第43話 特別機と、撃つかオバサンか
いかにもお役所らしく終業を知らせるチャイムが鳴った。
それと同時に機動部隊詰め所のドアが開けられた。
空気は一瞬にして切り替わった。蛍光灯の白さが鋭くなり、箱状の詰め所の隅に積んであった古いマニュアルや工具箱がかすかに音を立て、生活の気配を主張する。仕事の終わりはいつも、何かが抜け落ちるような解放感を伴う。誠は椅子に寄りかかりながら、安堵と緊張の微かな揺れを感じていた。
「はい!お仕事はおしまい!行くわよ!飲みに!」
そう言って入ってきたのは、紺色の長い髪と糸目が目印のアメリアその人だった。
これ以上ない満面の笑みがそのモデル体型の小さめの顔に浮かんでいる。そして誠はそんなアメリアの格好に衝撃を受けていた。
アメリアの一挙手一投足には余裕がある。仕立てのいいブーツの甲が床を滑る音、襟元の布地がわずかに擦れる音さえ、何かの演出のようだ。誠はその佇まいを眺めながら、なぜか自分の胸の奥にぽっと火がつくのを自覚した。美しさは軍の規律より重力を持ち、空気を引き締める。
ショッキングピンクのTシャツに、デニムのタイトスカート。
その胸には、毛筆で力強く……『浪花節』。
「……どうしてそれを選んだんですか?」
そんな誠の呆れを通り越してようやく絞り出した言葉はこの部屋の女子全員から完全に無視された。
アメリアのTシャツは、明らかに『わざと』だった。
誠はその絶妙なミスマッチに苦笑しながらも、妙に納得してしまう。
『こんなの着る人、初めて見た』
そんな心の声を口にする度胸は誠には無かった。
「少佐……なんです?その恰好?ギャグですか?僕にはどう見てもかなり滑ってるように見えるんですけど……」
唖然とする誠の前でアメリアは細い目をさらに細くしてほほ笑む。
「そんな階級で呼ぶのはダメ!そうねえ、これからはアメリアさんで行きましょう。私、誠ちゃんより年上だし。そうしましょう!」
アメリアの声は澄んでいて、冗談めいた命令はどこか母性的な柔らかさを含む。誠はぎこちなくも快さを感じ、思わず頬が熱くなる。彼の体温はいつものように低めだが、周囲の熱が伝播してくる。
アメリアは立て板に水でそう言うと機動部隊室の他の三人の女パイロットに目をやる。
誠も振り返ってすっかり気の抜けた表情の三人の女上司達を眺めた。三人ともアメリアの珍妙なTシャツに全く無反応であるところからアメリアは常にこういったTシャツで歩き回っていることが誠にも理解できた。
静けさの中で、二人三人の瞬間的な視線の交換がある。人は群れると面倒だが、同時に守られる。詰め所という小宇宙の中で彼らは互いに距離を測り、立ち位置を再確認する。
「アメリアがさっきそんなこと言ってたな。オメー等が好きな有志の歓迎会の前にやるんだろ?アタシは車があるから、飲めねーし、どうせアタシの悪口でも言うんだろ?確かにオメー等に無茶苦茶言って泣かせてるのは事実だからな。パワハラ上司だと言いたきゃ言えば?アタシは聞きたくないから行かない。それにそのパワハラの矛先はオメー等からこれからは神前に移るんだからそれを記念するのも悪いことじゃねーんだろ?せいぜい神前がこれからアタシにいかなるしごきを受けることになるか教えてやれ」
気の乗らない調子でランはそう言った。
誠がこの部屋に戻ってきてから彼女がしていたのは将棋盤をじっと見つめて考え事をしていることだけで、仕事らしい仕事は何1つしていなかった。
ランの言葉は砕けているが、不可侵の安心感を含んでいる。将棋盤の駒を指で弾く小さな音だけが、彼女の機微を語る。誠はその横顔を見て、彼女が自分にとっての『掟』の一端であることを漠然と感じる。
「それにだ。どうせオメー等が行くのは『月島屋』に決まってるよな?あそこならアタシのツケで飲める。なーに、勘定の方はアタシが払うってことにしときな。アタシは東和陸軍では一番の高給取りなんだ。この隊でもあの『駄目人間』の隊長よりも給料はもらってるからな。ただし、西園寺が飲んだ分は西園寺が払え。あれはアタシの管轄外だ」
机に置かれた将棋盤を前にしてクバルカ・ラン中佐は手に銀将を持ちながらそう言った。
ランの『払う』という提案は一種の社交劇だ。彼女は金を出すことで場を作り、同時に境界線を引く。誰が何を期待し、誰を許すのかをランは無言で決めている。誠はそのやり取りを見ながら、自分がたまたまそこにいて良いのだろうかと再び胸の奥で自問する。
誠はこんな出来た上司が実在するという事に感動すると同時にこの可愛らしい上司が結果的に一日中将棋しかしていないことに呆れた。
「まあ、あれはアタシの為だけに地球から密輸してキープしている酒だから。アタシが払うのが筋ってのは分かるよ。でも……せっかくの新人の歓迎会だぜ?五割くらいは……」
そう言って泣き言を言って来るかなめに視線を向けられたランだが、プイと横を向いて手にした銀将に目をやるばかりだった。
「びた一文だって出すもんか!アタシは洋酒は飲まねー趣味なんだ!あのアタシをこき使った豚みてーな見た目の『外道』を思い出すからな!アタシは純粋な日本酒党で通してるんだ!オメーは『血筋の金』が桁違いなんだからそのくらいなんとかしろ!馬鹿!」
かなめの提案をピシャリと断るランにかなめは呆れたように両手を広げてみせると端末の電源を落として立ち上がった。
ランの『びた一文』には根っからの体育会系の豪快さがある。財布の紐は性格の鏡だ。誠は彼女の勢いに気圧されながら、同時に彼女の単純明快さにどこか救われる。
「西園寺。貴様の身分が生む収入があればあの酒の代金ぐらいは大したことが無いのは事実なんだろ?つまらないことを言っても仕方ないだろう。もう店は開いているはずだ……急ぐぞ」
手を止めたカウラはそう言って立ち上がる。
カウラはしっかりとした口調でそう言った。彼女の歩き方には確かな重心があり、誠は無意識にその後を追うようにまぶたを細める。存在そのものが安定の象徴だ。
「神前は本部の前でこの変な文字がプリントされたオバサンと一緒に待ってろ。アタシ等は着替えて裏道通ってカウラの車で二人を拾いに行く」
かなめはそう言うと誠の脇を抜けて、ドアの前に立つアメリアに近づいていく。
誠は軽く頭を下げ、置いていかれないように気を張る。胸の奥の静けさとアメリアの放つ『宴会』と言う言葉の騒がしいイメージが宴会前の心の隅で穏やかに息をしている。彼はこの静を失いたくないが、同時に馴染む必要も感じていた。どちらが勝つのかは、まだ分からない。
「ちょっと……かなめちゃん。聞き違いでなければ『オバサン』とか言わなかった?たぶん私の気のせいじゃないと思うのよね……私達の聴覚は遺伝子レベルで強化されてるから聞き間違いなんてあり得ないもの」
相変わらず、見えているのかどうかよくわからない細い目でアメリアはかなめをにらみつけた。
「あの……僕は別にオバサンだとは……」
誠はかなめが言うほどはアメリアを自分より年上と意識していなかったのでフォローの言葉を口にしようとしたが、アメリアは鋭い糸目で誠をにらみつけて黙らせた。
「黙ってて誠ちゃん!ここはお姉さんの自尊心の問題だから!」
そこにはアメリアの女のプライドを賭けた顔があった。その様子がさらにかなめのつぼにはまったようでその笑顔が凶悪な肉食動物を思わせるモノへと変わっていく。
そしてかなめはさらにアメリアのプライドを切り刻もうと言葉を続けた。
「アタシは28歳、オメエは30歳。女にとってはその2歳の年齢は貴重なんだ……オメエの婚活が上手くいかねえ理由もその珍妙なファッションセンスばかりではなくその2歳の年齢差に有るわけだ。この生涯未婚率8割を超える東和共和国の結婚する女性の平均年齢は24歳だ。そして28歳を超えた瞬間、結婚市場から『存在が消える』。30を超えて結婚した女は『奇跡』じゃねえ『見たことねえ』だ。それがこの国の現実だ。この国では26過ぎたら『お姉さん』じゃねえ。『おばさん予備軍』なんだ。アタシも認めてるんだからいい加減その事実を認めろ」
かなめは見下すような目でアメリアを見つめながらにやにやと笑っていた。
「アメリア、オメエも思うだろ?世の中の男は残酷だって。そんなアタシの年でも、そこら歩いてるガキには『オバサン』と呼ばれることがある。連中にもアタシがあと2年もすれば世の『負け組』女と同類になるように見えてるんだ。その残酷なこの東和共和国の現実から考えればオメエはアタシより年上なんだから十分オバサンじゃん。ちゃんと現実を見ろ。100回見合いを初回で断られたという実績が何よりもオメエにその残酷な現実を教えているはずだ。たしかに夏のお見合いにそんなTシャツを着て現れる女を見て半数の男が踵を返したのは当たり前だ。その後も最初の食事でいきなり長尺の落語を一席始める女に興味を持つ男がこの東和共和国に居ると思うか?空気を読めよ」
『100回……。西園寺さんはかなり物事を大げさに言いそうだけど……そう西園寺さんに言わせるってことはそれなりの回数初回で断られたのは事実……というかまさかそのTシャツを着ていったんですか?そしたら……100回も事実かも知れない……それに初めての食事でいきなり落語を始める……アメリアさんは一体何をしに婚活してたんですか?結婚するのに受けを取る必要なんてないんですよ……それにしてもここは僕の知らない情報量が多すぎる』
そして、当然『カモ』となっている誠にその火の粉は降ってくるのは予見できた。こめかみを引きつかせながらかなめの暴論を聞き流していたアメリアの視線が時々誠に向いているのは嫌でも分かる。そしてかなめの暴論が明らかにここに誠がいるという現実が生み出したものなのも推測がついた。
かなめの挑発は陽気な暴力だ。誠は笑ってかわすか、それとも本当に言葉を吐くかの二者択一を迫られる。
かなめは誠に目を向けて指さして話を続ける。
「しかも付け加えて言うとだ、今ここにいる神前。こいつは現在23歳だ。つまり、オメエより7歳若いってことになる。つまり、こいつはオメエを『オバサン』と言う権利があるわけだ。神前、この変なTシャツを着た馬鹿をオバサンと言え。言わなきゃ射殺する!アタシが実弾入りのマガジンポーチを持ち歩いているのはこういう時に使うんだ。オバサンと言うか死ぬか。……選べ。三秒だ。数えるぞ。心の広いアタシはそのくらいの選択権くらい部下には与えるようにしているんだ。心の広い上司を持ってオメエは幸せだな」
そう言ってかなめは愛銃スプリングフィールドXDM40をホルスターから抜いて実弾入りのマガジンを叩きこんでにんまりと笑う。
その笑いは本気半分、冗談半分。だが本気で撃ちそうな緊張感があるから侮れない。誠は一瞬で選択を済ませる。
『ここは……素直に言った方が安全だ』
ギラギラと光る眼で銃口を向けるかなめならやりかねない。
そう思いながら、たれ目のかなめの視線を外すタイミングを誠は探していた。
「神前、安心しろ。西園寺は撃たない……と思う。こういったケースはこれまでも日常的にあるが、今まで西園寺は撃ったことが無い。まあ、初めての被害者が神前の可能性は否定できないが」
身の回りの物でも入っているのだろう、ハンドバックを引き出しから取り出したカウラはまったく関心がないというような顔でそのまま二人の間を通って部屋を出ていった。
カウラの一瞥は誠の背中に小さな盾を貼るような働きをした。彼女は場の秩序を保つ係だ。誠はその背中の安心感をありがたく思いながら、あまり深刻にならずに発話の瞬間を迎える。
「さあて、神前。アタシはオメエに十分時間をやった。この面とスタイルだけが自慢の女をオバサンと言うか死ぬか。選びな。アタシは心が広いから待ってやる……いえ、『オバサン』と」
相変わらずかなめはそう言いながら銃を手にニヤニヤ笑っている。
「わかったわよ!私はオバサン!誠ちゃんの脳みそぶちまけるのを見たくないから!私が自分で言えば丸く収まるんでしょ!かなめちゃんは撃つときは本当に撃つから嫌なのよ!配属初日に上官から撃たれて殉職なんて現場を私も見たくないから!」
そう叫んだアメリアは誠のそばまで行った。かなめはアメリアの独白で満足したような加虐的な笑みを浮かべると銃を仕舞った。
アメリアの一喝は場を一変させる。誠は照れ笑いを浮かべ、胸の奥の安堵が膨らむ。
「まあ、そんな暴力しか能の無い馬鹿サイボーグは置いておいて……いろいろ、誠ちゃんに聞きたいことがあるのよねえ。仕事関係じゃなくて『趣味』のこと。私はね、『趣味』で人を決める女なの」
誠の手を握ってアメリアはにっこりとほほ笑む。
年上の女が手を取ると、世界は一瞬甘くなる。誠はその温もりに戸惑うが、やはり心地よい。彼は自分の内側で『これは大切にしておこう』と思う何かに気付いた。
「趣味だ?野球以外の趣味あるんだ。アメリアの馬鹿に染まって変な方向に行くんならアタシの管轄外だ。まあ、好きにしな。お先!」
そう言うとかなめはドアを開けて出ていった。
「アメリアさん……」
誠が名を呼ぶと、嬉しそうにアメリアは微笑む。
「お姉さんも色々多趣味だから。合うと良いなあなんて思ってるわけ、『趣味』が……ね?特にエロ関係で……」
年上からの承認は、誠にとって予期せぬ宝だった。年上の女性、しかも美人からこう言われてうれしいのは事実だが、ここの隊員は全員どこか規格外なので、どんな結末になるのやら。ただ、誠は深く考えず場当たり的に生きていくことの必要性を実感していた。
『まあ、なんとかなるだろう』
誠はその小さな哲学を車での移動中にも繰り返し反芻するだろう。




