第7話 罠に応募した男
そもそもどうして、こんなことになったのか。
誠は辞令を握りしめながら、一年前の夏を思い出していた。
すべては、嵯峨惟基が一枚の応募要項を持ってきたところから始まった。
誠が大学四年の夏、誠は人より遅れて始めた就職活動においては企業の内定が一つも得られず途方に暮れていた。理系最高峰の大学出身のプライドを捨てて名前も知らないような中小の機械部品メーカーに履歴書を送っても何の反応も無かった。そんなとき、嵯峨がにやりと笑って寄ってきて、彼の手にひらりと東和宇宙軍幹部候補生の応募要項を差し出した。
嵯峨は、困っている人間を見つけた詐欺師のような顔で笑っていた。
ただし、その笑みはあまりに自然で、詐欺師だと気づいた時にはもう書類に名前を書いている類のものだった。
『なんと言っても見ての通り幹部候補生だぜ……いずれはこの遼州圏の平和を守る守護神と呼ばれる組織の幹部としてこの国の平和を守る存在になるんだ。いい話だろ?』
嵯峨はいつもの何を考えているのか分からない笑顔を浮かべてそう言った。
その笑顔は誠からはどう見てもいい話をする人間の顔ではなかった。
断る理由は、いくつもあった。
だが、断ったあとの自分を想像する方が、当時の誠には怖かった。
何を考えているか分からないその年齢不詳の男が話しかけてきた言葉に関心を持って募集要項に必要事項を記入して速達で郵便局に持ち込んだことが今の誠の境遇を決定づけた瞬間なのかもしれないと誠は思っていた。
翌日、一次面接の通知が誠の携帯端末のメールアドレスに届いた時には今考えれば何がなんでも早すぎるだろうと思うが、誠は嵯峨に言われるがままにこれまで受けた民間企業の内容と大して変わらないような面接を済ませた。
感想を考える暇もなく、その夕方には狙いすましたように東和宇宙軍から一次面接合格の報が届き、二次面接の案内が届いた。
速すぎる。
そう思うだけの頭は、誠にもあった。
だが、その速さを疑うだけの経験が、誠にはなかった。
当時の誠は特に疑問を感じることも無く志願者不足で町中に募集広告を張り出している東和国防軍では当たり前なのだろうと受けた二次面接の内容も一次面接の担当者と比べるとそれなりに立派な制服を着た軍の高官らしい人物が一次面接とほぼ変わらない質問を誠にぶつけるだけで誠は滞りなくそれに回答し二次面接も終わった。
そしてこれも当たり前のように二次面接の終了二時間後に内定のメールが到着した。その不自然なほど滑らかに事は進行した。誠は最初、それを人手不足で悩む東和国防軍特有の当たり前の出来事で、自分としては出来過ぎた縁としか受け取らなかった。
だが、大学卒業一か月前に開かれた東和宇宙軍本部で開かれた説明会で配られたマークシートの志望欄に『パイロット』のチェックが既に入っていたとき、彼の頭は冷えた。消しゴムでいくら消しても『消せない』と気づいたときには用紙は回収され、話は先へ進んでいた。
その説明会も終了後に開かれた現役の東和宇宙軍の兵士達との交流会も、すべてが誠の『意志』を踏みにじる前提で進んだ。現役のパイロットたちは満面の笑みで彼を迎え、誠の体格だけを見ていくら誠には乗り物を見ただけで吐くという癖があると説明しても『君には眠っている才能がある』と太鼓判を押すばかりで誠の自分の乗り物への弱さへの説明に聞く耳を持たなかった。
『ああ、89式のコックピットの対G装備は不完全だからね。20Gもかかる機動をすればどんなベテランでもみんな最初は吐くんだよ』
東和宇宙軍では希少な実戦部隊配備のパイロットだと名乗った士官はそう言ってビールを手に笑いながら誠の不安を解こうとした。
『訓練すれば慣れるわよ。人間はどんな環境にも慣れるもの。俺の部下にも89式で吐く人間はいたけど、地上戦や宇宙船に向いている02式で吐いた人間はいないわよ。要するに慣れなんだと思うわ』
とこれも人が良さそうな女性パイロットはまるで誰かに指示されてでもいるように陽気に判で押したように同じことを言うばかりだった。
自分の乗り物酔いは彼等一般人の想像の及ぶところでは無いのだ。そう何度説明しても分かってくれない態度が誠にどこかで誰かが目の前で誠に笑いかける現役パイロット達を操っているのではないのかと誠は疑いを持つほどのものだった。
そして大学卒業後、一般企業の入社式の開かれる日にあった入隊式と同じ夜、誠が目を覚ますと既に寮には荷物が運び込まれ、ベッドは一回り大きなものに替えられていた。机の上には『新兵歓迎パーティー』の案内……色とりどりの紙片。スピーカーからは軽快な曲が流れる。彼は恐る恐る扉の方へ歩み、取っ手に手をかけた。だが電子ロックのパネルには文字が浮かんでいるだけだった。
《新兵歓迎プログラム実行中 23:00まで施錠》
誠は力なくベッドに腰を下ろす。逃げられない……それが現実の突きつける冷たさだ。ただ自分は誰かが仕組んだ運命に流されるだけで彼には、いまここにいることを自分で選んだ記憶がない。すべてはいつの間にか用意され、整えられていた。制服のサイズもピタリと合い、軍靴も磨かれて放り込まれていた。誰かが彼のために選び、整え、押し込んだのだ。
誠は窓の外、東都の街灯がぼんやりと並ぶ景色を見つめながら、静かに自問する。……これが僕の道なのか?誰も答えをくれない。ただ蛍光灯の微かな震えと、遠くで聞こえる歓談の断片だけが空気を満たす。
ドアの外では笑い声がしていた。
誠は毛布をかぶり、天井のシミを数えた。
逃げたい。
だが、どこへ逃げればいいのか分からなかった。
それが一番情けなかった。
その夜、彼の夢に嵯峨が現れるかもしれない。あるいは剣道場での母の笑顔が現れるかもしれない。いずれにせよ、彼の物語はまだ始まったばかりだ。誠……落ちこぼれと呼ばれる青年は、知らず知らずに罠の中心へと引き込まれてゆく。
誰とも話さずただ一人バイキング料理を腹いっぱい食べたことで満足した入隊式の夜の歓迎プログラムの翌朝、訓練場から戻ると誠の携帯端末には嵯峨からの短い着信記録が残っていた。着信の時間はいつも妙に都合がよく、重要でないはずの瞬間にだけ現れる。誠は画面を見て、無意識に指が震えるのを感じた。母の剣道場で遊んでいたころのことがふと蘇る。竹の打ち込み音、薪を割る音、母の笑い声。嵯峨はいつも、その風景の周縁に立って煙草の煙を吐いていた。幼い誠は嵯峨の目に光がないのを不思議に思ったが、母はただ『惟基君には可愛いところもあるのよ……誠があの人を信用していないだけよ』と笑っていた。
嵯峨が誠を誘ったとき、誠は偶然の縁と受け取った。が、どうしても腑に落ちない点は残った。説明会でのあの回収された用紙、同期の笑い声、そして配属通知に書かれた『司法局実働部隊』という見慣れぬ文字列。司法局とは何を司るのか。警察や裁判所、法務を連想するが、実働部隊と名付けられれば話は別だ。現場で何をするのかは不明瞭だが、少なくともシュツルム・パンツァーなどと言う戦場で20年前の戦争では地球軍の戦闘機の貧弱な火力やミサイルを無効化し戦場を支配した驚異の人型兵器を操る仕事ではなさそうだ。
入隊式の翌日から始まった東和宇宙軍の寮の生活もまた、誠にとって馴染めない要素を含んでいた。食堂では弾む会話が交わされており、仲間たちは訓練の疲れを笑いで流していた。だが誠の心はいつもどこか外側をさまよっていた。彼は誰かと距離を置きながら、席の片隅で飯をかき込むだけの日々が続いた。そうして続いた半年の軍人としてのパイロット教育との並行訓練とその後の1年のシュツルム・パンツァーの専門訓練の日々も、誠は寮でほとんど一人で暮らす日々を過ごした。
本来ならばその1年半にわたる正規教育が終わる時点、六月に誠を含めたパイロット候補生の配属は決まるのだが、そもそも貴重なシュツルム・パンツァーのパイロットである。教育課程の半年を過ぎたあたりから、見どころのある候補生は各地方部隊に次々と引き抜かれていく。一人、一人と減ってゆき、課程修了時点では全志望者の半数が引き抜きで消えていく。それが普通なら六月の出来事である。
残った数人の教官からの評価の低いパイロット達もそこで全員の配属先が決まる。それ以前に東和宇宙軍の人事の各種手続きの都合上、その時点ですでに配属先は決まっていて、個別の内示などがあるのが普通である。実際、誠の同期も全員が教育課程修了後、各部隊へと散っていった。しかし、誠に声をかけて来る教官も人事担当者も地方基地の関係者も一人もいなかった。
誠は5名だけ残ったパイロット候補生がもうすでに内示を受けているので見る必要は無いのだが一応、配属辞令の紙に目を通した。
そこには5名の配属先とその一番下に以下の文章があるのを見つけた。
『神前誠……自宅待機』
誠は唖然とした。これまでの訓練は何だったのかと絶望に囚われた。機体を見ては吐き、コックピットに乗っては吐き、機体を動かしては吐いた。その日々はこの『自宅待機』の一文の為だけに存在したのだろうか。
そんな思いにとらわれた誠だが、気の弱い誠には何一つ不満をぶつける手段も思いつかず、そんな相手も居なかった。ただ、ため息をついて紙をテーブルに戻すとこれまでの自分の訓練課程での成果を考えれば当然のことかもしれないと考えて、誠は寮の荷物をまとめてそのまま寮を出て実家に帰った。
その帰りの電車の中で、長く電車に乗ると持ち前の乗り物酔いで気持ちが悪くなる誠は駅のホームのベンチで静かに缶コーヒーを飲みながらこれまでの自分の選択に何か間違いがあるのではないかと思い直してみた。
よく考えてみれば誠は自分の将来を決めるにあたって何かを選んだという記憶が何一つなかった。
つまり誠は、一度も選んでいなかった。
ただ、選んだことにされていただけだった。
確かに嵯峨は嘘は一つも言っていなかった。
ただ、誠が最初に聞くべきだったことを、何一つ言わなかっただけの話だった。
そんな誠のところに東和宇宙軍の本部の人事課から連絡があったのは、誠が実家に帰ってから一月過ぎた時だった。
誠は給料をもらえないまま、訓練中に貯めた金から社会保険料だけを払い続けていた。することも無いので趣味のプラモデルやフィギュアの作成、そして趣味の萌え絵の作成で小銭を稼いでようやくその社会保険料の半分を稼ぐ日々を過ごしていた。
ようやく誠の配属先が決まったと人事課の女性事務員はそれだけ言って電話を切った。
自宅待機中は給料が出ない。そのくせ、社会保険料はきっちり差し引かれるということでその電話が来る前に誠は銀行で社会保険料の振り込みを済ませた後のことだったので、とりあえずこういった、ほとんどニートに近い状況だった。
この身分不明の軍人生活から、ようやくニート同然の境遇を脱出できる。そう思って、誠は胸を躍らせた。
一週間後の木曜日の指定された時間通りに東和宇宙軍の本部にやってきて、その人事課で今手に持っている辞令を手渡されて追い出されるようにこの地下駐車場まで行くように命じられた。時間通りに出頭した誠を迎えたのはなんでこの時期にパイロットの徽章を付けた人物が管理部門しか入っていないフロアをウロチョロしているのかと誰もが不審そうな視線だけだった。
そして、今こうして誠は赤レンガの建物で知られた東和宇宙軍総本部の地下駐車場で呆然と立ち尽くしている。誠はここでもまた不要な人材に過ぎないと感じ、そしてこれから行く司法局実働部隊でもそんな扱いが続くのかとうんざりした気分になった。
「東和共和国宇宙軍総本部の人事課まで、出てこいって言われて来たのに。辞令を渡されて地下三階の駐車場入り口で女の人が迎えに来るから待ってろって言われても……」
誠は先ほどの東和宇宙軍の総本部の人事課の中での出来事を思い出しながら独り言を続けた。
そんな視線を浴び続けるくらいならこうして自分に無関心な軍関係者の行きかう地下駐車場で一人で立っている方がよっぽどマシだと誠は自分自身に言い聞かせていた。
「それに、人事の担当者の司法局実働部隊は『特殊な部隊』だって説明……なんだよ、それ。『特殊な部隊』って」
そんな誠の愚痴は続いた。
「『特殊部隊ですか?』って聞いたら『特殊部隊じゃなくて、『特殊な部隊』だよ』って……なんで、『な』が入るんだよ……エロゲか?嫌いじゃないけど。僕はパイロットじゃなくて、絵が上手いからキャラデザインで呼ばれたのか?あのスダレ禿の眼鏡の人事課長の大尉……木刀があったら、ぼこぼこにしてやったのに……」
誠はそう言って大きくため息をついた。
誠はただ、自分を迎えに来るという司法局実働部隊の副隊長であるクバルカ・ラン中佐と言う女性の到着を待ち続けていた。




