第41話 銀の壁のあとで
歓声がようやく落ち着いても、誠の意識はまだシミュレータの中に残っていた。
勝ったことよりも、勝たせたものが何だったのか。
あの銀色の壁。跳ね上がった見慣れないゲージ。かなめの刃を弾いた、説明のつかない現象。
祝福の声に囲まれながら、誠の理系脳だけは勝利の余韻に浸ることを拒んでいた。
「クバルカ中佐。さっきの、あれは何なんですか?」
自分を見上げて満足げな笑みを浮かべる上官であるランに最初に誠が尋ねたのはあの理解しがたい現象についてのことだった。
突如何もない空間に現れた厚みを持った何か。そして跳ね上がったゲージと怯んだかなめ機。
その様子は誠の脳内にしっかり刻まれている。
「あれか?システムエラーじゃねーの?それにそのゲージとシステムエラーの関係……オメーはどう説明すれば納得するんだ?逆にアタシが聞きたいくらいだね……オメーも理系の大学を出てるんだからシステムにはエラーが付きもんだってことは理解してるだろ?今はそう思ってりゃそれでいーんだ。とにかくオメーは勝った。そのことは負けた西園寺も認めた。それ以上の何をオメーは望んでいるんだ?そんなもん必要ねーだろ?敗者をそれ以上貶めて何が楽しいよ」
そう言ってランはとぼけてみせた。だが誠はその返答を単なる冗談とは受け取らなかった。何かが、部隊の内部で誠という存在に特別なレイヤーを与えている。誰が、何のために、という問いは頭の片隅に冷たい石のように残る。
「システムにエラーがつきものだと分かってるから言ってるんですよ。エラーにしてはしっかり画面に再現されてましたね……もしあれが予期せぬエラーならあんなに効果的に僕を守ったりするわけがありません。明らかにアレは最初から予定されていた現象です。それにあのゲージとクバルカ中佐がエラーと呼ぶものに関係があるのは僕でも分かります。そこに何があるのか説明しろと言われても、このシミュレータを作ったのは僕じゃないんで……でもそれにしてもおかしいですよ」
真剣な表情の誠はランの言葉を額面通りには受け取らなかった。疑問は残る。むしろ、考えれば考えるほど増えていく。だがランの顔は、それ以上踏み込むなと告げていた。
「まったくオメーは簡単に『勝った!勝った!』と喜んでりゃいーのに、これだから高偏差値の頭でっかちは嫌なんだ。じゃあ、逆に聞くが、アタシがなんと言えばオメーは納得するんだ?オメーの使える超能力……ということにでもしておくか?今はその程度の理解でいーんじゃねーの?アタシとしてもそー思ってくれた方が気が楽だ。あとそれについては深く考えるな。ただオメーは勝った事実を受け入れりゃーそれで良ーんだ」
ランがからかうように言うと、場内の空気が一瞬和らぐ。この東和共和国のネットでも時々騒がれる、遼州人には地球人には無い力があるという手の話は遼州圏の人間にとっては単なる都市伝説のようなものだ。理系の最高学府を出て地球科学に絶対の信頼を持っている誠にもそんな話は単なる陰謀論程度の認識しかなかった。
「超能力だと思え?そんな話はただの与太話……そもそもこの宇宙の原則は物理化学ですべて証明済みですよ。まあ、クバルカ中佐が『魔法少女』であるという事実は科学では説明できませんけど……まあ、あれは冗談なんですよね?うちの人達もみんな中佐を『魔法少女』認定してますけどここの人は全員頭のねじが一本ぶっ飛んでる人ばかりなので。僕は科学を勉強した人間です。あの絶対に崩れないとされた『相対性理論』も『相対性理論超克空間把握理論』という、これも地球人の考えた科学によって否定されたんですから。科学を更新するのは、常にその矛盾を指摘する『次の科学』だ……大学の授業で、うんざりするほど聞かされました。超能力なんてものは存在しません!そんなのはアニメの中だけの話です!」
あまりに突飛なランの言葉に誠は少し呆れながらそうつぶやいた。どこまでも理系の大学で基礎理論が常に現実を動かしているんだという教育を受けてきた誠にとって一足飛びにすべての科学理論を否定して『超能力』などと言うことを言いだすランの真意が読めなかった。
「オメーは地球科学万能説の理系大学の教授仕込みの論理を振りかざしている訳だが……遼州人には地球人には無い能力がある。そんな噂がある。遼州人は地球人が誕生する……いや、地球に哺乳類と言う存在が生まれるはるか以前から『鉄』も作らずに『焼き畑農業』を続けていた民族だ。それ以上の文明を持たなかった理由がそこにあるんじゃねーかっていう学者もいる………第一、400年前の独立戦争で小銃と石斧で近代兵器の地球軍を追い払った。その説明を、オメーの大学で習った科学はどうつける?」
誠はすぐには答えられなかった。
「地球の連中は思ってるんだよ。遼州人には、何かあるってな」
ランは、頭でっかちだと感じている誠を見上げ、笑顔を浮かべながらそう言った。
「でも今は違うんだ。進み過ぎた科学はもはや魔法だ……昔の地球人にそんなことを言った人間がいるそーだ。だから地球科学で説明の不可能な力を遼州人が持っていても決して不思議なことだとはアタシには思えねーがな。アタシ自身そのことはよくわかってるし……なんと言ってもアタシは『魔法少女』だから。そしてオメーの乗る『05式乙型』にはその進み過ぎた科学が生み出した遼州人の力を生かすシステムが組み込まれている……オメーがその地球科学とやらを信じるのは勝手だが、現実にオメーは勝つ見込みのない西園寺の馬鹿にこうして勝った……その理由を説明するのに科学的根拠が必要だなんて話はアタシは知らねーな。勝ちは勝ちで負けは負けだ。理屈なんていうものは後からついてくるもんだ……違うか?」
ランの話は断片的だが、説得力を帯びる。誠は自分を特殊視する言葉に戸惑いを感じつつ、これまで信じてきた地球科学がある意味限界を迎えつつあるとランは言いたいらしいことは理解できた。
「でも、そんな噂は聞いたことがあるんですが……確かに科学の理論は常にすでにある理論を全否定することで地球人は科学を進めてきたんですからね……でも遼州独立戦争とか言う話になると……僕、歴史は苦手で。クバルカ中佐がそう言うのなら今のところは、そういうことにしておきます。それにしても話は変わりますけど、05式乙型って何です?『乙型』ってことは当然『甲型』も存在するんですよね?」
誠の質問は率直だった。元々文系知識を持つ気のない誠は周りの友人たちに自分の関心の無いことについて聞く事には慣れていた。その目の前の現実を理解しようとする姿勢が、周囲の士気を和らげる。
「あるぞ『甲型』は。うちにある三機は全て『甲型』だ。オメーの専用機になる『乙型』にはアタシの愛機だった『方天画戟』を参考にしたシステムを組み込んで一般仕様の『甲型』から『乙型』への改修作業を現在隣の工場でやってるからうちへの納入が遅れてるんだ。到着まで楽しみに待ってろ……オメーのシミュレータは『乙型』のコックピットを再現したもので、『乙型』に乗らなきゃ起きねー現象を再現しただけだ。オメーが乗る機体ではあの機体でのシミュレーションで体験したことが実際に起きる……さっきアタシがエラー扱いした現象が現実に起きる……なんてこともあるかも知れねーな。ま、オメーが『その力』を欲しがらなきゃ、それでいいんだけどな。過ぎた力は身を亡ぼす」
ランは俯いた誠に笑いかけ、余計な詮索は不要だと告げるように肩を叩いた。その信頼は誠にとって何よりの励ましだった。
「オメーの質問……結構アタシには冷汗もんだったぜ。これまでの馬鹿と違ってアタシの話しちゃならねー急所を的確に突いてくる。オメーが馬鹿じゃねーのはよく分かった。でも、世の中知ってていいことと知っているとまずいことがある。今はさっきのエラーの話はオメーは知らねーでいるのが空気を読める士官の在り方……軍や武装警察にはそんな自分の置かれた立場を理解する必要がある時があるんだ。オメーは幹部候補生の触れ込みで東和宇宙軍に入ったんだろ?パイロットとしての技量だけならオメーはただの使い捨ての駒だ。ちゃんと自分で考えて行動する。そのために必要な知識を自ら得る努力をする。それが士官てーもんだ。少尉候補生だろ?」
厳しい言葉だが、そこには期待も混ざっている。誠は拳を軽く握り、胸の内に静かな決意が灯るのを感じた。
誠はまだ知らなかった。
軍隊や武装警察では、正しい質問ほど、正しい答えが返ってこないことがある。
数式なら、条件を揃えれば解は一つに近づく。だが、この部隊では条件を揃えようとした瞬間、誰かが笑って黒板を消す。
誠は言い返そうとした。
だが、ランの言葉は説明ではなく、命令に近かった。
理解しろではない。
今は飲み込め。
そう言われているのだと、遅れて気づいた。
「まあいいじゃないですか!俺だって技術部長代理なんてやってますけど情報士官のシステム系の話なんてついて行けねえんですから……それより、神前。今日は暇か?」
助け舟を出すという雰囲気で島田が誠に声をかけてきた。温かい声だ。島田の存在は誠にとっては兄貴分であり、安心できる保護であった。
「ええ、まあ……でも今日は僕はどこに泊まればいいんですか?ここからだと僕の実家まで帰るのに国鉄、私鉄、営団地下鉄と何回も乗り換えればいいのか分からないんで……」
誠はこんな千要半島のど真ん中のバスさえろくに走っていないだろう工場の中まで連れてこられるとは思いもしなかったので帰りの足を心配した。
「安心しろ。もう寮にオメエの部屋が用意してあんだ。今日からはそこに住め。さっき非番の奴に仮設ベッドと布団は用意させた。飲むぞ!」
『オー!』
島田の叫びに合わせてシミュレーションルームになだれ込んできていた整備班員の男達が一斉に雄たけびを上げた。笑い声は場の緊張を完全に溶かす。誠はその輪に引き込まれる自分を少しだけ許す。
「ちょっと待ってね……」
そのアメリアの声を聞いて島田の肩が、分かりやすく跳ねた。
かなめに銃口を向けられても、ランに怒鳴られても平気そうな男が、アメリアの糸目を見た瞬間だけ、野良犬から叱られた大型犬みたいな顔になった。
島田の怯えた視線の先に立っていたのはアメリアだった。
紺色の髪をかき上げながら、彼女は相変わらず表情が掴みづらい。だが、その糸目の奥には誠に向ける確かな計算があるように見える。
いつものようにアメリアは笑っていた。
別に彼女は怒鳴っていない。
もちろん階級にモノを言わせて命令もしているわけでもない。
それなのに、島田の背中から威勢が一枚ずつ剥がれていくのが誠にも分かった。
『相変わらず何を考えてるか分からないオバサンだな』
失礼な内心の呟きも、優しい島田の顔を見れば軽やかに消えていく。誠は微笑を作り、場の空気に馴染もうとする。
「なんですか……」
誠は信用ならないそのアルカイックスマイルを浮かべたアメリアを警戒したようにそうつぶやいた。
「今日は私達と飲みましょう。私とカウラちゃんとかなめちゃん。以前来た補充パイロットの五人も一緒に呑んだのよ。まあ連中はいなくなったけど他のとは違って誠ちゃんはきっとうちに居つきたくなるから……ね?」
アメリアの誘いは、配慮の形をしていた。だがその奥には、誠をもう少し近くで観察したいという好奇心も透けて見える。
彼女の振る舞いは軍人然としているが、部下を囲い込む術を知っている。誠は胸中で軽い恐縮を覚えるが、それと同時に暖かさを受け取る。
「いや、その……今日はこいつを祝って、吐くまで飲ませる予定で……いや、別に強制じゃないっすけど……」
強気そうな島田がおずおずとアメリアに申し出ると、笑いが場内に弾ける。
「シャラップ!これはうちの新人パイロット教育の一環なの!二人の先輩パイロットと運用艦の艦長のアタシ。新人を仕込むにはいいメンツでしょ?それとも何?島田君は誠ちゃんに向けてうちの隊で男子で彼女が居るのが俺だけだって言うネタだけで深夜まで誠ちゃんに『モテない宇宙人』である遼州人の哀しみを実感させて自分は悦に入ろうって腹?随分と大きな態度だこと……あくまで部長の代理しか務まらない下士官なのに」
アメリアの切り札は説得力がある。島田達は黙り込むしかない。誠は胸の内の不安を押しのけて、ただうなずいた。
「じゃあ、とりあえず機動部隊の詰め所で終業時間まで潰したらカウラちゃんの車で出発ね」
笑っているような顔の作りのアメリアはそう言ってシミュレータ・ルームを去っていった。彼女の去った後の空気には、少しだけ祭りの後の静けさが残る。
アメリアを見送った誠の視線にカウラのエメラルドグリーンの髪が飛び込んできた。恥ずかしさと期待の入り混じった視線だ。彼女のまなざしには冷静さと温度が同居している。
「貴様。なかなか面白い奴だな……これまでの男には無い独特の雰囲気が貴様にはある……これまで冷たく接してきて悪かった」
カウラの言葉は簡潔だが、その意味は重い。誠は目を逸らさずに応える勇気を出す。
「最初に言ったまるでここを出て行けという趣旨の発言は撤回する。これまでの連中とは違って貴様にはここに残って欲しい……これは私の個人的な意見だが」
カウラが去る背中に、誠は胸に浮かぶ小さな希望を確かめる。誰かの『残って欲しい』という言葉ほど、素朴で確かなものはない。誰かに『残って欲しい』という言葉を言われたのは、いつ以来のことだろう……誠は思い出せなかった。
「残って……いいのかな?本当に……こんな僕でも……」
誠は自問する。
その問いに、まだ誰も答えてはいない。
けれど少なくとも今、この部屋から誠を追い出そうとする者はいなかった。




