第39話 銀の間合い
『おーい。準備できたか!先輩を待たせるなんざマナー違反だぞ!』
モニターにかなめの勝利を確信したようなたれ目が映し出される。彼女の顔には勝つことが決まった勝利者の陽気さと、どこか子供のような嘲りが混ざっている。勝利を確信して安心しきった笑みさえそこには浮かんでいる。
『もんじゃ焼き製造マシン』と呼ばれる乗り物酔い体質で人に馬鹿にされることには慣れている誠にもそのあまりに緩み切ったかなめの表情には胸に引っかかるものがあった。
「なんとか……心の準備だけは出来ましたから……どうせ瞬殺されて恥をかくんでしょうけど、そんなことはパイロット養成課程で慣れてるんで」
誠はそう答えつつ、操縦桿を確かめる。位相転移式の反応を模した触覚が手に伝わり、機体が低い唸りを上げる。戦いは始まった。
「それじゃあ、西園寺かなめ対神前誠。模擬戦、スタート!」
アメリアの声が静かに宣告を行う。誠は全速で前に出る。シミュレータは位相転移式エンジンの独特の震えを再現し、操縦桿を握る彼の腕が細かく震える。巡航速度の遅さはやはり気になる。だが、加速時のトルクは強く、機体を急旋回させる瞬間の反応は良い。誠はそこに希望を見た。
「遅い……西園寺さんの言う通りこれを採用しなかった東和陸軍の偉い人の判断は正解だ。遅すぎる……こんなので戦争が出来るとこれを開発したスタッフは考えていたのか?飛行戦車で機動力であっさり戦線を突破されてお終いじゃないか。それこそ拠点防衛くらいにしか使えないぞ、この機体は」
先ほどかなめが指摘した通り、この機体05式の巡航速度はこれまで乗ってきた練習用シュツルム・パンツァーのどの機体より遅かった。この機動力ではそもそも次期主力シュツルム・パンツァーコンペに最後まで残ったことや、この機体をランが押し続けた理由が誠には理解できなかった。
巡航速度は最新鋭の訓練用に低出力にデチューンされている89式の半分以下。確かにこれだけ遅ければ上層部が量産を見送るのも戦術などにはまるで興味のない誠にも理解できた。
「運動性は……」
とりあえずこの距離で格闘戦限定であればすぐに撃墜されることはないだろうということで、誠は軽く機体を振り回してみた。
重力制御推進サブエンジンの上々な吹きあがりで、機体は一気に回転する。確かにかなめの指摘通り反応速度は89式のそれをはるかに凌駕していた。確かにこの運動性は十分戦力になる。そのことは理解できるが巡航速度の遅さは誠のやる気を削ぐには十分だった。
『早速05式の短所と長所に気付くとは大したものだな。確かに05式は遅い。半面『運動性』は高いからな。うまく使え!』
カウラがそう言って機動部隊の詰め所では見なかった笑顔を浮かべた。
距離が500に近づいた。
目の前の赤い点だったかなめ機が時間とともに大きくなる。距離が500から400へと縮まる。誠は残骸の陰を使って迂回し、かなめの死角を探る。だが宇宙は意外に視界が広く、あらゆる残骸がレーダーに反射する。隠れることはできても、完全に見切るのは難しい。
「どこから攻める……真正面から行くなんて自殺行為だ……反射神経の競争でサイボーグに生身で勝てるわけがない」
かなめ機のどこに回り込むか。誠は頭をフル回転させて考え始めた。
かなめの自信のありそうな顔を見ても正面から斬り結べるような簡単な相手とは思えない。
当然、この巡航速度を考えれば背後に回れるほど05式の機動性は高くはない。
敵にゆっくり近づいて行って大火力で敵を一掃する。いわゆるナチスドイツの『タイガーⅠ』戦車がソ連や英米軍に対して取った戦法だが、今回は火器厳禁。それもできないし、そもそもそのような戦い方なら射撃にまるで才能の無い誠は百発百中の射撃に特化したかなめにとっくに負けている。
そうなるとどの角度で切り込むかになる。誠は周りの宇宙空間に目をやった。
戦艦の残骸が1つ浮かんでいるのが見えた。そこへの距離は誠の機体の方が近い。
『あそこに隠れよう。他に作戦なんか思いつかない』
誠はそう思ってそのままその残骸の陰に機体を向けた。
『まあ、常識的な判断だな。だが、それが正解だ。神前が自分を知ってることの証だな。アタシは評価するよ』
操縦を見守っていたランはそう言って静かにうなずいた。
「でも、こういった残骸の中は当然レーダーが効かないんだ……西園寺さんの機体の様子が……よくわからないな」
誠はここで身を隠すことの不利益を理解することになった。
残骸の陰に入った瞬間、誠は自分の判断を後悔した。
視界は遮れる。
だが、こちらからも見えない。
隠れたつもりが、棺桶に入っただけかもしれない。
『さて、ここからだ。西園寺への距離はさっきの時点で残り200。その間に障害物は無い。今は障害物で西園寺の位置はつかめない。ただ、西園寺の斬り込んでくる方向は障害物の配置を見ればある程度絞られる。どのタイミングで西園寺が斬り込んでくると思う?そこからがオメーの課題だ。物陰から飛び出しての奇襲での格闘戦でしか生きる道を見いだせなかったパイロットの意地。見せてもらおーじゃねーか』
ランの問いに誠はじりじりと機体を残骸の板の上から顔を出しつつ考えた。
「西園寺さんは……西園寺さんは……西園寺さんは……」
誠の考えはまとまらず、混乱したままだった。こうして誠が迷っている間もかなめ機は確実に近づいてきている事だけは間違いない。勝ちに逸るかなめなら真正面と言うことも考えられたが、横に空いた砲弾の穴からの奇襲という安全策を取ることも考えられる。その選択肢が誠をさらに混乱させた。
『隠れたか。まあ、考えることはそれくらいだよな』
そんなかなめの声には余裕があった。
だが、その余裕は誠を侮っているというより、すでに勝ち筋を見つけた者の声だった。
一方の誠はただ隠れただけでその先の戦闘プランは何もなかった。
そして飛び道具は無い。撃たれる心配もないが撃つこともできない。
この二つの条件以外、誠の頭からはすべて消えていた。
地上戦なら周囲の障害物の異変で敵の接近も気づけてその際に飛び出しての奇襲も仕掛けられるが宇宙ではそれが出来ない。
そして、そんな逡巡の中に誠が居るそのときだった。
一瞬、背後に重力波の反応があるのを感じて誠は振り向いた。
そこには先ほど自分が言っていたことを否定するような速度で突っ込んでくるかなめの赤い機体があった。
戦艦の隔壁に開いた砲弾の命中で壊れた隔壁の間をすり抜けてかなめ機が斬り込んでくる……斬撃が空間を切り裂く。
誠は咄嗟に反応し、残骸の裏に身を潜める。
そこで誠は初めて嫌でもパイロットの誠の目につく位置にある『あのゲージ』が大きく跳ね上がるのを見た。
ゲージはただの表示ではなかった。彼の搭乗に応じて、何かが起動している。
かなめの斬撃は確かに誠機の腹部を直撃したはずだった。
『なんだ!』
カウラの声が驚いてモニターを通じて届く。かなめの刃は誠機の腹部に届いたはずだった。
その瞬間、ゲージが跳ねた。
警告音ではない。
むしろ、機体の内側から誰かが息を吸ったような感覚だった。
誠の視界の端で、空間そのものが薄く歪む。
かなめの刃が届く。
届いたはずだった。
だが、刃は装甲ではなく、そこに存在しないはずの『厚み』に触れて弾かれた。
それは、誠機の前に現れた『防護』らしき現象に見えた。
『出たな……ちゃんと出やがった』
ランだけが、この意外な光景を見ても何一つ驚かずにそれだけつぶやいた。
『あら』
アメリアの声は弾んでいた。
彼女の中でもその現象は予想外ではない。だが、見たかったものを本当に見た者の声だった。
『今のは……防御ではないな』
カウラの声は低かった。
『クバルカ中佐とアメリア少佐の反応を見る限り、偶然でもない。……隊長も人が悪い』
冷静に戦闘を分析して見せるカウラの声は低かった。
小隊長として、彼女はすでに勝敗ではなく、誠という戦力の性質を見始めていた。
突然の現象を見てかなめ機の動きが止まったのを誠は見逃さなかった。
「そこだ!」
かなめは強い。
だからこそ、あり得ない反応には一瞬だけ思考が止まった。
撃てない。
斬れたはずの間合いで、斬れなかった。
その一瞬だけ、彼女は戦士ではなく、理解できない現象を見た人間になった。
正体不明の現象に刃が弾かれてかなめ機がバランスを崩すところを見れば、ここから先は地上戦でも慣れた誠の得意とする格闘戦での奇襲攻撃の出番だった。
考えるより先に、腰が沈んだ。
宇宙なのに、誠の身体は道場の床を踏んでいた。
母に叩き込まれた間合い。
相手の迷いが生まれた瞬間にだけ開く、一歩分の道。
誠はそこへ機体を滑り込ませた。
かなめが気づいたときには既に遅く、誠のダンビラを引き抜いての一突きがかなめ機の致命部に食い込む。
刃が装甲を噛み、硬い抵抗が一瞬だけ腕にずしりと返ってきた。
次の瞬間には、その重さごと砕けるように機体が悲鳴を上げる。
シミュレータの世界では、かなめ機が火を噴き、画面全体が赤い光で満ちた。
爆光が消えたあと、通信が一瞬だけ途切れた。
誰も何も言わなかった。
勝った誠でさえ、自分が何をしたのか分からなかった。
誠は息を吐き、しばし目を閉じる。勝利は不思議と静かで、歓喜よりも驚きが先に来た。
母の厳しい稽古、剣の道場の匂い、幼い頃の音……それが今、宇宙の中で機械を通して活きたのだ。
「母さんの『神前一刀流』……無駄じゃなかったんだな……勝ったみたいだ……なんでなんだろう……おかしいね……でも勝ったみたいだ。これも勝ちは勝ちなんだ……なんだか実感がわかない……模擬戦でもほとんど勝ったことなんかなかったのに……まあ、あの時は飛び道具無しなんていうハンデは無かったのは確かだけど……でも勝ったんだ……勝てないと決めてかかっていた相手に……僕は勝った……」
誠は小さくつぶやいた。まるですべてを予見していたように外界ではランがにやりと笑い、アメリアは細い糸目をさらに細めて黙ってその笑顔で淡い賞賛を送る。
『糞ったれ!どうしてこんな下手っぴに負けなきゃいけねえんだよ!でもまあ……少しは使える奴が来た……そう言うことか……ランの姐御も言う通りコイツは『使える』ってことか……』
かなめの叫びが遠くで割れ、苛立ちと驚愕が混じっている。
『神前誠……あの一撃……あのタイミング……あいつ、本当に今までの新入りとは違う……技量じゃねえ。明らかに何かが違うんだ……それが何かは……叔父貴の言ってたアレか……いや、それだけじゃねえ。それだけじゃねえんだ。そうでなけりゃあアタシはただの間抜けってことだ』
かなめは心の中で誠に対する第一印象が瞬時に塗り替えられた事実を理解していた。
『射撃を封じられた時点で誠ちゃんの今使える『力』ではかなめちゃんのレンジ外からの射撃には誠ちゃんにはどうすることもできないけど……たぶんかなめちゃんも分かってたかも』
アメリアの言葉が、誠のヘルメットの内側で反響する。
誠はそのとき初めて理解する……この『専用』シミュレータのゲージは、彼自身と機体の間に何か特殊な結びつきを作る装置だったのだ。
ランが言った『オメーの機体にしかねーゲージ』という意味を、ようやく少しだけ掴んだような気がした。
勝敗の余韻は静かだ。誠は眼前のモニターに映るかなめの憤怒に満ちた顔を見て、わずかな罪悪感と安堵を同時に感じる。
勝つことは単純に嬉しいわけではない。だが、ここに『居られる』ことを示せたなら、それで良いのだ。
カラフルな髪の運航部の女性士官達の視線も、整備班の視線も、もうたぶん初対面の時のそれと同じものではない……そんな予感がした。
遼州人の誠は、進歩を求めはしない。
だが、自分が在るべき場所に居続けるための最小限の証明は、欲していたのかもしれない。
モニターの光がゆっくりと落ち着きを取り戻す。
誠は深く息をつき、コックピットのスイッチを切る準備をする。外ではランが紙に書いたような大げさな祝辞を口にし、カウラが淡く、しかし褒める目を向ける。アメリアは穏やかにうなずいた。
そして誠は、まだランの言葉の本当の意味をよく理解できないまま、しかし確かな温度として心に残るものを抱えて、シミュレータの座席から立ち上がった。




