第19話 教科書の怪物たち
ランは誠を待たせたまま、小さな手に握っていたハンカチをタイトスカートのポケットに押し込んだ。
二人の前にはまるで高校の教室の入り口のような引き戸があるばかりだった。
この中には『銀河で最も危険な生き物』と誠が思っている地球人の女が二人いる。
誠の頭の中では、小学校の社会科資料に載っていた挿絵が勝手に浮かんでいた。
燃える都市。
泣き叫ぶ遼州人。
その向こうで、無表情に引き金を引く地球人兵士。
もちろん、それがどこまで本当なのか、誠は知らない。
知らないが、知らないからこそ怖かった。
「普通の扉ですね。地球人みたいないつでも核ミサイルの起爆スイッチを持ち歩いているという危険な存在を入れておくには扉の強度が足りないんじゃないですか?それにさっきの話だとその一人は常に銃を持ち歩いているらしいじゃないですか。防弾装備とか扉につけないと危なくて出入りできないですよ?相手は地球人の血を引いているんでしょ?僕も防弾チョッキぐらい着て勤務しないと危ないんじゃないですか?」
誠は正直な感想を言った。
誠がランを見下ろすと、少し憐れむような視線がそこにあった。
「オメーなあ。確かにオメーは遼州人だがこの東和共和国を守って来た東和宇宙軍の訓練を受けた一応は軍人だろ?軍人は戦場にあってはいつ死んでも文句は言えねー仕事なんだ。だから覚悟を決めろ。まーオメーの言う通りこの扉に防弾装備を付けるというのはアタシも思いつかない良いアイディアだ。あのガンマニア女は時々この扉を銃で撃ち抜くからな。あの馬鹿を閉じ込めて出られない様にコンクリで固めるところまでやればさらに完璧だな。アイツ等の『ヤバさ』は地球人の血がそうさせるんだから世の中の平和のためにそれくらいのことはやったほーが良ーかも知んねーな。さっき言ったように相手は血も涙もない地球人の典型例だと思え……つまり遼州人であるオメーは瞬時にその快楽のために殺されて当然の存在だ。特にさっき言ったオメーの正面に座る女は気分次第でためらいなくオメーの額に銃で穴をあける」
そう言ってランはニヤリと笑う。
「そうですか……地球人……確かに地球人は怖くて関わり合いにはなりたくないですけど……その中佐の口調……それ以上の何か問題でもあるんですか?地球人だって小学校の教科書で習ったように年がら年中殺し合いをしてたら全宇宙で140億人なんて数になる前に殺し合いで絶滅するでしょ?そもそも僕達小学生だって地球人があんなに年がら年中戦争をしていたなんて信じられないですよ。400年戦争が一回も無い時代くらい地球にも有ったんじゃないですか?そう言ってくださいよ!そうじゃなきゃ怖くて僕はこの扉を開けられませんよ!」
誠の冷や汗をかきながらの言葉を無視して、ランは扉を開けた。開かれた扉の向こう、室内に入った誠が見たのは不思議な光景だった。すべての机が手前の扉に寄っていた。空いている空間が広すぎた。奥には大きな机があり、ランは迷うことなくそこに向かった。
確かにランはこの部屋の主だった。
扉の向こうは詰め所のような執務スペースで、大きな机とモニターがいくつも並んでいる。奥の机の前に二人の女性士官が座っていた。エメラルドグリーンのポニーテールの女性が一度だけ顔を上げた。
その遼州人に比べてはっきりとした顔立ちと鮮やかなエメラルドグリーンの髪は誠の心に強く印象を残した。
エメラルドグリーンの髪。
遼州人にも地球人にも見えない、誠の知っている分類から外れた色だった。
だから余計に怖かった。
教科書に載っていないものは、教科書に載っている怪物よりも判断に困る。
『緑色の髪?地球人の髪は金色と茶色と黒って聞いてるけど……クバルカ中佐の言う通り本当にこの人地球人の血を引いてるの?地球人の髪が緑色って……地球の古いアニメにはそういう人物が出てきたけど……本当だったんだ……』
その目鼻立ちのはっきりしたエメラルドグリーンの髪のポニーテールの士官はキーボードの手を止めずに言った。
「新入りか。どうせ一週間で消えるだろ。挨拶は必要ないな」
その言葉は冷たく突き放すようだった。誠は咄嗟に敬礼をしようとしたが、相手はすでに画面に集中している。部屋の空気は一瞬張り詰める。ポニーテールの女は仕事中、真面目そのもので、目は常にモニターに向いている。それでもいきなり『殺されはしなかった』という事実だけが、誠の背中をそっと押していた。
地球人は全員遼州人を見ると殺そうとすると思い込んでいた誠は彼女にとりあえず自分に対する殺意が見えないことに安堵の息を吐いた。
「おい、新入り!入口、早く閉めろよ!」
ランが『射殺女』と呼んだ遼州人によく似た見た目の方の女性がハスキーボイスで誠を怒鳴りつけた。
確かにその口調は誠が想像する常に核ミサイルの起爆スイッチを肌身離さず持ち歩く地球人のイメージそのままだった。
「聞こえてんのか!廊下は空調が効いてねえんだ!生ぬるい風が入ってくんだろ!殺されたくなければさっさと閉めろ!」
もう一人の黒いおかっぱの女が淡々と言った。机の上には分解された拳銃の部品が整然と並び、彼女は慣れた手つきで組み上げている。
机の上には分解された拳銃の部品が整然と並び、彼女は慣れた手つきでそれを組み上げていた。
ランの言った通り、その銃がもし整備中でなければ、自分はもうこの世の人ではなくなっていたかもしれない。
誠はそう思い込み、慌てて詰め所の引き戸を閉めに走った。
『この人がクバルカ中佐が言ってた『射殺女』か……今は銃は撃てない状態だ……その間は安心だな……確かに地球人の血を引いているだけあって血に飢えている感じの雰囲気だ……もし中が発射可能だったら僕は殺されていた……なんと言っても相手はアノ人殺しを何とも思わない地球人の血を引いているんだからな……』
誠はそのおかっぱの士官の様子を観察しながらそんなことを考えていた。そんな誠の心を読んだようにたれ目が一度明らかに殺意のこもった目で誠をにらんだ。
その黒髪のおかっぱの士官が顔も上げずに言った。
「アタシは西園寺かなめ。階級は中尉だ。上官だぞ……敬礼はどうした?ああ?」
銃のスライドを器用にセットし、完成した銃のスライドを引いてその動作に引っかかりが無いかを何度も手にして確認している。
かなめの姿は誠にとっては怖くないわけではない。
むしろ、かなめの口調も、銃の扱いも、誠の知っている安全な世界からは遠すぎた。
それでも、不思議と嫌な感じはしなかった。
少なくとも彼女は、誠を殺すために銃を組んでいたわけではない。
自分の仕事をして、自分の場所にいるだけだった。
誠は慌てて敬礼をするとそんな彼女が作業をしている間に彼女の半そでから見える腕に筋が入っているのに気付いた。
かなめは立ち上がって誠を見つめた。誠はいつでも逃げられる覚悟を決めながらかなめと向き合って立った。
「気付いたみてえだなアタシはサイボーグだ。子どもの頃にテロに巻き込まれてね……脳以外が全部駄目になってな。そっからこうなった。それだけの話……オメエにそれ以上言う必要はねえ」
かなめの言い方は淡々としている。隠すでもなく、誇るでもなく、ただ事実として告げる。そこまで言い切るかなめの声音には、哀れみを拒む硬さと、どこかそれを許す緩さが同居していた。誠は一瞬たじろいだが、彼女の目には無駄な感情がなく、むしろそれが信頼の基準になっているのだと感じた。
二人を見てわかったことは誠が教わってきたように地球人の血を引いているからと言っていきなり遼州人を殺す訳ではない。その事だけが今のところの誠の収穫だった。
「この緑の珍妙な髪の女がカウラ・ベルガー。階級は大尉。アタシ等の小隊長様なんだと。シュツルム・パンツァー乗りが三人で、ランの姐御がその隊長。オメエは今のパイロットでは唯一の野郎ってことだが……期待してねえよ。これまで来た奴もみんな野郎だが一週間と持たずに出て行った。オメエもどうせその口なんだろ?別に気にしてねえけど。使えねえパイロットは居るだけ予算の無駄だ。『強力な敵より無能な味方』の方が戦場じゃあ怖い存在なんだ。オメエも無能な味方って顔だな。足手まといになる前にとっとと消えろ」
かなめは肩の力を抜いて言うと、完成した銃を丁寧にホルスターに収めた。誠は彼女の腕にある機械的な継ぎ目や、程よく鍛えられた筋肉を見て、畏敬にも似た感覚を持った。カウラは静かに誠を見てから、ゆっくりと顔を戻して仕事に戻る。
かなめは不意に立ち上がると銃を何度か叩いた後、誠を避けて扉へと向かった。
「西園寺中尉!」
かなめの背中を追った誠に、かなめはドアに伸ばした手を止めた。
「タバコだよ。二十歳過ぎてんだからいいだろ?オメエにアタシのお世話係を頼んだ覚えはねえな」
それだけ言うとかなめは出て行った。
誠はただ立ち尽くすだけだった。
しかし、不思議なことに気分が悪くはならなかった。
少なくとも、自分が教科書で見たような怪物そのものではないらしいということを、二人が示した。
その感覚は自分でも説明できないが、なぜか彼女達に暖かいものを感じていた。地球人の血を引く人間に遼州人の自分が何かこれまで感じたことのない説明できない感情を抱いている。誠は不思議に思いつつもその結論が『笑顔』で終わるということに驚きと安心の念を抱いていた。
かなめがドアを開けて出ていくのを、誠はただ見送ることしかできなかった。
ランがそっと誠の隣に寄り添い、低い声で言った。
「西園寺は面倒くせー奴だ。カウラも分かりにくい奴だ。けどな、どっちも悪い奴じゃねえ」
ランは、まるで何十年も年下の部下を評するように言った。
その言葉を吐いているのが、自分の腰ほどの背丈しかない少女にしか見えない存在だということに、誠は少し混乱した。
見た目だけなら、ランは今すぐ小学校の教室に戻っても違和感がない。
それなのに、かなめとカウラを語る声は、完全に年長者のものだった。
叱るでもなく、甘やかすでもなく。
長く見てきた者だけが持つ、諦めと信頼が混じっていた。
ランのフォローに誠はランに向けて素直に自分の思ったことを伝えることに決めた。ここではそれが許される。そんな気がしていた。
「なんだかちょっと怒らせちゃったみたいで……僕が悪いんですかね?」
ランは首を振って笑った。
「ちげーよ。気にすんな。まだオメーに心を許してねーだけだ。いつもはもっと能天気で、下ネタが好きな明るい奴等だ。時間かけて慣れさせるさ。西園寺は地球人と遼州人のハーフだ。どっちかというと遼州人の血が強いというが……ただ、あの攻撃性はまさに地球人というところだな。確かにオメーを一番殺しそうなのはアイツなのは事実だがな」
ランの言葉は荒っぽいがどこか温かい。
誠は心の中でほっと息をついた。
「地球人とか遼州人とか関係なく西園寺が人見知りなのは認めるよ。いろんな人間がいるんだから、そんな人間もいる。けど、そういう風に信頼を築いて、心を開かせる。それが人を理解するということだと思うが……アタシの考え、間違ってるかな」
これまではちんちくりんで毒舌しか話さない、奇妙な生命体だと思っていたランから立派な言葉が発せられたので誠は言葉を紡ぐことができなかった。
「ああ、信頼されてからじゃないと……本当のその人は理解できないですよね」
誠はそう言うと頭を掻いて照れ笑いを浮かべた。誠は、一瞬だけ、自分の母の道場で聞いた言葉を思い出した気がした。
「分かってくれたか。だから信頼もされていない相手の過去を知ろうとする詮索屋は嫌われるんだ、じゃあついてこい」
そう言うとランは扉に手をかけた。
「どこに行くんですか?」
立ち尽くす誠を見てランは大きなため息をついた。
「決まってんだろ。隊長室だ。オメーをここに嵌めた張本人に会わせてやる」
ランはにやりと笑った。
「気に入らなかったら殴っていいぞ。そん時はアタシも加勢する」
そう言ったランの小さな背中についていくことにした。
誠は、まだ自分の席すら知らないこの職場で、最初にぶん殴るべき相手だけははっきりしているのだと苦笑しながら。




