第38話 専用ゲージと見えない勝機
誠は指定されたシミュレータに乗り込んだのだが、アメリアの糸目を見ているうちに、この筐体には『神前誠専用』という張り紙が貼られていたことを思い出していた。
『さっきの張り紙……僕専用?なんで……僕が来るのは決まってたとしてもその為にシミュレータを用意した?なんで?どうして?僕がシミュレータでも吐くからあの西園寺とか言うきつそうな中尉や小隊長の几帳面そうな緑の髪の人は乗りたくないから……僕ってそんなに期待されていないのかな』
どこまでもネガティブ思考に縛られながら、誠はシミュレータの座席に腰を下ろすと、狭いがぎゅっと詰まったコックピットの感触が身体に伝わるのを感じていた。真空状態にも耐える合成皮革の擦れる匂い、金属のひんやりとした手触り、わずかな電気の匂い。全天周囲のモニターはすでに薄暗く点灯し、外界と切り離された別世界がそこに整えられている。
そのとき、誠は視界の脇にある小さなゲージに気づいた。
淡い光を帯びたバーが、彼が座った瞬間にふわっと跳ね上がり、すぐに戻る。
これまで乗ったどの教習機にもない表示だった。
ただの計器ではない。
自分の搭乗に反応して、何かが起動している。
それだけは誠にも理解できた。
「何このゲージ……東和宇宙軍のどの機体にも無かったゲージなんですけど……僕専用だから?だったら僕って何なの?それとどうしてこのシミュレータに誘導したんです?これを見たら鈍い僕にだって僕の吐瀉物を見るのが嫌でここに誘導したわけじゃ無いことくらいわかりますよ。どう見ても整備班の人達はこのシミュレータに僕が乗るように誘導しましたよね?それともそんなに乗り物酔いが強いとそんなに既存のシミュレータに乗らせるのが嫌なんですか?僕は要らない子なんですね、やっぱり。そんなに僕に吐瀉物を吐かれるのが嫌だったんですか?だったら僕なんかここに呼ばなければよかったのに……」
そんな独り言ともつかない言葉を吐きながら誠は指先でゲージの表示を追う。数値や色の変化……それらはどれも見慣れないものだった。機械に詳しくないわけではない。だが、その表示が何を意味するのか、これまで乗ったどの旧式の89式教習用シュツルム・パンツァーに乗った感覚として馴染まない。胸の奥がふわりと落ち着かない。普段は冷静な誠の皮膚の下で、久しぶりに緊張がざわついた。
明らかにおかしいこの誠に確認してほしいという位置に配置されたゲージの存在が誠には気になってこれまで経験した乗機経験に無い緊張を強いられてならなかった。そして画面の中で笑顔を絶やさないアメリアにその疑問をぶつけた。
「もう一回聞きますけどなんですか?このゲージ。まるでこれを見ながら僕は戦わなきゃいけない位置に配置されてますよね?何か特別な意味でもあるんですか?僕がこれまで乗った機体には無かったですけど……05式には何か新式のシステムが入ってるんですか?」
誠の問いに、モノトーンのモニター越しにアメリアが柔らかく微笑み、落ち着いた声で答える。
『そうねえ……まあ、まだ来ていない誠ちゃんの専用機のコックピットはその配置なの。まあ実物を見たらその時に説明の許可が隊長から私に降りる……かもしれない。まあ、隊長のことだからその時にも『あっても邪魔にならないんだから良いんじゃない?』って言うに決まってると思うけど。だから今は言わないでおくの。たぶんそのゲージの意味を知るのはだいぶ先になるんじゃないかなーって、私としては思ってるわけなんだ。世の中知らなくてもいいことが一杯あるとかランちゃんのことだからうちに来るまでの車の中で誠ちゃんに説教したんじゃない?まあ、そんなことの一つだと思っておけば間違いないわね』
外部通信越しにアメリアのあからさまな秘密の言葉が逆に誠の精神を苛立たせた。アメリアのふっと笑うような糸目は、言葉に余計な緊張をほぐす効果がある。だが『隊長に言うな』とだけ言う言葉には、どこか含みがあった。軍事機密というよりは、部隊内部の『理由』があって秘密が作られているらしい。
誠はとりあえず理解不能なゲージは無視してそれ以外のこれまでの教習用シュツルム・パンツァーでは見慣れた計器を眺めながら全天周囲モニター中央に見慣れぬゲージを拡大して見せた。
それでも誠の意識は見てくれと言わんばかりのゲージに目が行った。モニターに映るそのバーは、まるで生体の鼓動のように揺れている。色は普段の警報色ではなく、むしろ暖色系のうねりを見せる。機体側のセンサーが『人』と『機体』の境界線を曖昧に捉えているかのような、不穏な温度感だ。
『ああ、それは……別に誠ちゃんが『もんじゃ焼き製造マシン』と呼ばれる乗り物酔い体質だからとかじゃなくて、そのシミュレータは今のところ誠ちゃん専用だからなのよね♪まあ、確かに誠ちゃんの吐瀉物で汚れたシミュレータに喜んで乗りそうなパイロットは今のところうちにはいない……ああ、来るように隊長が企んでいるみたいだけどその人と会うのはかなり先の話しね。そんな先のことはどうでもよくてそのシミュレータは誠ちゃんが乗ってこそ意味があるものなの。今のところかなめちゃんが乗っても意味がないみたいだし。そもそも地球人の遺伝子しか持たないカウラちゃんもそのシミュレータは使ってもしょうがないし意味が無いの。その理由は今のところ誠ちゃんには秘密なのよね……』
アメリアは言葉を濁すが、その口ぶりには悪戯めいた温度が残る。誠の胸には、彼を特別扱いする視線が重くのしかかる。特別は必ずしも好意ではない。期待や使用価値、あるいは『運命』めいた何かの前触れかもしれないと誠は思った。
「秘密って……軍事機密かなんかですか?なんで僕の機体に?僕は普通の遼州人ですよ……クバルカ中佐みたいな『魔法少女』じゃありません。あの人、『空を飛べる』とか『人類最強』とかほとんど無茶な発言ばかりでついて行けないですよ……まあ半分は吹いてるんでしょうけど。人間が飛行機に乗らずに空を飛べるわけが無いじゃないですか」
誠の問いに、アメリアは顔の角度を少しだけ変えて機械的にその場を濁すように微笑むだけだった。説明はしないが、モニターの向こうで幼い見た目の割に鋭く戦場を見回すような『魔法少女』のランの目がじっとこちらを捉える。ランの顔は小さく、子供めいているが瞳は年輪を刻むようだ。彼女の目は『計算された安心』を誠に与える。誠はその目で見られている限りはどうやら『特殊な部隊』の一員でいてもいいらしい。そんなことを誠は考えていた。
『それより、誠ちゃん。白兵戦等においては百戦錬磨のサイボーグのかなめちゃん相手に勝算は……今の誠ちゃんには無いわよね。地上戦なら格闘戦が得意な誠ちゃんにも物陰に隠れて奇襲攻撃で一撃と言う誠ちゃんの唯一の勝機は有ったと私は思うわ。かなめちゃんは射撃しか能が無いから。でも宇宙だと射撃戦がメインになるから誠ちゃんは苦手な宇宙戦ではこれまでの東和宇宙軍での訓練でも手を抜いてた。そんな事、東和宇宙軍からうちに送られてきたデータを見れば私にも分かるわよ」
誠は自分の手の内がアメリアには完全にバレているという事実を知って唖然とした。
『あれだけ戦力にならないパイロットなんてちょっとやそっとじゃお目にかかれないわよ。宇宙戦が得意の東和宇宙軍で良く解雇にならなかったかって不思議なくらい……まあ、隊長がそう仕向けたんでしょうけど。射撃での戦闘がメインの宇宙戦に対して、地上戦なら物陰から隠れて接近戦で誠ちゃんのお母さん直伝の格闘戦の一撃で奇襲を仕掛けて敵を仕留めることもできる……まあ、データではその成功率も40%くらい……多くはその前に相手に見つかって一方的に遠距離から狙撃されてお終い……でも……今回はちょっと違うんだわよね……』
アメリアの残酷めいた率直さは、誠の不安を増幅させる。宇宙という広がりは誠の得意とする『地』を奪う。彼の身体は地上の方がよく機能する。重力、地面との摩擦、物陰……そうした要素は誠の戦い方の道具立てだ。格闘戦による奇襲にしか活路を見いだせなかった誠にとって宇宙はそういう奇襲を成立させるような『道具』を使わせない。
『私は答えを教える係じゃないのよ。見る係。誠ちゃんがそのゲージを見て、何を勘違いして、どこで気づくのか……そこが面白いんじゃない』
再びアメリアの少し残酷な言葉に誠はうなずくしかなかった。
相手が人並みの腕であれば障害物の多い地上の遭遇戦などで格闘戦には自信のある誠にも勝機はある。もし、相手がサイボーグのかなめではなくどう見ても生身の人間に見えるカウラだったとして地上ならなんとか奇襲でケリをつける算段はあった。
しかし、相手は最初から自分はサイボーグで生身の反応速度をはるかに上回ると宣言しているも同然のかなめである。そしてあのかなめの態度から見て、彼女の射撃技術以外の操縦技術はそれなりに高いと見た方がいいくらいの予想はできた。
かなめは、ただの『射撃しか能の無い』人間ではない。
射撃場からハンガーを経てこのシミュレータルームに来るまでの仕草に、一切隙がなかった。
母の道場に来た武人たちと同じ、修羅場を知る者の間合いがある。
その上でサイボーグとしての反応速度まである。
宇宙でも地上でも、勝ち目は見えなかった。
いくら剣道道場の跡取り息子として格闘戦が得意な誠でも相手も互角に格闘戦に慣れているパイロットなら経験と宇宙を苦手として避けてきた誠の弱みから考えて勝ち目はまるで見えなかった。
アメリアの隣に、新たな画面が開く。ランとカウラがそこに並んでいた。ランの顔はいつもと変わらず小さく、しかし眼光は鋭い。カウラはエメラルドグリーンのポニーテールが揺れ、真面目さの奥に冷静さを秘めている。
『そー自己卑下をするんじゃねーよ。こんな状況だってアタシが見たところ格闘戦オンリーなら今のオメーでも勝算ならあるぜ……ただオメーにはその勝機が見えていないだけ……いや、これまで見ないようにしてきたところに、テメーの勝機は転がってる……そのことに気付けるかどーか。それがこの決闘の意味のすべてなんだ……アタシを失望させるんじゃねーぞ』
ランの声は機械越しでも土臭く、だが確信に満ちている。誠は胸の中のわずかな灯をつかまれるようにしてその声を聞いた。
「本当ですか?でもどこに?相手はサイボーグ。僕は生身。反応速度の差は違いすぎますよ……それ以前に僕は、パイロット失格のパイロットですから。格闘戦には自信がありますけど……そもそもいきなり至近距離に飛び込まれて一撃を食らったら終わりというくらいの読みは出来るくらいの格闘戦の技術は僕にはあるんです!」
気の弱い誠にはどんな小さな勝機でも見逃すことができないはずだったが、弱気な誠の心がそれを阻害していた。
『西園寺も格闘戦はそれなりに出来るぞ。ただし、それについて興味が無いだけだ。ただ、その興味が勝敗を分けることがあるかも知れない』
カウラの言葉は短かったが、カウラは簡単にかなめが誠を倒すとは思っていないと誠には感じられた。
『そんなことも教えてねーのか?東和宇宙軍の教導隊は無能ぞろいだな。まず、基本的に西園寺は接近戦は仕掛けねーからな。鉄砲があてにならずに格闘戦ばっかしてたオメーの方が格闘戦に関するノウハウの蓄積はあるわけだ。アイツが格闘戦にも神前より優れている?そんなもん『人類最強』を自認しているアタシから言わせれば誤差としか言えねーな。オメーが地上では物陰から飛び出しての奇襲の格闘戦が得意だってのも知ってる。宇宙だからってそのスキルが生かせないと言うことは言い切れねー……目の前にあるリアルを信じろ……そこに活路は転がってるもんさ……それを見出す才能はオメーにはある……それ以前にオメーには勝てる理由があるがそれは今は言えねー』
ランの語気は乱暴だが、温度に重みがある。誠はいつも思う……ランは地球で言う昭和の精神論をそのまま生身に埋め込んだ人形のようだが、部下への愛情は本物だ。部下を守るためならば理不尽も辞さない。その信頼が、誠の肩を押す。
「評価していただいてありがとうございます。でも、ここは宇宙ですよ……奇襲なんてやりようが有りませんよ。それと中佐がそんなに僕が勝てるっていう理由何なんです?いい加減教えてくださいよ」
誠は苦笑しながらも、ランの言葉を胸に置く。戦いを極端に嫌う遼州人としての彼は『勝ちたい』という衝動に駆られているわけではない。かといってこの場で無能を証明するほど恥ずかしい思いをしたいとも思わない。ただ、ここに居る……『特殊な部隊』に自分が存在する価値を示したい……そういう静かな気持ちが芯にある。
『だから何度も言ってるだろ?接近戦では経験よりは瞬時にどう判断ができるかが試されるわけだ。西園寺は確かに経験豊富だが頭に血が上るところがある。そいつが治ればアタシもアイツを第一小隊の小隊長にしてやりて―が、そこんところだけはどーしてもアイツは治らねー』
いつものようにランのかなめへの評価は容赦が無かった。誠もつい苦笑いを浮かべてしまう。
『その点、オメーはそう言う接近戦での判断力は剣道場でお袋に鍛えられてんだろ?オメーがおびえたりしなければその点でも互角にやれる。相手の心の状況はアタシは今教えた。それを知ってる分だけオメーが有利なはずだ。それを生かせるかどーかはオメー次第だ。アタシは慰めで言ってんじゃねーぞ。勝ち目がねえ奴に勝てるなんて言うほど、アタシは優しくねえ』
ランの言葉に、カウラも静かにうなずく。二人の支持は重い。誠は深呼吸をして、操縦桿を握りしめた。画面上の距離は千、戦闘開始の合図が近い。
正直、勝てるとは思えない。
だが、逃げる理由を探す時間は、もう終わっていた。




