第53話 水の合わない男
店の空気はまだ温かかった。春子の店内に残る炭火の匂いと、酒で柔らかくなった声が折り重なって、外の夜風とは別の時間を作っている。誠は串を指でつまみながら、先輩たちの会話をぼんやり聞いている。相変わらずここでは、問題は笑いに変えられて消費される。気張る必要はないが、場のやり取りの中から人間関係のルールが静かに学ばれていく。
「『パイ』の次に来た『水鉄砲』って奴……アイツは嫌な奴だったな。他にアタシの思いつく表現がなにもねえ。そんくらい嫌な奴……嫌な奴だった……あれだけアタシを不愉快にできるのは一種の才能だな」
ラム酒を飲みながらかなめは一刀両断に誠の先任者を斬り捨てた。その表情は不愉快そのものと言った感じだった。
「で、なんで『水鉄砲』なんですか?もしかしてアメリアさんが今度は運航部の女子全員で水鉄砲で集中砲火にでもしたんですか?」
かなめの『嫌な奴』以外の言葉で表現したくない。かなめの目にはそんな覚悟を見てここでかなめがキレると面倒なことになると誠は察して話を逸らした。
「当たり!さっすが誠ちゃんは分かってるわね!私としては高圧洗浄機の水でぶっ飛ぶところが見たかったんだけど、パーラがそれは危ないからって止めるのよ……まったく、パーラはお笑いが分かってないのね!」
アメリアのまるで反省の色が見えない態度と、その、より過激だったはずの却下済み歓迎プランを聞いてもしかしたら自分に高圧洗浄機の水圧が浴びせられることを想像した誠は青ざめた。
「アメリアさん……高圧洗浄機はちょっと洒落になりませんよ、それ。それと西園寺さんも嫌な奴って……そんな誰から見ても嫌な奴って人って滅多にいませんよ。きっと西園寺さんにはその人の良いところが見えていなかっただけかもしれませんよ。西園寺さんだってその人の生まれた時から西園寺さんに会うまでのその人の生活をすべて見てきたわけじゃ無いでしょ?そういうものですよ」
何とかフォローを入れないとあとでひどい目に逢いそうな予感がして誠はそう言って見せた。
誠の声には優しさがある。場の空気を和らげようとする習性は、彼が人とぶつかるのを極力避けたい地球人には無い遼州人的な性質でもある。無理に褒めず、過剰に持ち上げず、しかし否定もしない……その中庸さが、かえって場を落ち着かせる。
「誠ちゃんの言う通りよ。少なくとも私にはそんな嫌な奴には思えなかったけど。ちゃんと私の事は立ててくれたし、礼儀もちゃんとわきまえてたし。ただ、確かに自分の立ち位置が理解できていないような雰囲気はあったけど、それを言うならそれを理解しようともせずに自分だけいい思いをしようとばかりしていた『バケツ』よりはマシよ!私は自分だけ安全圏に立っておいしい思いをしようとするような良い男ギャグは私は認めないから!」
相変わらずアメリアは一人で勝手に自分で言いだした『バケツ』の言動に勝手に腹を立てていた。
「アメリアさんが気にしてるのは結局は『モテる男は嫌い』と言うことと『エロゲを認めない男は嫌い』の二点だけなんですね」
誠はアメリアがどうやら五人去っていった男の中で嫌いなのは『バケツ』だけで嫌いな理由もその二つだけだと言う事実に呆れていた。
そしてかなめの言う通り『特殊な部隊』で一番敵に回してはいけない人物はアメリアなのかもしれない。いつでも銃口を向けて来るがそれなりにおだてれば何とか気を良くしてくれそうなかなめに比べてもアメリアの執念深さに誠は寒気を感じた。誠はここで自分が『モテない宇宙人』遼州人であることとそれなりにエロゲが好きであることに感謝した。
「私は元落語家だからお笑いにはうるさいの!ギャグは自分を最低のラインにまで引き落として上から見上げるようにしてこそ初めて意味があるのよ!私もテレビで偉そうに世間を語るお笑いタレントなんかテレビで見ると私もすぐにチャンネル変えるもの!それと私達の努力の結晶の同人エロゲを馬鹿にするのは絶対許さない!需要があるってことはそれだけ求められているってことじゃないの!ここは『モテない宇宙人』である遼州人の国の東和共和国なのよ!その『モテない自覚』に付け込んでいい思いをしようとした神経がまず許せないわね!『バケツ』のような自信過剰の『モテ男』なんか都内のホストクラブでお金払えばいくらでも会えるじゃないの!そんな無個性で価値のない存在と私達の価値あるエロゲとどっちが意味があるかなんて考えるまでもないわ!」
誠はアメリアの元落語家と言う信じていいのか迷う過去を聞いて驚いたが、それ以上に個人的な好き嫌いを前面に出して語る彼女の独断と偏見塗れの言葉に呆れていた。誠には、その妙な筋の通し方が、偏屈で、ちょっと格好いいと思えてしまうのだった。
「西園寺、アメリア。貴様等は人当たりやその自分に合うか合わないかという個人的な考え方でパイロットを評価しているが、私たちパイロットが任務において要求されるのは一にも二にも操縦技術だ。その点では二人とも合格だった。好き嫌いで相手を評価するんじゃない。我々は別に趣味で『武装警察』をしているわけじゃないんだ。我々が隊で待機任務と訓練の日々を過ごしている理由はあくまで任務遂行のための準備でそれは仕事なんだ。そんな人間性や趣味で評価が欲しいのならば芸術家にでもなれ。それが芸術家ならばその二つだけで出会う人間を評価しても構わないだろう」
感情的に出て行ったパイロット達を評価しているかなめやアメリアと違いカウラはあくまで冷静にそう言いきった。
「あの程度の腕の新人パイロットなんて代わりはいくらでも居るんだよ!それにうちの機動部隊長は名伯楽として知られたランの姐御だぞ。ランの姐御は『どんな下手っぴでもアタシの手にかかれば2年で誰からもそいつを天才パイロットと呼ばせて見せる!』と豪語してた。そんなことだったら今どれくらい強かろうが意味ねえじゃねえか!だったら先輩であるアタシらが好きかどうか、そっちの方が問題な訳だ。その点では『水鉄砲』は失格だ。アタシはこいつは嫌いだった。その感情だけはどうしようもねえ!」
カウラとかなめの応酬が交互に店内の時間を刻んでいく。カウラの物言いは常に静かで冷静、かなめは情熱的で直情的だ。誠はその両方に居心地のよさを感じる。対照的な性格が一つのチームを支えていることを、彼は体感している。
「西園寺さんは『嫌な奴』としかいいませんけど……その『水鉄砲』とか言う人のどの辺が嫌でどこ出身の人なんですか?それを教えてくれなきゃ僕もどう反応して良いのか分からないですよ。まあ、どうせ本名なんて覚えてないんでしょうけど。どうせ皆さん忘れてるでしょうし」
誠の向けた言葉にかなめはグラスを手にしたままそっぽを向く。
「地球人の中華系の移民が建てた遼大陸北部の『遼北人民共和国』。軍大学出のエリートパイロットよ。かなめちゃんも甲武国の陸軍士官学校出のエリートじゃない……同じ軍学校の出身者のエリート同士らしく仲良くしてあげれば良かったのに」
アメリアの何気ない一言に誠は驚いたようにかなめに視線を向けた。
かなめの過去は誇りと反発で出来ている。出自を問われると、いつも言葉尻に棘がつく。
かなめは、エリートを嫌っている。
だがそれは、エリートを知らない者の嫌悪ではない。
自分もその制度の内側で育ったからこその、嫌悪だった。
手にしたタバコの灰をいつまでも落とさないかなめの動きを見てそんな直感が誠に浮かんだ。
遼州の各地は、文化も価値観も違う。東和共和国や遼帝国のような遼州人中心の国もあれば、甲武国や遼北人民共和国のように、地球圏の伝統文化や社会制度を引き継いだ国もある。
共通点は、多くの地域で日本語が日常語として通じることくらい。
それ以外は、ほとんど別世界だった。
その違いゆえに6年前に遼州同盟が正式に発足するまで遼州圏に住む元地球人達は戦争を続けてきた。
誠は遼州人の誠から見てどう見ても遼州人にしか見えないかなめ。彼女が元地球人の国……正確に言えば現在はアメリカ信託領ジャパンの出身者の元地球人達が作った国である甲武国の出身と聞いて驚いたくらいだった。
甲武国では誠が知る限り、平安時代日本の社会制度による強固な身分制度を持っていることを『誇るべき伝統』として遼州圏の軍事大国として君臨してきたというのが東和国民の誠の甲武と言う国の見方だった。
つまり誠の頭の中では、同じ遼州でも、東和と甲武は『たまたま日本語が通じる別の世界』くらいに違う、という理解だった。
東和で生まれ育った誠でも甲武への旅行へ誘う旅行会社のパンフレットで踊る『大正ロマンの国』の文字は何度か見たことがあり、そう呼ばれる甲武国の高い身分の人間だけがエリートになれる環境でエリートとしての教育を受けてきたと知って感心したようにかなめを見つめた。
「西園寺さん……エリートなんですか!貴族制国家の『甲武国』のエリートって……良い家柄に生まれたんですね……あそこの軍のエリートってみんな偉い『サムライ』なんでしょ?西園寺さんも『サムライ』なんですか?」
甲武国の身分制度の厳しさには同じ日本語文化圏として多少の知識のある誠は驚いたようにそう言った。
誠の驚きは純粋だ。20世紀末日本を模倣した国である東和共和国の格差や身分とはまるで縁のない環境で育った誠には、名門や出自に価値をおく文化があることは知識として理解しても、自分から望むかどうかは別問題だ。
「『サムライ』?神前よ……アタシの前でその言葉を二度と口にするな。アタシの家は『西園寺家』だ。西園寺家と言えば、日本じゃ『大臣家』と呼ばれる藤原北家の中でも名を知られた公家の名門だ。あの国で『サムライ』は公家のアタシに顎で使われて喜んでアタシが『腹を斬れ』と言ったら即座に腹を斬ることしか取り柄のねえ無能の集団だ。そんな奴に戦争で全権を任せたから第二次遼州大戦では甲武国は負けたんだ。それよりそんなアタシの過去の話なんてどうでもいい。士官学校時代の自称『サムライ』の武家貴族出身の野郎共には良い思い出無いからな。まあ、どうせエリートはうちの水は合わねえだろ?ランの姐御もエリート嫌いだし」
その問いにかなめは全責任をちっちゃな機動部隊長のランに押し付けた。かなめの『サムライ』への嫌悪は、ただの悪口ではなく、自分の家名ごと背負った感情なのだと、誠はようやく察した。
「しかし、射撃の素養は高かったろ?西園寺は人をまず射撃で評価するからな……その点は評価してやってもいいんじゃないのか?確かにこちらの話を理解しているのか理解していないのかよくわからない反応には私も困惑したが、実際のところ理解していることは実際にやらせてみたらわかった。ならば何の問題も無い。感情を抜きにすれば、これまで来た者の中では一番完成されていた」
あくまで理性的にカウラはここまで誠が話しただけでも感情で人を判断するところが分かるかなめに向けてそう言った。ただ、カウラの論点は誠にはどう考えてもずれているように誠には思った。誠もカウラが言うような態度を取られたら確かに頭に来るのは確実だった。
「確かに、そこは認めてやってもいいが……まあ『生身では』の限定がつくがな。つまりアタシに勝てる要素がなにもねえってことだ。神前は模擬戦でアタシに勝った。その時点でアイツには神前以上の価値が何一つ無かったということになる。神前、オメエはエリートよりはるかにマシなんだ。立派な『落ちこぼれ』としてアタシは評価しているぞ!」
それとなく言ったカウラの言葉をかなめはあっさり覆してみせる。
人は『機械の体』を与えられたとき、別の尺度で評価される。かなめの言う『生身では』という限定は、軍事という文脈では致命的な差異を意味する。感情的にも馬が合わず、能力的にも物足りないということをかなめは言いたいのだろうと誠は理解した。そして最後に意地でも誠を『落ちこぼれ』扱いするのも口汚いかなめらしくて誠は苦笑いを浮かべていた。
「まあ、あの社会主義国のエリート特有の同僚に対するやる気の無さそうな態度を見れば誰が見ても『上からの指示で来た』ってのは見ればわかったけどね。何を言っても『はい』としか言わないし。言葉を話すのがもったいないとでもいうようにここでも黙り込んで……まるでお通夜みたいだったわね、あの飲み会。あの飲み会の後も勤務中は同盟機構の遼北人民共和国の知り合いと周りに聞こえないような小さな声で中国語で電話ばっかりしていて……私は『ラスト・バタリオン』だから中国語も理解できるのよ!その内容をここでバラしてあげても良いけど、そんなことをかなめちゃんに言ったら同盟機構が本当に解体して失業したくないから黙っとくけどね」
アメリアはビールを飲みながらそう言って笑って見せた。
アメリアの冗談交じりの脅しは場を和ませる。誠はその調子に安堵する一方で、部隊という組織の複雑さを感じ取る。外部からの圧力、上層部の意向、仲間たちの出自……それらが混じることで部隊の輪郭が形作られているのが分かった。
「その人も一週間持たなかったんですか?まあ、そんな感じですよね。これだけ西園寺さんに嫌われて、アメリアさんはその会話を盗み聞きした後はひたすらそれをネタにその『水鉄砲』とか言う人を脅したりゆすったりしたんでしょ?普通の神経の人なら間違いなく逃げ出しますね。その人が西園寺さんを怒らせて射殺されずに今この世に生きているとしたら」
誠が水を向けると三人は静かにうなずいた。
去っていく者、残る者……どちらにも理由がある。少なくともこれまでの男たちは去ることを選んだ。誠は自分がどういう道を選ぶことになるのかと少し不安を感じていた。
「そうか……アイツを撃ち殺しておけばあの嫌味な面を思い出さなくて済んだんだ……。神前、なんでそん時にアタシにそのことを教えてくれなかったんだよ!アタシも何度もオメエを引っ張る悪だくみでオメエの履歴書を送った会社に嫌がらせの電話をしてたからオメエが履歴書に『西園寺さん撃てば全部解決です!』と履歴書に書けば……」
かなめは真顔で誠を見つめてそう言った。
「それどんな履歴書の自己PRなんですか?僕を殺人教唆の常習犯に仕立て上げたいんですか?それと西園寺さんが僕の就職活動を妨害していることをなんでその時の僕が知っていることが前提なんですか?」
誠は嵯峨の悪だくみにはかなめもしっかり協力していた事実を知ると同時に、あまりにも過ぎた冗談を言うかなめに苦笑いしかできなかった。
「まあ、神前の言うことは無視するとして、『水鉄砲』の野郎はこっちが言うことを軽んじて生返事ばかりして、かと言ってこちらが下手に出るとすぐ偉そうにつけあがりやがって……エリートそのものって奴だな!あの態度。あそこも社会主義の国だ。経済こそ資本主義的だが一党独裁で遼北労働党のエリートが全権を握ってるんだ……どうせアイツも労働党員でそっちの方で出世したいんだろ?胸糞悪い!」
かなめの吐き捨てるような言葉に、春子が目配せで笑いを返す。客席の一角では酒を片手に誰かが相槌を打つ。誠は、その雑多な喧噪の中に安心を見つける。争いの多い世界でも、互いに守る者がいれば小さな平和が成立する。
「かなめちゃん……そんなに嫌わなくても……それに存在そのものが『空気』だと思えば邪魔にならない子だったじゃないの。何にも自分から話しかけるわけでもないし、こちらから声をかけても普通に会話は成立していたし」
アメリアのフォローに聞く耳持たないというようにかなめは顔を逸らしてラム酒を口にした。
ラムの香りはかなめの怒りを和らげ、笑いに戻す媒介となる。酒場はそういう場所だ……怒りも笑いも、やがて同じ杯で割り切られてしまう。
「まあ、あの顔つきと言葉尻からすると、隊長がどうせアイツはうちの水には合わないのは間違いないから一週間様子を見てそれでだめなら出て行っていいって言ったから一週間居ただけって感じだったな。まあ典型的な上意下達で動くエリートの態度だ。実際あれほどあっさりとした去り際は私も予想していなかった」
カウラもこの男のことは気に入らないらしく何の感動も無いような表情でそう言った。
カウラの言葉は的確だ。誠は少しずつ、部隊の中での『居心地』の決め手が何かを感得していく。それは技量や資格だけではなく、柔軟さや場に馴染む力、時にユーモアを受け流す度量だ。
「確かにカウラの言う通りだ。出ていくときはあっさりしてたなあいつ。『一週間お世話になりました』ってアタシらに一礼してそのまま出て行っておしまい。遼北の中華料理はあんなに脂っこくてしつこいのに……ああ、ムカつく!」
不機嫌そうにそう言うとかなめはグラスに残ったラムを喉に流し込んだ。
水鉄砲は、怒って辞めたわけではない。
嫌気が差して逃げたわけでもない。
彼はただ、自分の将来にとってこの部隊が投資に値しないと判断したのだ。
感情ではなく、損益で去った。
怒りはすぐに笑いへ変わる。誠はその流転を受け止め、いつか自分もこの場で笑い話を作るのだろうかとぼんやり考える。
「礼を失したわけじゃないんだから問題はないんじゃないのか?それが組織に生きるということだ……気に入らなくても上の指示には従わなければならない社会主義国では特にその傾向が強い」
カウラは淡々とそう言って鶏肉ではなく豚肉の三枚肉を太い串で刺した見慣れない串物を口に運んだ。
「さすがカウラちゃんは分かってらっしゃる……小夏ちゃん!ビール追加!」
そう言うとアメリアは相変わらずの何を考えているのか分からない笑顔でビールを注文した。
アメリア、かなめ、カウラの順の答えに誠は少し自分の置かれた状況がそれなりにヤバいものだと察しながら静かにビールを口にした。
誠は、これまでの四人に比べて自分のキャラが弱いからこそ、逆に残ることを許されているのではないかという疑惑に駆られていた。




