第206話 常識人は言いにくい
早朝の夏の日、見慣れた菱川重工豊川工場を誠のスクーターは走っていた。いつもの通り、工場内の通用道路は道路交通法の適用外とあって走る車はいかにも乱暴に誠の遅いスクーターを強引に抜き去っていった。
誠はなんとかその車両の群れの間を出来るだけ車間距離を取りながらおっかなびっくり走り続けていた。
まだ朝の冷気が残る工場内の連絡道路を、この工場としては珍しい本格的な重機械と言える大型掘削機の鉱山用ドリルを積んだ大型トレーラーが、轟音を立てながら走っていくのが見えた。油と鉄と土の匂いが混ざり合い、コンクリートの壁に反響するエンジン音が胸の奥まで震わせた。
誠はその後ろにくっ付いてスクーターで走る。遅い大型トレーラーの後ろをついて走ればとりあえず荒っぽい運転の工場の営業車両や近くの下請け工場から入ってくる小型トラックにぶつけられる心配はない。少なくとも、彼らも大型トレーラーを相手にして自分の車が無事で済むと考えていないので、その真後ろを走る誠のスクーターに威嚇するような幅寄せをすることは有り得ないことだということは誠も学んでいた。
安物の小排気量エンジンが、トレーラーの咆哮に負けじと悲鳴を上げた。ヘルメット越しに風が頬を叩き、久しぶりの『通勤路』に戻ってきたのだという実感が少しずつ湧いてくる。
昨日までは東和帰還後の休暇だった。何をしても自由、そしてそれに値することを成し遂げたという爽快な気分での時間はあっという間に過ぎて今日と言う普通の日常がまた誠の所に帰ってきていた。
誠にとっては初めての戦闘出動後には与えられることが決まっているものだという一週間の長期休暇が終わって、いつものように司法局実働部隊の通用口にスクーターを滑り込ませると、そこでは警備の担当の技術部員が直立不動の姿勢でパーラの説教を受けていた。
通用口脇の詰所には、紙コップやトランプが散乱していた。どう見ても『真面目に警備』というよりは『バレたサボり現場』の後片付け中だった。口調の厳しいパーラの様子がいかにもいつものことだという雰囲気なのが誠の笑いを誘った。
この『特殊な部隊』の警備任務中である。ただし、ここは『特殊な部隊』と他の軍や警察で揶揄される部隊なのである。その隊員が真面目に警備任務をするわけが無かった。
きっといつものように花札でもしてサボっていたのだろうと想像しながら誠はそのゲートを通り抜けようとした。
「おはようございます!」
誠の挨拶に、パーラが久しぶり見る英雄の待ち焦がれていたように見えたが、すぐに曇った笑顔で振り向いた。
休暇明けらしく表情はどこか柔らかい。だが、その奥にほんの少し言いにくそうな影が見えた気がした。その微妙にパーラの口元に見えた引っ掛かりが誠の心に刺さった。
サボっていたらしい警備担当の島田に指名された整備班員は、ようやくこの部隊ではレアな真面目で責任感のある隊員であるパーラから解放されて一息ついていた。
真面目なパーラが誠にだけは甘いというのは整備班の男子下士官の間ではほぼ共通認識なのはこの寮で休暇の間の食堂での雑談で何度も聞かされたことだった。これまでもパーラの生真面目ゆえの自分の職分を超えた叱責で何度となく長い説教を食らったことのある先輩たちの話を聞いて誠は苦笑いを浮かべた。
一方、真面目と言うと思い出す、カウラだが、彼女は自分の任務以外には特に興味が無いという感じでいくら整備班の先輩たちが悪ふざけをしていてもカウラの機体やカウラの愛車に問題が無ければ一切かかわろうとしないというのが先輩たちから聞いた『特殊な部隊』の真面目な女性隊員二巨頭の全く違う顔だった。
そして、カウラが先輩の隊員の中でもそれなりにパチンコをやるという数名に尋ねたところ、彼等の誰が行っても一番出そうな台にカウラが座っているのはいつものことで、カウラが非番の日にカウラの良く行くパチンコ屋の前には9時になるとその台に座るために順番待ちをしているカウラを見ることができるという話をしてきたときにカウラがやって来たのは何とも皮肉な話と言えた。
そんなどうでもいいことを考えていた誠の姿を見て、説教を受けていた警備を任された整備班員達は、一様に『助かった』とでも言いたげに、誠と目が合うとそそくさと詰所の中へ消えていく姿が誠にはどうにも不自然に感じられた。
「おはようございます!お仕事お疲れ様ですね……パーラさん、でも、その襟の階級章って大尉のじゃないですか!ということは……昇進ですか?おめでとうございます!パーラさんは真面目だからクバルカ中佐も気を使って推薦状を書いてくれたんですね?確かにあのアメリアさんの副長を務めているんですから、あの人に少佐が務まる以上、パーラさんが大尉だって少しも不思議じゃないですよ!」
大尉の階級章をつけた司法局実働部隊の制服姿のパーラに、誠が心からの喜びの声を掛けた。肩の赤い線が朝日にきらりと光る。
パーラの視線が、一瞬だけ誠の襟元へ落ちた。そこにはまだ、誠自身が深く考えていない階級章がついている。彼女はそれを見て、ほんの少しだけ言葉を飲み込んだ。
「そっ……まあ……ああ。そんなところだけど……いえ、何でもないわ!」
誠に出会った時の笑顔はすぐに消えた。思わず誠はその表情の急な変化が気にかかった。
「そう言えば神前君はこの前、誕生日だったわよね。いくつになったの?」
パーラはあいまいな返事をした後、唐突に話題を誠の誕生日の話に移した。
「ええ、7日で24になりました……でもなんでそんな話に?僕はパーラさんの昇進をお祝いする話をしていたんですよね?なんでです?」
普段ならいつどこに話題が飛ぶか分からないランやかなめと違って、こんなあからさまに誠の話を別の話題に突然飛ばすような事をする人ではない。パーラと会う機会が少ないのは彼女の上司であるアメリアの策謀によるものであることは誠も知っていた。こんな自然なタイミングでパーラと顔を合わせた時点でそこにアメリアのなにがしかの悪意があると誠は直感した。
『運航部の女子が私より先に結婚するなんて絶対許さないから!』
酔うと時々そう叫ぶ彼女が明らかに誠に好感を持っていて、誠もまた『特殊な部隊』では数少ないまともな会話の可能な常識人である彼女と近づくことをアメリアは露骨に警戒しており、明らかにそれとわかるシフト変更やあの『釣り部』の巣窟である多賀港への急な視察命令など、ありとあらゆる部長権限を駆使してパーラを誠から遠ざけていた。
ただ、アメリアの論理を厳密に適応した場合、運航部の女子はたぶん全員結婚できないということになるだろうし、当然、すでに彼氏の居るサラすら結婚することは許されないのだろうと誠は失礼なこととは思いながらもそう考えていた。
だからパーラと誠が出会うことができるのはアメリアが予想していなかった偶然か、あの『人外魔法少女』であるランの監視の下での常軌を逸したトレーニングの時間くらいのものだった。
そんな出会うことさえレアな機会に出会っただけと言っても、パーラの他のどうかしている『特殊な部隊』の女子隊員との明らかな違いは女性と接する機会の少ない誠にでも分かった。
パーラはこの部隊の隊員の中では、ほぼ唯一と言って良い気遣いのできる女性である。その彼女が、目を泳がせるように別の話題を探している。
それ以前にこんなに普通に『特殊な部隊』に出勤してきた時点でパーラに出会うこと自体、誠とパーラの遭遇を邪魔することを狙っているアメリアに何か考えがあると考えるのが自然だ。またパーラがいつものように『自分の幸せ以外は認めない女』であるアメリアの犠牲者になっていると言うような予感が誠に沸いていた。
アメリアはパーラに誠にとって不都合な何か誠の知らない現実を言わせようとしている。
寮でも他の誠の周りの女子達のことをおもしろおかしく語る整備班の整備班の笑顔が、子とアメリアに関することになったとたんに引きつった笑みに変わり黙り込むことでアメリアの意に沿わない人間はこの『特殊な部隊』では生きていけないことは誠も知っていた。
そんなどう話を続ければいいか迷っている誠を見かねたようにパーラは口を開いた。アメリアに苦労をさせられているパーラは誠よりはるかにアメリアを知り尽くしていた。
「いえ、いいのよ。ちょっと気になっただけ。それより誰かからプレゼントをもらった?誠ちゃんの住んでる場所は隊員のみんなが知ってるし、今回の『近藤事件』のヒーローなんだものね。誰かがやってきて何かくれたりしたんじゃない?私はこの一週間アメリアに『北海花咲ガニのおいしいのが食べたい』とか無茶を言われて蝦夷道を旅して美味しいものを食べつながら結局アメリアの目的の花咲ガニを市場市場で探す旅を続けていただけだけど」
ここでパーラは、いつもの気遣いのできるパーラの顔に戻った。あのどうしようもない上司であるアメリアが何を考えているか分からないが自分の唯一の理解者になってくれるかもしれない誠との時間を楽しみたいと言う気分がパーラの心にも確かにあった。そして、誠の誕生日を知っているパーラが絶対に誠に近づかないために口実を設けてパーラを遥か北の果ての蝦夷道まで行かせて平気な神経の持主のアメリアの思考を想像してうんざりする思いだった。
だがそんなアメリアに無茶振りをされても素直に答えてしまうお人好しのパーラのその眼差しには、どこか『先に謝っておきたい人』のような、奇妙な申し訳なさがにじんでいる。
誠はパーラの青い瞳を見てアメリアが誠に自分は絶対口にしたくない何かとてつもない事実をわざとパーラに言わせて二人を引き裂こうとしているように感じられてあの糸目の奥の瞳の恐ろしさを感じていた。
その割にこの長い休暇の間にアメリアが寮にやってくることが一度も無かったのは、誠が思うにアメリアには誠よりももっと大事な趣味に関することで時間が無かったのだろうと想像していた。
それと同時に一度だけ午後の一番暑い時間帯に車でわざわざ寮にやって来たカウラの緑の髪が誠の脳裏を駆け抜けた。
「ええ、カウラさんが誕生日に寮に来てパチンコで勝ったからと言って目覚まし時計をくれました。僕は眠りが深いんで、その点では気を使っていただいて助かります……でも何かあったんですか?さっきから普段は言わないようなことばかり……どうせまたアメリアさんが……そう言えばアメリアさんも西園寺さんも休暇で暇なはずなのに寮に一度も来ませんでしたね?まあ、あの二人がそういう自分の為には一銭にもならないことはしない人なのはここに配属になってからよく分かって来たんで」
ここは直接パーラにあのかなめと並ぶ『特殊な部隊』の問題女子のアメリアに何か言われたのかを確かめようとした。
「それは良かったわね。でもごめんね、私も時々島田君に会いに行くサラと一緒に行きたかったんだけど、さっき言ったようにアメリアの我儘で、多賀港から家に帰ったらそこにアメリアが待っててお金とさっきの無茶な要求をしてきてそれを実現させるためにこのまま成畑・千年の最終便のチケットを取り出してこれに乗りに行くのを確認するまで帰らないとか言い出したものだからそれに付き合ってちょっと一人で旅行に行ってたから。じゃあお仕事頑張ってね!組織の不条理なんかに負けちゃ駄目よ!」
最後の一言だけ、妙に力がこもっていた。
そもそも出動から帰った自宅の前で待ち受けてきて航空チケットを渡して北の果てまで飛んでいけと言い放つ上司がいる職場で今までパーラのような常識人が職場放棄しなかったこと自体が奇跡に近いように誠には思えた。
そんな非常識なアメリアがここでパーラと誠が出会うことを許すとということはパーラの口から誠に関する何かを言わせることで誠のパーラへの印象を悪くしようとしていたのは間違いないようだ。誠はそう確信するとあの糸目の下に浮かぶ口元ににんまりと笑みが浮かぶのを想像して腹が立ってきた。
つまり、誠の結論はこうだった。パーラが気まずそうにしている。アメリアが絡んでいる。よって、ろくでもない。論理としては雑だが、この部隊ではだいたい当たことは配属一か月に満たない誠にも読めてきた。
誠はアメリアの策謀への怒りとパーラの態度への違和感を感じながら、無言の彼女に頭を下げてそのまま開いたゲートをくぐった。




