第45話 月島屋の灯
誠の意思確認は、誰もしていなかった。
アメリアは勝手に未来の予定を組み、かなめは勝手に危険人物扱いし、カウラだけが車の鍵を確認している。
どうやらこの部隊では、新人の都合という概念は最初から存在しないらしい。
『歓迎会ですよね?僕の歓迎会ですよね?』
車内で誠の知らない隊員の名前を挙げて勝手に笑い合うかなめとアメリア。そこへ、カウラがハンドルを握ったまま時折一言二言付け加える。車内で誠の知らない隊員の名前を挙げて勝手に笑いあう。
そのまるで誠が後部座席に座っていないかのような態度を見ながら誠はそんなことを考えていた。
「はい!到着!」
コインパーキングに車が止まるとアメリアがそう言ってシートベルトに手をかけた。
昼とは違う、夕方の柔らかい光が路地に差し込む。アスファルトの匂い、遠くから聞こえる商店街の呼び声、車内のごく小さな機械音……それらがアメリアの明るい『到着』の合図とともに外側へと放たれた。誠は後部座席で一度深呼吸をしてから腰を上げた。胸の中の小さな緊張が、ほんの少しだけ弛む。
「ここは?」
東和の都心から離れたベッドタウンにありそうな、少し鄙びた商店街が窓の外に広がっていた。
看板の色あせ、引き戸の軋む音、八百屋が新聞紙で野菜を包む手つき。
どれも派手ではないが、生活の匂いがあった。
誠は無意識に窓の外の一枚一枚をスナップショットのように脳裏へ刻んだ。
都内の下町の生まれ育ちの誠にはこんな地方都市のありふれた光景はある意味新鮮でこうした素朴さに心地よさを感じていた。
「豊川の駅前商店街の外れだな。まあ、豊川の駅前には何でもあるから……確かに千要まで行けば贅沢を言わなければ何でも揃うけどね……確かにコアなグッズなら千要まで行かなきゃダメだけど」
アメリアのアニメやアダルトゲームへのこだわりを先ほど聞かされた誠は思わず苦笑いを浮かべた。
「……そこまでこだわるなら中途半端な品ぞろえしかない千要の店なんかじゃなくて本格的に都内まで出て仁保町の古本屋街を回って、狙いを定めてレアグッズを買いに行った方がマシよ!」
彼女ならそう言うに違いないという回答を見事にするアメリアに誠は半分呆れていた。そんな誠の顔を見てアメリアは笑顔で誠を見つめてくる。
「それにしても誠ちゃんは良いわよね。実家から仁保町まで地下鉄で30分でしょ?エロゲ声優のイベントを良くやる夕楽町も乗り換え一回。それに対してこの豊川は……マニアには厳しい環境だわ」
東都の下町育ちで地下鉄で都内のどこでも行けるのが当たり前の環境に育ち、活気あふれた商店街を見慣れた誠の問いにアメリアは笑顔で答えた。ただ、誠は『もんじゃ焼き製造マシン』と呼ばれる乗り物酔い体質のせいで実は地下鉄も10分で降りないと吐く体質であることはアメリアの夢を壊すようで誠は口にできなかった。
アメリアの声は軽やかで、しかし情報が整理されていて正確だった。誠はその口ぶりに、彼女が外人風の見た目に反して東和風の場の流れを読むプロであることを改めて感じる。車外に立ち並ぶ看板の書体や店先の配置を、彼女は一瞥で把握している。
「まあ、アタシから言わせると豊川はまだまだ足りない事ばかりの街だな。飲み屋はみんなこの辺の『菱川重工』の下請け工場の社長目当てのスナックばかりでアタシみたいないい女が一人で雰囲気に浸れるような店が一軒もねえ。豊川から三駅東都よりの千要だと結構大きい駅でそういう店はねえわけじゃねえけど……あそこは車で行くには混むかんなあ……駐車場も少ねえし。それにあそこの栄町の風俗街は一応うちの隊長をやってる叔父貴の縄張りだ。あんな恥知らずと鉢合わせしたら面倒だ。あの貧乏人、アタシの財布を当てにして『奢れ』とか言って来るに決まってるんだ。この街に自分専用のカラオケスナックを用意してそこで『エイトラ』搭載のカラオケで自分の好きな昭和演歌を熱唱して近くの町工場の社長連中のアイドルとなっているランの姐御のような生き方はアタシには無理だ」
かなめはそう言うと助手席から伸びをしながら駐車場に降り立つ。
「あの……僕、一応今日の主賓ですよね?ただ単に皆さんがクバルカ中佐のおごりで飲みたかったからそのだしに僕が使われただけってことじゃないですよね?」
あまりに自由に振舞うかなめとアメリアに誠は思わずそう言っていた。
『主賓って、こんなに発言権がないものなんですか?』
内心でそんなことを考えていた誠の顔をかなめが殺意を込めた視線でにらみつけてくる。
「主賓が口出すんじゃねえ」
そう脅すように言うと、かなめは手足の動きを確認するように伸びをした。筋肉のラインが見えるラフな服装にも関わらず、その動作には無駄がない。誠はかなめの背中がさりげなく放つ信頼感に安堵する。
誠は後部座席で身を縮めて周りを見渡した。地方都市の繁華街の中の駐車場だった。
黒いタンクトップにダメージジーンズと言うスタイルのかなめは、周りを見回しながら伸びをした。
気温はまだ残暑の名残を帯びている。アーケードの下を通る風はあたたかく、角を曲がると線香のような匂いがふっと混ざった。誠の襟元からじんわりと汗が浸みていく。
「新入り。いつまでそこで丸まってるんだ?疲れるだろ?そんな格好を続けてたら」
誠は後部座席の奥で手足をひっこめて丸まりながら二人を眺めていた。そんな誠を見てかなめは憐れむようにそんな声をかけてきた。
後部座席の圧迫感は、誠が大柄であることと、ツードア車の性質が組み合わさって生まれたものだ。こうした些細な不便もまた、新しい場所に来た者の初期儀礼のように思える。
「西園寺……貴様の配慮の無さは致命的だな。この車はツードアだ。西園寺がシートを動かさなければ彼は降りられない。そんなことも気づかないのか?お姫様に生まれると本当に気が利かない人間に育つものだな。三つ子の魂百までという言葉を貴様を見ているとよく理解できる」
清楚なキャミソール姿のカウラが噛んで含めるようにかなめに言った。
カウラの声は冷静な機械の針のようだ。ひとことで場の均衡を戻す力がある。誠はカウラの眼差しに落ち着きを感じ、こわばっていた肩をゆるめた。
冷静で論理的なカウラの言葉に負けて渋々かなめは一度歩き出し始めた足を止めて自分の降りた助手席に戻ってきた。
「すいません……気を遣わせちゃって」
誠は照れながら頭を下げる。
その姿を見たかなめはめんどくさそうにシートを動かして誠の出るスペースを作ってやった。
日常の小さな気遣いがここでは友情の基礎だ。誠はそのささやかな厚意を胸に収める。
大柄な誠は体を大きくねじって車から降り立った。
カウラは作り物のような笑顔で自由になった手足を伸ばす誠の姿を見つめている。
一方、かなめはわざと誠から目を反らして誠の見たことのない銘柄のタバコに火をつけた。
吸う所作の粗さが、彼女の武骨さを際立たせる。誠はその横顔に秘められた何か弱さを見たが、それを口にすることはしなかった。
「じゃあ、行くか?」
くわえタバコでかなめはそう言って先頭を切って歩き出した。
かなめの先導は自然で、まるで地図のない路でも進むべき道筋を知っているかのようだ。誠はその後ろ姿を追う。
「はい!行きましょうね!かなめちゃん!誠ちゃんとあまり仲良くしないでね。私が仲良くして……その先は言わないでおくわ。でもうまくいけば結婚相談所に毎月払ってるお金が来月には要らなくなるかも!」
そう言いながらアメリアはかなめをその長身を生かして見下ろした。
誠の人生設計が、本人の知らないところで勝手に検討されていた。
「なんだ?オメエコイツを狙ってるのか?やめとけ、オメエは永遠に結婚相談所に定期的に上納金を収めるだけのムダ金使いとして一生を終えろ」
見上げるかなめの皮肉が誠をしげしげと見つめるアメリアにさく裂した。
二人はしばらく誠をしげしげと見つめた後、何かを納得したようにそのまま行き先は分かっているというように歩き出す。
三人の足音は交互にリズムを刻み、路地のありふれた雑音の中でひとつの群像を成す。誠はその調子に合わせてゆっくりと歩き出した。
「特別な歓迎会って……なんかうれしいですね!ありがとうございます!」
無表情に鍵を閉めるカウラにそう話しかける。
カウラの無表情は厳しいだけでなく、どこか守りたいと思わせる冷たさを含む。誠はそんな彼女の存在に安心感を抱きつつも、その硬さが時に遠いと感じる自分に気づく。
ムッとするようなアスファルトにこもった熱が夏季勤務服姿の誠を熱してそのまま汗が全身から流れ出るのを感じた。
「それが隊長の意向だ。私はそれに従うだけだ……貴様はこれまで来た信用置けないパイロットとは違う人種だと隊長は言った。西園寺に模擬戦で勝ってそれを示して見せた。そんな貴様を歓迎する……使える隊員を迎えた小隊長としては当たり前の話だ」
そうは言うものの、カウラの口元には笑顔がある。
その一瞬の緩みを誠は見逃さなかった。どんなに厳格な人でも、仲間の前では表情に変化が現れる。誠はそれが嬉しく思えた。
それを見て誠も笑顔を作ってみた。
誠が笑うと、アメリアが満足げにうなずき、かなめがわざとらしく目を逸らした。
「何二人の世界に入ってるんだよ!これからみんなで楽しくやろうって言うのに!」
「そうよ!カウラちゃんずるい!」
ランがかなめ達三人を『明るい奴』と言ったことを思い出してそんなランが見てきたかなめ達の本当の顔を見ることができたことがうれしくなってきて誠は笑顔を浮かべた。確かにかなめもカウラも初対面の時の誠に対して作っていた壁のかけらもそこには残ってはいなかった。
ランの台詞がふいに蘇ると、仲間内にあるちょっとした格式や愛称が連想される。誠はその輪に入ることができるだろうかと、期待と不安を交互に感じる。
かなめは笑顔の誠と目が合うと少し照れたように目を逸らして夕焼けの空を見上げた。
空の色は日中の強さから夕刻の柔和さに変わる。赤く染まった雲が商店街の上をゆっくりと流れる。その光景は、東都と言う巨大都市の衛星都市の一日の終わりを象徴するようだった。
「それと……だ。まあこれから行く店は、うちの暇人達が入り浸ることになるたまり場みたいな場所だ。とりあえず顔つなぎぐらいしといた方が良いぜ。カウラ!まったくのろいなオメエは!」
急ぎ足で先頭をタバコの煙を吐き出しながら歩くかなめに対し、遠慮がちにかなめとアメリアの後ろを歩く誠のさらに後ろをカウラはゆっくりと歩いている。
誠はその中間で黙って立ち止まった。
「余計なお世話だ。言っておくと貴様のその短気なところ……いつか仇になるぞ?貴様は確かにうちでは数少ない実戦経験者だが……貴様の日常を見ていると貴様がそれなりに激しい実戦を経験して今生きているのは単なる偶然に過ぎないことを実感するな……小隊長として貴様の父母に戦死報告をする私の身にもなってくれ」
そう言うとカウラは見せ付けるように足を速めてかなめを追い抜いた。
「うるせー!アタシが生きてきたのはその先を読める才能とこのサイボーグの高い戦闘能力のおかげだ。生身のオメエの代わりに小隊長代理として戦死報告書を遺族に……ああ、オメエは両親が居ねえんだったな。じゃあ戦死報告書の宛先で悩まずに済む。助かったわ」
かなめはそう言うと手を頭の後ろに組んで歩き始めた。
「西園寺……以前から思っていたが改めて思ったが貴様、本当に最低だな」
かなめの毒舌にそう返すカウラだが、その表情は相変わらずの無表情だった。
「カウラよ、いまさらそんなことを言うのか?そんなことアタシも自覚してるよ」
言葉だけを聞けば仲の悪そうに感じさせるものだが、カウラにとってもかなめにとってもそんな会話はいつものことなのだと誠はその口調から感じられた。
駐車場を出るとアーケードが続くひなびた繁華街がそこにあった。
誠は初めての町に目をやりながら一人で先を急ぐカウラとタバコをくわえながら渋々後に続くかなめの後を進んだ。
足元には古い商店の瓦の破片が一片転がり、猫が塀の影に潜んでいる。そうした小さな風景が積み重なって、街の記憶を作る。誠はその断片を拾うように視線を動かしていた。
「肉屋とおもちゃ屋の隣に煙が上がってるのが見えるだろ?あそこの店だって……またあの糞餓鬼が待ってやがる……なんだよ、カウンターの一つや二つ酔った勢いで壊したくらいであそこまでアタシを目の敵にする必要なんかねえだろうが」
三階建ての小ぎれいな建物に、『月島屋』という看板が出ていた。
都内にある、ネットで評判の高い高級店とも違う。
誠がとても敷居を跨げないような高級店ではない。
また誠が付き合いで大学時代やパイロット候補生に連れていかれた大手チェーン居酒屋のそれとも違う、ちゃんと誰かの暮らしの匂いが残った店構えだった。
誠はなにかこの『特殊な部隊』の踏み入れてはいけない場所に来てしまったような感じがして少し緊張を覚えた。
誠は店の看板を見上げた。
月島屋。
ただの焼鳥屋の名前のはずなのに、そこにはもう、『特殊な部隊』の匂いが染みついている気がした。




