第55話 パーラという救い
誠は『特殊な部隊』の二日目を迎えた。誠はとりあえず与えられた寮の部屋の薄い布団に下着姿でくるまって眠り、ベッド以外には誠の持ち込んだ着替えの入ったバッグだけがある部屋で朝日を浴びて目覚めた。
寮の部屋の窓から差し込む朝の光はまだやわらかく、窓ガラスに映る自分の顔は眠そうに見えた。寮の二階の廊下には古い蛍光灯の低い通電音がかすかに響き、朝の動きがゆっくりと始まっている。誠はまだ胸の奥に昨夜の喧騒の余韻を残していたが、剣道場の息子として朝稽古に付き合わされることが日常だった少年時代を送った誠の身体は規則正しい生活を求める。
「二日目か……今日は何があるんだろう……クバルカ中佐はスパルタだとか言ってたな……不安だ……」
窓を開けると、空は広く澄んでいた。夏の名残りの青で、遠くに飛行機雲の筋が一本、ゆっくりと流れている。誠は肩の力を抜き、空の広さを胸いっぱいに吸い込んだ。
誠は下士官寮の二階の自室の窓を開けて空を見上げた。
どこまでも広い空が続いている。
階段を下ると、寮の匂い……古いコンクリートと洗剤、みそ汁の香りと焼き鮭の香りが混じりあうことで今日の朝食のメニューを察した。下士官寮の食堂は簡素だが、そこで芽生える会話は日々の潤滑油になる。誠は肩をすくめて、今日もここに居る自分を確認するように扉を押した。
「おう!神前。着替えなかったのか……汗だくの制服についた匂いはシャワーくらいじゃ落ちねえぞ!菰田は着替え用の二着目をよこしただろ?そいつは当番の奴に洗わせるからシャワーを浴びて、昨日オメエの実家から届いた私服に着替えろ!どうせ几帳面そうなオメエの事だから二着目はきっちり更衣室に仕舞ってあるんだろ?うちでも制服でしょっちゅう通勤して来るのはあのお堅いカウラさんくらいのもんだ」
いかにも自分が誠の面倒を見ると決めたヤンキーらしい責任感から島田がよれよれの制服姿の誠に叫んだ。掃除の行き届いていない階段を下りて入った食堂では明らかに上座とわかる場所で寮長の島田がプリンを食べていた。
島田の段違いな存在感は、この寮の小さな秩序を象徴している。彼は大げさに足を投げ出し、周囲の士気を高めるように笑う。誠はそんな島田を横目に、自分の居場所がここでどう育つのかを案じる。だがまずは朝ご飯だ。食べることは戦いの準備の一種である。
その正面にはなぜか見た目ですぐに運航部のアメリアの部下の嵯峨曰く『変な髪の色のねーちゃん達』の一員である二人の制服姿の女子隊員が腰かけて誠の方に視線を向けていた。
制服の布地が朝の光を受けて鈍く光る。女性隊員たちの存在は、ここに来る新顔にとって一種のバロメータだ。歓迎か、監視か、それとも試験か。誠はただ静かに挨拶を返す。
「あのー……ここって男子寮ですよね?なんで女子が居るんです?しかもアメリアさんの部下でしょ?そのお二人は。あの人、自分の部下の女の子は自分の趣味に染め上げるために完全洗脳する予定だから手を出さないでねとか僕に言ってましたよ。アメリアさんは少佐で、しかも昨日飲んだ限りでは敵に回すとあれほど怖い女性は居ない感じの人なんで……いいんですか?島田先輩もアメリアさんを敵に回しても」
そんな小言を言う誠に何もわかっていないというような表情で笑っている島田の隣で近づく誠を見て二人は笑顔を浮かべた。
ピンクの髪の女性は島田の頬を人差し指でつつきながら能天気に笑っていた。誠が初めて運航部の部屋に入った時にタライを頭に落とされて大笑いしていたその女性と同一人物なのはすぐに分かった。一方で、水色の髪のベリーショートの女性は誠の事を心の底から心配そうな顔で見つめている。誠は彼女の心配そうな視線が突き刺さるのが少し不思議に感じるほどだった。
「神前君。昨日はどうだったの?あの三人……うちの要注意女子リストトップスリーだから」
水色のショートカットの女性隊員がそう言いながら心配そうな顔を向けてきた。
その誠は彼女の自然にはあり得ないほどの鮮やかな水色のベリーショートの髪の色は気になった。しかし、昨日の三人の女性のぶっ飛んだこれまでの逃げ出していった5人のパイロットの評価を聞いていたので、誠は『この『特殊な部隊』にもまともな人がいる』ことを内心で喜んだ。
「どうって……楽しかったですよ……それに危ないって言っても命の危険は無いのは理解できたので大丈夫です」
誠は淡く返答した。胸の内で『楽しかった』という言葉は、あえて封印した。目の前の水色の髪のベリーショートの女性は明らかにあの三人の異常性に気付くだけの常識をもっているこの『特殊な部隊』では誠と同じ同志なのかもしれない。そんな目の前の同志を、危ない女性トップスリーと並ぶ危険人物である島田の前で、危ない目に遭わせるわけにはいかない。昨日の会話で島田がかなり誠が出会った時に感じた以上にかなり異常な神経の持ち主だという事実を知っているだけに誠にはそんな思いが頭をよぎった。
「ホント?また、どうせそう言えってかなめちゃんに銃で脅されたんじゃないの?どうせアメリアやかなめちゃんにいじめられたでしょ?あの二人は本当に勝手で自分のことしか考えてないんだから……」
今度はピンクのロングヘアーの女子が興味深そうにそう言って誠の顔をのぞき込んできた。彼女の言い方はからかい半分だが、そこには純粋な好奇心も混じっている。こちらの方は水色の髪の女性と違って明らかに何も考えていないと分かるようにプリンを満足そうに食べる島田の頬をつついて喜んでいるところから見て『常識』という物を完全にアメリアの洗脳で破壊された被害者なのだろうと誠は苦笑いを浮かべた。
「サラ、心配なんかいらねえって。あのお三方も俺が認めた男を追い詰めるような真似をして俺の面子を潰すようなことはしねえよ。特にカウラさんと西園寺さんの機体を動かせるようにしているのは他でもないこの俺だ。その点では貸しがあるのは俺の方だ。こいつは俺の舎弟だからな、どこまでも面倒をみるのが俺の役目……おい、神前。あの三人に何を言われたかは知らねえが……テメエ、うちから簡単に逃げられると思うなよ?逃げたら俺がどこまでもついて行ってオメエにグーパンチだ。あと、俺を今でも慕ってる社会からあぶれて職を転々としていて暇と腕力を持て余してる暴走族崩れのフリーターの連中が居る。俺が一声かければそいつらはオメエを監視に出かける。そんな危ない連中に囲まれるのは嫌だろ?まあ、連中も警察の留置所や少年院じゃあワル扱いされてたが、俺の前では子犬みてえなもんだ。そこんところをちゃんとわきまえろよ?」
島田はテーブルに足を投げ出してヤンキーらしく首に下げたちょいワルを気取った金のネックレスを光らせている。
面倒見はいい。
ただし、面倒の見方が完全に暴走族のそれだった。
彼の空気は粗野だが、周りの他の男子隊員もそんなどう見ても野蛮そのものの島田にある程度の敬意を払って寮の秩序を内側から守っている。誠は彼の肝っ玉に安心感を覚えることがある。場を乱す一派を抑える役割を自然に担っているのだ。
「島田君はそう言うけど……そんなやくざや暴走族が手下を逃げ出さないように縛るルールで誠君を縛らないでよ。私は本心を言うわ。うちは馬鹿しかいない『特殊な部隊』だから。早く逃げといた方がいいと私は思うわよ……これまでの5人は人生の正解を選んだ。それだけの話」
そう言うと水色の髪の女性は、隣に座った誠に手を差し伸べた。
その手の暖かさは、ここでの唯一の救いのように誠には感じられた。
「改めて自己紹介するわね。私はパーラ・ラビロフ中尉。運用艦『ふさ』の総括管理担当……まあ、一般的には副長って立場。つまり、『ふさ』の艦長のアメリアとアメリアのノリに乗せられたうちの女の子と同調した島田君の部下達の『馬鹿』をフォローする『疲れるお仕事』担当……をやらされてる」
パーラはそう言って立ち上がり、前に見た誠の前のパシリだった少年下士官から朝食のプレートを受け取って誠の前に置いた。
名前、階級、役職、仕事内容。
誠が理解できる順番で、必要な情報だけが出てくる。
それだけで、誠は少し泣きそうになった。
『この人……ここに来てから会った人の中で一番まともだ……『特殊な部隊』の唯一の常識人って感じ……それだけに損してそうだけど……特にあのアメリアさんの世話……相当苦労してるって顔してるな……』
その周りを気にして明るく振舞おうとしてもどこか悲劇のヒロインを思わせる表情を見ながら誠はそう確信した。
「ラビロフ中尉……隣のピンクの髪の人は?確か……サラ……」
誠の問いかけにパーラはにっこりと笑った。隣のサラははつらつとした空気を纏っている。
「はーい!私はサラ・グリファン少尉です!正人の彼女なんですよ!うちの隊の女子で彼氏がいるのは私だけ!凄いでしょ!」
サラの声は食堂に軽やかに響き、島田が慌てて照れる。
凄いかどうかを判断する前に、本人が凄いと決めている。
誠は、議論しても無駄な種類の明るさを感じた。
「へー……彼女ですか……凄いですね……彼女がいるなんて……さすが島田先輩……」
誠はそのまま白けた瞳を島田に向けた。その遼州人特有の彼女持ちに向ける『嫉妬』の視線を誠も遼州人である限り消すことはできなかった。
そんな誠の嫉妬に狂った嫌味の言葉に島田はこれまでの余裕の表情を崩して言い訳するような視線を誠に向ける。
「俺は……『硬派』だかんな!清い交際を続けてるわけ!つまらねえ詮索するとグーパンチだかんな!」
「正人!カッコいい!」
いつもの脅しをまぶした照れをみせる島田は食べ終えたプリンの容器を先ほどの下士官に渡した。
サラは朝からわけもなく盛り上がっている。
誠が理解したことは一つだった。
この二人を表す言葉は『バカップル』以外にない。
そして遼州人である誠には、彼女持ちの男を祝福する前に、まず嫉妬するという悲しい本能があった。




