第205話 日本酒一気と人口爆発
「クラウゼ少佐お戻りですか。神前さんやベルガー大尉の件も無事片付いたようですね……よろしいですか?」
いつもの二十歳に満たないような感じの技術部員である西が、日本酒の瓶を両手で大事そうに抱え、アメリアに話しかける。
いかにも『良い酒を持ってきました』という顔だ。
「なあに?お姉さんに質問か何か?」
上機嫌でアメリアが答える。
艶っぽく片目をつぶって見せ、周りの若い技術部員から小さな歓声すら上がる。
若手技術部員と、かなめと島田がアイコンタクトをしている事実に気づいて、誠は何が企まれているかを、なんとなく察した。
今度は『おもちゃにされる側』が誰なのか、嫌でも想像できる。
「今回も見事な操艦ですね。隊長が予想していたこととは言え、敵に背後を取られても全く動じませんでしたね。あの覚悟の座りようは艦と運命を共にしている整備班の一人として感服しました。司法局実働部隊の誇りですよ」
いかにも年上女性が好みそうな純朴を装う西の笑顔にアメリアは相好を崩していた。この時点で誠も西が甲武国出身の元地球人であることを思い出して、脳内が『スーパー遼州人』状態で婚活失敗中の『モテない三十路女』であるアメリアに何か企んでいることは明らかに分かった。
「褒めたって何にもでないわよ。第一、ここに作戦目的を達成した本人がいるのに」
誠を指さしたアメリアが、空いたコップを若手技術部員に突き出した。
西は、待ってましたとばかりに腰を折り、日本酒の瓶の栓を抜く。
若手技術部員は、ランが選んだらしい高そうな日本酒を注ぐ。
透明な液体が、とくとくと音を立ててコップに満ちていく。
「そんなに飲めないわよ!それに日本酒は私じゃなくてランちゃんの専売特許じゃないの!私はビールの本場のゲルパルト生まれの生粋のビール党なんだから!」
そうアメリアが言うのを聞きながらも、わざとらしくコップに八分ほど日本酒を注いだ。
『八分目』はこの部隊で『一気飲み用の量』とほぼ同義だ。
「おい、何してんだ?」
わざとらしく島田が近づいてくる。西が島田と視線をかわす。明らかに西の行動は島田の指示によるものであることはこれ以上面倒ごとに関わるのは御免だとかなめが銃で脅して奪い取って来たクエの身を食べている誠は理解した。
上官である彼に、若手技術部員が直立不動の姿勢で敬礼する。その芝居がかった姿はいかに島田が悪だくみの為に部下を徹底教育しているかという成果を見せつけるようなものだった。
「なるほど、上司にお酌とは気が利いてるじゃないか。じゃあ一本行きますか!総員注目!」
ここですべての狙いがハマったと言うような満面笑みの島田が大声を上げる。その様子を黙って見守っていた誠から見ても島田達の一連の動作と連携はあまりにも見事過ぎてこれがかなりの場数を踏んだものであることは想像がついた。
彼の部下である技術部整備班員が大多数を占める宴会場が、一気に盛り上がる。
あちこちのテーブルから『おおー』と野次と笑い声が湧いた。
「なんとここで、今回の功労者の一人であるこの艦『ふさ』艦長。アメリア・クラウゼ少佐殿が自ら『一気』を披露して隊の健闘を称えたい仰っておられる!手拍子にて、この場を盛り上げるべく見届けるのが隊の伝統である!では!」
アメリアが目を点にして島田を見つめる。
してやったりと言うように、島田が笑っている。
さらにアメリアはサラ、パーラ、そしてかなめを見渡した。
三人とも、まったく目を合わせようとしない。口直しに白菜を口に運びながら恐らくは三人も仕掛け人なのだろうとその表情を見ればバラエティーのドッキリ番組をたまにしか見ない誠にも分かった。主犯はかなめか島田か。誠が気になる容疑者はどちらかだろうと今度は見物人を決め込む状況で誠はこの様子をクエの身を食べながら見守っていた。
『嵌められた』
ここで初めてアメリアは、自分の陥った窮地を理解したような表情を見せた。
全員の視線がアメリアに注ぐ。
『逃げられない』と悟ったアメリアが、自棄になって叫ぶ。
「運航部長!アメリア・クラウゼ!日本酒一気!行きます!」
一瞬だけ、場が静まり返った。
次の瞬間。
『おおおおおおおっ!』
ハンガーが揺れるほどの歓声が上がった。かなめと島田は見つめあいしてやったりの笑顔をしていた。
手拍子がハンガーの鉄骨に反響して、妙な一体感を生む。
島田の口三味線に合わせて、アメリアは一気に日本酒を腹に流し込む。隣では拍手をしながらかなめがその周りを回る。
長い喉がごくごくと動き、白い首筋がほんのり赤く染まっていく。
「おい!今回はオメエがんばったよ。アタシからの礼だ。受け取れ!」
そう言うと、今度はかなめが、アメリアの空けたばかりのコップに、若手技術部員から奪い取った日本酒を注いだ。
その目は完全に『復讐に燃えるサディスト』のそれだ。これまでの勤務中のアメリアのいたずらで何度も痛い目を見ているかなめからすれば今この時がその復讐の完成する瞬間と言えた。
もう流れに任せるしかない。
そう観念したように、注がれていくコップの中の日本酒を、アメリアは呪いながら眺めていた。
その様子を、ひよこは楽しそうに眺めつつビールを飲んでいた。
ポエムのネタ帳に、今しがたの光景をメモしているのが、誠の位置からはっきり見える。彼女にはこの状況は『仲良きことは美しきかな』というポエムの一つなのだろう。
「オメー等!クラウゼを殺す気か!計画者は島田か!西園寺か!オメー等無事で済むとは思ってねーだろーな!ぶっ殺す!」
最初は和やかな雰囲気だと25キロのクエを一人で完食して余韻に浸りながら見過ごしていたランも、かなめ達のたくらみに気づいてそう叫んだ。
幼女の怒号がハンガーに響いた。
その瞬間。島田の部下達が、一斉に視線を逸らした。
……『本気の姐御だ』。
その空気だけで、全員が理解した。
島田、かなめ、サラ、パーラ、西の5名は、さすがに身の危険を感じたのか、人影にまぎれて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「大丈夫ですか、アメリアさん」
185センチを超える長身が売りのアメリアも、さすがにふらついていたので、クエを食べる手を止めて立ち上がって駆け寄った誠が声をかけた。
ここまで酔った彼女を見るのは初めてだ。その目は潤み、完全に理性が飛んで泳いでいた。
「だいじょうふ、だいじょうぶなのら!」
それは先ほどカウラが見せた酔っぱらいの真似そのものだった。しかも、こちらはカウラによるアメリアの真似ではなくアメリアのオリジナルの本物の酔っぱらいである。
「大丈夫って……そうは見えないんですけど」
誠はついそうつぶやいていた。
いつもなら白いはずの肌が、真っ赤に染まっている。
呂律の回らなさは、典型的な酔っ払いのそれとしか思えなかった。
「まことたんはね……」
アメリアは誠の肩に額を押し付けた。
「いいこなのら……」
そんなアメリアの糸目の下にかすかな光が帯びる。
「アメリアさん、近いです」
素面でも距離感の誓いアメリアだが、酔ったアメリアの距離感は誠にとっては近すぎた。
「ちかくないのら」
……完全に駄目だ。そう誠が思った瞬間だった。
アメリアはネクタイを緩めた。
誠は嫌な予感がして周りを見回したが、アメリアのこの記憶がもしアメリアに残っていたら後で何をされるか分からないことを熟知している隊員達は、見事なまでに一斉に視線をそらした。
完全な『見て見ぬふり』だ。全責任は計画者の島田とかなめにあり、その頭脳として協力した西、サラ、パーラのノリに乗っただけの被害者に過ぎない。その被害を誠が全部率先して被ってくれるならありがたいし、その結果面白いネタを見ることができればラッキーだ。島田の部下達にはそう言いたいような雰囲気がありありと見えた。
「誠ちゃん、あついのら……」
アメリアは酔った顔で、ブラウスのボタンに手をかけた。
「アメリアさん、苦しいんですか?」
そうであってくれ、と心から願いながら、誠はそう言った。
「ちがうのら!ぬぐのら!誠ちゃんにアタシの美しいボディを見せるのら!」
誠の予想は、最悪の形で裏切られた。そして、ギャラリーの男子たちには最高の展開となりつつあった。
「いきなり脱ぐんですか!」
驚きのあまり、誠は叫んでいた。
ネクタイを投げ飛ばし、さらに襟のボタンまで取ろうとしているので、思わず誠は手を出して止めた。
「もう知らねえよ……俺は。良かったじゃん、神前。モテモテでうらやましいよ。俺もあやかりたいもんだ」
各鍋を回って〆のうどんを漁っては肴にして焼酎を飲んでいた嵯峨が、この光景を見てひとりごとを漏らした。
その顔には、『今日も平常運転だな』という諦めに近い笑みが浮かんでいる。
そんな中、修羅の形相のランは、人垣に隠れようとした島田を見つけて、周りの整備員に顎で合図を送った。
隊の尊敬を唯一集めている幼女の威光には勝てず、島田はあっという間に取り押さえられた。
島田の『クバルカ中佐、これは違うんですよ!』という弁解は、誰の耳にも届かない。
続いてサラ、パーラが捕まって引き出されてくる。
三人を見て事態を悟った実行犯の西だが、これも瞬時に捕まり、ランの前に突き出された。
恐らく島田をそそのかした隊で一番悪知恵の働きそうなかなめは、すでに姿を消していたようで、技術部員や運航部の女子も、彼女の捜索のためにハンガーを出て行った。
「西園寺の馬鹿は後で『処刑』すっか。アイツはサイボーグだから多少無茶な罰を与えても平気だろ」
あっさりそう言うと、ランは引き立てられてきた四人を見下ろして、誠がこれまで見た事が無いような恐ろしい表情を浮かべていた。
竹刀を握る小さな手に、明らかに本気の力が宿っている。
「よっぱらったのら!誠ちゃん!ここで人口爆発をおこしてやるのら!」
アメリアが上着を脱ぎ棄て、スカートも脱ぎ捨て、下着に手を掛けながら叫んだ。
周囲の整備員達が、慌てて視線を逸らしつつも、ちらちらと見ているのが、余計にカオスだ。
ひたすらブラジャーを外そうとするアメリアの手を、誠は全力で押さえていた。
この状況で彼女を止められるのは、自分しかいない……そんな妙な責任感が肩にのしかかる。
ランは竹刀を技術部員から受け取って、アメリアのほうを向いた。
「オメーはしゃべんな。それ以上酔っぱらったら面倒だ!あと人口爆発はここで起こすんじゃねー!テメーの部屋でやれ!」
竹刀を振り回す幼女とひたすら下着を脱ごうとする妙齢の女性とその手を押さえつける誠。
もはやこの世の物とも思えない光景がそこには展開していた。
「そうれはかないのれす!わらしは酒のちかられ!」
そう言うとアメリアは誠に抱きついてきた。
アルコールと香水とシャンプーの匂いが、誠の鼻先を直撃する。
「なにすんだこの馬鹿は!」
天井からかなめが降ってきて、アメリアを誠から振り解こうとした。
天井からかなめが降ってきた。
正確には、配線ケーブルに片手でぶら下がったまま、軍用義体の脚力で勢いよく飛び降りてきた。
「なにすんだこの馬鹿は!」
誠はもう、『なぜ天井にいたのか』を考えることをやめた。
しかし、運悪くそこにランの振り下ろした竹刀があった。
「痛てえ!姐御、酷いじゃねえか!」
そう叫んだかなめだが、自らの『嫉妬』ゆえの行動でまんまと最大の敵である『人外魔法少女』の目の前に舞い降りてしまった事実に気付いてすぐに顔が青ざめていった。
「主犯が何言ってんだ!島田にこんな計画性のある悪だくみは出来る頭はねえ!この一連の騒動を仕組んだのは西園寺……おめーだな?隊長。こいつ等どうします?」
ランは冷酷にかなめに竹刀を突きつけて、後ろで騒動を眺めていた嵯峨に尋ねた。
「俺に聞くなよ。まあ一週間便所掃除ぐらいでいいんじゃないの?まあ、この艦は三日で多賀港に着くわけだからそれ以前にその刑罰からは解放されるんだから。残りは男子下士官寮の掃除でもさせときゃ問題ないよ。24時間タイヤ引きとかサイボーグのかなめ坊と不死身が自慢の島田以外が死にそうな罰は止めてね。俺がパーラとサラと西がお前さんのしごきで死にましたって司法局本局に謝りに行くのは俺でも嫌だから」
うどんを食べつくした嵯峨はそう言うと、何時ものようにタバコを吸い始めていた。
その適当さこそが、この部隊の『隊長らしさ』だった。
「神前……オメエ、そんなにアメリアがいいのか?それともカウラか?アタシじゃダメなのか?」
かなめの声が震えていた。
『今までの罵倒より、その一言の方がずっときつい……』
かなめの誠に向けられた視線は、怒りとも不安ともつかない複雑な色を帯びている。
「じゃあそう言う訳で。神前はアメリアを送って……」
「僕がですか!」
カウラと違って本気で酔っているアメリアの相手には、誠は身の危険を感じた。
このまま二人きりのエレベータなんて、想像しただけで胃が痛い。
「姐御!そんなことしたらこいつがどうなるか!アメリアの奴本当にその場で人口爆発を狙いますよ!それこそアメリアの思惑通りじゃないですか!」
かなめが叫んだのは、アメリアが誠に抱きつくどころか、手足を絡めて、そのまま押し倒そうとしていたのを見つけたからだ。
「西園寺!すべてを仕組んだオメーにそんなことを言う資格はねー!それともそこまで考えて仕組んだのか?婚活失敗続きの友達思いなのは良いがやりすぎだ。サラ、パーラ。オメー等はアメリアの監視を頼むわ。便所掃除は免除してやっから。それと念のためひよこも付ける……運用艦の艦長が急性アルコール中毒で倒れたなんてなったら『特殊馬鹿』の汚名返上の機会がパーだ」
サラとパーラは、技術部員から解放されてほっと一息ついていた。
いつの間にか割烹着を脱いで制服姿に戻っていたひよこが、その後ろについていく。
ランのめんどくさそうな叫びで、宴はようやく終わりに向かい始めた。
誠は二人の手でアメリアから引き剥がされて、ようやく一息ついた。
Tシャツの胸元には、アメリアのネクタイの跡と、うっすらとした体温の名残りが残っている。
「大変だったねえ」
嵯峨が、どこから持ってきたのかわからないサイダーの瓶を誠に渡してきた。
ラベルはどこか昭和レトロなデザインだ。
「まあ、そうですかね」
技術部員の痛い視線を浴びながら、誠は大きく肩で息をした。
さっきまでの『英雄』の視線とは、まるで別物だ。
「ああ、神前。なんだか驚いているみたいだけど、きっとそのうち慣れるんじゃない?まあ、いつもこんなもんだよ。うちは」
誠の肩をぽんと叩いた後、嵯峨は去っていく。
ラムや焼酎や日本酒で出来上がった大人たちと、クエ鍋の残骸と、笑い声と怒鳴り声が入り混じるハンガー。
誠はいかに自分が『特殊』な環境に根付いてしまったのかを考えながら、サイダーを一気に飲み干そうとして、見事にむせた。
その様子を、まだクエ鍋の周りから散りきれない隊員達が、『ああ、またやって』といった顔で眺めていた。
……これが、この部隊にとっての『日常』なのだと、誠はようやく理解し始めていた。
この騒ぎの中で、今ごろ自室で静かに眠っているであろうカウラだけが、誠には妙に遠い世界の住人のように思えた。




