第214話 永遠の撤退戦
「『廃帝ハド』よ……アンタを見ているとなんだか同情したくなってくるのは気のせいかな?もしそれが俺の余計なおせっかいだというならそう言ってくれ。それなら俺はアンタに対してどんな非情な手でも使える。その方が俺としては気が楽なんだ……アンタもいくつもの反乱を鎮圧してきた実績があるんだろ?だったらその時に相手が人でなしだと思った方がそいつに加える過酷な討伐とそれに伴う殺戮を心一つ動かさずにできたんじゃないかな?地球人にもそういう人間はうんざりするほどいるみたいだからね。それと似た考えの人間がこの遼州人の中に生れたところで一つも不思議なことは無いだろうし」
嵯峨は写真の男を見つめて静かに呼びかける。その顔には同情と憎しみと憐みが入り乱れた複雑な表情が浮かんでいた。明らかなる敵、倒すべき敵に対する言葉にしては嵯峨の口調はあまりにも穏やかで優しさに満ちていた。それは誰が聞いても嵯峨がこれまでで一番憎むべき敵の写真を見ながら話している言葉の口調としては穏やかに過ぎると誰もが思ったことだろう。
しかし、嵯峨にとってはその倒すべき敵に憎しみを感じることができない自分に気付いていた。そもそも嵯峨は敵に憎しみを抱いて戦いの場に立ったことは一度も無かった。むしろ敵を殺す時は常に敵を愛していたのかもしれないと嵯峨は思っていた。
その結果、これまで嵯峨が戦った敵の中では最強の敵であったランは今は嵯峨のそばにいて嵯峨を支え続けてくれている。嵯峨は地球の聖人が『汝の敵を愛せ』と言ったことを思い出し、そんな聖人の言葉がかつての嵯峨の最大の敵だった『真紅の粛清者』が、今では嵯峨の最大の武器となって、これから嵯峨が戦おうとする敵たちの脅威となっている事実に気が付いて自然と笑みが浮かんできていた。
「アンタは40年ほど前に封じられていた遼帝国の山岳地帯に広がってる虚数空間から救出されて復活したらしいね。でも復活なんかしたくなかったんじゃないかな?自分の起こした災厄で何人の犠牲が出たかを、もしアンタに気にする余裕があるなら……そう考えるんじゃないかなあと俺は思うんだ。俺ならアンタの封じられる前にした所業を考えたら復活なんかしたくないよ。醜く変わった見るに堪えない世界……そんなものをアンタは見たかったのか?アンタが世界を醜く変えるからアンタはこれ以上世界を醜くしないことを願った女性に封じられたんだよ。あの人は言ってたよ……もう二度とアンタの顔は見たくないってね……その人を愛したアンタには少し残酷な現実かも知れないけど、それが事実なんだからどうしようもないよね」
タバコの煙がゆらりと揺れ、写真の顔を一瞬曇らせた。嵯峨は一度タバコに視線をやると灰皿に伸びすぎた吸殻を落とした。確かに最強の敵であったランは今や嵯峨に意見が出来る数少ない人物としていつも嵯峨の隣にいた。しかし、『廃帝ハド』とは嵯峨は絶対に相容れることは無いだろうことは十分想像がついた。
ランは確かに最大の敵だったが、彼女が望んで戦場にいた訳では無かった。彼女は戦うこと以外の何も与えられず、ただ道具として戦場に立って嵯峨の前に立ちはだかり続けた。だから、嵯峨がランとの勝ち目の薄い戦いに勝利した後にランが嵯峨についていくことを誓ったのはある意味当然だと言えた。
しかし、『廃帝ハド』は自らの意思で戦いの場にいる。正確に言えばまだ『廃帝ハド』は戦いの準備を整えているだけであってその戦場はまだ存在しない。
ただ、嵯峨も『廃帝ハド』もその戦いが間違いなく起きる事だけは確実だと思っていた。そもそも『力あるものが支配する世界』を実現するために力無き者すべてに宣戦を布告することを目的としている『廃帝ハド』とそれを拒絶している嵯峨がいつの日かぶつかり合うのはあまりの必然の話しだった。
その日が来るまでの期限付きの平和の日々。いや、嵯峨にとってだけでなく『特殊な部隊』にとって敵は『廃帝ハド』だけではない。数多くの『廃帝ハド』に匹敵する敵が嵯峨の前に立ちはだかることは十分わかっている事実だった。そしてそれが『特殊な部隊』に定められた避けられない戦いなのは嵯峨が一番よく分かっていた。
「俺もランも『不死人』だが、殺されて当然の罪を犯して、それを償うためだけに生かされてる……俺はその事を一生背負って生きるつもりだ。ランも顔には出さないけどかなり苦しいんじゃないのかな?アイツの善意でやってる時には死人が出かねない馬鹿なことを見ていると俺にはそう思えるよ。俺はアイツの言う『駄目人間』流の娯楽でごまかし、ランは食うことと飲むことと善意と称して馬鹿をやることでそんな苦痛を忘れることができると思い込もうとしているんだ。滑稽だろ?これまでのアンタの行動を俺が知ってる情報からつなぎ合わせるとアンタにはそんな様子はないみたいだけど……それはアンタが壊れているのか、それとも俺達が壊れているのか……まあ、そんなことはアンタにも俺達にもどうでもいいことなんだけどな。だが、俺達みたいにひたすら忘れようとしても罪の意識が時に呼び起される人生……そしてそれが未来永劫永遠に続く人生……苦しい人生だぜ……アンタも同罪なのに全く罪悪感を感じてないと見える……そこを見てみると救いが無いのは俺達かな?それもアンタか?」
言葉の端々に、疲労とも諦めともつかない重さが滲む。嵯峨にはいくら享楽にふけろうとも罪の意識から逃げられない自分と、いくら食と酒と部下を鍛えることに人生の価値を見出そうとしても隠しきれるものではない嵯峨とランの時に見せる罪の意識を思い出して苦笑いを浮かべた。
「本当にアンタは『力ある者の世界』を実現しようとしてるのか?今度は遼帝国一国だけじゃなくて宇宙規模で宇宙を醜く変えたいのか?確かに力を持たない地球人たちはあこがれてるみたいだね、そういう世界。だから『金』と言う力を作り出し、それを基準として社会を規定した世界である『自由と民主主義と資本主義こそが正義である』と言う価値観を宇宙全体に広げようとしている。その為には核を始めとする技術力で敵とみなした相手を徹底的に皆殺しにする。ただ、アンタや俺やランの法術と言う確固たる『力』の前では『金』が生み出した社会システムが正常に動いているということを前提とした力なんて何の意味も無い。だからアンタは地球圏なんて瞬殺できると考えている。その意味では『金』の価値を認めながらもその本質を理解している『ビッグブラザー』も同じかな?まあ、『ビッグブラザー』はアンタよりもっとドライで、地球圏は借金まみれの砂の惑星に巣くう白蟻ぐらいの認識みたいだけど。『金』なんて言うものはそれを支える社会システムが正常に機能しているから初めて意味があるだけの『力』だもん。アンタや『ビッグブラザー』が力任せにそのシステムを丸ごとぶち壊してしまえば何の意味も無い代物だ。そんな意味も無いものに人生振り回されるのは御免だから俺は月5万円で生きてるの。別にそれに不満はないわけじゃないけど、それの虚しさは歴史を多少かじった人間なら誰でも分かることだと思うよ。まあ、地球人は嫌でも分かりたくないみたいだけど」
嵯峨は写真の男をまっすぐに見据えた。
「アンタや『ビッグブラザー』がすでにある地球人の社会システムをぶち壊す。そのこと自体には俺は反対するつもりはない。ただ、アンタの理想の『力ある者の支配する』世界ってのはいただけないね。『ビッグブラザー』がどんな理由で地球圏の社会システムを根底からぶち壊すつもりなのかは知らないけど、俺にはアンタの理想は受け入れられないんだ」
写真の男の表情はまるで変ることは無い。嵯峨はその男に諦めを込めた視線を向けていた。
「だからもしそんな世界が実現するようなら、真っ先に俺とランの奴を殺してくれ。そんな世界を俺達は見たくねえんだ。そんな壊れた世界に生きている自分を生かせる精神の持ち合わせは俺にもランにも無いんだ。頼むわ、そうしてくれ。他の連中は……アンタは自由にするつもりらしいが、それを防ぐ責任が俺とランにはある。だからそんな無能な俺とランにはその罪を理由にアンタに殺された方がマシだ」
嵯峨は諦めたようにそう言うと、写真を静かに机の上に置いた。そこにはある種の諦めとそれを諦めきれない自分の未熟さを笑うような穏やかな笑顔が浮かんでいた。
薄い紙が、書類の山の上にぺたりと馴染む。嵯峨の目は置かれた『廃帝ハド』の写真から一切逸らされることは無かった。
「アンタがそんなに自分の理想の為に手段を選ばないというのなら……そして何を目指しているのか分からない『ビッグブラザー』がもし俺の望まないような形で自分の野心をむき出しにするような世界がこの世界に実現するような世界を目の前にしたら……俺も言いたいね、あのファウスト博士みたいに『世界は美しい』ってな。そして、静かに終わりたい……最高の人生じゃないのかい?俺は地球人は嫌いだがそんなことを考える地球人がいたことだけで地球には存在価値があったと言えるよ……たぶんそこがアンタと俺の分かり合えないところなのかもしれないね……」
嵯峨は、少しだけ遠くを見る目をした。はるか遠くの地球。嵯峨はその地にいい思い出は一つも無かった。そして地球の実験場での悪夢の日々と、そこを脱出してからの目を覆いたくなる地球の人々の有様を思い出してその目に一筋の涙が流れた。
「世界が美しくない限り、生き物が逃げられる宇宙を作りたいんだ……そのためには神前の力がどうしても必要なんだ……神前にはそんな自分勝手な俺を恨む資格がある……それだけは非道に過ぎるアンタに言われなくても分かってるよ。アンタは人を『力』で縛る。ビッグブラザーは『経済』と『情報』で人を操る。地球圏の強国は『制度』と『軍事力』で人間を殺す。違う顔をしていても、どれも逃げ場を奪うものにしかおれにはみえないんだ」
ついさっきまでそこにいた青年の背中が、思い浮かぶ。
「アイツの『光の剣』と同じ力が、かつて400年前にこの星を地球から独立させたように、お前さんや『ビッグブラザー』の野望を阻むこともあり得るかもしれない。今の時点で俺が言えるのはそのくらい……いや、あと一言、俺は言いたいんだ……」
嵯峨は静かに正面を見据えた。
「俺は逃げ場を作り続ける!永遠に誰もが逃げられる場所を作るためにな!」
その声は、いつもの間の抜けた口調ではなく、珍しく指揮官のそれに近かった。
「永遠に撤退戦を戦い抜くつもりだ!そのためにこの部隊を作った!」
書類と灰皿とコーヒー缶に埋もれた、この「駄目人間の巣」が、自分にとっての最後の持ち場だ。
「その血路を開く『光の剣』は手に入った!俺は……永遠に『逃げる!』」
そんな嵯峨の宣言は、しかし次の瞬間、灰皿をひっくり返しかけて慌てて手で押さえる仕草とともに、隊長室の『駄目』な雰囲気に、あっさりと呑まれていった。
そこにあったのは『思想家』のそれでもなく、『政治家』のそれでもない、自分はあくまでただの『戦争屋』を自認する部下に『駄目人間』扱いされる『特殊な部隊』の隊長の顔だった。




