第78話 かなめの戦場の顔
「腹減ったな……結局、昼の注文はしたけど僕は何も食べてないんだからな……西園寺さん達ちゃんと食べてるかな……注文は通ったはずだけど……」
そんなことを考えているとドアの前で大きな物音と、男のうめき声がした。
そしてその直後に銃声が二発響く。誠は身を起こしてじっとドアを見つめた。
ドアを撃つ銃声がして、扉が蹴破られると、そこには光学迷彩式戦闘服姿のかなめが光学迷彩を解除して拳銃を構えて立っていた。
「はーい、囚われの王子様。『円卓の騎士』がお迎えにあがりましたぜ!」
笑顔を向けるかなめだが、誠には彼女の顔よりもその足元に頭を吹き飛ばされた死体が転がっている方に目が行った。
白目をむいて天井を見つめている死体の視線が実物の射殺体を初めて見る誠の脳裏に深く刻み込まれた。
誠は、頭では『これは敵の死体だ』と理解しようとした。
だが目の前にあるのは、ただの人間の死体だった。
敵か味方かではなく、さっきまで呼吸していた誰かが、もう動かない。
その事実だけが、胃の奥に重く沈んだ。
そんなまるで救出に来た自分より死体に関心があるような誠の態度が気に入らないというようにかなめは誠の襟首をつかんで引きずり上げた。
「なんだ?アタシが助けたんだぜ、見るならアタシの顔でも見ろよ!そんなにオメエは死体が好きなのか?助けてくれる人がいたら礼を言う!そんな当たり前のことも分からねえのか?このノロマ!」
誠はかなめの言うことは理解できたが辺りに漂う『人間の血』の匂いに酔っていて言葉を発することもできなかった。
「ありがとう……ございます。西園寺さん……それにしてもどうして僕のいる場所が?ここはたぶん東都ですよ……しかも治安的にヤバいことで有名な湾岸部の。何かあったら東都警察の方が早く着くと思うんですけど……」
血の匂いに慣れ始めた誠は言葉を絞り出すようにそう言った。
初めての『拉致監禁』事件の当事者となった誠には、そんな気の利かない言葉を口にするのが精一杯だった。
「発信機兼盗聴器を叔父貴からもらったろ?当然、サイボーグであるアタシの『電子の脳』にはこのアジトの場所なんてバレバレなわけ。オメエが、工場の生協で襲撃者に背後を取られて間抜けな会話をしている時からアタシ等は動き出していたんだ。もう下にはランの姐御やカウラと整備班から選抜した武装した連中が到着済みだ。パーティーが始まるぞ!これがうち流のやり方だ」
そう言うとかなめは誠の顎をつかんで顔を近づけた。
ようやくここで誠は嵯峨がくれた『補聴器』が役に立っていることに気付いた。
実は誠の乗せられた車の後ろをかなめ達は完全武装した状態でついてきていたらしい。
誠は見捨てられてはいなかった事実を知って安堵の笑みを浮かべてなんとか握手でもしたいと思って手を前に出そうとしたが、後ろ手にはめられた手錠がそれを邪魔していた。
「なんだ手錠か。あんな間抜けな拉致作戦をアタシ等の目の前でやって見せるような出来損ないの割に連中も少しは頭を使ってるんだな。ちょっと待てよ」
そう言うと何かに縋るようにかなめは素手で手錠の鎖をねじ切った。
誠はかなめの常人離れした怪力に感心しながら自由になった手でかなめの拳銃を持っていない方の手を握った。
かなめは照れたように誠から目をそらして切れかけた蛍光灯が点滅する天井を見上げる。
「ああ、このくらい簡単だ。アタシは『生身』じゃねえからな。この体はすでに『機械化』済みだ……まあ、よく我慢したな。コイツ等の間抜けぶりから見てこいつ等は銃を見ただけでビビるような素人だな。プロならオメエに催眠ガスをかがせてそのまま成畑の空港から『生物貨物』の名目でラップ共和国を経て地球圏に持ち出しているはずだ。まあ、その方がオメエには楽だったかもしれねえがな」
誠は乾いた笑みを浮かべながらかなめを見た。
そこには、あまりに美しくて、虚ろなかなめのたれ目があった。
そんな中、下の階でアサルトライフルの一斉射と思われる射撃音と、それに反撃するような銃声が響いてきた。
かなめの言う通り『特殊な部隊』の仲間達はもう動き出している。
その銃声が誠の心を安心させているのが誠には少し不思議で自然と苦笑いが浮かんできた。
「この銃声……カウラのHK53だな。それとFN-P90。ランの姐御も来てる。整備班のHK33も混じってる……チッ、島田の野郎、自分は後ろで指示だけ出してやがるな……あ、今セミオートで三発響いたのがそれだ。島田の野郎、カウラに仕事をさせて自分はサボるつもりだ。後でお仕置きしてやる。しかし、いいタイミングで始めてくれたな。あんまり長いこと馬鹿の相手はしたくねえからな。それと……ちょっと待て」
かなめはそう言うとポロシャツを着た死体のホルスターから拳銃を奪い取った。
「神前、これを持て。酷い銃だが無いよりましだ。お前も軍人なら、自分の身くらい自分で守れ。とりあえずアタシについて来い、カウラの奴と合流する。馬鹿に付き合ってくたばるなんてオメエも嫌だろ?」
かなめはそう言い残して廊下に飛び出した。
誠が監禁されていた部屋で響いた銃声に気付いて階段を駆け上がって来た敵の顔に、かなめの銃弾が正確に突き刺さる。誠はその度にあがる血飛沫に次第に心が冷えていくことを感じていた。
「……僕、僕、僕……」
階段手前でサブマシンガンを持った相手の掃射が誠達の行く手を阻んだ。
誠は恐怖のあまり自然にそうつぶやいていたが、振り向いたかなめの顔には先ほどの笑顔は消えて感情を殺した見下すような視線だけがあった。
「こんなの恐怖に駆られて狙いもつけない掃射しかできねえ素人が鉄砲持って暴れてるだけだぞ。そんなアタシにとってはお散歩同然のこのビルがそんなに怖えか?ならウチみたいな『あぶない仕事』は辞めちまえ!オメエは軍には向いてねえ!こんなのは『ピクニック』と笑って割り切れる度胸が無きゃあの席に座る資格はねえ!」
拳銃のマガジンを換えながら、吐き捨てるようにかなめはつぶやいた。
我を取り戻して誠がかなめを見つめると、そこにはこれまでと違う、どこか寂しげな表情を浮かべたかなめの姿があった。
だが銃のマガジンを交換して銃のスライドが発射態勢に入ると、そんなかなめの表情も一瞬で変わる。
それはまるで鉛のように感情を押し殺した瞳だと誠は思った。
そしてこんな瞳にならなければこの部隊では生きていけないという事実が誠の胸に突き刺さった。
そして、自分もいずれは、あの目を手に入れなければならないのだと……ぼんやり理解してしまった。
「おい、神前!しっかりついて来いよ!敵は所詮、相手は、相手は所詮、生身のチンピラだ。銃を少しかじった程度のな。戦闘を知り尽くして戦うことが前提のアタシの身体とは格が違うんだよ!確かに銃の扱いはそれなりに慣れてるらしいがそんなの民間人だってサバゲマニアならわかる話だ。出る弾がBB弾か実弾かの差だろ?意味ねえよ」
かなめはじっと自分を見つめている誠を見た。
そう無駄口を叩くかなめの口元には笑みが浮かんでいる。
階段下からのサブマシンガンの掃射が止まった瞬間に飛び出したかなめが階下に二発発砲すると恐らく銃を撃っていたらしい男の悲鳴が二人分響いてきた。
かなめは階下を一瞥して戦果を確認するとそのまま自分に続いて階段を降りるように誠に向けて振り向いた。
かなめに続いて階段を降りるとサブマシンガンを手にした額を撃ち抜かれた死体が二つ転がっていた。
かなめは死体を踏み越えた。
誠は、避けて歩いた。
その一歩の差が、二人の生きてきた場所の差だった。
死体を見るたびに誠の心は冷える。一方のかなめの顔には相変わらず笑みが浮かんでいた。
『また死体だ……そんな中でも西園寺さんは笑っていられる。この人は、恐怖に慣れ過ぎている。いや……戦場の中でしか、自然に呼吸できない人なのかもしれない。平和な東和に慣れた僕には安心できない笑顔だ』
誠の心の中でこれまで生きてきた価値観が音を立てて崩れていくのを感じていた。
だが、かなめはそんな目で自分を見つめる誠に何かを言うわけでもなく、素早く現状を頭の中に叩き込んだように視線を階段の下で待ち構えているチンピラ達へと向けた。
かなめの姿を見たチンピラ達はそのまま壁の後ろに引っ込んで銃口と顔だけ出して誠達の様子をうかがっていた。
「バーカ。銃は狙いをつけて撃つ。銃ってのは安全装置の外し方と引き金の引き方を知ってりゃいいってもんじゃねえんだよ。連中はそんな当たり前のことすらできねえんだ。笑っちまうよ。それより、神前。向こうに伸びてる、トイレの前までの廊下が見えるだろ? 連中は馬鹿だから、アタシらが拳銃しか持ってねえと分かった瞬間、あの角から飛び出してフルオートで撃ってくるはずだ。その後先考えてねえ掃射でアチラさんのマガジンは空になるから背中を叩いたら飛び出して向こうまで行け。そこで勘違いをしてマガジンを交換して一斉射してくる馬鹿をアタシが喰う!所詮相手はただの糞袋だ!アタシのような『戦機』とは所詮生まれが違うんだ!」
誠の前には、この状況を楽しそうに見つめるかなめの姿があった。
かなめは誠には理解できない別の世界を生きてきた人間だということがかなめの表情を見ればわかった。
死線を抜けてきた計算高い殺し屋の目と言うものはこう言うものかもしれない。
誠はそう思った。
そしてそんな瞳のかなめの言葉に、逆らう勇気は彼にはなかった。
階下でのカウラ達の撃つアサルトライフルの射撃音が近づいてくる。壁を盾にして誠達から隠れたつもりのチンピラ達は焦ったように銃口を揺らして飛び出すタイミングをうかがっていた。
カウラ達の撃つ銃声は確実に一つの階ごとに制圧しては上がってくるという行動を続けているようで銃声はもうすでに真下の階まで近づいてきていた。
階下のチンピラは階下からの大規模な襲撃と上からのかなめの優秀で混乱に陥っていた。カウラ達は既に階下に到着したらしく、その精密射撃で弾丸を浴びたチンピラの断末魔の叫び声が混じり始めた。
仲間が次々と射殺される光景に焦っているのか、顔を出すこともせずにチンピラは見えもしない誠達にセミオートに切り替えてけん制するように誰もいない壁に向かい発砲する。
「へっ!フルオートは弾の無駄だって今頃気付くとは……戦場じゃそんなことに気付いた時にはもう手遅れなんだ……まるでアマチュアだな」
そう言うとかなめの口元に再び笑顔が戻る。
残酷なその笑顔を誠は正視できなくなって、誠はひたすら背中をかなめが叩くのを待った。
階下のチンピラ達の悲鳴が止んだ。
代わりに拳銃の発射音が十秒ごとに繰り返される。
ようやく発砲が弾の無駄と気付いた下のチンピラが相談を始めた。
カウラ達も階下のチンピラへの発砲はしていない。
どうやら彼等はかなめの獲物とカウラ達も認識した様だった。
「弾は?」
「あと……」
誠もチンピラが二人で残弾を数えている声を聞き逃さなかった。
その時、かなめが誠の背中を叩いた。
はじかれるようにして誠は走った。
すぐに気づいた階下の二人は慌てたようにフルオートで掃射を始める。
弾は正面の故障しているらしいエレベータの壁にめり込んだ。
そしてマガジンの中の弾が切れた瞬間にかなめが飛び出して二人のチンピラの驚いた表情の額を撃ち抜いた。
そのまま誠はトイレのドアの前に張り付き、やり遂げた顔でかなめの方を振り向こうとした。
「はい、終了。間抜けには地獄がお似合いだ」
かなめはそう言って低い声で笑った。
彼女の表情はいつも機動部隊の詰め所で銃を分解整備している時とまるで違いが無いのが誠には怖かった。
誠の視線はその表情に釘付けになった。
血と埃の匂いが混じる廃墟の空気の中で、彼はいつの間にか強張った自分の手の甲を見つめていた。
胸の鼓動はまだ速く、だがその速さは先ほどの『恐怖』の質とは違った。
さっきまで死体を見るたびに足が止まっていた。
だが今は違う。
『怖い』より先に、『動かなければ死ぬ』が体を支配していた。
ゆっくりと階段を降りるかなめに続いて誠は転がる二人の死体を避けるようにして歩いた。先ほどの死体に感じた恐怖より先に動かなければという感覚が生まれてきていた。
生き延びた安心、そしてこれから自分が置かれる立場への静かな自覚……それらが重なって、誠は小さく息を吐いた。




