第22話 ロールアウトされた女たちと、逃げ場のない朝
誠は『特殊な部隊』の二日目を迎えた。
朝の光はまだやわらかく、窓ガラスに映る自分の顔は眠そうに見えた。寮の二階の廊下には古い蛍光灯の低い通電音がかすかに響き、朝の動きがゆっくりと始まっている。誠はまだ胸の奥に昨夜の喧騒の余韻を残していたが、剣道場の息子として朝稽古に付き合わされることが日常だった少年時代を送った誠の身体は規則正しい生活を求める。
「二日目か……今日は何が有るんだろう……クバルカ中佐はスパルタだとか言ってたな……不安だ……」
窓を開けると、空は広く澄んでいた。夏の名残りの青で、遠くに飛行機雲の筋が一本、ゆっくりと流れている。誠は肩の力を抜き、空の広さを胸いっぱいに吸い込んだ。
誠は下士官寮の二階の自室の窓を開けて空を見上げた。
どこまでも広い空が続いている。
階段を下ると、寮の匂い……古いコンクリートと洗剤、みそ汁の香りと焼き鮭の香りが混じりあうことで今日の朝食のメニューを察した。下士官寮の食堂は簡素だが、そこで芽生える会話は日々の潤滑油になる。誠は肩をすくめて、今日もここに居る自分を確認するように扉を押した。
「おう!神前。着替えなかったのか……汗だくの制服についた匂いはシャワーくらいじゃ落ちねえぞ!菰田は着替え用の二着目をよこしただろ?そいつは当番の奴に洗わせるからシャワーを浴びて、昨日オメエの実家から届いた私服に着替えろ!どうせ几帳面そうなオメエの事だから二着目はきっちり更衣室に仕舞ってあるんだろ?うちでも制服でしょっちゅう通勤して来るのはあのお堅いカウラさんくらいのもんだ」
いかにも自分が誠の面倒を見ると決めたヤンキーらしい責任感から島田がよれよれの制服姿の誠に叫んだ。掃除の行き届いていない階段を下りて入った食堂では明らかに上座とわかる場所で寮長の島田がプリンを食べていた。
島田の段違いな存在感は、この寮の小さな秩序を象徴している。彼は大げさに足を投げ出し、周囲の士気を高めるように笑う。誠はそんな島田を横目に、自分の居場所がここでどう育つのかを案じる。だがまずは朝ご飯だ。食べることは戦いの準備の一種である。
その正面にはなぜか見た目ですぐに運航部のアメリアの部下の嵯峨曰く『変な髪の色のねーちゃん達』の一員である二人の制服姿の女子隊員が腰かけて誠の方に視線を向けていた。
制服の布地が朝の光を受けて鈍く光る。女性隊員たちの存在は、ここに来る新顔にとって一種のバロメータだ。歓迎か、監視か、それとも試験か。誠はただ静かに挨拶を返す。
「あのー……ここって男子寮ですよね?なんで女子が居るんです?しかもアメリアさんの部下でしょ?そのお二人は。あの人、自分の部下の女の子は自分の趣味に染め上げるために完全洗脳する予定だから手を出さないでねとか僕に言ってましたよ。アメリアさんは少佐で、しかも昨日飲んだ限りでは敵に回すとあれほど怖い女性は居ない感じの人なんで……いいんですか?島田先輩もアメリアさんを敵に回しても」
そんな小言を言う誠に何もわかっていないというような表情で笑っている島田の隣で近づく誠を見て二人は笑顔を浮かべた。
ピンクの髪の女性は島田の頬を人差し指でつつきながら能天気に笑っていた。誠が初めて運航部の部屋に入った時にタライを頭に落されて大笑いしていたその女性と同一人物なのはすぐに分かった。一方で、水色の髪のベリーショートの女性は誠の事を心の底から心配そうな顔で見つめている。誠は彼女の心配そうな視線が突き刺さるのが少し不思議に感じるほどだった。
「神前君。昨日はどうだったの?あの三人……うちの要注意女子リストトップスリーだから」
水色のショートカットの女性隊員が心配そうな顔を向けてきた。
その誠は彼女の自然にはあり得ないほどの鮮やかな水色のベリーショートの髪の色は気になった。しかし、昨日の三人の女性のぶっ飛んだこれまでの逃げ出していった5人のパイロットの評価を聞いていたので、誠は『この特殊な部隊にもまともな人がいる』ことを内心で喜んだ。
「どうって……楽しかったですよ……それに危ないって言っても命の危険は無いのは理解できたので大丈夫です」
誠は淡く返答した。胸の内で『楽しかった』という言葉は、あえて封印した。目の前の水色の髪のベリーショートの女性は明らかにあの三人の異常性を気付くだけの常識をもっているこの『特殊な部隊』では誠と同じ同志なのかもしれない。そんな同志を目の前のその危ない女性トップスリーと並ぶ危険人物である島田の前で危ない目に遭わせる目にはいかない。昨日の会話で島田がかなり誠が出会った時に感じた以上にかなり異常な神経の持ち主である事実を知っているだけに誠にはそんな思いが頭をよぎった。
「ホント?また、どうせそう言えってかなめちゃんに銃で脅されたんじゃないの?どうせアメリアやかなめちゃんにいじめられたでしょ?あの二人は本当に勝手で自分のことしか考えてないんだから……」
今度はピンクのロングヘアーの女子が誠の顔をのぞき込む。彼女の言い方はからかい半分だが、そこには純粋な好奇心も混じっている。こちらの方は水色の髪の女性と違って明らかに何も考えていないと分かるようにプリンを満足そうに食べる島田の頬をつついて喜んでいるところから見て『常識』という物を完全にアメリアの洗脳で破壊された被害者なのだろうと誠は苦笑いを浮かべた。
「サラ、心配なんかいらねえって。あのお三方も俺が認めた男を追い詰めるような真似をして俺の面子を潰すようなことはしねえよ。特にカウラさんと西園寺さんの機体を動かせるようにしているのは他でもないこの俺だ。その点では借しがあるのは俺の方だ。こいつはお前は俺の舎弟からな、どこまでも面倒をみるのが俺の役目……おい、神前。あの三人に何を言われたかは知らねえが……テメエ、内から簡単に逃げられると思うなよ?」
島田はテーブルに足を投げ出してヤンキーらしく首に下げたちょいワルを気取った金のネックレスを光らせている。
彼の空気は粗野だが、周りの他の男子隊員もそんなどう見ても野蛮そのものの島田にある程度の敬意を払って寮の秩序を内側から守っている。誠は彼の肝っ玉に安心感を覚えることがある。場を乱す一派を抑える役割を自然に担っているのだ。
「島田君はそう言うけど……そんなやくざや暴走族が手下を逃げ出さないように縛るルールで誠君を縛らないでよ。私は本心を言うわ。うちは馬鹿しかいない『特殊な部隊』だから。早く逃げといた方がいいと私は思うわよ……これまでの5人は人生の正解を選んだ。それだけの話」
そう言うと水色の髪の女性は、隣に座った誠に手を差し伸べた。
その手の暖かさは、ここでの唯一の救いのように誠には感じられた。
「私はパーラ・ラビロフ中尉。運用艦『ふさ』の総括管理担当……まあ、一般的には副長って立場。つまり、『ふさ』の艦長のアメリアとアメリアの乗りに乗せられたうちの女の子と同調した島田君の部下達の『馬鹿』をフォローする『疲れるお仕事』担当……をやらされてる」
パーラはそう言って立ち上がり、前に見た誠の前のパシリだった少年下士官から朝食のプレートを受け取って誠の前に置いた。
『この人……ここに来てからあった人の中で一番まともだ……『特殊な部隊』の唯一の常識人って感じ……それだけに損してそうだけど』
その周りを気にして明るく振舞おうとしてもどこか悲劇のヒロインを思わせる表情を見ながら誠はそう確信した。
「ラビロフ中尉……となりのピンクの髪の人は?」
誠の問いかけにパーラはにっこりと笑った。隣のサラははつらつとした空気を纏っている。
「はーい!私はサラ・グリファン少尉です!正人の彼女なんですよ!うちの隊の女子で彼氏がいるのは私だけ!凄いでしょ!」
サラの声は食堂に軽やかに響き、島田が慌てて照れる。誠は内心で苦笑するが、部隊の温度が少し和らいだのを感じる。
「へー……彼女ですか……凄いですね……彼女がいるなんて……さすが島田先輩……」
誠はそのまま白けた瞳を島田に向けた。その遼州人特有の彼女持ちに向ける『嫉妬』の視線を誠も遼州人である限り消すことはできなかった。
そんな誠の嫉妬に狂った嫌味の言葉に島田はこれまでの余裕の表情を崩して言い訳するような視線を誠に向ける。
「俺は……『硬派』だかんな!清い交際を続けてる訳!つまらねえ詮索するとグーパンチだかんな!」
「正人!カッコいい!」
少し照れながら島田は食べ終えたプリンの容器を先ほどの下士官に渡した。
サラは朝からわけもなく盛り上がっている。
誠が分かったことはこの二人を表す言葉は『バカップル』と言う言葉以外にはありえないことだった。東和名物『バカップル』。地球人なら『そんなの中学生の遊び』というレベルの付き合いを30代や40代の男女が平気で続けている光景は生涯未婚率80%の東和共和国ならではの光景だと元地球人の住む遼州圏の国や地球圏の人々は思っているらしい。
誠は『バカップル』への遼州人の宿命である『嫉妬』ゆえにその関係を完全破壊するという使命を忘れるためにとりあえず部隊で一番『まとも』そうなパーラにこの部隊の真実を聞こうと思った。
「ラビロフ中尉。この部隊って……」
「そんなに気を使わなくてもいいわよ、『パーラさん』で」
パーラは曖昧な苦笑を浮かべ、やや躊躇いながらも話し始める。その口調は平静を保っているが、情報の重さを隠すことはできない。誠は自分の中で準備をする。知ることは時に重荷だが、知らないままでいるより確実に楽になる。
誠はシャワーを浴びる前にこの『特殊な部隊』の真実を目の前にいる部隊で数少ない常識人から聞き出すことを決めた。
「その顔は聞きたいことは山ほどあるって顔ね。でも、その前に私達の髪の色、変でしょ?たぶん隊長も、当事者であるアメリアもそんな事を口にするなんてことを考えるようなタイプじゃないから」
落ち着いたパーラの言葉に誠はどういう反応を返せばいいか迷っていた。
水色とピンクの髪。髪を染めることが厳禁の軍の関連部隊であるこの『特殊な部隊』にはその自由が認められているのかと誠は思った。
「そう言えば皆さん染めてるんですか?それにしては実に見事ですね。東和宇宙軍は髪を染めるのは厳禁でしたから」
誠の素朴な疑問にパーラは一瞬のためらいを見せる。軍の規律と『特殊』であることの境界線。それはしばしば曖昧で、境界を越えた者たちだけがその実態を知る。
誠は戸惑いつつパーラに尋ねた。
「染めてるんじゃなくて、遺伝子をいじられてこういう色にされているの。うちの女子の九割は『ラスト・バタリオン』と呼ばれる存在なのよね。『ゲルパルト第四帝国』……今の『ゲルパルト連邦共和国』が『第二次遼州大戦』の末期に生み出した『戦闘用バイオロイド』つまり『戦うために作られた人工人間』なのよ」
さらりと『ラスト・バタリオン』などと言うSFアニメに出てきそうな言葉や『戦闘用バイオロイド』という言葉を明るく口にするパーラがそう言う存在であると誠はその瞬間には理解できなかった。
「あの国は『白人至上主義』で人種政策で大虐殺をした国でしょ?だから私達と普通に生まれたアーリア人女性と区別をつけるために髪の毛の色が変な訳。戦闘用とあの国が目指した『ある目的』で『ラスト・バタリオン』は女性しか作られなかったけどね」
まるで誠が知っていて当たり前という風に語るパーラの表情を見て彼女もすでに『特殊な部隊』にどっぷりと浸かっている人間なんだなあと思いながら誠はパーラの話を聞いていた。
「その女性型の『ラスト・バタリオン』の知能においては『全人類の頂点に立つ優秀なるアーリア人の母となる存在』として平均のIQは200前後、身体能力は男性のアスリートのそれを軽く凌駕する力が有るように作られ、その因子がその子供に遺伝するように作られた……まあそんなことを言っても神前君には分からないでしょうね……どうせこの前来た5人も結局は理解できないみたいだったし」
パーラの口からそれが自然に出ると、部屋の温度が一度だけ下がった気がした。誠はその言葉の意味を飲み込もうとした。遺伝子操作、戦闘用バイオロイド、女性型のみという設計……どれも現実味があるには重すぎる概念だ。
パーラがとんでもないSFアニメのありがち設定をさらりと言っている間も、その髪の色から判断すると同じ運命を背負っているはずのサラは島田と馬鹿話をして大笑いをしている。
「『戦闘用人工人間』なんですか?お二人とも。僕には普通の『人間』にしか見えませんが……」
顔を引きつらせながら誠はそう言った。
誠が横を見た。
そこには島田とサラは何故か窓の外を指さして立っていた。
お互い誠にとっては意味不明な言葉をしゃべって、感涙にむせび泣いている。少なくとも果てしの無い馬鹿の島田と同レベルで笑いあえるサラがIQ200の天才にはとても見ることができない。
とりあえず誠はこいつ等は無視することにした。
「他にもいるわよ。運航部はアタシとサラを含め全員女子で、全員『ラスト・バタリオン』。あと、機動部隊の部屋の誠ちゃんの前に座ってる娘。あの子も視力は8.0。普通じゃあり得ないでしょ?でも『ラスト・バタリオン』としては普通かな……まあ、アメリアは特別製の先行起動型だからもっと上かも知れないけど」
パーラは機動部隊の女子三人の中に悲劇の『戦闘用人造人間』の運命を背負った悲劇のヒロインがいると言った。機動部隊の部屋の誠の席の前には二人の女性が座っているが、どう考えても『西園寺かなめ中尉』の方が戦闘的だった。しかも、『ロボ』である。
言葉にされると事実はより強くなる。誠は頭の中で『ラスト・バタリオン』という単語を何度か反芻し、その音の重さに慄く。彼は自分がただの補助ではない可能性をちらりと感じるが、それが何かはまだはっきりしていない。
「あ、たぶん神前君の想像の逆。かなめちゃんは『甲武国』で一番のお姫様だったりする人だけど、本人が『それを知った人間は全員殺す』と言ってるから知らない方が良いわよ……あの人これまで隊員を殺したことは無いけど実際に発砲するのは日常茶飯事だから」
かなめではないことはパーラの人の良さそうな言葉から分かった。同時に、『かなめに確実に殺される』方法を知ってしまった誠は青ざめた。
「神前君!顔色が青い!面白い!」
誠を見たサラが大爆笑している。誠には何度見てもサラのIQが200を超えているようには見えなかった。
そもそも誠が見ている間能天気な笑顔しか浮かべていないこの女に『戦闘用人工人間の悲劇』と言う過去があるとは信じられない。
そこで誠は改めて彼女を『無視』することに決めた。
『戦闘用人工人間の悲劇』と言うと……誠はひたすら考えた。
そうなると、当然誠の脳裏には『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐の萌え萌えフェイスが浮かび上がる。
きっとクバルカ・ラン中佐だ、そうあってくれ!その方が安心して『萌え』られる!そして何しろ『人外』の『魔法少女』である。古典とされるバトル系魔法少女アニメにも魔法を使うために身体を調整された人工人間の少女がヒロインの作品があったことを思い出していた。
そんな記憶を掘り起こしながら誠はパーラを期待の目で見つめた。
「これも私の予想だけど神前君の期待には沿えられそうにないわね。クバルカ中佐は何処まで行っても神前君と同じ遼州人。だから『遼南共和国』の元エースなのよ。ゲルパルトで製造された私達『ラスト・バタリオン』とは無関係よ。でもこれって逆に神前君にはショックかもね……あんな人類を超越した化け物に自分も変貌して『魔法少女』と呼ばれてしまう運命が待っていたら……私だったらそのままその運命を拒否して海に身を投げるわね」
誠は驚くと同時にパーラにある種の危険な匂いを感じて少し身構えた。
この2つの消去法の結果に誠は驚愕した。
残りは……どう考えてもあの第一小隊小隊長、カウラ・ベルガー大尉しか残らない。
思えば彼女の髪の色が緑な時点で気づくべきだった。
自然には有り得ないエメラルドグリーンの髪の色はまさに『ラスト・バタリオン』の条件を満たしていた。
「カウラさんは確かにどこか人工的なところがありますからね……言われてみれば納得できますけど……ぼくはさすがに強くはなりたいですけど『人外』認定もされたくないですし、少女じゃないんで『魔法少女』にもなりたくないです」
誠の言葉にパーラの表情が曇った。
自分が使った『人工的』という言葉が彼女を傷つけたことに気が付いて誠はハッとした。
言葉は刃にもなり、絆にもなる。誠は即座に反省し、表情を和らげる。遼州人として、余計な争いを生まないようにと自分を抑えるのが彼の常だ。
誠の不用意な言葉に意外にもパーラは傷ついていないようだった。
パーラはそんな誠の心情を悟ったように、にこやかにほほ笑むとそのまま話を続けた。
「『人工的』ねえ……初対面の人はそう思うかもしれないけど私はそうは思わないわよ。あの娘、意外とパチンコが好きだったりするのよ。地球じゃ普通のAI搭載のアンドロイドがパチンコに全給料ツッコんで闇金からお金を借りたなんて話を聞いたことがある?だから、カウラちゃんはある意味私達の希望なのよ……あの子はロールアウトが一番遅かった調整が難しい『ラスト・バタリオン』だったわけだから。そんなカウラちゃんでさえ普通の『駄目な』遼州人と同じレベルで生きることができる……その点、私は……どこまでも常識人でみんなから『ラスト・バタリオンから抜け出せない』とか言われてる……自分でも人間らしく生きようとは思ってるんだけどね……」
その言葉で、食堂の空気が一瞬和む。カウラ・ベルガー大尉がパチンコ皿を前に目を輝かせる姿……対照的で滑稽な光景が、誠の頭の中で滑りはじめる。
「パチンコ……ですか?確かに『駄目な』遼州人と僕が認定していた大学の先輩はパチンコとマージャンは欠かせない要素でしたね」
思わず声が裏返る。誠はあの氷のような表情でパチンコ屋の開店を待っている姿を思いえがいて少し驚愕した。
冷静沈着なカウラが無表情でパチンコを打っている姿は誠には想像もつかなかった。
「まあ、うちに配属された当初はそれはもうかなりの依存症だったのよ。それこそ給料全部つぎ込んじゃうぐらいじゃ足りなくて闇金に連絡入れて多額の借金を抱えちゃうくらいのひどいもの。だけど今はクバルカ中佐の『荒療治』で、まあ週に1回程度に収まってるけど……そんなこんなで今では結構勝ってるみたいよ。この前も私とサラにプレゼントくれたし」
パーラの淡い笑みは、過去の荒波を映している。人は矛盾の器であり、強さはそこでどう均衡を取るかにある。誠はそのことを心の中でそっとメモする。
パーラは何気なく『依存症』などと言う言葉を口にした。
「そんなに……あの堅そうなベルガー大尉がパチンコ依存症だったなんて想像もつかないですけど……ギャンブル依存症は隊長だけで充分でしょ」
正直、誠にはあの真面目そうなカウラがそんな過去を持っていたなどとは想像もつかなかった。
「人は見かけによらないものよ。カウラちゃん『パチンコの無い生活は想像できない』とか言ってたわよね」
島田とじゃれあうのに飽きて振り向いてきたサラの言葉が誠のカウラ感の崩壊に追い打ちをかけた。
そして以外にもあの無表情なカウラにそんな一面があることを知って誠はなぜか親近感を覚えている自分を見つけた。
「そんな『パチンコの無い生活は想像できない』って言ってるんですよね。パチンコチェーンがあるんですか『ゲルパルト』には……パチンコって東和にしか無いと思ってました。甲武は『大正ロマンの国』が伝統だから大人の遊びは『飲む・打つ・買う』で、賭博は国営競馬と非合法のサイコロ賭博しかないって聞いてるんで」
好奇心に駆られて誠はそう言った。
パチンコ屋だらけのここ東和共和国ならいざ知らず、外惑星のドイツ文化圏のゲルパルト連邦共和国にパチンコ屋が存在するのが想像もつかなかった。
「ああ、私達の『製造プラント』は大戦末期に私達を製造した『ゲルパルト第四帝国』と敵対する『連合軍』に接収されたから。私もサラも、当然カウラちゃんも、前の戦争では中立だった『東和共和国』が『連合国』に無制限に引き受けを約束した戦時国債の前払いという名目でこの国で『ロールアウト』したのよ。『ロールアウト』なんて言うと分かりずらいわね、いわゆる社会に出たって言うこと。だから出身国や国籍は『東和共和国』よ。カウラちゃんが『ロールアウト』した施設の周りには、当然ながら『パチンコ屋』が周りにいっぱいあったでしょうね。あの子は後期覚醒体だから施設を出たら何もかも珍しかったんでしょ?そこにたまたまパチンコ屋があったら……それこそ生活を投げうってはまり込むのも無理は無いわよ」
パーラの説明は教科書とSFアニメの設定を混ぜたような話だったが、要するに……『この部隊の女子の九割は、戦場用に『作られた』人間だ』ということだけは、誠にも分かった。
それとパーラが言う『ロールアウト』の意味が『出荷』という意味らしいことも『ラスト・バタリオン』が自分を語る専門用語なのだと理解できた。
そして、カウラの出荷先がどうやら『パチンコ屋』の近くだったことは想像がついた。
「でもパーラさんはパチンコやらないですよね?」
ギャンブル依存症の気配の無さそうなパーラに誠はそう問いかけた。
「ギャンブルなんて胴元が儲かるようにできてるもの。初期覚醒体の私やサラはそこら辺の教育はちゃんと受けてから『ロールアウト』したの。でも後期覚醒体のカウラがどんな教育を受けて『ロールアウト』したかは知らないし、今はカウラの唯一の趣味なんだから。邪魔しちゃだめよ」
人造人間の『失敗』として語られるものが、誠にはむしろ羨ましいほど人間らしく見えた。パーラの言葉は優しい。誠はその優しさを享受する。ここに来てからまだ二日めだが、彼はすでに何人かの顔を覚え、数少ない『屋台骨』が見え始めていた。常識人のありがたさを理解するのが遅くないのは、彼にとって救いだ。
パーラはあくまで常識人だ。誠の確信はさらに深まった。
そこでパーラは突如、目を潤ませて誠に寄り添ってくる。
「そんな過去や生まれを気にしては駄目よ。私だって好きで『ラスト・バタリオン』に生まれたわけじゃないんだから。それより……」
言葉の節々に疲労と諦念が混じる。誠はその薄い影を見逃さない。作られた存在である彼女たちにも、選択の余地があったのだろうか。パーラの語りは慈愛に満ちており、誠は自然と肩の力を抜いた。
『悲劇的な生まれの過去を持つ』女性。パーラ・ラビロフ中尉の心からの救済を求める視線を感じた。
「神前君……一緒に逃げましょう……この『特殊な部隊』から……昨日一日で分かったでしょ……この部隊は変なのよ……少しでもまともでいたかったら逃げるしかないわ!神前君の前に来たまともな補充人員だってこの異常な部隊から脱出できたんだもの。諦めたらだめ!逃げるなら早い方が良いわ!どんな生まれの人間でもここの色に染まったらそれこそ他の部隊では使ってもらえなくなるどころか、一般社会からもつまはじきにされるわ……他の子がみんなこの『特殊な部隊』に染まっていく中で、せめて自分位はまともであろうとしてきたけど……もう無理。神前君の神経がまともなうちにうちから他所の部隊に転属願いでも出しましょう!」
パーラの提案は温かいが現実的でもある。誠は瞬間的に転属願いの手続きの煩雑さや、上層部の意向を思い浮かべる。誠には、その必死な誘いが、自分よりもまず『後から来た新人』を守ろうとする悲鳴のようにも聞こえた。
誠は思った。
5人の常識人が誠の座る椅子から去っていった。
ここは常識の通用する部隊ではなく『特殊な部隊』であることは、昨日の人事部の禿げ大尉の説明やランの『パワハラ・セクハラがまかり通る部隊』という言葉からも手に取るように分かる。
もし誠がこれまでの常識を持ち続けようとすれば、ここでパーラ抱きしめて一緒に逃避行をするべきなのだ。
誠の第六感がそう告げていた。
彼女も誠と同じこの『特殊な部隊』の異常なノリの被害者である自覚があることがその何よりの証拠だった。
「パーラさん……」
感極まった誠。涙を浮かべるパーラ。見つめあう二人。
「でも、無理かも……私もこの『特殊な部隊』に染まってきちゃったし……もしこれが部隊創設当時なら……きっと……」
「パーラさん……」
二人の視線が交差する。逃げたい気持ちと、ここに残る義務感。どちらを選ぶかは簡単ではない。誠は静かに心の中で秤を動かす。遼州の美徳は「足るを知る」ことだが、足ることを見失うと自己が崩れる恐れもある。
同じ不幸な境遇を共有する二人が見つめあった瞬間だった。
「神前。さっき俺が言った言葉を覚えてねえのか?それでも理科大出てるのか?簡単には逃げられねえように出来てるんだよ……甘ちゃん。オメエにゃ常に俺の部下が監視についてるんだ。逃げようと思った瞬間に俺の所に連絡が入るようになってる。オメエは俺の『舎弟』なんだ。逃げたきゃ俺を上回る想像力を駆使してみな。理科大出てるんだろ?出来るだろ?」
島田の声は空気を切り裂くように響いた。彼のジョーク交じりの脅しが場の緊張を一瞬で別の種類の笑いに変える。誠は腹に鈍い痛みを感じた。言葉の裏にある監視の事実を、その若い顔でどこまで理解しているのか。
誠の腹部に激痛が走った。顔を見上げるとにやりと笑う島田の姿が見える。
島田の右ストレートが腹部に炸裂したのがその痛みの原因だった。
喧嘩半分の一撃だが、そこに『序列』を刻む意味がある。軍隊は時に粗暴で、大きな親しみの裏に抗いがたい力関係を内包する。誠は痛みに顔を歪めつつ、それを受け止める。遼州人としての彼は、痛みを誇ることなく、しかし逃げることもしない性向がある。
「神前君!」
パーラの叫びがむなしく響く。その隣では島田の暴力を『活躍』と認識して手を叩いてはしゃぐサラの姿があった。
「そうよ!今日も出勤!お仕事お仕事!」
元気にサラが立ち上がり、食べ残しのある朝食のプレートを食堂のカウンターに運んでいく。
日常に戻る力は強い。場の空気はすぐに切り替わり、非日常はいつもの朝食に溶け込む。誠はそのリズムに身を任せ、胸に湧く迷いをいったん棚上げすることにした。
そんな誠の本心を見切ったように吹っ切れた笑みのパーラが誠に笑いかけてきた。
「ごめんね、神前君……いいえ、誠ちゃん。さっきのは冗談よ。さっさとシャワーを浴びて準備してきなさい。私の車があるから乗せてあげる」
パーラはそう言って立ち上がった。
暖かい言葉が再び場に置かれる。誠は戸惑いながらも、彼女の申し出を受け入れる決意をする。逃げるか残るかは今日決めるものではない。小さな選択の積み重ねが、やがて道筋を作る。
「冗談ですか……」
誠はころころと表情を変えるパーラを見て彼女もまた『特殊』なのだと理解して笑いながら立ち上がるとそのまま食堂を後にした。まともな人ほど、この部隊では一番『特殊』なのかもしれない……と誠は思った。
階段を上ると、朝の光が窓から差し込み、床に幾何学的な影を描く。誠は制服を抱えながら、自分が今日どう振る舞うかをゆっくりと決めていった。




