第79話 機械の微笑み、血の踊り場で
廃墟の四階。
かなめが射殺したチンピラ達の死体をまたぎながら歩く誠には、昼間でありながらここだけ時間が止まったように感じられた。
割れたガラスから入る光は薄く、埃の粒が斜めに揺れる。床には古いチラシとガムの固まり、所々に血飛沫が乾いた跡が残る。
誠は注意深く呼吸するたびに、その匂いと湿気を胸の奥へと押し込んだ。
手錠の冷たさが腕に食い込み、心拍はまだ乱れているが、身体はぎこちなくも状況に順応し始めていた……それが生き残るための本能だと、どこかで理解していた。
「これで終わりなんですかね?銃声が近くなってるってことはクバルカ中佐たちは二階を制圧したところ……ですか?」
先行して前方を警戒しているかなめに向けて誠はそう語りかけた。
その瞬間、不意に誠は後ろのトイレのドアが開いたのを感じた。
振り向くまでも無く誠の背後に立った男に腕を握られる。
そしてこめかみに硬く冷たい感触が走った。
誠の視界の限界地点にある鏡には彼を拉致してきた背広の男の姿が映し出されていた。
「だめじゃないか?せっかくの商売もんが外に出てきちゃあ。それじゃあ、俺達の仕事は完結しないんだよ。俺達はお前さんを商品としてクライアントに納入することを請け負った。だからお前さんには黙ってクライアントまでついて行ってもらわないと困るんだ。おい!そこの姉ちゃん!銃を捨てな!こいつの頭が無事でいて欲しいだろ?」
背広の男はそう叫んだ。
しかし、振り返ったかなめの拳銃の銃口は微動だにせず、逆に笑みを浮かべていた。
かなめは決して銃を下ろすようなことはしない。その銃口は誠を人質にしている男の額に向けられたままだった。
誠は恐る恐るその口元を見た。
かなめはまだ笑っていた。まるでこうなることが分かっていたとでもいうように。
「西園寺さん!死にたくないです!僕はまだ……」
誠は銃を突きつける誘拐犯よりも、誠が銃口を向けられても笑みを崩さないかなめの方に恐怖を感じていた。
チンピラの銃を突きつけている手が震えているのがわかる。
時折、二階で銃声が響くのは隠れているチンピラたちをラン達が狩っているのかもしれない。
焦って耳の感覚ばかり鋭くなる誠に対して、かなめは楽しそうに誠の言葉に答えた。
「騒ぐんじゃねえよ、チェリー・ボーイ!オメエの代わりはいくらでも居るんだ。オメエも兵隊だろ?兵隊はこうして時々敵の奇襲を受けてあっけもない最期を迎える……たまたまそんな瞬間がオメエに来ただけの話だ……兵隊ならよくある話……アタシもさんざん見てきた光景だ……」
かなめは笑いながらまるで誠に対してではなく男を怒らせるためにそう言っているようにそう言った。
「人が死ぬ?別に珍しい話じゃねえし死なねえ人間は……まあ、その話はこの場では関係ねえか、でもオメエは死ぬかもしれないなら勝手に死ねば?」
かなめの口元は相変わらず笑っていた。
その一言で、誠の足元が消えた。
銃口を押しつけている男よりも、かなめの声の方が怖かった。
助けに来たはずの人間が、自分の死を交渉材料として見ていない。
いや、見ていないのではない。
見たうえで、切り捨てると言っている。
誠はその瞬間、自分がこの場で本当に死ぬかもしれないのだと理解した。
そんな非情なかなめの人工皮膚は薄く、継ぎ目の隙間からは金属色の冷たい光がちらりと見える。完全に人間らしい柔らかさではなく、どこか機械の硬さが混じっている。
その視線は冷たく、だが同時にどこか守るべき対象を見つめる温度も含んでいた。
誠はその矛盾に戸惑った。
敵ではない。
だが、だからといって今のかなめは安心できる存在でもなかった。
血の匂いと埃の残る空間で、体温の違いがはっきりと感じられた。
「こいつが死ぬかどうかより……オメエは自分の心配をしたらどうだ?オメエもアタシの知ってる死なねえ人間だと聞いた覚えはねえぞ。おい、オッサン!アタシの『顔』は見たこと無いか?オメエみたいなこういう悪戯をする東和の悪党連中には十分顔を売ったつもりだが……どうやら足りなかったみてえだな」
明らかにかなめは男を怒らせようとしている、銃を突きつけられている誠はかなめがなんでそんな口調で男を挑発するのか理由がまるで分らなかった。
「まあ、アタシはオメエの面は覚えちゃいねえってことはあの東都戦争と呼ばれた抗争の間には先輩の後ろで震えてただけの役立たずだったという証明だな。アタシの電子の脳に記憶されていないってことはそれだけの価値しかねえ役立たずだってことだ。身の程を知りな!」
かなめは人質を取っている相手に言う台詞ではないと思える言葉を吐いた。
誠に銃を突きつけている男は自信たっぷりに銃を向けてくるかなめに明らかに怯んでいるが、手にした人質を放すことは自分の死を意味していると言うことはわかるようだった。
つい誠を取り押さえている腕に力が入り、誠は少しばかり痛みを感じて目をかなめに向ける。
「確かに東都戦争のときはこの世界に飛び込んだばかりだったのは事実だが、あいにくと、『特殊な部隊』には知り合いがいないんでな!それに俺も百人からの手下を抱える組織を仕切ってるんだ……あんなの5年も前の話だ!それからも東都じゃ俺達みたいな連中は東都以外でこういう仕事をうんざりするほどしてきたんだ。つまりアンタの情報が古いってことだ。それより早く銃口を下ろせ!人質救出の意味を考えたことがある人間なら当然の反応だろ?」
凄みを利かせて言っているつもりらしいが、スーツの男の言葉があくまで銃口を自分から外そうとしないかなめに対する恐怖を帯びて語尾がひっくりかえっているのが誠にもわかった。
誠が銃を突きつけられて人質になるのが初めてのように、この男もこの状況は初めての体験なのだろう。
だがかなめは違う。
誠にもそれだけは理解できた。
彼を見つめているかなめの目は何度も同じ状況を体験してきたように落ち着いていた。
「ほう、銃を捨てろから、銃口を下ろせか?弱気になったもんだねえ……東都戦争のときは人質を取ることがいかに無意味かってことをアタシは散々アタシに銃口を向けてきた連中へ散々教えてやったはずだが……オメエもそこから勉強させてやろうか?その面は学校の成績は悪くなかったみたいだから良いんじゃねえの?そういうお勉強も……」
確かに心理的には男よりかなめが有利なのは誠にも分かった。ただ、誠の額に今にも引き金を引けば銃弾が出る銃がつきつけられている事実は変わることが無かった。
「ふーんその怯えた面、アタシみたいな格の人間に出会うって状況は初めてって面だ……人質解放が任務?アタシ等は『特殊な部隊』だぞ?そんな甘っちょろい常識がアタシ等に通用すると思ってんのか?甘ちゃんだな……オメエみたいに上の命令で何でもする馬鹿を東和から消せ。それがアタシの叔父貴から受けた命令だ」
誠もかなめが嵯峨を叔父貴と呼ぶことは最近分かって来たので嵯峨が誠が死んでも構わないと考えているらしいことを知って絶望した。
「叔父貴にとってもついでにそのデカ物の救出が出来れば御の字……そんな叔父貴を敵に回す怖さを知らねえとは……見ていて哀れを感じて来るよ」
かなめの表情には張り付いたように相変わらず笑顔が絶えなかった。
男は相変わらず銃口を誠の額に向けているが、場合によっては作動不良を起こして発砲が出来なくなるほど強烈に誠の額に銃口を突き付けて来る。
オート拳銃は銃口を対象物に押し付けるとバレルが後退しすぎて弾が出ないことがあることは軍で拳銃の作動システムの教育を受けた誠も知っているところだった。
男はそんな銃を扱ったことがある人間なら誰でも知っている常識すら忘れるほどに動揺している事だけは誠も理解できた。
「東都戦争の頃、鉄火場でアタシに喧嘩を教えてくれた先輩から言わせてもらうぞ。相手を脅す時はより強力な言葉を出して相手より常に上の立場に立ち続けることが必要なんだ。もしそこで弱気を勘づかれるような言葉を使えばあっという間に立場は逆転して相手に舐められる。こういう非正規戦闘のプロのアタシが、オメエみたいなのに死ぬ前に残してやる言葉だ。感謝しろよ……」
笑みさえ浮かべて勝利を確信するようにかなめはそう言った。
男は誠を盾にしているつもりだった。
だが、かなめの目には盾など映っていなかった。
映っているのは、引き金を引く勇気も逃げる覚悟もない、ただの震える的だった。
そんな事実を認められないように男はかなめをにらみつけた。
「うるせえ!早くしろ!こいつの頭が……」
ごつん、ごつんと何度も誠のこめかみを銃のスライドの先端部が叩く。
誠もかなめの言葉通りこの男の行動は自滅への一本道にしか見えなかった。
「ああ、そんなに銃口を押し付けるとそもそもその拳銃は弾が出ねえぞ。それよりそいつを殺したいんだろ?そいつが死んだらオメエのクライアントがオメエについてどう思うかは知らねえけど。好きにすれば?オメエは知らされてねえんだよ。誰を攫ったのかも、誰に喧嘩を売ったのかもな。じゃあ、少しだけ教えてやる。何にも知らずにオメエが死ぬのはアタシとしても気分が悪いからな。そいつは『法術師』だからオメエの組織に金が入る。そんだけ」
かなめの口から再び『法術師』という言葉が出た。
今の誠には、その言葉は祝福ではなく呪いにしか思えなかった。
その言葉に誠は恐怖に震えていた。
「ああ、そうだったな。アンタのクライアントがなんであんな破格の報酬でそのデカ物を拉致するだけで用意するって言いだしたのはその身長だけの野郎が『法術師』と呼ばれる地球人には居ない存在だからだ。良かったな……死ぬ前に自分がなんで殺されるのか理由を知ることができて……それでアンタはいつ死んでくれるんだ?アタシはいつでもアンタを殺せるぞ?死にたくなったら合図をしてくれや。そしたらこちらも遠慮なく引き金を引くから」
明らかに誠を人質にとる男より情報量が多いんだと誇るようにかなめはそう言った。
「使い捨ての駒なんてどこでもそんな扱いだわな……同情するぜ。アンタの境遇には。何にも知らされずにアタシ等みたいな本物の『特殊部隊』の隊員達と言う一般人を銃で脅せば金になるというレベルの悪党からしたら化け物にしか見えない連中の相手をさせられる。その相手の正体も知らずに……ひでえ話じゃねえか……同情するよ」
かなめは吐き捨てるようにそう言うと、満面の笑みを浮かべて立ち上がった。
彼女の手にある銃の銃口は正確に男の額を照準している。
誠を抱えている男は、その一言に怯んだ様に誠を抱えている腕の力を緩めた。
誠は体に力を入れようとするが、緊張と恐怖のあまり体がコントロールを失ったようで、そこから抜け出すことが出来ずにいた。
「どうせどこかの事情通の上部組織にでも頼まれたんだろ?どこの指図かを今ここで聞き出したいが……オメエの『兄貴』と慕う組事務所の椅子でふんぞり返ってる人間しかその人物の名は知らねえって仕掛けなんだろ?おい、チンピラ。しかし、喧嘩を売るなら相手を見てからにしろってうちでもさっきライフルで一発オメエの手下を撃った喧嘩っ早いことで知られる整備班長も言ってたぜ?アタシの『顔』を知らねえってことは、やくざ稼業じゃあ駆け出しだな?まったくそいつの言う通りだ。オメエは喧嘩を売る相手を間違えてる。その事実……どうやらその命で知ることになるらしいや」
かなめの顔は誠にはあまりに冷酷に過ぎた。男はさらに誠に激しく銃を突き付けてくる。もう、男には銃が動くかどうかなどと言うことは関係ないらしかった。ただ、自分が一番大切な人質に銃口を向けているから有利に違いない。かなめの言葉で自分が使い捨ての駒だった事実を知らされてもそれだけが男の生きる頼りと言える状況になっていた。
「撃つんだ……でも、今撃つとその銃は弾が出ない。もう少し銃口を離してゆっくり引き金を引かねえと弾が出ないんだが……やめときな、こんなところで死にたかねえだろ?何も知らずに誰だか分からねえ奴を誘拐し訳も分からず死んでく……哀れな人生だ……オメエに取引を持ち掛けてきた連中に言わせればオメエの組織にしては大金だが、その連中から言わせれば必要経費程度で飲み込めるはした金なんだ。そんな上の上の連中が笑ってお前さんが手にする予定のわずかな金が欲しくて死んでいく運命……同情してえところだが、その間抜けには同情なんてするような心の広さはあいにくアタシには無くってね」
明らかに誠の額に銃を突きつける男の手がかなめの余裕の態度に恐怖を感じて震えているのが誠にもわかる。
男はまだ銃を握っていた。
だが、握っているだけだった。
もう男の顔は『脅している側』の顔ではなかった。
それを見てかなめは大きくため息をついた。
「まったくアタシが知ってるこのデカ物の身柄を手にした国家が払う金から言わせたらはした金とすら呼べない小銭が欲しくて死にたがる自殺志願者の思考回路は理解不能だ。じゃあどうしても死にたいならモノは試しだ、その引き金引いてみなよ?そうしたらどうなるか……アンタに想像つくかな?非正規戦闘って奴をやくざの出入りと区別がつかねえお前さんには無理な話か」
かなめは男を挑発するようにそう言い放った。
「や、やめてくださいよ……!僕、本当に死にますよ!?」
誠はまるで誠の死を望むようなかなめの言葉にそんな情けない叫び声しか上げることが出来なかった。




