第44話 ツッコミという才能
部隊の本部棟の玄関前でアメリアと誠は雑談をしていた。
誠は、今しがた自分の口にした発言を反芻しながら、これからしばらくお世話になる本部の入口の車止めの前にアメリアと並んで立っていた。
アメリアの趣味は、誠の予想を軽く飛び越えていた。
好きなアニメの話までは、まだ理解できた。
問題はその次だった。
好きなゲームの話題になった瞬間、アメリアの口から出てきたのは、専用ゲーム機の有名タイトルではなく、アングラサイトで流通している同人系エロゲームの名前ばかりだった。
しかも、誠がひそかに遊んでいた過激なシミュレーション系の作品について、アメリアは『ああ、それなら運航部でも似たようなの作ってるわよ』と当然のように言った。
『運航部って、艦を動かす部署ですよね?どうしてエロゲームを作ってるんですか?暇なんですか?』
その質問はしてはならないと誠は心に誓った。
アメリアは、卑猥な単語を口にしているのに、声だけは上品だった。
まるで紅茶の銘柄でも語るように、同人エロゲームの分岐構造を解説している。
しかも本人は、誠が引いていることにまったく気づいていない。
能弁に過ぎるアメリアに誠は明らかに警戒して思わず口をつぐんだ。結果、分かったことはアメリアの方が誠より多趣味だということだけだった。
会話が深まると、誠は自分の無口さが一種の資産であると理解する。ここは喋る女たちの王国だが、誠には彼独自の存在価値があると、内心でじわりと確信する。
「来たみたいね……カウラちゃんの車……いつ見ても目立つわね」
そう言ってアメリアは、誠の背後から近づいてくる車に向けて手を振る。誠はアメリアの視線の先を確認しようと振り向いた。
アスファルト舗装された道を暗い銀色の車が近づいてきていた。恐らくはかなめかカウラが運転している。
「初めて見る車ですね……なんだかレトロな車」
その黒っぽい銀色のスポーツカー。運転席にはカウラ、隣の助手席にはかなめが座っている。
車の姿は、ヘッドライトの丸みに始まる年代の匂いを放つ。金属の塗膜はマットに近く、角ばったフォルムが低い。誠は一瞬で、それがただの移動具ではなく『物語』を載せていると感じた。
「そうよね。たぶんこの実物が走ってるなんて東和共和国でもこの一台くらいなんじゃないかしら?なんと言ってもうちの整備班でフルスクラッチした車だからね。まあ、オリジナルは地球の日本だっけ?この東和の元ネタの国で博物館にでもあるんじゃない。東和共和国の環境基準が二十世紀の地球並みにユルユルだからこうして走れるけど、地球じゃ今時ガソリン車なんて二酸化炭素規制で絶対走れないわね、公道は」
アメリアの言葉の意味を考えながら悩んでいる誠の目の前で車は停まった。
「乗れ……あと、アメリア……余計なことは言わなかったろうな?自分の馬鹿さ加減を暴露するのは神前の今後の為にもなるだろうが、私や西園寺のことについて話すのは人のプライバシーを侵害する越権行為なんだ。そもそも貴様には羞恥心という物が欠けている……そう神前が理解するのも事実だから、そこはもう仕方がないが、私達に関することまで変な先入観を植え付けられても迷惑なだけだ」
そのカウラの目は鋭い視線を向けていた。
「言ってないって!誠ちゃんのゲームや映像の趣味に引っかかるものがあったら……その時はその時で考えるわよ」
アメリアはそう言って後部座席のドアを開けた。
「じゃあ、王子様。どうぞ」
そう言ってアメリアは開けたドアの前で手招きする。
隊の皆に受け入れられて少しいい気分になっている誠はそう広くはない後部座席に体をねじ込んだ。
後部座席の革はやや硬く、長時間は疲れるだろう。誠はその狭さを不満に思うより、その時間を誰かと共有できることを選ぶ。車内の空気が金属的に震え、エンジンの気配が床を伝う。
身長187センチの誠に匹敵する目の高さから、180センチ以上なのはわかるアメリアがその隣に座る。
当然後部座席は大柄の二人が座るのには狭すぎるという事だけは誠にもわかった。
「出すぞ」
それだけ言うとカウラは自動車を発進させた。
発進の瞬間、タイヤがアスファルトを掴む音が明確に耳に届く。誠はシートの背に頭を預け、窓の外に過ぎ去る夕暮れをぼんやりと見つめる。車は喋らずに道を切り開く。誠はその静けさに、自分の内側のささやかな平穏を重ねた。
「エンジン音……ガソリンエンジン車。……フルスクラッチしたって誰が作ったんですか?」
誠は変わった車に乗っている以上、それについては普通の反応が期待できると思ってそう言った。
「ああ、島田だ。なんでも島田の師匠に教えられた技術を腐らせないための神聖な行事なんだと。有名な旧車で気に入ったの作ってやるって奴が言ったらこれが候補の中に入ってた。そして部品とかの都合がついて、島田が作れると言ってきた中のうち、このカウラが選んだのがこの『スカイラインGT-R』まあ、この車種はそのメーカーでもシリーズ化されてて三代目に当たる車だそうだ」
かなめは進行方向を向いてそう言った。
「島田先輩が作ったんですか?って一人で?」
誠は島田が自動車を作れるという技術を持っていることに驚きつつそう言った。
「なんでも、暇なんで兵隊の技術維持のために毎回そんな趣味的な車を作るんだよ、島田は。こいつがその三台目。一台目はマニアしか知らないような日本車で運用艦の操舵手の常にマスクをしている姉ちゃんが乗ってる。二台目はイタリア車で、オークションに出したら、地球の大金持ちがとんでもない金額で落札して大変な騒ぎになった。その後がこれ。通称『スカイラインGT-R』だ」
そう言うかなめは一切誠には目を向けず、誠に見えるのはかなめのおかっぱ頭だった。
車はゲートを抜け、工場内を出口に向かう道路を進んだ。
走行中、足元を小さな振動が伝う。エンジンの鼓動が体の芯に触れ、それが誠の胸拍と微かに同期する。彼は何も期待していないようで、しかし心のどこかでこの先の雑多な時間を楽しみにしている自分を見つける。
「『スカイラインGT-R』正式名称ですか?」
ちょっと話題が盛り上がりそうなので、誠はそう言ってみた。
「正式名称は『日産スカイラインGT-R・BNR32』。まあ内装とかは現代の最新型だ。エンジンも設計図を元に最高のスペックが出せるように島田がチューンした特別製だ。この車が作られた20世紀では不可能だった技術を満載することで、最高800馬力くらいは出る。当然、ブレーキ、ハンドリングもそのオーバースペックなエンジンに合わせて島田がカスタムしたものだ。まあ、島田の部下の兵隊が班長の島田が満足するものができるまで、不眠不休で作り上げた血と汗と涙がこもっているものだ。私はそれにふさわしいように大事に乗っている」
カウラは上手な運転の見本のような運転をしながらそう言った。
普段は感情を見せないカウラの声が、その時だけわずかに柔らかくなった。
「ただ古いだけの車ではない。古い形を、今の技術で正しく走らせている。それがいいんだ」
誠は車を語る時のカウラのその変化だけで、この車が彼女にとってただの移動手段ではないことを理解した。
「そうですか……こだわってますね……」
誠は感心したようにカーナビの無い車のコンソールに目をやった。
「そして、ちゃんとカセットデッキまで内蔵している。今時、カセットなんてと思うが甲武じゃカセットデッキは貴族の最新メディアだからな。まあ、昭和演歌以外の音楽を一切認めないクバルカ中佐の車にもついているがな。西園寺、いつもの曲をかけるのか?」
「当たりめえだろ?アタシは『みゆき』の曲を聞いてこそアタシなんだ。みゆきを流してねえと、照準が荒れるんだよ。心がな」
かなめはそう言うとダッシュボードからカセットを取り出して誠の見慣れないコンソールのスリットに差し込んだ。
低いドラムの音がしばらく続いた後、語り掛けるような女性のボーカルが響く。
車内に流れる音楽は、世代を超えた時間を呼び寄せる。誠も知っているこの東和共和国の元ネタとなった日本と言う国の昭和と平成と言う時代を代表する中島みゆきの歌が、遠い地の人々の琴線に触れるように、ここでも誰かの胸に響く。窓の外を流れる景色は速いが、歌はゆっくりと時間を遅らせる。誠は目を閉じ、その声に身を任せる。
「西園寺さん……この曲は……」
誠はアニソンしか聞かないので、切々と語り掛けるように歌う女性ボーカルの歌声に少し違和感を感じた。
「地球の日本の歌だ。昭和から平成、令和にかけて活躍した歌手『中島みゆき』の曲だ。『ファイト』って曲だ。これはアタシも演習中でも常にかけてる曲でね。実戦になった時もこれをかけるつもりだ。『みゆき』の曲を聞いてねえと射撃の命中精度が下がるから必ずかけてる。ああ、日本と言う国は21世紀に起きた2度にわたる東アジア限定核戦争で滅んだんだったよな。今のアメリカ信託領ジャパンのこと。そこで20世紀の後半に流行った歌だ……心に響く歌だろ?」
かなめは淡々と説明する。過去は遠く、しかし人間は過去を引きずる。歌はその索として人々をつなぐ。アニソンと野球応援歌以外の音楽に興味を持ったことのない誠には、その声はやけに胸に刺さった。
「へー……」
そのかなめの独特な歌の趣味に感心しながら、誠は歌に聞き入った。
アメリアはアニメとエロゲーム、カウラは車、かなめは歌にこだわりを持っている。
どうやらこの三人の女性は何かに『こだわる』ところがあるらしい。
誠は自分の小さなこだわり……たとえばプラモデルや古い滅んだ国、日本の剣道の形と遼州の技を取り入れた実家の剣術……が誰にも恥じるものではないと、改めて思う。この部隊に居続けるというわがままだけは、許されてもいいのかもしれない……誠はそんなふうに、自分勝手な希望をこっそり胸にしまい込んだ。
誠はカウラの運転とこの車への島田の真っ直ぐな思いに感心しながら黙って車に揺られていた。
車は工場のゲートを抜けた。
「これからオメエを連れていく店は男子下士官寮の近くなんだわ、……まあこれまでの五人もそこに連れて行ったが、基本的にオメエはこれまでの『乙型』の能力を引き出せねえ連中とは違う扱いをしろって叔父貴に言われてるが……同じ店でも飲み方を変えれば問題ねえだろ」
「違う扱い?」
かなめの言葉に誠はどこか引っかかるものを感じていた。
「そう、誠ちゃんは特別なの……今は今度うちに搬入される予定の『乙型』の能力を引き出せるより他は理由は言えないけど」
そう言ってアメリアはその糸のような目をさらに細めた。
アメリアの含み笑いは謎を運ぶ。その謎は重すぎず、しかし決して軽くない。誠は『特別』という言葉を聞いて、一瞬居心地悪さをおぼえるが、同時にその役割が自分を肯定してくれることを知る。
「嵌めたからですか?みんなで寄ってたかってここに来るしかないように仕向けたから……」
誠は隊長と言う言葉に出会って一目で悪印象しか持たなかった『駄目人間』である整理整頓能力ゼロの男嵯峨の顔を思い出して嫌な顔をした。
「それもあるけどそうしなければならなかった理由もあるのよ。そこが他の五人とは違う所。他の五人はうちがあまりに『特殊』だから同盟司法局の偉いさんが監視のために差し向けた……まあ『招かれざる客』ってところかしら……それにその五人にはどう頑張っても『乙型』の能力は引き出せない。誠ちゃんじゃ無きゃ駄目なことにはちゃんとした理由があるの。今は言えないけど」
アメリアはそう言って笑った。
「僕は歓迎されているんですか?それとそんなに強いんですか?『05式特戦乙型』って」
誠は嬉しさと同時に『乙型』のヤバさを直感した。
「歓迎してるよ……まあ、初対面の時にぶっきらぼうだったのは悪かったけど……貴重な『ツッコミ』がいないとうちは上手く回らないんだ。それと『乙型』についてはこれ以上話すな。あれは本当に軍事機密を超えた宇宙全体の秘密が詰まってる機体だ」
かなめはそう言って自分の後ろに座る誠を見ていたずらっぽく笑う。
「もしかして僕の才能って『ツッコミ』じゃないですよね?僕と他の人と何が違うんです?他の人でもあそこに座れば……」
誠は戸惑いの色を浮かべながらかなめを見つめた。
ありきたりであることをまず一番に望む遼州人の誠は『特別』に選ばれることに戸惑いを覚える。
「誠ちゃんには才能があるのよ」
「ツッコミのですか?」
誠がそう聞くと、アメリアは笑った。
かなめも笑った。
カウラだけは笑わなかった。
「……それも、才能の一つではあるな」
そんな静かなカウラの一言が誠の心に深く刺さった。
「僕は特別……どうしてですか?ツッコミがナイスタイミングだからですか?」
誠は笑顔を浮かべつつ、これまで去っていったパイロット候補生たちに思いをはせながらそう尋ねた。
「うちはボケしかいねえからな。ツッコミは貴重だ」
さも当然のように言われて、誠はそれを事実として受け入れることを脳が拒否しているのを感じた。
「本当に……それだけですか?」
まさかそんなことはあって欲しくないとすがるように誠は尋ねた。
「今はそれだけってことにしとけ。それ以上は、聞いても誰も答えねえよ。頭の固い野郎だな!あと、オメエが居るおかげでアタシはこれから思った時に『射殺する!』というお約束のギャグを繰り出すことができる。ちゃんと止めろよ……止めねえとアタシはそいつを射殺するからな」
薄ら笑いの誠の表情が気に入らないらしく、助手席のかなめがそう言って後部座席の誠に振り返った。
「西園寺さん……そんなことを僕に頼まないでください。それより言えないんですか?何か言っちゃいけない理由でも……あの人には隠し事の多そうな隊長の指示ですか?」
誠は早速いつもの調子で暴走するかなめに呆れつつ思った疑問をぶつけてみた。
「誠ちゃん分かってるじゃないの。今は隊長に口止めされてるから言えないの。今、誠ちゃんはうちに残るかどうか迷ってるでしょ?そのことはうちの隊以外では今は言ってはならないとされてることだから。もし誠ちゃんがうちを辞めてそのことを話して回ったら私達も困るの。そのうち時が来れば……うちに本当に残ることを誠ちゃんが決意するようになれば言えるようになるわ」
戸惑う誠にアメリアは優しく話しかける。
その優しさは保護と計画の混合だ。誠はそれを受け取りつつ、焦らずに行こうと心に決める。今は「分からない」を受け入れることも選択肢だ。
「時が来ればですか……」
誠は今1つ事情を呑み込めずにそうつぶやいた。
「そうだ、時が来れば嫌でも思い知らされる……どんなに嫌がっても貴様は逃げられなくなるんだ……その『運命』から。それが不幸なのか幸福なのかは私にはわからないがな」
運転席のカウラは静かにそう言うと右に大きくハンドルを切った。
夕暮れの風が窓の隙間から流れ込み、車内の会話を静かに押し流す。誠はその風を頬に受けながら、今ここにある穏やかさを静かに味わった。
誠は、正面を見つめて運転に集中しているカウラの横顔を見た。
『逃げられない運命』。
そう言われた時、本当は少しだけ、胸のどこかが嬉しかった。
そんな自分に、誠は気づかないふりをした。




