第209話 曹長と奴隷化計画
唖然とする誠の背後で、ゴトリとドアの向こうから音がした。
嵯峨は誠にしゃべらないよう手で合図すると一気にドアを開いた。
かなめ、カウラ、アメリア、パーラ、サラ、そして島田がばたばたと部屋の中に倒れこんできた。
誠はこの『特殊な部隊』の隊員には『詮索屋は嫌われる』と言うことで過去は詮索しないというお約束がある割には現在進行形で起きている他人の状況に介入することに関しては何の躊躇も無いのだということがよく身に染みて分かってきていた。
隊長室のドアのすぐ向こう側、廊下の白い長尺シートの上に、見事な『人間の束』が出来上がっていた。かなめが一番上、その下でカウラの眼鏡がずれ、アメリアの長い脚が島田の脇腹に突き刺さっている。パーラとサラは気まずそうに顔だけこちらを向け、島田は『あだだだ』と情けない声を出した。
中でもかなめのまるで戦場で敵を見るような鋭い視線を嵯峨に送るのが誠の目に焼き付いた。
「盗み聞きとは感心しないねえ……そんなにお前さん達、神前の降格が気に食わないの?そんなに神前が曹長に落とされるのが嫌?でも仕方ないじゃん。司法局の本局がそう言ってきてるんだから。それにお前さん達がコイツに階級にモノを言わせて好き勝手して良いって俺が認めたと言う証拠だよ?そんなこれまでのお前さん達の行動パターンを振り返ってみると、神前が少尉と言う士官ではなく曹長と言う下士官どまりと言うのはお前さん達にとっては歓迎するべきことなんじゃないの?お前さん達の目もちょうどいいおもちゃとして神前を見てるじゃん。そんな目をして何を言っても俺には説得力があるようには聞こえないの。それに神前とっても給料も上がるという利点もある。すべては丸く収まる話なんだからもっと喜んでやらないと」
六人を見下ろして嵯峨が面白がるようにつぶやいた。その論点が嵯峨らしい残酷さを含んでいる事には誠は苦笑しかなかった。
全員の顔に誠の降格には納得がいかないという表情がありありと見えた。
かなめは唇を噛みしめ、カウラは難しい顔で眉間に皺を寄せ、アメリアはいつもの微笑みの奥に露骨な不満を隠そうともしない。パーラとサラは『さすがにこれは……』という気まずさと怒りの間で揺れており、島田だけは状況を飲み込めず『とりあえず痛い』ことだけ分かっているようだった。
「叔父貴。そりゃねえだろ?神前の下の世話はかえでを『調教済みの雌犬』扱いしてた時みたいにアタシがやるから!飼い主の責任は果たすから!せめて准尉扱いぐらいにしてくれよ!こいつ!確かに下士官なら大尉のアタシがいつ射殺してもいいことはアタシには気分が良い!でもなあ、下っ端の下士官の頭をぶち抜くより将校の少尉の頭をぶち抜いた方がアタシの気分が良いんだ!少尉でもアタシより階級が下なのは変わりがねえんだから役に立たねえとわかったらいつ射殺しても構いやしねえのは変わりはねえんだ……せめて……准尉くらいに……どっちにしろアタシより階級は下だ。それに島田の馬鹿と同じ階級。つまり島田の舎弟ではなくアタシ専用の下僕としてアタシが自由に生殺与奪権を独占できるということだ。その方がうれしいよな!神前!」
かなめは泣きつくように嵯峨にそう訴えた。ただ、かなめが誠を射殺することは大前提の様だったことに誠は呆れていた。
『西園寺さん……それは全然僕としてはうれしくはありません。西園寺さんはうれしいかもしれませんけど』
半分呆れながら誠はそう思ったが、彼女の銃が怖かったので口には出さなかった。
どうやらその涙目で真剣に叔父である嵯峨に縋りつくかなめの姿を見ると、誠はかなめの頭の中ではこれからもかなめに飼育されることは決定しているようだった。今のかなめはペットを飼って良いかと親にねだる子供のそれだった。
『下の世話』という言葉の選び方のせいで、誠は思わず咳き込む。せめて『面倒を見る』とか、もう少し言い方があったのではないかと思うが、かなめにそこまでのボキャブラリーを期待するのは酷だろう。
そしてどうやらかなめの妹らしいかえでは『女王様』かなめには犬扱いをされていたと公言されていた時点で自分が全裸で首輪をつけられただけの格好でこの豊川の街を散歩する光景を想像して誠はゾっとした。
「西園寺さん。その扱いを僕が喜んで受け入れると本気で思ってたんですか?島田先輩の舎弟はせいぜい島田先輩が夜中に腹が減ったと言って僕の部屋まで来てコンビニに弁当を買いに行けとか言う程度なんで、ただ面倒だなあと言う程度で済みますけど、西園寺さんの言う下僕と言う身分は大人用紙おむつを付けて西園寺さんが機嫌が悪くなるといつ射殺されるか分からない身分だということですよね?この銀河の誰が島田先輩の舎弟と西園寺さんの下僕の地位のどちらか選べと言われて西園寺さんの下僕を選ぶと思ってるんですか?少なくとも僕はそのどちらかを選ばなければいけないかと言われたら間違いなく島田先輩の舎弟の地位を選びます」
誠はためらいもなくそう言って見せた。その不服そうな誠の顔を見てカウラは不思議そうな顔を誠に向けた。
「つまり神前にとっては犬として扱われることが、そんなに問題なのか?私は犬に生れたことが無いから分からないが神前には分かるのか?想像力が豊かなんだな。羨ましい」
もはや降格は覆らないと悟ったのかカウラの疑問はそちらの方向に向かっていた。
「いや問題ですよ!それに想像力云々の話じゃありません!僕は西園寺さんのペットになった覚えはありません!」
日頃人を人とも思わないかなめならば誠を人語を話す犬として見ていたとしても不思議はないと思いながらその扱いは嫌だったので誠はそう叫んだ。
「おいおい、神前。そんなお前さんの常識を覆す人物がかなめ坊の身近に常にいた環境でかなめ坊は育ったんだからそんなことをかなめ坊に期待するだけ無駄ってもんだよ。かなめ坊、お前さんは実の妹のかえでを家の前の犬小屋に3歳の時から6歳の時まで『お前は犬だ、犬になれ』と言って首輪をつけて庭を四つん這いで歩かせていた前科があったな。それ以上にとんでもないことをしていたのは俺も知ってる……というかそのプレイを目撃しちゃって頭を抱えたけどでもそんなこと自慢になんないよ。というか、そんなことを世の中で喜んでするのは俺がこれまで会った中でもかえでとあと数名しかいないから。俺もあの環境は絶対に望まないタイプの人間だから神前の言うことにどうしても味方してしまうんだよな。それにそんなこと神前が望んでいるような顔は……今見る限りしていない。でもまあ、神前を意地でも将校にしたい。お前さん達の総意はそうなんだ。じゃあ今回の降格取り消しの再考を上申するか?上申書の用紙ならあるぞ?たぶん握りつぶされるだろうけどね……俺達上に信用ないからないからねえ」
嵯峨も自分の足に縋りついてくるかなめに呆れたようにそうつぶやいた。
「そうじゃねえ!それにアタシがかえでを犬扱いしたのは本人がそうしてくれって頼みこんで来たからでアタシの望んだことじゃねえ!あと、あのプレイは『肥後芋茎』ああ、神前は知らねえか……ってそこでニヤニヤするな!アメリア!知ってるオメエは関係ねえって言うかオメエはたぶんアレを持ってるだろ!『』ってのはな。干したサトイモの茎で作る江戸時代のアレだ。殴るための道具でもあり、ヘンな遊びに使う馬鹿もいたブツだ。その使い方を試したいと5歳のアイツが頼んで来たから試しただけでそれはアイツの欲望を姉としてやご主人様の責任として満たしてやっただけでアタシの意思じゃねえ!他にも他にも変な要求ばっかりしてきたのもアタシが好きでやったんじゃなくってアイツが変態だからその望みに応えただけだ!それよりアタシが気になるのは今回の事件の一番の功労者が降格処分ってのが納得いかねえんだ!」
かなめの声が隊長室の安っぽい天井材を揺らした。壁際の書類棚の上に置かれた観葉植物まがいの造花が、びくりと震える。
「無駄だ、西園寺。司法局局員の身分に関する決定は人事部の専権事項で、それは司法局長と幹部会の会議での決定を経て下されるものだ。そんな一度上層部が決めた決定がそう簡単には覆るとは思えない。それに神前にとっては給料は少尉より多く貰えるようになる。それはそれで良いことじゃないか。私としては階級などと言う形にならないものよりも給与と言う形で神前の暮らしがよくなるのなら何の問題も感じない。我々は何かというと予算でいつも苦労している。資本主義社会では金銭がすべての価値を規定する。身分がすべての甲武の価値観は捨てろ。それと付け食わると『肥後芋茎』とか大根とか拳とか……何のことだ?それとそれを聞いてアメリアがニヤニヤ笑っているのはなぜだ?後で理由を詳しく教えてもらう」
立ち上がって埃をはたきながらカウラはそう言った。
その口調は冷静だが、制服の裾を握る指先にはかすかな力がこもっている。感情を押し殺して合理性を優先する……それが、この人造人間の『生き方』なのだと誠は知っていた。
「カウラちゃん、薄情ねえ。もう少しかばってあげないと……カウラちゃんが望んでる貴方の好きなパチンコでいう所の激熱リーチはかからないわよ……なんやかんや言いながらカウラちゃんが誠ちゃんに気がある事なんてうちじゃあ全隊員のみんなが知ってることなんだから。さも無きゃあの菰田君があんなに年中怒った顔をしている訳がないじゃないの……まあ、私はそんなことは関係なくかなめちゃんにもカウラちゃんにも誠ちゃんを譲るつもりは無いの。三十路女は一度狙った獲物は死んでも逃さないのよ!それと『肥後芋茎』や大根や拳をかなめちゃんがかえでちゃんにどうしたかは今は聞かない方が良いと思うわよ。カウラちゃんの個性で誠ちゃんに売り込みたい『ピュアさ』が一瞬で蒸発するから」
アメリアが立ち上がって糸目でかなめをにらみつけた。
軽口のようでいて、きっちり『初恋』を見抜いているお姉さん目線の一撃だった。さらにそこには婚活負け組の意地が加わっているのが誠にも分かる。部屋の空気が一瞬だけ、からかわれたカウラの耳まで赤くなるのを待つ。
アメリアだけが、『かなめちゃん、それは普通の家庭では虐待って言うの』と笑いながら思っている。ただし、自分の身に危害が及ばないのであればそれを観察して面白がるのがアメリアのあめりあたるゆえんだった。
複雑な表情の彼らの中で、島田とサラの顔には『よくわかんねえ』と書いてある。そもそもこのバカップルにとっては二人の『純愛』以外は別にどうでもいいことらしい。
特に島田にとっては『降格』より『05式のアクチュエーター』と『准尉に昇格することで支給されなくなる残業代』のほうがよほど切実な問題なのだ。
そうなればサラへのプレゼントの格を一つ落とさなければならないと言うのが『硬派のヤンキー』を気どる島田にとっては重要問題だった。
「まあいいや、神前軍曹!これからもよろしく」
かなめは能天気な笑顔を浮かべて誠に向けてそう言った。
「西園寺さん、曹長なんですが……」
「バーカ。知ってて言ってるんだ!どっちも下士官だから大尉のアタシから見たら格下だ。それともかえでみたいに『雄犬』として扱ってもらうのが望みか?じゃあ、叶えてやるよ、今日帰りに自分が好きな首輪とリードを買って来い。今日から毎日夜中に散歩に付き合ってやる。当然オメエは全裸な!」
かなめがニヤリと笑った。
「かなめちゃん!その時には私も同行するわね!写真を撮ってネットにばら撒いたらいいお金になるかも♪」
アメリアまでもがかなめの誠『雄犬』認定に乗って大騒ぎを始めた。
『軍曹』より一段階上の『曹長』の誠にかなめの嫌味が飛ぶ。
そのわざとらしい呼び方に、誠は『いじられ枠』としての自分の立ち位置を痛感させられた。
さらに『雄犬』扱いを望んでいるだろとまで言うとはかなめはどこまで『女王様』なのかと誠は言葉を失った。
『僕は結局曹長……西園寺さんのペットにならなかったことで満足すべき……なんだろうな……』
誠の諦めの境地はとりあえず自分が人間であると言うことで満足すべきなのだと思うことで自分を騙すところまで落ち込んでいた。




