第213話 世界は美しい
安物のライターをカチカチと二度三度鳴らし、ようやくオレンジ色の火がつく。
タバコの煙は空調に流されるようにして窓に向って糸を引いていた。そんな様が嵯峨には心地よく。自分の癖である一人になると自分の人生について一人考えてその思いを口に出しているという事実に今更のように気付いて苦笑いを浮かべながら独白を続けた。
「アンタの理屈だと俺やランはアンタの理想の世界では力あるものとしてアンタに生きる資格を与えられるらしいね。ただ、俺達はそんな資格は要らねえよ。むしろそんな資格を与えられることを断固拒否する。ただ、ランも俺もアンタが本気を出して殺しにかからない限り死なないんだ。死にたくても死なないんだ。自分の犯した罪の責任を取って、あの世に逃げ出すっていう、人間本来の逃げ方すらできないんだよ……地球人だったら……俺もランも地球人だったらよかったのに。俺は多くの罪のない人の命を奪った罪で銃殺された段階ですべての責任を取ることができた」
その言葉を吐いた時の嵯峨の表情はこわばってまるで取り返しのつかないことをしてしまった子供のようだとみるものは思ったことだろう。確かに嵯峨は多くの取り返しのつかないことをしてきた。そして過ぎた時間は二度と取り戻せないことは嵯峨も知っていた。もしそれが取り戻せる技術をあれほど技術の開発に熱心な地球人が開発する時が来たとしたのならばこの宇宙はたぶん多くの人の後悔の念によって矛盾と書き換えられ続ける過去により取り返しのつかない状況になるのかもしれないと思ってそんな馬鹿なことを考えている自分を笑っていた。
「それはランだって俺に負けた時俺に殺してくれと言ってきたが俺にはまるでかつての自分を見ているようでそんなことはできなかったし、それゆえにランも多くの人を殺した罪を背負いながら生きている。あの時アイツを殺さなかった俺の判断は絶対に正しかったことはアンタも認めなきゃいけないよね?アンタにとって俺みたいな『最弱の法術師』は敵じゃないかもしれないけど、『人外魔法少女』のランが俺のそばにいるとなると、アンタの勝ち筋にはかなりの影響が出てくるとみているがどうなのかな?そもそも罪を犯したからその責任としてそいつを殺す。でもそれが何の解決にもならないことくらいアンタが一番よく分かってるんじゃないかな?殺せば終わる。確かにその通り。ただ、それは次の殺人を準備するだけの話なのは歴史の教えることだよ。死刑ですべてが解決するのならこの宇宙の……いや、あらゆる次元の知的生命体はいずれ起きる人殺しの責を取って死ななきゃならない……と俺は思うよ……」
誠が出て行ってから吸い終えたタバコを灰皿に押し付けると、嵯峨は立て続けに愛飲している甲武の軍用タバコである『錦糸』を取り出して火をつけながら、嵯峨は煙を深く吸い込み、ふうっと長く吐き出した。
紫煙が、書類とコーヒーのシミと共に染みついた隊長室の空気に溶けていく。その様子を見ていると自分が生きているということを実感できる。こうしてタバコの煙は流れ続ける。その微妙な動きを見ている瞬間だけが嵯峨にとって安心して自分は生きていると言い切れる瞬間だということに嫌でも気づかされた。
「俺もランも……そしてアンタも『不完全な生き物』だな。終わりがあるから生き物は生きているって言うんだ……死ねる人間は死んだ時点でその本人の責任は免除される……ただ、残された人間はいずれ同じような罪を犯す……それが歴史というものだと俺は思うんだが……アンタはそうは考えていないみたいだね。アンタが支配すればそんな力ある者のすべての罪は免除されるらしいが……アンタの支配は俺にとってはより闇の深い『罪』以外の何物でもない……だから俺とアンタは戦わなきゃならないんだ……悲しいねえ……」
天井に立ちのぼる煙を目で追いながら、嵯峨はゆっくりと言葉を紡いだ。その言葉は悲しい話をしているはずなのにその悲しみはあまり感じられない明るい口調だった。嵯峨は悲しみを感じるにはあまりにそれに慣れてそれを当たり前にして生きてきた自分であることに後悔することはあまり無かった。あまりにそれは嵯峨に取って当たり前のことだった。
「この宇宙が始まって130億年。でも俺達遼州人は、どうやらその前に他の世界で生まれて、1億年前に『始まりの鎧』、古代『リャオ語』では『ダグフェロン』に導かれてこの宇宙に来てしまった、哀れな『死ねない』奴が混じってる知的生物みたいなんだわ……死ねる命ばかりのこの宇宙……羨ましいねえ……。『廃帝ハド』さんよ……死ねない俺達はこの宇宙ではどこまで行っても異物なんだよ。排除されるべき異物だ……その異物感……それを正当化するアンタは本当に正しいのかい?」
口調は軽いが、その内容は重い。
「俺も、自分の犯した罪を償うという名目でアメリカ陸軍に『実験動物』にされている間、何回死んでるかわからねえくらい死んでるが……今でも死にきれずに、こうして『特殊な部隊』の隊長をやってるんだわ……アンタもその体験をすれば少しはその思想が少しくらい柔らかくなるんじゃないかな?いや、強化されるかな?『力なきゆえに地球人は科学に頼って無意味に生きてるって』……」
煙が隊長室に充満する。換気扇は回っているはずだが、まるで仕事をしていない。
嵯峨はなんとも困った表情で、写真の若い男を見つめた。
「俺はたった46年しか生きてねえんだ……不死人としてはなりたてだ。俺が聞いてる限り4億年は生きてるランとは年季が違う……まあ、アイツは3億年前くらいにアイツが言うには『寝てた』ら火山の噴火に巻き込まれて近くの木々と火山灰に埋まってその木が石炭になるのにも気がつかないで、40年位前に炭鉱の奥で掘り起こされて炭鉱夫をびっくりさせたらしい……なんとも間抜けな話だけど、アイツに嘘を言うようなおつむは無いからたぶん本当なんだろうね……お前さんもそんな奴が最強の切り札の俺のことを笑うだろ?俺も半分笑ってる。アイツはやっぱどうかしてるわ」
自分の年齢を言うときだけ、ほんの少し照れたような笑みが混じる。そして自分と同い年くらいにしか見えない長髪の『廃帝ハド』の写真を静かに人差し指で撫でた。
「『廃帝』さん……お前さんは俺が知ってる資料では200年以上生きてるらしいな……でもな、この宇宙のひ弱な生き物はそれ以下の寿命でも満足して死んでいけるんだ。俺やランやあんたみたいな『不完全な生き物』では無くて、ちゃんと死ねる生き物なんだ。確かに地球の『超富裕層』はあらゆる生命科学を利用して150年近い寿命を手に入れたが……」
あまりにも進み過ぎた科学を特権として独占する人々に対する『月小遣い3万円、家賃管理費込みで2万円で生きる男』を自称する男である嵯峨のある種の私情に満ちたその言葉には実感がこもりすぎていた。
「たださあ、『廃帝ハド』さんよ。アンタはそんなに長く生きて何が楽しいの?その間にアンタは一つの国を滅茶苦茶にしたこと以外は何もしてないよね?その事実を地球人たちが知ったら大笑いされても仕方ないよ。そんな年になったら地球人の場合はただ長く生きているだけの存在だよ。連中はいくら金と技術がかけ放題の『超富裕層』の連中も120年も生きればもう俺達遼州人の中に稀にいる不死人のように20代の体力も精神力も精力の持ち合わせも無い。ただ長く生きてるだけの存在に成り果てるからね。地球圏を支配している『超富裕層』もなんでそんなに無理をしてまで寿命を延ばしたいのかね?『人生50年』これは日本のある独裁者の最期に舞った『敦盛』という能の舞だが、戦国時代とその1000年後の今とで地球人が進化するとでも本気で地球の『超富裕層』の連中は思ってるのかね?」
その声には、ねたみともあこがれともつかない感情が滲んでいた。
「うらやましいな、『死ねる』ってことは。終わって自分のやった失敗だらけの悪事の責任を次の世代に繰り越せるんだ。アンタも、本当は羨ましいんじゃないのか?。『人生50年』俺はあと3年だ。でも俺自身としては十分生き切ったと言えるよ。人間がごく普通に何事かを成して社会生活を営むにあたっては50年以上の寿命なんて必要ないんだよ……ただ、アンタのように永遠の支配を狙うのなら別だがね……」
嵯峨はそう言って、またひとつ、薄くほほ笑んだ。
その微笑みに悲しみが混じっていることは、彼の『不死』の宿命からしてあまりにも当然の話だった。
「死ねてはじめて『人間』なんだ。俺が殺してきた人間の一人がその首に俺が『粟田口国綱』を振り下ろす瞬間に見せた笑みを見たときに俺には分かった。俺が殺した奴等は勝者だとね。理想に生きて理想に生きた人間をどんな強者が倒せるって言うんだい?そいつは理想を継ぐ人間が現れると笑って死んで、事実そいつの理想を継いだ人間は現れた。そいつ個人は死んだが理想は生きていた。死んだそいつが勝者で生き延びた俺が敗者になったのは当然なんだ。次の時代を死ねる人間は、死んだ瞬間に人生が完成する。だが俺達は終われない。間違いも、後悔も、罪も、全部抱えたまま次の時代を見ることになる。そして知るんだ。自分は負けたってね」
灰皿に指先で灰を落としながら、ふと視線を机の端に移す。そこには、古ぼけた洋書の背表紙が積まれていた。
「昔、ゲーテとか言う詩人が、俺やランみたいに死ねなくなった『ファウスト』博士と言う人物を描いた詩を書いたんだ。俺も9歳の時ドイツ語の勉強のために原語で読んだが……多くの婆さんに読まされた外国語教師が教えた文学作品の中であれほど俺の心を打った作品は無いね。まるで俺の人生を読み切っているような作品だった。あの作品を読むたびに思うんだ。アンタは支配を望んだ。でも本当に欲しかったのは、終わりだったんじゃないのかってね?面倒ごとをすべて放り出すことなんじゃないかってね。アンタは死ぬこと以外にそれを放り出せない生まれだった。俺も似たようなもんだが……俺はそれを一時的に放り出せている。そう考えてみると俺はアンタよりは力では負けるが頭は勝ってるみたいだな」
嵯峨は古い記憶を確かめるように目を細める。
「永遠の命を手に入れた博士はその命を与えた悪魔のメフィストフェレスから言われた禁を破って『世界は美しい』と言えれば死ぬことができた。メフィストフェレスも随分と優しい奴だ。この苦界でしかない世の中を『美しい』と思えたら死ねるなんて言う最高の条件を博士に用意してやったんだから。そして、博士は望み通りに心からの言葉として『世界は美しい』と言って……死んだ。恐らく博士には後悔はなかったと思うよ。彼にとっては『世界は美しい』んだから。それ以上の幸せがあるかい?その記憶の中では『美しい世界』だけが固定された絵として残る。だが、俺達不死人には、そんな『固定された一枚絵』を持つことすら許されないんだよ。その絵は俺達死ぬことができない不死人が見ている現実とは違って決して醜く変質することは無い。俺やランや……そしてアンタには信じられない話だ。いずれその『美しい世界』も醜く爛れて見るに堪えないものに変質するのは俺達も経験しているんだから。俺達不死人はそれを知っている……俺はまだ46年しか生きていないからね……でも何人も俺と同じ体質の人間に聞いたが……世の中そんなもんらしいよ」
そう言うと嵯峨は静かに写真を目の前にかざした。
写真には、野望の男『廃帝ハド』が写っていた。
その口元の笑みは、写真であるにもかかわらず、今にも何かを語り出しそうに見える。




