を期待しているの?というか僕はパイロットになったはずだよ?それも間違いなの?確かにパイロットとしては役に立たないって太鼓判を押されて今日まで配属先も決まらずに自宅待機でお給料も出なかったのは確かだけど……それを急に呼び出しが来て配属先が決まったと言って呼び出しておいて渡す辞令の内容がこれ?まったく意味が分からないよ」
誠は辞令にもう一度目を通すと首をひねって納得がいかないような顔をした。
その遼州同盟司法局が誠に期待しているのが体力だけなら、八時間走らされても倒れない自信はある。
だが、知らない人間に知らない場所へ連れて行かれるだけで、胃は簡単に負ける。
誠は遼州同盟の加盟国である東和共和国で育ったので遼州同盟機構の本部がこの東和共和国にあることは知っていた。しかし、一応は東和共和国の私立理系単科大学の最高峰と言われる東都理科大学を『それなり』の成績で卒業したものの、その成績が『それなり』なのは一般教養科目での人文科目と社会科学科目において出席さえすれば単位が取れる科目だけを選んだ程度に社会常識が下手をすると社会に関心がある小学生にすら負ける程度という誠が、遼州同盟の設立課程についてほぼ知識は無いに等しく、ましてやその組織にどんなことがあるかまで知っていることはあり得ない話だった。
疑問符で頭がいっぱいになった誠が駐車場から本館に向かう通路の前で突っ立っていると突然、女性の東和宇宙軍の士官の制服を着た女性が声をかけてきた。
「あのー少しどいていただけませんか?通りますから」
いかにも自分を邪魔だと言う目で見て来る女性の迷惑そうな視線を見ると誠は慌てて身体をずらした。
肩幅のせいで、ただ立っているだけでも通路を半分ふさいでしまう。
誠はそれに気付くたび、少しだけ身体を縮めようとした。
もちろん、縮むはずはなかった。
そもそも東和宇宙軍から他の組織に出向になるという話なら事前に言ってくれれば自宅の端末でその組織の情報を得ることも事前に出来たかもしれないが、何も知らされずに東和宇宙軍の総務局人事課に呼び出された誠にはそんな誠が配属になるらしい遼州同盟司法局なる組織に関する知識があるはずも無かった。
ただ、誠も一流と呼ばれる理系大学を出ただけのことはあって思考能力はそれなりにあるので、遼州同盟司法局と言う組織があったとしても不思議ではないことは理解できた。遼州同盟が誠が生まれた東和共和国や他の元地球人達の作った国が建てた国家が遼州圏の地球圏からの自立を掲げて遼州同盟を設立したことも高校時代にテレビでそんなニュースをやっていたことは覚えている。
しかし、人型機動兵器であるシュツルム・パンツァーパイロットとしての訓練を受けたはずの自分がなんでそんなところに配属になったのかの理由がまるで思いつかなかった。誠が思いつく『司法執行官』の代表は警察官であるが、誠は確かに軍人として格闘術や銃器の訓練を受けたが、ただ殴ったり銃を撃てれば警察官が務まるわけではないことは分かる。ましてや、中学生の社会科でやった『三権分立』の代表である『裁判所』関係の仕事だとするならば誠のこれまで警察に捕まるような犯罪をしたことが無いという程度の法律知識でそんな仕事ができるわけが無いことは誠にも分かる。
誠は再び手にした辞令を目にしたが、すぐに辞令から目を逸らす。
それは確かにあるし、それを拒否したら誠に行き場が無いので、逸らした視線はまた辞令へと戻ってしまう。
それでも辞令には確かに誠を司法局実働部隊に配属すると記されている。誠は下手に頭で考えるから理解できないのだと思ってとりあえず口に出して考えをまとめてみることにした。駐車場の脇に移動した以上、誠を気にする人間もいないのでぶつぶつつぶやく大柄な東和宇宙軍のパイロット向けの夏服に身を包んだ誠を気にする人間は誰も居ない。
「司法局って……何?……いや、名前的には警察とか……裁判所?……いや、違うよな?いや、なんでそんなところに僕が行くの?なんで?パイロット関係ないんじゃない?それともあれなの?あの人事課の禿げの大尉は司法局実働部隊は『特殊な部隊』とか言ってたから凶悪犯罪者が銃を持って立てこもったらビルごとシュツルム・パンツァーの腕で殴って壊せとでも言いたいの?……いやいや、それ警察じゃなくてテロだろ?僕は任務の遂行上のやり過ぎた行為ですぐにクビになりましたということで東和宇宙軍を追い出される運命なの?じゃあなんで僕はあの人に東和宇宙軍に入れられて無理やりパイロットにさせられたの?何かの嫌がらせ?そんなの聞いてないんですけど」
地下駐車場らしく車のエンジン音が絶え間なく続いている。
そんな中の一つに甲高いものが混じっているのに気付いた誠の言葉はそこで途切れた。
元々自分でも向いていないと分かっているパイロットの訓練課程を無理やり消化させられたのに、どうして東和共和国の誇る人型機動兵器であるシュツルム・パンツァーパイロットとしての教育を受けた自分とは無関係に見える部署へ配属されることになるのか?それとも誠の想像通りそんな無茶苦茶をやる組織に自分は押し付けられる運命にあるのか。
頭の中で疑問符が増えていく。
一つ解こうとすると、二つ増える。
時間は9時に近くなり、周囲は忙しなく行き交い、東和共和国宇宙軍総本部の職員や一般の来訪者が自動ドアを出入りしている。だが出入り口の通行の邪魔にならない様に脇の薄暗い蛍光灯の下に立つ誠に誰一人気を留めない。
誠は重い溜息をひとつ吐いた。胸の内にあるのは恨みでも誇りでもない……ただの行き交う目的を持った人々から取り残されたような困惑と居心地の悪さがあるだけだった。そしてその辞令が意味する望まぬ方向へ無理やり流されることだけは耐えられないことだけは間違いなかった。
自分が選ばれていないのに『選ばれた』ふりをされることが、じわじわと彼を蝕んでいた。
恐らく地下駐車場に行けと言うことはまた自分の苦手な車での移動になると考えただけで胃が重くなる。
乗り物に弱いだけでなくどこに行くのかよくわからないと言う状況に置かれると当然少し気持ち悪い。
『……またか』
元々、気が弱くて初対面の人に会うとそれだけでどぎまぎして口ごもることが多い誠にとって、いきなり配属先を聞かされてそこに向かう車に乗って現地に迎えなどと言うことはすなわち自由に乗り物に乗って吐いてくださいと言っているようなものだった。
再び、誠は思い出したように手にした辞令に目をやると再び首をひねった後、また視線を辞令から逸らして辺りを見回した。
どう考えても普通のパイロットの配属を望んではいないことが明らかな辞令が一枚誠の左手に握られている。地下駐車場の夏の季節とは思えない冷たい空気の中、誠はこれから自分を待っているのはろくでもない運命なのだろうとこれまでの数々の訓練という名の自分の無力感を思い知らされる1年半の暮らしを思い返しながらため息をついた。




