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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣  作者: 橋本 直
第二十九章 『特殊な部隊』の大宴会

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第208話 英雄、曹長に任ず

 いつものように、まだ階級章のついていない尉官と下士官で共通の勤務服に袖を通した。

 

 まだ辞令を受け取っていないので、誠の制服には階級章が無かった。


「今回の件で出世した人多いなあ。それだけのことを僕達はやったんだ。凄い話だ……と思うことにしよう。それ以外に今僕が出来ることは何もないんだ。世の中が変わらないなら自分が変わればいいだけの話だ」


 誠が独り言を言いながらネクタイを締めて廊下に出た。

 

 鏡に映った自分の顔は、思ったよりも疲れていて、そして思ったほど『英雄らしく』はなかった。


 先程の掲示板の前の人だかりは消え、静かな雰囲気の中、誠は隊長室をノックした。


「開いてるぞ」


 間抜けな嵯峨の声が響いたのを聞くと、誠はそのまま隊長室に入った。


「おう、すまんな。何処でもいいから座れや」


 机の上の片づけをしている嵯峨が居た。

 

 書類の山、飲みかけの缶コーヒー、灰皿、よく分からない土産物の置物が、机の上で小さな戦場を作っている。


 ソファーの上に置かれた寝袋をどけると、誠はそのまま座った。

 

 座面に薄く積もった埃がスラックスについて、思わずそっと払い落とす。


「やっぱ整理整頓は重要だねえ。俺はまるっきり駄目でさ、ときどき娘が来てやってくれるんだけど、それでもまあいつの間にかこんなに散らかっちまって」


 愚痴りながら嵯峨は書類を束ねて紐でまとめていた。

 

 その指先の手際の良さだけが、彼が本来は『できる男』であることをかろうじて証明している。


「今度、同盟機構で法術捜査という組織が設立されるらしいですね」


 多少は組織の常識が分かってきた誠は、何気なく嵯峨にそう言ってみせた。

 

 ランから言われて毎日新聞にだけは目を通すようになって今朝の新聞の片隅に載っていた小さな記事を思い出していた。


「ああ、正式名称は『司法局法術特別捜査隊』、通称『法術特捜』なんだそうだ。俺の娘も俺と同じ『法術師』ってことは東和共和国の偉いさんにも同盟機構の関係者にもバレてたから首席捜査官にしようって話があるんだ。ここだけの話だが、娘からそのことについては相談受けててね。本人は結構乗り気みたいだからできるだろうが……」


 嵯峨は、ペン立ての中から一本だけちゃんとインクの出るボールペンを探し当て、くるくると指の間で回した。


「まあこれまでは『法術』って力はみんなで寄ってたかって『無かった』ことになっていた力だ。そうそう簡単に軌道に乗るとは思えないがな。まあ父親としてはフリーの弁護士時代は喧嘩ばかりで良い評判の無い警視庁のキャリア警察官僚よりは日陰者ではないおてんとうさまの下のお仕事につくんだ。歓迎してやらなきゃね」


 目の前のどう見ても若すぎる『不老不死の駄目人間』、司法局実働部隊隊長嵯峨惟基には娘がいる話は聞いていた。

 

 書類棚の隅には、さりげなく娘らしき人物と写った古い写真が立てかけてある。埃をかぶっているあたりが、彼の性格をよく表している。


 『近藤事件』と名づけられた甲武国のクーデター未遂事件に対する司法局実働部隊の急襲作戦により、法術という、これまで『存在しないこと』にされてきた力が表ざたにされた。

 

 遼州同盟は加盟国国民や地球などの他勢力の不安感払拭のために、司法局直下に法術関連の事件のみを担当する『法術特捜』の設置を発表した。


 まるで用意していたような迅速な法術犯罪専門の特殊司法機関機動部隊の発足を決めたニュースは、すぐに話題となった。

 

 そしてその首席捜査官に嵯峨茜と言う、どう見ても『駄目人間』の身内の名前が挙がっていることは、誠も知っていた。


「それにしてもよくここまで汚しますねえ……僕、キレイ好きなんで。こういう部屋は嫌いです」


 誠がそう言いたくなったのは、ソファーの上の埃が手にまとわりつくのが分かったからだ。

 

 床にはもうしばらく掃いていないらしい砂埃と、クエ鍋のパックらしきゴミまで転がっている。


「そんなに軽蔑するような目で見るなよ。人には誰にも誰かに軽蔑されるような一面があるもんだ。俺はそれが片付けが出来ないという面だっただけ。ああ、すっかり辞令の事忘れてたな。今渡すよ」


 そう言うと嵯峨は、埃にまみれた一枚の書類を取り出した。

 

 クリアファイルに入ってはいるが、その中身は明らかに放置されていた時間の長さを物語っている。


 誠は立ち上がって、じっと辞令の内容が読み上げられるのを待った。


「神前誠曹長は司法局実働部隊での勤務を命ず」


 嵯峨はそう言った。


『曹長?』


 誠は聞きなれないその言葉に、一瞬その意味が分からなかったが、嵯峨のいかにも嬉しそうな顔を見ると自然と体の力が抜けていくのを感じた。


「あの、もう一度いいですか?」


 誠は確かめるために嵯峨に頼む。


「ああ何度でも言うよ。神前誠曹長」


 『曹長』と聞こえる。


「あの『そうちょう』ですか?」


 誠は自分でも間抜けなのは承知でそう言った。


「まあそれ以外の読み方は俺も知らないが……あれ?理系だとなんか違う読み方するの?俺、文系だからそっちの方は知らないな」


 そう言うと嵯峨はにんまりと笑う。

 

 その笑顔が、今だけは妙に腹立たしい。


「廊下に今回の事件での昇進者とお前さんの配属のお知らせが張り出してあったろ?掲示板見てなかったのか?」


 そこで通用門から続いていた微妙な視線の意味が分かった。

 

 誠の視界がぼやけていくのを感じた。


 いかにもこの瞬間が見たかったと良い笑顔をする嵯峨が改めて誠には憎らしく思えてきた。


「お前さんは不満?不満だろうね……世の中降格されて喜ぶ人は特殊な環境にあるだけだから。少なくとも採用時約束されていた条件と、採用後の待遇が違えば……当然、それを裁判所に訴えれば十分審理に値することだと言うことで長々と裁判をするようなケースに当たることだと言うことは俺も弁護士だったから知ってるんだ。確かにお前さんはパイロットの幹部候補で少尉待遇でうちに入った訳だけど、一応適性とか配属部隊で見るわけよ。もしお前さんがこれを不服だと言うことで裁判に訴えたときは俺はその一点を主張して裁判では徹底的に争うつもりだよ。そっから先は裁判所の判事さんの決めること。判例は……半々だね。お前さんが勝つかもしれないし、負けるかもしれない。まあそんな面倒なことは俺もしたくないし、お前さんもしたくないでしょ?それと、お前さんがそもそもパイロットとしても幹部候補生としても適性が無いと言うことがその裁判で証明されちゃったらどうする?恥ずかしいよね?まあ、お前さんには似合うんじゃないの?鬼の下士官殿」


 ガタガタとドアのあたりで音がするのも、誠には聞こえない。

 

 聞こえないと思い込みたかった。廊下の向こうで、誰かがこっそり聞き耳を立てている気配すらする。


「なんで裁判云々の話になるんですか!それよりみんな昇格してるのになんで僕だけ曹長なんですか!他の幹部候補で入った人達はみんな1か月以内に少尉に任官してますよ!なんで一番功績を上げた僕がそんな目に遭わなきゃならないんですか!」


 誠は嵯峨の非情な一言に思わずそう叫んでいた。

 

 ひどすぎる、一つの時代を変えた自分に対しての仕打ちとしてはあまりにひどすぎる仕打ちに、誠はこの部隊に無理やり入隊させた嵯峨の手口を思い出して、ここで大暴れしてやろうと言う気持ちにもなっていた。


「そんなに偉くなりたいの?俺からすると責任ばかり増えるだけで面倒なだけだよ?それにまあ曹長は便利だぞ。まず今住んでる下士官寮の激安な家賃。さらに朝食、夕食付きで月五千円。士官になるとそこ出てここらあたりワンルームでも4万はする住処(すみか)を探さにゃならんからな。お前さんが少尉に任官すると新たな住まいが決まるまでは置いてやるがそれ以降は出て行ってもらうことになる。寮長の島田が寂しがるだろ?そんな先輩の想いも察してやれよ」


 そう言われると誠も迷わないでもないが、階級がすべての軍での降格の意味は、この数週間で身にしみてわかっていた。

 

 『家賃』と『誇り』を天秤にかけさせるあたりが、いかにも嵯峨らしいやり口だ。


「でも寮にも何人か将校の男子もいますよ?技術士官の将校の人達。しっかり、寮の中庭にあるプレハブで好き勝手やってるじゃないですか!なんで僕だけ……これはひどい仕打ちですよ!」


 誠は休暇の間にも、いつもは任務で関わり合いになることが少ない情報系の男性大尉や、技術系の専門職の士官達とすれ違って、彼等が下士官寮にいることを不思議に思っていた。

 

 少尉に任官することになっても、この環境で過ごせるものだと信じ込んでいた。


「ああ、それぞれ事情があんじゃないの?あそこの全権は寮長の島田とその保護者を自認しているランにあずけてあるから。島田と『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐の指導の下、人権を全面的に剥奪して立派な『(おとこ)』になるまで出さねえって方針でやってるみたいだよ、あそこ。俺もランがそれで良いって言うんだからそれで良いとしか思ってないのよね。そんな事より俺にはする事はいくらでもあるから」


 誠は足元がおぼつかなくなってきているのを感じた。

 

 幹部候補で入った同期は例外なく少尉で任官を済ませている。

 

 しかし誠は候補生資格を剥奪されての曹長待遇。


 ただ頭の中が白くなった。それでも家賃五千円は、やっぱり魅力的なことだけは確かだった。


「ああ、別に責任云々はともかく待遇が良くなるかどうかは気になるでしょ?そっちについては何にも問題は無いんだ。確かに階級は曹長になるけど今回の実戦で法術兵器適応Sランクの判定が出たから給料は逆に上がるんじゃないかな?金銭的には家賃は格安、給料は資格手当で上がる。士官になると資格手当もつかないし、残業手当もつかない。何一ついいこと無いんだよ?うちだって島田が今回士官になったわけだが、アイツたぶん年収で100万円は実入りが減ると思うぞ。それに比べたら随分マシな処置だよな。責任はこれまで通り、その上で給料は一気に上がるんだ。俺もお前さんが羨ましいよ」


 そう言うと嵯峨は掃除の続きを始める。

 

 ほうきでゴミを集めながら、人の人生を軽いノリで片づけていく。


「でも原因は?なんで尉官任官ができないなんて……こんな前例、他に有るんですか?」


 誠はなんとか自分が曹長に降格される理由を聞き出そうと食い下がった。


「別に士官候補生が士官になれない前例なんていくらでもあるよ。さっき言ったように裁判になったこともある。その時の判例もどっちが勝つかは半々だな。それよりお前さん……本当に自分が士官になれなかった心当たりはないのか?……本当に?」


 嵯峨が困ったような顔をして誠を睨む。思いつくところが無く首をひねる誠に、嵯峨はため息をついた。


「お前さん……なにかっつうと吐くじゃん。あれ、問題なのよ、兵や曹の命を扱う将校としては。他の将校の方々が一緒にされると迷惑なんだって。将校の部下に対する威厳が無くなるって。指揮官が何かというと吐くってのは管理職失格だって言うのが司法局の偉い人達の総意なんだ。最前線で指揮官がいきなり吐いたら部下はどんなリアクション取ったらいいのよ。笑えばいいの?泣くの?お前さんも困るだろ?俺はプライドゼロの男だからどうでもいいんだけどね……それと何度か逃げようとしただろ?それも普通に考えればマイナス要因になるわな。職場放棄なんて民間企業でも許されるもんじゃないよ。将校と下士官の壁はそのくらい厚いんだ。それにこれは俺が言ってるんじゃなくってお前さんのこれまでのここでの勤務状況に関してカウラとランが上げてきたレポートを見て俺もそうなんじゃないかなあと思いながら司法局本局に送ったら決まったことなんだ。俺を恨んでも筋違いだよ……分かったかな?」


 反論したかった。だが、吐く。逃げようとした。その二つを並べられると、誠は何も言えなかった。何も言えないことが、いちばん悔しかった。


「でも士官は管理職扱いで残業手当出ないからな。さっきの島田の将校になることで給料が激減する例を見れば分かるように結構これがでかいんだ……俺もほとんどこの隊長室で生活しているからそれが全部給料になるなら下士官になりたいくらいだね。ここにいるだけでお金になる。深夜ならさらに割増。休日に寝てるだけでお金を貰える。そんな暮らしが俺が下士官なら出来るけど……俺は大佐だからそんな事とは全く無関係なんだ。お前さんもランやカウラが与えた仕事をするだけ、しかもその仕事というののほとんどがランが走れと言うから何にも考えないで走っているだけで給料が出るお前さんが逆にうらやましいくらいだよ。今回の出撃でも士官は出ない『危険手当』が付く。他にもいろいろある資格手当は士官になると全部停止。それが下士官だと全部出る。お前さんの自慢の危険物取扱免許の1種もちゃんと資格手当として入るんだ。今月振り込まれる給料が楽しみだろ?」


 嵯峨はそう言うと、本当にいい笑顔を誠に向けた。

 

 その笑顔が、かつて『特殊な部隊』に引きずり込まれたあの日と、まったく同じものだと気づいた瞬間、誠は心の底から『この人は信用してはいけない』と改めて確信したのだった。


 ……変わったのは世界のほうで、自分の立場は相変わらず下っ端のまま。

 

 先ほどまでの英雄気分から失意のどん底に突き落とされた誠は、そんな残酷な現実に飲み込まされつつあった。

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