第202話 酔いの演技と、本音の残り香
「クバルカ中佐!物騒なことを言わないでくださいよ!それよりカウラさん休みましょう!さあこっちに来て」
誠は、サラに絡もうとするカウラを両腕で抱え込んだ。
誠にはこれ以上この場でカウラの誠のためを思って口にした言葉で自分が傷つく現実に耐えられなかった。
カウラの酔いで重くなった身体が、ずっしりとのしかかる。
「もっとするのら!もっとするのら!わたしはなにもわかってないのら!隊長やクバルカ中佐の言ってた変態『日野』をわたしが愛で撃退するのら!」
次第にアルコールのめぐりが良くなったのか、カウラは全身の関節をしならせながら叫んだ。
その姿は、冷静沈着な電子戦のプロの面影もない。
そしてそんな暴走するカウラを助けようとするのが誠一人であることに気付くと同時に、そんな二人を周りが生暖かい視線で見つめている事実に気付いてこの艦が遼州人の国東和共和国の艦なのだと改めて思い知った。
アメリアの言う通り東和共和国の大半を占める遼州人は愛だの恋だのを面白がって茶化すことに全力を注ぐ民族であり、その事が普通の環境で育った元地球人の遺伝子を継ぐ『ラスト・バタリオン』の女性陣も思考の大半を遼州人の空気に染められているのだと誠は確信した。
「こりゃ駄目だ。神前、ベルガーを部屋まで送ってやんなよ」
クエのだしの効いた鍋でうどんを茹でながら、嵯峨がそう言った。
あくまで『いつもの仕事を指示する』調子である。
「神前が変な気起こすと面倒だからな……アタシが運ぼうか?あのかえでを変態にしたのはアタシだし……」
かなめがそう言いながら自分を見る瞳に、露骨な殺意がこもっていることを、誠は理解していた。恐らくかなめはこの会場から出た途端にカウラに自分の恥ずかしい秘密をばらしたことでカウラにどんな制裁を加えるか分かったものではない。
事実、誠の目の前でもかなめのその手は、いつでも拳銃のグリップに今すぐにでも伸びそうな雰囲気だった。
「そうよね私も手伝うわ。それとそこの林軍曹!福島伍長!」
巻き込まれたアメリアが、缶ビールをテーブルに置き、ゆっくりと動き出す。
アメリアは十分楽しんだのでこれ以上は別にどうでもいいと言う態度が見え見えだった。
島田の兵隊の中では体格がいい林と福島は、素早く背筋を伸ばし、カウラのそばに立った。
「クラウゼ少佐……本当に自分達でよろしいんでしょうか?」
二人の目が、カウラの細身の身体を舐めまわすように見ているのに気が付いた誠は、この二人を指名したことがアメリアのカウラへの嫌がらせであることを、なんとなく察した。
二人は誠の両脇に走り寄って、自分の『女神』であるカウラに手を伸ばそうとする。
「林!福島!オメー等は菰田と仲が良かったな……どーりで目が邪悪すぎる!神前!オメーは体力あんだから一人でなんとかしろ!」
隊を知り尽くす『偉大なる中佐殿』であるランの一言。二人がカウラの貧乳を神と崇める菰田を教祖とする『ヒンヌー教団』の一員であることを知っての一睨みに、二人はひるんで立ち尽くした。
即座に「不採用」と烙印を押されたような顔をする。
「そうなのら!タレ目とつまらない奴はひっこんれるのな!神前!いくろな!」
そう言うと、壊れたようにカウラは笑い始める。
誠の肩にしがみつきながら、くくくと喉を鳴らす。
誠は彼女を背負って、そのまま宴会場であるハンガーを後にした。
格納庫の大扉が遠ざかるにつれ、クエ鍋の匂いと人いきれは薄れ、代わりに金属とオゾンの匂いが戻ってくる。
誰も居ない通路。
床に貼られた黄色い安全ラインだけが、無機質な光に浮かんでいた。
よろけながら歩くカウラを支えつつ、誠はエレベータホールにたどり着いた。
壁面の時計が、宴会が始まってまだ一時間も経っていないことを告げている。
「大丈夫ですか?カウラさん」
心配した誠が声をかける。
カウラは、さっきまでの酔っぱらいぶりが嘘のように、うって変わった調子でシャキッと立つと、乱れた髪を指先で整えた。
「ああ、大丈夫だ」
カウラが落ち着いた静かな口調で話し出した。
瞳の焦点もはっきりと戻っている。
その変化に誠は戸惑う。同時に誠は思った。
『そういえばカウラさん、飲む前から妙に余裕があった気がする……』
誠の戸惑った顔に、照れたような笑みを浮かべると、カウラはネタバラシを始めた。
「半年前はアメリアが、あのような醜態をさらす事が多くてな。それを真似ただけだ。確かに体がふわふわする感覚があるが、それ以外の身体的異常は一切感じてはいない状態だ。確かに時々意識が遠くなって貴様に不都合なことを口にしたかもしれないのなら詫びておこう。確かに貴様が思うように全部が演技だったわけではない。ただ、酔ったふりをしていれば、言ってしまっても許される気がした。それだけだ」
目の前にいるのはいつもの冷静沈着なカウラそのものだった。違いと言えば、若干アルコールが回っているらしく頬が赤く染まっているくらいだった。
『西園寺さんやアメリアさんを見る僕を、ずっと見ていた……?カウラさん……あなたは地球人の血を引いているはず。僕みたいな『モテない宇宙人』である遼州人じゃない……じゃあ、僕はもしかして……これがフィクションじゃない『愛』だと思いたいけど……そんなわけないか。僕は所詮『モテない宇宙人』遼州人だし』
『モテない宇宙人』の遼州人である自分に常にコンプレックスを持っていた誠は自分の鼓動が高鳴るのを感じていた。
「じゃあ酒は飲んでなかったのですか?でも身体がふわふわしてるってことは少しは酔ってるってことですよね?」
あっけに取られて誠が叫んだ。
「飲んだ事は飲んだが、理性が飛ぶほどヤワじゃない。……来たぞ、エレベーター」
カウラを背負ったまま、誠はエレベータに乗り込む。
扉が閉まると同時に、外の喧噪が完全に断ち切られ、密室特有の静けさが降りた。
「それじゃあ何であんな芝居を?なんで僕にそこまでするんです?」
誠の問いかけに、カウラはすぐには答えなかった。
二人だけの空間。時がゆっくりと流れる。
背中越しに伝わる体温。
僅かなカウラの胸のふくらみが、誠の背中にも分かった。
「何でだろうな。私にも分からん。ただ西園寺やアメリアを見るお前を見ていたら、あんな芝居をしてみたくなった……酒を飲んだのが原因なのは事実なんだろうな。それも酒のせいかな……あと、隊長と中佐が言っていた西園寺の妹の『日野』。アイツはいずれこの隊に配属になることは確定事項だが……アイツは危険だ。気を付けろ」
すねたような調子で、カウラがそう言った。
誠には、その声の奥に、言葉にできない何かが隠れているように感じられた。
エレベータは居住区に到着する。
チン、と軽い音が鳴って扉が開いた。
「しばらく休ませてくれ。やはり酔いが回ってきた……身体がいつもより重く感じられる」
やはりそれほど酒の強くない人造人間のカウラは、エレベータの隣のソファーを指差して言った。
「そうですね、そうした方が良いですよ。僕ならあの量を飲んだら確実に理性が飛びますから」
誠はそう言うと、カウラをソファーにそっと座らせた。
廊下は静かだった。
この艦の運行はすべて、遼州星系では普通の『アナログ式量子コンピュータ』システムで稼動している。
作戦中で無ければ、ほとんどの運行は人の手の介在無しで可能だ。この静けさは誠にとっては恩恵であると同時に不安を増幅させる効果があった。
この静けさのおかげで今この時間帯、運航関係者で業務上飲酒ができない人間は、ただ法律の都合上酒を飲まずにいるだけで、あの馬鹿騒ぎに参加したいと言う思いを起こさないために自室で『釣り』ゲームに興じていることだろう。
彼等はみな、筋金入りの『釣りマニア』なのだから。
誰一人いない廊下。
非常灯の緑の光だけが、静かに床を照らしていた。
「悪いな。私につまらない猿芝居につき合わせてしまって。これで好きなのを飲んでくれ」
カウラはそう言うと、誠に小銭を渡す。
誠はソファーの隣の自販機の前に立った。
「カウラさんはスポーツ飲料か何かでいいですか?」
「任せる」
そう言うとカウラは大きく肩で息をした。
強がっていても、明らかに飲みすぎているのは誠にもわかった。
誠は休憩所のジュースの自販機にカードを入れた。
ガコン、と金属音が響く。
「怒らないんだな。嘘をついたのに……それとも西園寺の下僕の地位が気に入ったのか?」
スポーツ飲料のボタンを押し、缶を機械から取り出す誠を眺めながら、カウラが言った。
「別に怒る理由も無いですから。それと下僕にはなりたくないです。僕は『甲武国』の国民でも無いですし、一応市民なんで」
そう言うと、誠は缶をカウラに手渡す。
「本当にそうなのか?貴様のための宴会だ。それに西園寺やアメリアも、貴様がいないと寂しいだろう」
コーヒーの缶を取り出している誠に、カウラはそう言った。
振り返ったその先の緑の瞳には、困ったような、悲しいような、感情というものにどう接したらいいのかわからない、そんな気持ちが映っているように誠には見えた。
「今は西園寺さんやアメリアさんは関係ないですよ。カウラさんも放っておけない仲間ですから」
誠が正直な本心を口にしたつもりだが、カウラは少し寂しげに笑うと静かにうなずいていた。
「そうか、私は『放っておけない』か……今は私はその言葉で満足すべきなのかもしれないな。私達はまだ会って一月も立っていないのだから。それだけの時間でかわされる会話で神前に私は『放っておけない』存在になれた……今の時点ではそれだけで満足すべきことなのかもしれないな」
カウラは、誠の言葉を繰り返すと、静かに缶に口をつけた。
喉の奥を通る炭酸の音が、かすかに聞こえる。
カウラの肩が揺れる。アルコールは確実にまわっている。
だが誠の前では、何とか毅然として見せようとしているのが感じられた。
その姿が『本当のカウラ』なのか、先程自分で演技だと言った壊れたカウラが本物なのか……誠には図りかねていた。
「喉は潤って意識ははっきりしたつもりだが……やはり、どうも気分が良くない。誠、肩を貸してくれ」
飲み終わった缶を誠に手渡しながら、カウラは誠にそう言った。
「わかりました、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ……何をしてるんだろうな……私は。貴様は所詮は愛を知らない遼州人だというのに」
そうは言うものの、かなり足元はおぼつかない。
誠はカウラに肩を貸すと、ゆっくりと廊下をカウラの部屋に向かい歩く。
床板に響く二人分の足音だけが、静かな通路に小さく反響した。
上級士官用の個室が並ぶ区画。
その一角に着くと、カウラはキーを開けた。
「本当に大丈夫ですか?」
心配して何気なく口にした誠の言葉を聞くとカウラは苦笑いで誠の瞳を見つめた。
「大丈夫と言いたいところだが……確かに酒が回ってきたようだ。足元がおぼつかない。すまない。ベッドまで連れて行ってくれ」
カウラは、いつもは白く透き通る肌を赤く染めながら、誠にそう頼んだ。
カウラの部屋は士官用だけあり、誠のそれより一回り大きい。
だが室内には、パチンコの台が壁一面に並び、誠の部屋よりは大きいはずなのに、どこかしら狭く感じた。
それは……そこに見えるのが彼女にとって唯一の『娯楽』であり、戦場以外の時間のほとんどをここで過ごしてきた証なのだろう、と誠は思った。
「とりあえずここでいい。少し疲れた。もう大丈夫だから帰って良いぞ。西園寺が暴走すると厄介だ」
そう言うと、カウラはそのままベッドに身を沈めた。
誠は静かに立ち上がり、ドアのところで立ち止まった。
「お休みなさい」
「ああ……一緒に海を見られるのを楽しみにしている」
カウラは優しく返した。
それは、前に二人で交わした『約束』を、ちゃんと覚えているという意味でもあった。
「そうですね、僕も楽しみです。じゃあ、おやすみなさい。無理しないでくださいね」
誠はそれだけ言ってそのまま部屋を出た。
廊下が妙に薄暗く感じた。
照明の色は行きと同じはずなのに、心のせいかもしれない。
エレベータがちょうど上がってきていたが、誠は構わず、ハンガーに向かうボタンを押した。
『英雄か……でも、僕自身は何も変わっていないのに……カウラさんをあんな風に変えてしまうなんて……確かに変えてしまったんだな。僕はこの世界を……』
誠は自嘲気味に笑った。
笑いながら誠は巡洋艦を斬った時よりも、今の方が怖い気がした。目の前の人の心まで、自分の知らないところで動かしてしまったように思えたからだ。
背中に残っているはずの体温を、ふと確かめたくなって、それでも拳を握ることで誤魔化した。
……『モテない宇宙人』遼州人のはずの自分が、誰かの『気まぐれ』をここまで揺らしてしまうなんて。誠はエレベータの到着をひたすら待った。
そして自分が『誰かの期待』や『誰かの感情』を変えてしまうことが、少しだけ怖かった。




