第207話 自分だけ知らない朝
『特殊な部隊』らしく、暇ができると小遣いを稼ぐために全員で栽培しているグラウンドの脇に広がるトウモロコシ畑は、もう既に収穫を終えていた。
茶色く乾いた茎だけが、風に揺れてカサカサと寂しげな音を立てている。
何かというと隊の広大な施設を勝手に耕して作物を作り売り上げの大半をピンハネしている島田が、部下を動員して休みの間に収穫を終えたのだろうと一瞬思った。
しかし次の瞬間、誠は『いや、今回は島田先輩もさすがにそんな余裕はなかったはずだ』と、整備班の徹夜残業を思い出して考え直した。
誠はその間を抜け、本部に向かって走った。
スクーターのエンジンを切ると、工場敷地独特の静けさ……遠くのクレーンの作業音と、風に揺れる鉄骨の軋みだけが耳に残る。出動が終わっても『特殊な部隊』には人型機動兵器シュツルム・パンツァーは存在する。機体がある限りそれを整備する作業も当然存在する。パイロットやブリッジクルーの運航部の女子には休暇がある。だが、整備班にはない。機体が帰還してからが、島田達の戦場だった。島田が彼らにシフトを決めて長期休暇を分割して与えると決まっていたのは誠が寮で絵をかいたりプラモデルを作ったりして休みを過ごしている間も毎日隊に出勤していたので誠も知っていた。
そしてそんな整備班員達の自慢の手のかかった大型バイクの並ぶ駐輪場に自分の安物スクーターを停めた。周りの整備班の明らかに金のかかった大型バイクの間に自分の安物スクーターを停めるのは最初は気が引けたが、それが当たり前のことだとわかった今ではそれも気にならなくなってきていた。
つなぎ姿の島田が眼の下にクマを作りながら歩いてくる。
島田は技術部長代理兼整備班長としての業務の為にこの一週間一度も寮には帰ってこなかった。休暇初日にそのことを忘れていたサラが島田の不在を知ってそのまま隊に向ったことがいかにもドジっ子のサラらしいと懐かしく感じられた。
一週間泊まり込みの業務のせいで島田の着ている作業服には無数の油の染みが浮いていた。戦場には持っていったものの結局使用しなかった隊の予備戦力である飛行戦車の再チェックを先ほどまで島田はしていたらしく、その番号が白チョークで走り書きされていた。
「おはようさん!パイロットは良いねえ……一週間も休みが取れるんだ。俺達技術屋は神前達が帰ってきてからが仕事の本番だ。徹夜も三日目になると逆に気持ちいいのな。一昨日も昨日も徹夜だ。今日からあの機体の状態にはうるさいランの姐御が出勤だからな。姐御はなんでも山陸海岸の岩ガキで一杯やりたいとか言って東北を一人旅したらしいや。さすがに姐御はやることが違う。ただ、駅に止まるたびに警察に8歳女児が一人でいるっていうことで職務質問されるたびに身分証を見せるのが面倒だったとか言ってたな。こっちは朝夕はコンビニのおにぎりかカップ麺。そして昼の仕出しの弁当が最高のごちそうだと言うのに階級が違うってのは軍と警察では命の価値が違うって意味なのかね?」
そう言うと島田は、誠のスクーターをじろじろと覗き込んだ。
こちらの安物マシンまで整備対象にされそうな勢いだ。
「大変ですね、確かに機体が戦闘中は島田先輩たちの出番は無いですけど、05式が隊に帰って慣れたハンガーに並んでからが先輩たちのお仕事ですもんね」
疲れた様子の島田に誠は気を使って声をかけてみる。
「それが分かってりゃそれで良いと言いたいところだが、そんなに俺達が苦労してるのは誰のせいだと思ってるんだ?オメエと西園寺さんの機体がもう少しマシだったら俺のここでの仕事は三日で終わってた。上腕部、腰部のアクチュエーター潰しやがって。しかも、予備部品がたんまりあるところだけ壊れてると来てるから部品が到着するまで仕事が出来ねえからサボるってわけにもいかねえし。これからは機体の限界性能ぐらい把握して操縦しろ。まあ、今のオメエにそんなのは無理なのは分かってるけどなあ……もう少しスマートな操縦できんのか?だからパイロットは嫌いなんだ。それでもオメエのはまだマシだ。特に西園寺さんの機体なんてひでえもんだぞ……命がけなのはわかっちゃいるが、ほとんどの関節にガタがきてて隊の在庫の予備パーツが底をついて今日はそのパーツが来るまで作業は中止だ……まあ、だから今日は俺も定時で帰れるんだがな。もしアレにまで予備パーツが揃ってたとなったら俺の兵隊に過労死する人間が出るぞ。あの西園寺さんの無茶苦茶な操縦はなんとかならねえのかって、俺が言ってたのを伝えといてくれ。西園寺さんが活躍するのは勝手だが、月に一度のペースで出動が有ったら西園寺さんの機体の維持管理作業のせいでメーカー在庫が底を突いて出動そのものが不可能になるか整備班に過労死する人間が出るかどっちかだって」
島田のぼやきは止まらない。確かにかなめなら島田達整備班のことなど考えずに動くんだからその限界まで動かせばいいと粗っぽい操縦をするのも理解できて誠は苦笑いを浮かべた。
その背後のハンガーの扉は半開きで、奥にはまだ分解されたままの05式のキャタピラや装甲板が積み上がっている。
「あの『女王様』の西園寺さんが俺達をいびるために無茶な操縦をするのは出動する前から分かってたことなんだが、その点、偉大なるクバルカ中佐の機体……あれだけ暴れたのにビス一本緩んじゃいねえ。それでこそ『エース』ってもんだ。確かにあの人は休みとあったらどんなバカンスでもしようが俺は何も言うことはねえわな。それだけの仕事はしているし、その後始末に一切手がかからねえんだから。オメエにもそこまでなれとは言わねえが、まあなんとか俺達が仕事をした甲斐のあるような機体の使い方を覚えてくれよ」
今、島田が暇そうに歩いているのは予備パーツが切れたからであって、それまでずっと作業を続けていたと言うことを島田が言いたいらしいところから、どうやらトウモロコシの収穫をしたのは誠の予想通り島田達では無いらしい。
島田達整備班が珍しく真面目に仕事をしていたところから考えて、今回の収穫の主役が島田のピンハネのさらに上前を撥ねることを狙っていたアメリア達運航部の女性陣で、どうせアメリアがその売り上げをピンハネするのだろうと誠は察した。
疲れた表情に無理して笑顔を浮かべながら、島田がわざとらしく階級章をなで始める。
「それって准尉の階級章じゃないですか?ご出世おめでとうございます!」
以前までの曹長のラインの入っていない階級章に替わり、そこには赤いラインの入った准尉の階級章が輝いていた。
徹夜明けの顔に似合わない、その『ささやかな栄光』が誠の目にまぶしく映る。
「まあな。その点オメエは……いや、これは聞かなかったことにしてくれ。それより早く詰め所に行かんでいいのか?西園寺さんにどやされるぞ……『新米の分際で長期休暇の後に遅刻しやがって!』とか言って。あの我儘『女王様』に目を付けられても損なだけだぞ。とっとと急げよ」
恐ろしい、『すべてを銃で解決する女』かなめの名前を聞いて、島田に敬礼をした後、誠はあわただしく走り始めた。
「おはようございます!」
気分が乗ってきた誠は、技術部員がハンガーの前で島田と同じように疲れた表情を浮かべながら徹夜明けの気分転換にキャッチボールをしているのに声をかけた。
誠を見ると鉄骨の柱の間で交わされるボールが眼鏡をかけた整備班員のグラブからこぼれてそのままグラウンドに転がっていた。
ボールが遠くに行くと言うのにキャッチボールをしていた二人は誠の顔を見ると一斉に目を反らしてその場で固まっている。
何か変だ。
パーラの様子がおかしいのはアメリアのせいだと思い込んでいた。島田の別れ際の一言がどこかいつもと違うのも島田を弄るのを何よりの楽しみにしているアメリアの影響と説明がついた。
ただ、島田はアメリアの嫌がらせが自分の部下の兵隊たちに及ぶことは身を挺して守る生粋のヤンキー気質の男である。
アメリアの嫌がらせが気にならないはずの整備班員までも誠への態度がおかしいと言うことの理由がアメリアではないことはこの事実を見れば明らかだった。
どうやらこれまで誠の姿を見た人物の反応がおかしいのはアメリアのせいではないらしい。
誠がその考えが間違いないと気づいたのは、誠から目を逸らした彼等が誠を見るなり同情するような顔で、お互いささやきあっているからだった。
背中がむず痒い。誰もが、自分を見た瞬間に妙な顔をする。それなのに、誰も何も言わない。まるで自分だけ、知らされていない。
『……なんだ?僕、そんなに可哀想な顔してるか?そもそも何?僕は何か皆さんにしましたか?寮の先輩たちは僕をそんな目で見ませんでしたよ?今日、出勤してきた人たちの反応がおかしい理由……昨日僕が何か隊でしたんですか?僕に夢遊病の気は無いですよ……』
長期休暇の間、アメリアに提案された美少女キャラのデザインをしたり、買い込んだ戦車のプラモを作ることに熱中して十分に英気を養っていた誠。
昨日までは寮の先輩たちの行動にこんな違和感を感じなかった。今朝もそうだった。
そんな事を考えていたものの、分からないものは仕方が無いと元気よく一気に格納庫の扉を潜り抜け、事務所に向かう階段を駆け上がり管理部の前に出た。
手すりの冷たい感触と、階段の踊り場から見えるハンガーの景色が、少しだけ現実感を取り戻させる。
そこでは予想していた今回の事件『近藤事件』の間、部隊で留守番をしていたカウラのファンの『ヒンヌー教徒』菰田邦弘の怒鳴り声を聞く代わりに、かなめとアメリアが雑談をしているのが見えた。
ガラス窓越しに見えるアメリアの勤務服が中佐のそれであり、かなめが大尉の階級章をつけているのがすぐに分かった。
二人とも、休暇前より一段と『偉そうに』見えるのは、階級章のせいだろうか、それとも誠の心が弱っているだけだろうか。
「おはようございます!」
元気に明るく。
そう心がけて、誠は二人に挨拶する。
「よう、神前って……その顔はまだ見てないのか、アレを」
かなめは久しぶりに見る誠を見ると可哀そうな生き物を見る目とそれが面白くてたまらないと言うような加虐的な笑みを浮かべて誠に挨拶を返した。
「駄目よ、かなめちゃん!その話は禁句だって隊長から言われてるでしょ!隊長はその事実を誠ちゃんが知った時の反応を楽しみにしているみたいなんだから……ってパーラの事だから口を滑らせると思ってたんだけど……失敗したわね」
そう言うとアメリアはかなめに耳打ちする。
その横顔の糸目が、いつもよりわずかに引きつっていた。
「西園寺さんは大尉ですか。おめでとうございます!」
とりあえず比較的思考回路が単純で褒められると喜ぶと言うところのあるかなめに誠は声をかけた。
「まあな。アタシの場合は降格が取り消しになっただけだけどな……アメリアじゃなくてアタシにそう言ったと言うことは……やっぱり神前もアタシの方に気があるのか?」
ニヤけて視線をアメリアに向けたかなめにアメリアはとぼけたように天井を見上げた。
「なんだよ、アメリア無視かよ……つまんねえ!まったくノリの悪い奴だ」
アメリアの態度が気に入らないと言うように不機嫌にそう言うと、かなめはタバコを取り出して、喫煙所のほうに向かった。
背中越しに、何か言いかけて飲み込んだような気配だけを残して。
「そうだ、誠ちゃん。隊長が用があるから隊長室まで来いって……どうせならパーラが言っちゃえばよかったのに」
アメリアもいつもと違う少しギクシャクした調子でそう言うと、足早にその場を去った。
『自分からは言わないけど、巻き込まれたくもない』という、実にアメリアらしい逃げ足だった。
要するに目の前の二人の態度も何か隠していることが誠にも丸わかりなことの原因もやはり嵯峨が何かを企んでいると言うことらしい。
周りを見回すと、ガラス張りの管理部の経理班の班長席でニヤニヤ笑っている嫌味な顔をした菰田主計曹長と目が合った。
これ見よがしに、掲示板のほうへ顎をしゃくってくる。
菰田の言うことには悪意しか感じない誠は何も分からないまま、誰も居ない廊下を更衣室へと向かった。
実働部隊詰め所の先に人垣があるが、誠は無視して通り過ぎようとした。
掲示板の前には、さっきまでたむろしていたらしい気配だけが残っている。
「あ!神前君だ!」
肉球グローブをつけたサラが手を振っているが、すぐに島田の部下の技術部員たちに引きずられて詰め所の中に消えた。
『今はまだ見せるな』という、誰かの配慮なのか、ただの野次馬根性なのかは分からない。
他の隊員達は、それぞれささやき合いながら誠の方を見ていた。
その視線は、『英雄を見る目』と『哀れな人を見る目』の、ちょうど中間あたりにあった。
気になるところだが、誠は隊長に呼ばれているとあって焦りながらロッカールームに駆け込んだ。
誰も居ないロッカールーム。
金属ロッカーの並ぶ狭い空間に、洗い立ての制服の匂いと、ほんの少し汗と洗剤が混じった懐かしい匂いがこもっている。
誠はロッカーを開けようとして、ふと手を止めた。ここまで来ると、菰田が顎でしゃくって見せた逆に掲示板を見るのが怖くなっていた。




