第42話 認められた後の空気
シミュレータでの勝利で誠の扱いは司法局実働部隊機動部隊の詰め所では一変していた。場内は早くも打ち上げムード。だが、祝福の輪の外に、薄暗い角がある……誠はその存在を直感的に感じ取る。
敗者であるかなめの態度は、あの一戦を境にまるで別人のように変わっていた。
さっきまで『腫れ物』に触るように距離を取っていた女が、今は隣に座り込み、タバコをふかしながら、遠慮なく踏み込んでくる。
誠もかなめがこんなにも人に何かとちょっかいを出して来るおもしろおかしい人物であるとはあの模擬戦で勝つまでは想像もしてはいなかった。
かなめはもう、誠を新入りとは見ていなかった。
値踏みは終わっている。
今は、面白い玩具を見つけた顔ではなく、『使える戦力』を手に入れた顔だった。
かなめは誠の過去を、ネットに直結している電脳で片端から調べては、しつこいほど聞いてきた。
答えが不十分だと感じれば、正直に答えろと言わんばかりに脇の銃に手をやる。
満足のいく答えが返れば、下品な大笑いをした。
そしてありとあらゆる下品な単語を並べて隣に座るカウラが顔をしかめたり時にはかなめの吐く卑猥な単語の意味が理解できないという顔を無視してかなめはマシンガントークで誠をただ呆れさせるばかりだった。
笑顔と、笑いが誠が何かを言うたびにその口からはあふれ出した。誠はかなめの吸っているタバコがかなり匂いのきついものらしいのでそれが気になって少し引いていたがそれでも誠を質問攻めにするかなめの態度は誠には楽しい時間に感じられた。
休むことなく話し続けるかなめと違ってはいたがカウラも誠に好意的な興味と関心を持ってくれていた。
カウラはいかにも仕事優先という感じでパイロットとして役に立つような技量として誠が格闘戦をどのようにして磨いて来たかについて興味があるようだった。誠はそんなカウラに自分の実家が『神前一刀流』と言う剣道場をしていることとその現当主が母の薫であることを話すと、誠の技量を生み出した薫に一度会ってみたいと言い出すほどに興味を持っているようだった。
『モテない宇宙人』である遼州人な上にその『もんじゃ焼き製造マシン』と呼ばれる乗り物酔い体質から女子達から遠巻きに見られるくらいの関係しか築けなかった誠にはこのような体験は初めての出来事だった。かなめもカウラも好意的な意味で誠に興味や関心を持っている。このような目で女性から見られた経験は誠が生まれてから一度も無い経験だった。
「それにしても、オメエ野球やってたらしいじゃねえか……さっき調べたけど……すげえ戦績だな。あの事件がなければ間違いなくドラフト候補だ……オメエを追っかけてたプロのスカウトも一人や二人じゃねえだろ?練習試合とかは凄かったんじゃねえのか?まあ、そうなったらこうしてオメエと会えなかったわけだからその事件には感謝するしかねえんだけどな」
制服の上から銃を左脇のホルスターに突っ込んだままの上機嫌のかなめがそう言って誠に話しかけてくる。二人の間に流れる空気は陽気で、競争と友情が混じったものだ。
「ええ、まあ。うちは都立の進学実験校だったんで部活はほとんど無くて……。練習試合をしようにもメンバーが集まらないから本戦までは練習試合も無しでぶっつけ本番で。まあ、春の大会でも予選で左で150キロ越えの球を投げるピッチャーが居るとか言うことでプロのスカウトが一回戦から見に来てたのは事実ですけど。それも三回戦であっさり味方のエラーの山で負けましたけどね。でも一応、夏の大会だけは何とか結果を出したいという雰囲気があったんで……確かに何人かスカウトとかの人には会いましたけど……あの事件以降は一人顔を出した程度で他の人はまるで連絡なんか来なかったですよ」
謙遜のつもりで誠はそう返した。
「ほう、やっぱ一流は言うことが違うねえ。それにしてもオメエのフォーム、動画で見たけどよ……あれ完全に下半身主導じゃねえか。高校生であれ出来てるのは普通じゃねえぞ。誰に教わった?」
かなめの問いに誠はただ愛想笑いを浮かべるが、かなめはその態度に満足せずに言葉を続ける。
「肩じゃねえ、腰だろ?あの回転。あれが出てるから150出るんだよ……ああ、夏の予選の一回戦では155キロだったな。失礼したわ。あれだったら監督のアタシもあのノーコンの島田にエースでございとデカい顔をされることも無くなるわ」
かなめは完全に別のスイッチが入っていた。
さっきまでの下品な笑いも、威嚇も消えている。
目だけが、選手を見る監督のそれになっていた。
銃を見る時とも、機体を見る時とも違う。
かなめは今、誠を『選手』として見ていた。
「で?捕手は誰だった?リードは?バッテリー組んでたやつ、絶対いい奴だろ?あのスライダーとフォークは並のキャッチャーじゃ捕れねえからな」
そこまで言った時、笑顔のかなめの顔が急に曇って敵意と軽蔑に満ちたものに変わった。
その変化に気付いた誠は背後の気配を感じ取り振り返る。そこに立っていたのは、角刈りで小柄な男の姿だった。顔には不愉快そのものの表情が貼り付いている。
『嫉妬』。その感情だけで動いていることは、誠にもすぐに分かった。
誠はその言葉を、胸の内にそっと刻みつけた。男は詰め所の中心へとずかずかと歩み寄る。
「新入りがスター気取りでインタビューか?実に良いご身分だな。俺の居る管理部には挨拶も無しか?島田のアホに管理部の悪口でも吹き込まれたんだろ……ああ、ベルガー大尉はいいんですよ、俺が用があるのはこいつだけですから。ほら、これが土産だ。受け取れ」
男の声は針のように空気を切り裂く。誠は戸惑いながらも袋を受け取る。中身は制服の予備と、小さな冊子。あからさまな敵意がその渡し方に滲んでいる。
「あのー……後で挨拶には行こうとは思ってたんですけど……島田先輩にあそこは後で良いって言われたんで……」
誠の戸惑いと虚弱な謝辞に、男の苛立ちは増すばかりだった。場の緊張は一瞬にして冷め、誰かが仕切り直すように場を整えようとする。
「ふうん、島田のアホの言うことは聞くんだな、お前も。あと、この袋に入っているのが、ここの電話の子機だ。使い方は西園寺さんに聞け。パイロットの連中はいつだって管理部門のバックアップの人間への気遣いなんて無いんだな。お前もそんなパイロット候補生の一人なんだろ?俺達が資材を調達してやってるから戦えるのにそんなことは考えたこともないか?整備の連中も部品の発注をやる俺がいなければただの馬鹿の集団でしかないのに」
そんな誠の初めて見る隊の制服を着た男の言葉でさっきまでの祝勝ムードは、一度完全に死んだ。
男はそれだけ言うと去ろうとする。だが、去り際の憎しみに満ちた視線は誠の背中を焼く。
「おい、神前。お前の机の上に置いておいた資材申請の書式、読んだか?読んでないだろうな。君たちみたいな現場気質の人間は、そう言うところを軽視する」
かなめよりは若干年下の割にすっかりメタボ腹のそもそも戦う軍人とは呼べないような男はねちねちと誠にそう嫌味を言ってきた。
何も言い返せない誠に気を良くした男は更に言い募る。
「だがね、神前候補生。書類一枚遅れれば補給は止まる。補給が止まれば戦えない。つまり君たちは……俺達に生かされている。そんな戦場の常識……幹部候補生なんだから当然習ったんじゃないのか?」
嫌味を連発する男にかなめは冷ややかな視線を送りながら口を開いた。
「でも菰田。こいつをうちに引っ張るのにオメエも協力したじゃん。『こいつはロリコン犯罪者に仕立てましょうよ』って言い出したのはテメエだったよな?ランの姐御の演技の台本を書いたのはああいうことが好きなアメリアじゃなくてオメエじゃねえか。菰田……ああ、変態はオメエの専売特許だったな!アタシやアメリアの胸がGカップ越えって知ってパートのおばちゃん達に『胸にしか栄養が行かなかった馬鹿女』って喋ってるのはアタシも知ってんだよ!何なら射殺してやろうか?」
かなめの銃に手をやるしぐさに男は一瞬言葉を失い、鼻を鳴らして怒りを募らせる。かなめが菰田と呼んだ男の視線が誠に突き刺さってくる。誠の心には、初日から厄介な敵を作ったという実感が冷たく刺さる。
「ああ、西園寺は面倒なことは嫌がる質だからな。今日からは私の部下になるんだ。私が直接教えよう」
カウラが静かに立ち上がり、誠に近づく。菰田は慌てて彼女に取り入ろうとするが、その様子はどこか滑稽で、破綻を含んでいる。
「いやいやいや!ベルガー大尉ほどの方のお手を煩わせるようなことはしませんよ。それにしてもベルガー大尉はいつものことながらお美しい……じゃあ、西園寺さん……あなたも戦闘以外の仕事をしてもいいはずですよね?」
言葉の端々に取り繕いが感じられ、菰田の挙動は不自然さを増す。誠はそれを冷静に観察する。かなめは嘲笑混じりに彼をあしらう。
「カウラが教えてえって言ってんだからそうすりゃいいじゃん。『ヒンヌー教徒』の教祖様はこれだから付き合いきれねえ」
かなめの皮肉に、菰田は顔を赤らめて詰め所を出て行った。叫び声が残る。
「いいか!神前!貴様を認めんからな!俺は!ベルガー大尉の部下になるなんて言うことは俺は認めん!」
誠は一方的に向けられる敵意にどうすることもできずに、カウラに尋ねる。誠は、先ほどまでの祝福の温度が、菰田の一言で少し濁ったように感じていた。
「なんです?あの人」
身の覚えのない敵意の雨にうんざりした表情で誠はそうつぶやいた。
「菰田邦弘主計曹長。管理部の部長代行だ。総務とか経理の仕事を担当している……まあ島田から聞いてるだろうけど部下の全員がパートタイマーの高齢女性だけだがな……それと……これは私の口からは言いたくない。生理的に無理だ」
カウラは言葉を詰め、少し顔を伏せる。
「『ヒンヌー教団』の教祖様だぞ?ありがたく拝んどけ」
かなめは冷やかすような調子でそう言うといかにも不機嫌そうに黙り込んでいるカウラに目をやった。
「『ヒンヌー教団』?」
時々誠の理解を超えたことはこの隊では珍しくない事にはもうすでに誠は慣れてきたので単なる好奇心からそう尋ねた。
「一言で言えば変態。信者は全員、平面を尊ぶ馬鹿共だ。あいつらにとっちゃカウラは神様だよ」
かなめの一言で、空気は雑に元へ戻される。
かなめはそう言ってうつむいたままのカウラを興味深そうに眺めた。
自分の『居場所』と決めたこの『特殊な部隊』にも菰田のような人物が日常のどこかに棲んでいることを、彼はまだ甘く見ていたのかもしれない。
「ああ、私にとってはただ迷惑な話だ……そうだ、仕事だ」
カウラはそれ以上その話題を続ける気はないと言うように、箱から電話子機を取り出した。
その一言で終わった。
理由は語られない。
だが、それ以上聞いてはいけないと分かる拒絶だった。
カウラは仕事に戻るように声を張る。
彼女の手付きは慣れていて、箱から電話子機を取り出して淡々と差し込んでいく。誠はその仕草を見て、安堵と責務を同時に感じた。
「さっき西園寺さんが酷いことを言ってましたけど……菰田先輩って見た感じなんだか怖そうな人ですね」
明らかに誠に敵意を持っているような菰田の態度に誠はそう言って頭を掻いた。だが、ここに残るという選択は、すでに彼の中で芽生えていた。明らかに目の前の女子だけでなく誠自身も嫌悪感しか感じない菰田の影は濃いが、それは乗り越えるべき最初の壁にすぎない。
「オメエが今日帰る寮の副寮長でもあるからな。年中顔を合わせることになるぞ……まあ、あいつは色々と面倒な奴だからうまくやれよ」
かなめはあっさり笑い飛ばす。
誠は軽くうなずいた。
ここは居場所になるかもしれない。
同時に、逃げ場のない場所でもある。
それでも……残ると決めたのは、誠自身だった。




