第6話 その名は『もんじゃ焼き製造機』
事情は誠の胸中だけの問題ではなかった。そもそも、この場に誠が居ること自体が異常なことなのだと誠は十分理解していた。そもそもこの今誠が置かれた状況は誠の望んだものでは一切なく、すべては『流されていった結果こうなった』としか言えないものであるだけに誠の困惑は深まることしかなかった。
東和宇宙軍に入隊しての半年間、体力訓練のランニングや白兵格闘訓練では誠はその体力にものを言わせて教官たちの感嘆の声に包まれながら日々を過ごした。軍人である以上、体力が必要になると課せられる訓練の日々だが、他の入隊者たちが音を上げるようなきついランニングや障害物を乗り越えて進む訓練もボクシングのグラブよりはるかに薄い殴られれば二日は痣が残るような過酷な格闘戦訓練も誠にはぬる過ぎるただの運動をするだけで給料が出るなんて不思議なところに来たものだという感想以外は感じることは無かった。
教官が全員脱落させるつもりで八時間走れと言われれば最後まで走っていたのは誠だった。
白兵戦闘訓練では、ボクシングや空手の有段者が相手でも、誠は多少殴られた程度では止まらなかった。
手練れの相手が長期戦に持ち込むと、誠自身も無駄な動きで息を切らす。
だが、先に動けなくなるのは、なぜか誠を消耗させようとした相手の方だった。
そんな身体能力はまさにパイロットになるために生まれたような誠だが、機体が一歩動いた瞬間、胃だけが真っ先に降伏した。
一方の座学においては英語やドイツ語などの語学では明らかに勉強不足が指摘されるうえに、戦争法規や戦術講義などにおいては教官を呆れさせるほどの珍回答を連発して同期の笑いを買うことが多かった。誠は語学と社会科学系の勉強においては明らかに脳が拒否反応を示すので大学時代も一般教育課程ではそういう科目については単位が取りやすいかどうかだけで選んでいたところがあった。一方の砲弾の発射エネルギーの計算や、対消滅エンジンと位相転移エンジンの優位性に関することなどの理系関係の知識や見識が求められる授業においては常に最優秀とは行かないものの上位の成績を収めていた。
そして、誠にとって一番のこの課程での難関は射撃だった。
教官は誠の射撃を見る時だけ、まず最初に訓練生を見回して辺りを確認するのがほぼ定例行事であり、誠が射撃訓練をしている最中もその銃の弾道ではなく訓練生と自分の避難経路を確認していた。
ともかく誠が銃を持つと教官自ら誠から逃げ出した。まだ配属先が決まっていない新兵たちもどこに飛んでいくか分からない弾に備えて射撃場の土嚢の裏に避難するような有様だった。ともかく、拳銃を持たせればどこに弾が飛んでいくのか分からないのでレンジから人影が消えるのが普通だった。ライフルの射撃でも的を用意する意味がよく分からないその着弾点に教官たちはただ頭を抱えるばかりだった。
圧倒的体力と無敵を誇る白兵格闘戦力を持ち、危険物の取扱に関してはその物質の組成や扱い方まで正確に語るその姿は同期たちから尊敬を浴び、語学力を見てああ、誠には語学は向いていないのだなと失笑を買い、射撃訓練では自分がどこに飛んでいくか分からない誠の撃つ流れ弾の巻き添えを食うまいと逃げ回る同期や教官。
『体力や格闘戦闘では、理数系の知識は見るべきものがあるが。そもそも兵士として役に立つ射撃能力は期待できない上に、通信担当としての英語などの外国語を話す地球圏のパイロットの警告業務にも向かない使いづらい新兵』
それが誠の東和宇宙軍の共通教育課程での教官たちの一致した見解だった。
そして誠が配属された人型機動兵器シュツルム・パンツァーのパイロット養成課程。誠はその訓練初期から致命的な欠点を抱えていた。
それはこれまでのシュツルム・パンツァーの基礎構造や運用思想、構造的長所と短所などを説明する座学を終えた初めての模擬乗機の時だった。機体の取り扱いを教官に促されるや否や、誠の胃はひどく揺れ、吐き気に襲われた。機内で顔色を失い、叫んだあとトイレへ駆け込みそのままそこで気を失っているところをいつまでたっても帰ってこない誠を心配した教官に発見されそのまま医務室に運ばれて点滴を受けたというのが最初の教習用の複座のシュツルム・パンツァーへの後部座席に搭乗するという時に起きたことの顛末である。
以後、教習用の東和宇宙軍の保有する89式教習用や、新鋭の04式教習用などの機体の説明を得意げにその性能を自慢して見せる教官の言葉を聞いただけで、並み居るパイロット候補生の中で、一人、誠の顔色は蒼白くなった。うなだれて口に手を当てて吐き気をこらえる誠を見かねた整備士に優しく肩を叩かれるほどだった。
「自分がパイロットに向いてない?貴様はパイロット志望でここに来たんだろ?俺が教えたパイロット志望の連中の中にそんな奴がいたなんて話は聞いたことがないな。確かにこの機体は空戦向けに特化した機体だから高所恐怖症の人間ならそんなこともあり得る。それならば飛行よりも地上での戦闘や宇宙戦闘に向いている02式に特化した訓練を受けるという手もあるが……その様子だと高所恐怖症ってわけじゃないんだろ?大丈夫、訓練を続ければ慣れるさ。人間はどんな環境にも慣れてしまうもの。数をこなせば身体もついていくようになるものだよ」
しばらくして実機のコックピットに乗ることができるようになった時、空戦に特化したシュツルム・パンツァーである89式教習用には教官の乗る後部座席からそんな言葉がかけられた。しかし、その02式教習用の歩行訓練でも同じように吐く誠に出来ることはそんな教官の言葉にただ苦笑いを浮かべた後、再び食道を逆流して来る胃液を吐き出すためにトイレに駆け出すことだけだった。
そして教習用の89式や02式を使用してのシュツルム・パンツァーの歩行訓練、走行訓練、陸上格闘戦訓練、射撃訓練、飛行訓練、宇宙での……そんな新しい訓練課程に入るたびに、何度となく体調不良を訴えて訓練場と医務室との往復を繰り返す誠に励ます声が誠にはすぐにむなしいものに感じられてきた。そして誠の不調はそんな言葉を口にした教官たちの考える『慣れ』の常識の範囲を遥かに超えていた。
初めは誠を励ませば誠の体調不良は止まると考えていた教官たちも数か月後にはただ教習を終えてトイレに吐くために駆け出す誠を黙って見送ることしかしなくなっていった。
体力、格闘、理数系の知識。そこだけ見れば、誠は優秀だった。
だが、射撃と語学と操縦適性がすべてを台無しにした。
教官たちのこれまで見たことが無いようなパイロット候補生の誠に対する評価は一つだった。
そんな教官たちの自分への評価が確定した後でも訓練を終えた誠が機体を降りた時に最初にするべきことは教官にその訓練の所感をまとめるレポートを作成することではなく、コックピットのハッチを開けて大急ぎでそのまま駐機場の脇に設けられたトイレに飛び込んで吐くことだった。
遼州圏でも地球圏でも操縦に三人の兵士を必要とするものの圧倒的に生産コストの低い飛行戦車に対して、採用している国の少ない人型機動兵器シュツルム・パンツァーのパイロットとして選ばれた選民思想に染まった同期のシュツルム・パンツァー訓練を受けるパイロット候補生たちからは、陰で『もんじゃ焼き製造機』とあだ名され、付き合いで嫌々行った飲み会の席では遠巻きに嘲笑が飛んだ。
そんな同期の嘲笑を浴びるたびに誠には、一つの疑問が浮かんでは消えた。
自分ほどパイロットに向いていない人間を、誰が、何のためにここへ押し込んだのか。そもそもこのままいけば間違いなくシュツルム・パンツァーパイロット養成課程をパイロット適性不足を理由に外されてもおかしくないという思いばかりが、訓練が行われる朝に寮の自室で目覚めたときに浮かぶ日々が続いた。
特にシュツルム・パンツァーの操縦経験があればほぼ無試験で民間航空会社での大型旅客機のパイロット資格はおろか、星間シャトルのパイロット資格。さらには少しの教習を受けるだけで星系間を移動する亜空間跳躍長距離旅客定期便のパイロットの椅子さえも約束されているまさに将来を嘱望されたエリートの道が誠にはまっているはずだった。
東和共和国では、生涯未婚率が八割前後で推移していた。
だから、誠に女性経験がないこと自体は珍しくない。
ただし、将来を嘱望されたシュツルム・パンツァーパイロット候補生となれば話は別だった。
軍でシュツルム・パンツァーパイロットを5年も務めれば民間航空会社から破格の待遇での大型旅客機パイロットやその他の医師や弁護士や公認会計士の中でも成功した人間と同じような収入を得ることが約束されているパイロット候補生たちには見合い話どころか、その将来性を期待して自ら言い寄ってくる美女が多数いるのは誠も同期のパイロットが休暇の度に女性を連れて訓練所近くを歩いていて付近住民のモテない東和国民の70%を占める異星と手をつなぐことすらせずに生涯を終える運命の同年齢の男女から『死んでくれないか?』と言う目で見られているのをよく見ていたのでわかっていた。
そんな70%の将来を約束されたカップルを嫉妬の目で見つめる誠だったが、顔立ちも悪くない。むしろ、地球人の価値観なら女に困るはずのない顔で、本来なら一番先に大財閥のご令嬢が誠に目を付けてもおかしくない話だと同期に言われたこともある。
だが誠にとって、女性と手を握った記憶は小学校のフォークダンスで止まっていた。
それ以降は、目を合わせるだけで声が少し上ずる。
誠の精神は生まれた時から完全な『恋愛弱者』であり、誠がそもそもシュツルム・パンツァーパイロットになること自体が怪しいと同期たちに認識されるようになってからは誰もその話題には触れなくなった。
誠はそれを薄目で見返すが、笑いに混じる嫌味の冷たさは胸に刺さった。シュツルム・パンツァー訓練の合間に開かれる飲み会にも最初の三か月ほどは誠も呼ばれることがあったが、それを過ぎると『あの落ちこぼれを呼ぶだけ無駄だろ?』という陰口を叩かれるばかりで同期の人間も明らかに誠と距離を持つようになっていった。
元々乗り物に弱く胃腸も健康なので吐くこと自体に慣れている誠の身体は大丈夫でも、『人型機動兵器を操る』という場面にだけは腰が引けた。胃腸の不調とそれが引き起こす緊張でスロットルを握る手が震えて、ただ機体を歩かせることすら苦労する誠に口の悪い教官の中の一人にはAIに任せたほうがよっぽどいいと本気で言われたこともある。
パイロット養成課程の最終盤には実際全くパイロットとして役に立たない存在と誠を認識した教官たちは誠に声をかけてくることすらほとんどなくなった。
そんな誰からも期待されない日々の中でいつの間にか誠は187cmの身体をできるだけ小さく見せようとして、誠はいつも少し猫背になった。
もちろん、それで小さく見えたことは一度もなかった。
そもそもそのような状況になること自体、誠自身もある程度予想がついていたことで、元々シュツルム・パンツァーパイロット志望を自ら望んだわけではなかった。むしろ『誰かに強制されて始めた』のだ。だが、どういうわけか、彼はパイロットの列に押し込まれてしまった。
そして完全な『最低最悪の落ちこぼれパイロット』の烙印を押されて誠はパイロット養成課程を終えた。
そんな望まない環境へ誠を無理やり押し込んだ影に、いつもある男の顔がちらついた。嵯峨惟基と名乗る男がその男の名だった。
嵯峨は、母の営む剣道場『神前一刀流道場』にたまに現れる男だった。
笑う。冗談も言う。母も警戒しない。
なのに、誠はその男が苦手だった。
目だけが、どうしても若者のものに見えなかった。
そんな誠からしたら怪しい男以外の男にしか見えない嵯峨を母はまったく警戒しないどころか、まるで親戚か何かのように二人が縁側で談笑しながら世間話をする姿を見ることは誠にとってはごく普通の光景だった。
確かに一見二枚目の端正な顔立ちが見るものを惹きつけるところがある嵯峨に心を許して笑いかけている母を見るたびに、誠の心には理由の分からない恐怖の感覚が浮かぶときもあった。
誠がその存在に気づいた8歳くらいのころである。
その時は嵯峨はすでに二十代前半のように見えたことが思い出される。そして、現在もほとんど外見に変化が無い。子どものころ、誠は『大人はみんな同じ顔に見えるからだ』と自分を納得させていた。しかし、それが誠が嵯峨を初めて認識した8歳ぐらいの時から23歳の今まで続いているとなると明らかに異常なことだと誠も嵯峨という人物の不気味さに警戒感を抱いていた。
若く見えるのに年齢を詐称しているような老練さも漂わせる。嵯峨は、誠の人生のある転機を作った人物だった。
パイロット養成課程を終え、同期たちが次々と任地に散っていく中、誠を待っていたのは『自宅待機』という辞令を手に実家に帰るという屈辱的な扱いだった。
同期たちの軽蔑の視線を浴びるたびにその瞳の中には一人の男の嘲笑が見えるような気がしてきた。
嘲笑する瞳の奥でさらに大笑いしている年齢不詳の男の顔……それはいつも嵯峨惟基の顔だった。
誠はこれまでの自分の成績を考えればそれも当然だと思いながら実家に帰り、自宅待機扱いなので給料も出ないためこれまでの訓練課程でもらった給料の貯金から軍人共済費を東和宇宙軍本部あてに毎月振り込むという良く分からない社会人生活を続けながら、趣味のプラモデルを作ったり絵を描いたりする生活を続けていたというのが昨日この東和宇宙軍本部に急に呼び出されるという出来事があるまでの誠の日常だった。




