第54話 残った席
酒は場を繋ぎ、話題をさらっていく。誠は自分の心に湧く不安を、カウンターの温もりに預ける。ここで学ぶのは、戦術ではなく人付き合いの術である。
「で、最後に来たのが『一斗缶』……ってアメリア……さすがにやりすぎだろ。確かに今のコンプライアンスじゃ無理だけどこの国でも十年前のゴールデンタイムのバラエティーでは笑いを取るお約束でそう言うことはやってたのは聞いてるけどな。そんなの今は地球圏の連中が『残酷だ』とか文句を言ってくるから止めてるじゃねえか。アタシも初対面の人間を銃で脅すことはあっても一斗缶を落としたことはねえぞ」
かなめはニヤニヤ笑いながらそう言った。
ただ、かなめも初対面の人間にいきなり銃を突きつけるという時点で完全にアウトな人間なんだと誠は自分のかなめとの初対面がかなめに言わせればかなり丁寧なものだったらしいと理解した。
言われたアメリアは無邪気に笑っていた。
アメリアにとって、笑いとは相手の安全を確認してから取るものではないらしい。
まず落とす。
笑えるかどうかは、その後で考える。
誠は、痛いだけで済むタライだったことを、案外幸運だったのかもしれないと思い、アメリアの恐ろしさを再認識していた。
「あのー一斗缶を落としたんですか?頭に?今じゃテレビだってそこまでやったら地球圏はともかくPTAが黙って無いですよ?いじめになるって。司法局の人事部辺りから怒られたりしないんですか……というかこれまでの事を聞いた限りだと怒っても無駄だと司法局の偉い人もアメリアさんを見ているんですね」
いかにも嬉しそうなかなめの言葉に誠は驚きの言葉を発した。もはやここまで行くとギャグと言うよりいじめである。いきなり初配属先で一斗缶を落とされればそれはもう暴力である。
アメリアの声は陽気だが内容は過激だ。誠はその中で自分が笑えるかどうかを瞬時に判断し、その場の空気に合わせる。
「そこを『おいしい』と思える誠ちゃんみたいな精神が無いとうちじゃあ務まらないのよ……一斗缶を落とされてもそこで一ツッコミ入れる。ツッコミが唯一の『才能』の誠ちゃんならできるわよね?」
アメリアはビールを飲みながら笑顔でそうつぶやいた。
誠はツッコミを期待されて困惑する。同時にそんな才能はいらない、と心の中でだけ全力でツッコんだ。
「アメリアさん。僕は一度もあの部屋に入るとすぐにタライを頭に落されたことを『おいしい』とは思ってないですよ。それ以前にさすがに予告も無しに一斗缶を頭に落とされるなんて状況でツッコミなんてできません!それに十年以上前のそう言うバラエティーではタレント自らがそれを志願したとか聞いてますよ……バラエティー番組の今のお約束を超える嫌がらせをして何がしたいんですか?」
誠はこれからも続くであろうハプニングを想像しながらアメリアに口答えをした。
「なによ、きっちりツッコんどいて。まあ、遼大陸西部の砂漠地帯の国『西モスレム首長国連邦』のいい大学出て、それなりに軍での出世コースにいた奴がいきなり一斗缶を落とされたらいい気はしないな」
そう言いながらカウラは苦笑いを浮かべる。
カウラの冷静な視点は、誠にとって安心材料だ。怒りや防衛本能ではなく、事実を整理して語る人の存在は、騒がしいこの場で彼を落ち着かせる。
「その人は何日持ちました?いきなり一斗缶……普通いい気分になる訳が無いですよね?」
もうこのいじめを受けた諸先輩に誠に言える言葉はそれだけだった。ランが誠を連れてくる時言ったように、この部隊はハラスメントの天国である。
「まあ、こいつも一週間目に辞めるって叔父貴に言ったらしいな。一週間後にはタクシーで出て行ったから。でも、こいつは残ると思ったんだけどな」
どこからその発想が出るのか理解できかねるようなことを言いながらかなめは誠の皿に、自分の皿からレバーを移した。
「西園寺。人にはそれぞれ思う所がある。貴様が酒の話をするたびに嫌な顔をするあの男にその度に銃を突き付けて脅したのは誰だ?」
カウラはそう言ってかなめに向けてにらむような視線を向けた。
「誰だったっけ……それに銃口は向けたがマガジンが入っていなかった。何も問題はねえだろ?」
かなめとカウラの漫才を見ながら誠は苦笑いを浮かべつつアメリアに目を向けた。
笑いがまた場を満たす。誠は肩の力を抜いて、ここでの居場所を少しずつ自分の内側に刻んでいく。
「まあ、『西モスレム』の99%はイスラム教徒であの子もちゃんとしたイスラム教徒だったから、アルコールが禁忌だったのよ。そんな彼の前でかなめちゃんは何かというと酒の話ばっかりして、その聞き方が気に入らないとか言ってすぐに銃を持ち出すんだから逃げて当然よ」
この中では一番年長で階級も高いアメリアはそう言ってかなめを批判した。
アメリアが言うには彼は怒鳴らなかったと言う。
ただ、かなめが酒の銘柄を語るたびに、少しだけ目を伏せた。
その沈黙が、かえって彼の限界を示していた。
そしてそのたびに、かなめの怒りに火がつき、手は銃へ飛んだという。
いかにもかなめらしいエピソードに苦笑いを浮かべる誠を見てアメリアは更に話を続けた。
「それにラマダンとか朝夕の祈りとかいろいろあるでしょ?イスラムの人って。それを理解していない教養ゼロの島田君が祈りの邪魔をしたり飲みに誘うもんだから……彼も断り切れなくてうちの飲み会の醜態をしらふで見せられ続けたわけ。しかもこの店じゃなくて島田君行きつけの沖縄料理の店で……本人もそれに合わせようと酒は飲めないからって水を同じペースで飲み続けて腹を下して大変なことになってねえ。ああ、島田君は何かというとあそこに誘うかもしれないけど誠ちゃんはあそこには行かない方がいいわよ。あそこの整備班の野郎ばかりの飲み会は整備班の王様である島田君以外にとっては地獄みたいだから」
アメリアの何気ない助言が誠の恐怖を煽った。島田を王とする整備班の厳格なヒエラルキーが適用される無茶な飲み会。あの島田の性格を会って数十分で理解できた誠でもそれが地獄そのものだろうことは想像がついた。
「ええ、ご助言有難うございます。それ、辛そうですね……たぶん島田先輩、イスラム教という宗教の存在そのものを知らない可能性がありますよ。あの人馬鹿なんで」
今の飲み会はまだマシだろうということは島田のハイテンションを若干理解している誠には察することができた。大学時代もやんちゃをしている同級生達のイカレタ飲みっぷりを知っているだけに、島田達整備班の飲みも半端ではないことは想像がついた。
「結局この人も」
誠は三人の顔を見回しながらそう言った。三人は誠の絶望を見抜いたかのように静かにうなずく。
「一週間で『はい、さようなら』。で、誠ちゃんは晴れて正パイロットの席を確保したと」
いかにも楽しげにアメリアはそう言うと鳥皮を手に取る。
「別に確保したいわけじゃないですけど。確かに『法術師』の秘密は気になりますが」
アメリアのまとめに誠は少しばかり違和感を感じながらそう答えるしかなかった。誠がこうしてここに座っているのは自分を監視していた『法術師』に関心を持つ勢力を断定することだと自分に言い聞かせていた。
そして同時に誠の地位に就く予定だった五人のことを思うと同情の念を抱かざるを得なかった。
「いやあ、盛り上がった!不愉快なことも多かったけどあの五人もこれだけ酒の肴になれれば辞めても本望でしょ?」
上機嫌でアメリアがビールのジョッキをカウンターに叩きつける。
「そうか?アタシ達より連中の方が不愉快だったと思うけど。まあ別にアタシには出てった野郎のことなんか興味もねえけど」
かなめはそう言ってラム酒をチビリとやった。
「これまでの連中とは違っていい感じだったな。最後の『一斗缶』にも前に来た脱落者達の話はしなかったからな。アメリアにそういう話をさせるとは神前はこれまでの連中とは違う」
そう言いながらカウラが立ち上がる。
カウラの視点は常に先を見据えている。誠は、その助言に静かな責任感を感じる。
「もう終わりか?もう少し飲んでいかねえか?なんだか飲み足りねえ気分なんだ。アタシは神前の話を何にも聞いてねえ。それは不公平だろ?」
レモンハートの瓶を傾けながら、かなめが不服そうにそうつぶやいた。カラオケで盛り上がっていた運航部の様々な髪の色の女子と整備班の隊員達も歌い疲れたというように帰り支度を始め、誠達の前からはいつの間にか焼鳥盛り合わせが消えていた。
「西園寺さん。明日は金曜日ですよ。勤務があります!それにほら!皆さん帰るみたいですよ、後から来た人達も」
誠は晴れやかな笑顔で店を出て行く先輩達を作り笑顔で見送った。誠自身、他の五人同様にここに居着いて良いのか迷っている最中だった。
あまりに敵意むき出しの外部への対応、そして存在意義自体が不明の機動特殊部隊と言う部隊の性質。どちらも誠にはただの税金の無駄遣いにしか思えなかった。
「明日も仕事か……仕方ねえな。アタシがいつか皆殺しにする予定の甲武の貴族主義の連中も待ってくれねえだろうからな。今日は帰るとするか」
誠の言葉に明らかに飲み足りないというようにかなめはグラスに残った酒をあおった。
「それじゃあ、お勘定はランちゃんに付けといて……かなめちゃんの酒は現金で清算してね」
「言われなくても分かってるよ!」
アメリアとかなめの言葉を聞くと小夏は跳ねるようにレジに向かう。誠とカウラはそれを見ながら縄のれんをくぐる。
夜の路地に出ると、外気は店内の温度を引き算したようにひんやりしている。誠は頬に当たる風を感じながら、今日聞いた話の断片を一つずつ胸に収めた。
日暮れすぎのアスファルトの焦げる匂いを嗅ぎながら豊川のひなびた路地に転がり出る誠達の前を野良犬が通り抜ける。
誠はこれまで去っていった5人の男達の話を聞きながら、彼らが誰かに目を付けられる要素にあふれているのに対して、自分にはそれが無いことに気付いて安堵の息を漏らした。
「なんだか楽しかったです……それに僕は前の人とは違って水が合いそうです。そんな気がします」
誠はそう言って頭を下げた。
その時の誠は、それを『馴染めそうだ』という意味で言った。
だがこの部隊で水が合うということが、どれほど危険な適性を意味するのかは、まだ知らなかった。
「結構飲んでたが……大丈夫か?」
カウラの気遣いに誠は照れながら彼女の後に続いて『スカイラインGTR』の待つコインパーキングに向かった。
車へ向かう道すがら、誠は自分の居場所について静かに考えた。争いに身を投じるつもりはないが、誰かに必要とされるという感覚は心地よい。
「どうだ……うちは……まあ今のところ仕事なんかほとんどねえからな……今の遼州同盟は平和だ……遼南内戦なんかがあった10年前とはわけが違う。『司法局実働部隊』?『軍の介入が政治問題になりかねない紛争に介入するための特殊部隊』?今の遼州にそんなの必要ねえって!間違いねえ!アタシ等はタダ飯食って、昼寝して、好きな時に銃を撃つのがお仕事。そう理解しとけ!」
かなめは手を差し出してくるアメリアに自分のラムの分の勘定を渡しながらそうつぶやいた。確かに最後の締めのかなめの『特殊な部隊』の仕事の理解が今の『特殊な部隊』の現状なのだろうと誠は理解した。
「そうですね……遼南内戦も収束して……8年前に大規模な内戦があった甲武国の政情も安定しているらしいですから」
誠は少ない社会知識を動員してそう言って三人に笑いかけた。
「教官の言ったことをおうむ返しにしても意味が無いぞ。いまだに大平洋の西に浮かんでいるベルルカン大陸では遼州人や元地球人や地球圏の国家の利権が複雑に入り組んで幾多の国々で内戦やクーデターが起きている。平和なんて……いつ来るか……うちにいつ出動命令が出るか分からないんだ」
カウラは誠をそう言ってにらみつけた。
カウラの目は曇らない。誠はそこに現実を見る。平和は相対的で、いつでも壊れうる。だが、壊れることを恐れて内向きになるのではなく、準備を怠らないことが重要だという感覚もまた、ここでは共有されている。
「なあに、ベルルカンの失敗国家の清算も進んでるからな。それがらみで出動はあり得る話だ……まあそれは政治屋さんのお仕事で、それこそ軍のお仕事だ。うちは軍事警察……関係無い無い!」
かなめは上機嫌でそう言って誠達を置いて歩き始めた。
「本当にそうでしょうか?」
誠はどうにも納得がいかないというように先頭を肩で風を切って歩くアメリアに話しかけた。
「かなめちゃんの言い分は半分は本当ね。ベルルカンにうちが出張るのはもう少し情勢が落ち着いてからでしょう……同盟機構も『鬼門』であるあの大陸には自分から手を出すとは考えられないし……同盟加盟国に同盟機構が要請している経済封鎖が効果を見せてきて、停戦合意とかが出来て、それから初めて選挙監視とか難民の帰国なんかが始まる……紛争地帯が一日で平和になるわけないじゃないの。遼州圏だってショック療法のような第二次遼州大戦が無ければ遼州同盟なんていうものは存在しなかった。地球圏では地球の国際連合は権威主義国家の意見をぶつけ合うだけのお飾りの存在になってる。まあ、その点では遼州圏の方が平和に近いから、あらゆる紛争が遼州圏から消える日も遠くないかもしれないけど……まあ、その前に政治家さんが色々動いて、同盟機構の軍事関係の人達が調整に入ってなんとか実際の武力衝突が終わる。そうなったら助っ人に呼ばれるかもしれないけどね」
誠はアメリアがまともなことを言うのを呆然とした顔で眺めていた。
「でも……そうすると僕はなんで必要なんでしょう?」
「なんで?そりゃあ想定外の事態に備える!それがうちらの仕事だからだ」
けげんな表情を浮かべる誠の肩をかなめが叩いた。
「そう言うものよ、お仕事なんて」
アメリアの笑顔を見ても誠は今1つ納得できなかった。
「そう言うもんですか……」
「そう言うものだ。国際機関と言うのは必要だから作られる。我々司法局実働部隊も同盟機構の一武装組織としての必要性から作られた。時が来れば動く。ただそれだけだ」
念を押すようにカウラはそう言うと車のキーを取り出して誠に笑いかけるのだった。
彼女達の言葉は単純だが、そこには現実的な合理性がある。理系で合理的な考え方が好きな誠には理解しやすい考え方だった。誠は、自分が今夜聞いた『5人の話』も、この部隊の『想定外への備え』の一部なのかもしれない、とふと思った。
「それじゃあ神前!島田が用意した寮の部屋まで送るぞ!カウラ!車を出せ!」
オーナー気取りのかなめに渋々ポケットをあさるカウラ。夏の夜はどこまでも平和だった。
その時の誠はまだ知らなかった。
月島屋の夜がどれほど騒がしくても、翌朝のランの訓練に比べれば、それはまだ優しい歓迎だったのだ。
あの五人が座れなかった席に、自分がこうして腰を下ろしている……その事実が、少し飲み過ぎたビールより重く胸に沈んでいた。




