第52話 バケツの後始末とパイの胃袋
「で、辞めたんですか?」
誠は恐る恐るそう尋ねた。
「まあ、30分間一方的に島田君のパンチを受けまくった結果、自慢の二枚目フェイスが台無しにされて……ああ、あの時ほど島田君が頼りになると思った時は無いわ。それにどうせあの地球人の血しか引いていない『バケツ』が『乙型』に乗っても、ただ装甲が厚いだけの普通の機体にしかならないもの。誠ちゃんみたいに『乙型』の能力を引き出せるわけじゃ無いし。あんな気に食わないのが隊から消えてくれて清々したわ」
いかにも島田の鉄拳制裁に満足したようにアメリアはそう言ってシシトウに手を伸ばした。
「しかも『バケツ』はこの『月島屋』でもっととんでもない敵を作ってたんだ。それがこの変なTシャツの女であるアメリアだ」
そんな満足げにビールのジョッキを掲げるアメリアを横目にかなめは面白おかしく話を転がそうとそう言って来る。
「女に年齢を聞くな、身長を聞くなと言うのはそもそも『モテることは夢』としか考えねえ遼州人のオメエには関係ねえかも知れねえけど元地球人の甲武国やゲルパルトでは常識なんだぜ?その島田よりさらに厄介な敵であるアメリアが徹底的に『バケツ』のこれまでの女遍歴とかをネットにあることないこと書き込んでこれまで何股してたか知らないけどとにかくアイツの国の人間関係ぶっ壊したりしたからな……しかし、アメリア。よくあそこまで『バケツ』の個人情報を調べたな。それだけ『バケツ』がアタシとカウラや運航部のオメエの部下の女芸人達をちやほやしたのが頭に来たのか?」
涼しい顔でアメリアはジョッキのビールを飲み干してかなめが語る、自分が『バケツ』に行った『武勇伝』を静かに聞いていた。その姿に誠はこの人だけは敵にしたくないと唾を飲み込み恐怖に震えた。
「まあ、『モテたい』なんて理由で東和に来たいなんて言う発想自体うち向きじゃ無かったんだろ?ゲルパルトに残って一人で頑張るってさ……まあ空港で待ってるのは浮気を知られた女達のビンタの嵐だろうがな……ああ、ゲルパルトは銃の所持は許可制だけど許されてるからもうすでにこの世の人ではない可能性もある。そんなこれまでひっかけた女たちの嫉妬の嵐を生き抜いて、まあ、あの島田に台無しにされた顔が元に戻ればまたモテるようになるんじゃねえの?アタシもアイツと話してて悪い気はしなかったし」
誠はそこでようやく理解した。
アメリアは怒ると、その場で殴る人間ではない。
相手が帰った後も、相手の人生のあちこちに小さな爆弾を埋めていくタイプなのだ。
そんなアメリアの怒りの標的となった悲劇のモテ男を語るかなめの言葉を聞いて、誠は自分が『英雄志願のエース気質』でない上に、地球人の国の腕自慢たちのように『モテる』と言うことを経験したことが無いことをひたすら感謝するしかなかった。
「あの中途半端なモテ男の『バケツ』の話はここまでとして……あとなんだっけ?それだけじゃなかったはずだぞ……他にも色々面倒な野郎共が神前の席には座ってたはずだ」
かなめはそう言って首をひねる。
「『パイ』がいたじゃない……次かどうかは忘れたけど」
そう言ってアメリアは細い目をさらに細めた。
その表情は歓喜に満ち溢れていた。アメリアは『バケツ』とは違って『パイ』にはそれほど嫌悪感を抱いていないようだったが、関心も持っていないというような投げやりさだった。
「『パイ』ですか……もしかして……バラエティー番組のお約束みたいに投げたんですか?パイ。僕の時じゃなくて良かったですよ……制服が汚れるし……その人怒ったでしょ?普通怒りますよね?」
顔をしかめつつそう言った誠にカウラは静かにうなずいた。
「やはりアメリアが言うには歓迎の為のお約束と言うことで運航部の馬鹿とアメリアが準備をした。顔面に叩きつけたのは……運航部で水色の髪をした常識人。運航艦の副長のパーラ・ラビロフってのがいるんだが……嫌な顔をしていた。うちではアメリアの珍妙嗜好に染まっていない数少ない人物で『特殊な部隊』でも一番の常識人だ。その後、私もアメリアの非常識ぶりをそのパーラに何度も愚痴られて大変だった」
カウラは相変わらずの無表情で鶏もも串を頬張りながらそう言った。
「それは誰だって嫌ですよ!初対面の人に挨拶もせずにパイをぶつけるなんて!常識とか以前の問題です!」
アメリアの悪ふざけの過激さに誠はそう言うことしかできなかった。
「別に、神前がキレる話じゃねえだろうが。それにそいつは食いしん坊だったから顔面にパイを食らっても『食い物を並ばずにもらえた』という感じでそれほど怒らなかったぞ。この遼州圏のアステロイドベルト以遠を領有する社会主義国家である『外惑星社会主義共和国連邦』出身で……結構デブだったから、キャラ的にはちょうどよかったんじゃねえの?あそこはヘリウム以外に資源が無いから所得も低いし、太陽から離れてるから食品の値段は高いし……計画経済だから何を買うにも行列しないと買えない辺鄙なところだし……しかしあんな環境でよくあそこまで太れたな」
そう言って笑うかなめの姿に、誠は自分がいかに『特殊な部隊』に配属になったかがよくわかった。
「パイを顔面に受けた時も、驚いたというよりおいしいものを貰えたという感じの反応で本人はあくまで冷静だったわよ。東和では歓迎とはこうするものなんだなあとか言ってたくらいだし。まあね……一番年長だったからそういう理解の仕方もあるのよね……」
ギャグを挨拶と受け取られたことが少し不満だったようでアメリアはつまらなそうにそうつぶやいた。
「確かに二十六歳とか言ってたな。アイツは東和の国庫の金の貯蔵量を調べたらしい。アイツも母国の1000倍の貯蔵量があるってことを知った時点でその調査は止めたらしいが……別に東和の資産は金と言う現物だけとは限らないんだが……それが社会主義国らしい考え方なんだろうな」
アメリアとカウラが話し合うが、この部隊の異常さは年齢と関係ないとツッコミたい誠はそのタイミングが図れずにいた。
「そう言えばここでもとんでもねえ量を食ったな……『外惑星共和国連邦』は社会主義の国だから食い物買うのも行列だろ?それが頼むそばから女将さんと小夏が次々と持ってくるんだ。『ここは地上の天国だ!』とか言って喜んで食ってやがった。今でもそのカロリーで生きてるんじゃねえのか?国に戻ったらまた配給と行列での買い物の生活に逆戻りだろうし。ダイエットが出来て丁度良いんじゃねえの?」
ラム酒を飲みながらかなめは店のメニューの書かれた壁に目をやった。誠からすると、ニュースの中の『遠い国』でしかなかったはずの外惑星の暮らしが、串の先の男の胃袋の話で急に現実味を帯びてきていた。
「カシラ、キンカン、テバ、やげん……全部2つは食ったよな」
かなめはパイのまるで大量生産工場のような食事風景を語った。
皿が来る。消える。
串が積まれる。骨が残る。
春子が追加を聞く前に、パイはもう次の部位を指差していた。
「大変だったのよ。一応、ここの勘定はランちゃんに回るんだけど……本当に嫌な顔してたわよね」
「軍の食べる人の食べ方って半端ないですからね……でもこのメニュー表を2つずつ……その人いっそのこと相撲取りにでもなった方がいいんじゃないですか?たしか東和大相撲にも外惑星出身の大関がいたような……ああ、僕、相撲には詳しくないんでよくは知らないですけどそんなニュースを見たことがあります」
ずらりと並んだ鶏肉の部位の書かれたメニュー表を見ながら誠はその『パイ』と呼ばれる先輩の胃袋の中を想像して若干引いていた。そして誠の脳内では、焼き鳥の串を三本ずつ両手に持って土俵入りする『パイ関』が完成しつつあった。
「まあな。でも、食う以外は常識人だったな。なんやかんやで一週間後には部隊にいなかったんだから『特殊な部隊』である司法局実働部隊とは水が合わなかったんだろ」
カウラは冷静にそう言うと烏龍茶を啜った。
「カウラ。オメエが虐めたんじゃねえのか?オメエの趣味のことで軽蔑するようなこと言ってたからな。『ギャンブルは毒です』って」
「……戦いとは常に『ギャンブル』だ。運のある方が勝つ。その常識を理解していない時点で戦士として失格だな」
カウラとかなめが罪の擦り付け合いをしているのを横目にアメリアが誠に向けて身を乗り出した。
「なんでも、『パイ』から辞めたいと相談された一番『特殊な部隊』で話が通じそうだと思われてたらしいパーラが言うにはかなめちゃんがいつも銃を持ち歩いてるのが怖かったらしいわよ……外惑星連邦でも、少なくともパイがいた地域では警察の汚職がひどいらしいわよ。特に銃を持ち歩いている警察官にはろくなのがいないらしいわよ」
そう言うと同じ警察官として腐敗した同業者に圧迫されて育った三人目の『パイ』に同情するようにアメリアは大きくため息をついた。
「警官が堂々と汚職?そんなのアタシは許さねえ!甲武の警察官はほぼ全員が士族で『サムライ』だ!『サムライ』は不正をしたら腹を切る!これが甲武の常識だ!」
そこでかなめはラムを一口飲んだ。
突然、怒り出して当たり前のように暴言を吐いて黙り込むかなめに誠は呆れていた。
「まあ、アタシはサムライじゃなくて公家だから関係ねえけどな!」
かなめは要するに自分には関係のないことだから怒ってすぐその怒ったことに飽きただけだった。
「要するに、うちで初めてまともな危機管理をした人だったんですね。僕も今でも若干そのパイさんと同じ気分ですから」
誠はパイの話になったとたん左わきのホルスターに手を伸ばす回数の増えたかなめを見ながらそう言った。
「うーん。そうとも言うわね。でも、銃を持っていないかなめちゃんなんて私は考えられないもの。銃はかなめちゃんにとってはワンポイントのアクセサリーみたいなものなのよね♪」
アメリアは少しだけ楽しそうにかなめに話を振ったが、かなめは無視を決め込んでラムのグラスを手に冷ややかな笑みを浮かべていた。
アメリアは少しだけ楽しそうにかなめに話を振ったが、かなめは無視を決め込んでラムのグラスを手に冷ややかな笑みを浮かべていた。
「結局この人も……残らなかったんですね」
誠はそう言って呆れながら三人の顔を眺めるだけだった。
「まあ、あの体形じゃあ貴様が明日から受けることになるクバルカ中佐のしごきにはついていけなかっただろうからな。当然の帰結だ。貴様も明日辺りから始まるクバルカ中佐の新人教育訓練を受ければその意味が理解できるだろう」
まとめるようにカウラは淡々とそう言った。
「クバルカ中佐のしごきって……」
誠はカウラの言葉に気になることがあって一番話の通じそうなアメリアの顔を見つめた。
「そんなのはその時になれば分かること!今日は楽しく飲んでるの!気にしないの!」
そんなアメリアの能天気な言葉が誠の不安をさらに増幅させた。気づけば、テーブルの上には空になったグラスと焼き鳥の串だけでなく、ここにいない五人分の『椅子』まで並んでいる気がした。
誠は串を置いて深く息をついた。話は笑い話に戻り、瓶のコルクやグラスが触れ合う音がリズムを取り戻す。外の夜風が店の引き戸を揺らし、遠くの信号の光が揺らめく。誠は自分が何者かを改めて考える時間を少しだけ許した。
ただ、自分がこの席に座り続けるかどうかも、もしかしたら彼らと同じくらい些細な理由で決まるのかもしれない……と、誠はふと思った。




