第201話 愛とはなんなのれす?
月々3万円生活で、期限切れのカップ麺以外ほとんど口にしていない嵯峨はカウラから逃げようと背を向けて自分の一人鍋の席に戻ろうとするが、カウラは嵯峨を逃がすことなくそれについてくる。
当然、誠たちもその後に続き、嵯峨の一人鍋の周りに人だかりができた。
席に着いた嵯峨が空になりかけた土鍋を名残惜しそうに見下ろしながら……ふと顔を上げた。
クエの白い身と野菜の残骸が沈む汁の向こうで、彼はいやらしい笑みを浮かべる。
「じゃあ聞くわ。カウラ。この『女王様』とそこの馬鹿がくっつくと、なんかお前さんにとって困る事があるの?俺も納得できるような表現を使って教えて……ああ、そう言う知識はお前さんには無いんだな。でもアレだろ?かなめ坊が時々ここじゃあ口にするのもはばかられるような下ネタをお前さんの前で自慢して困るってランが言ってたから……いいよ、おれはアイツみたいに痛いのとか痛めつける事より気持ちいいのが好きな人間だから。俺の前では別に何でもお前さんの知ってる最悪の変態が言いそうな言葉でアイツを表現しても。恥をかくのはかなめ坊だから俺には関係ない。アイツが日常的にそんな言葉を使って自分の性癖を自慢して回ったアイツの自業自得だ」
誠と同い年ぐらいにしか見えない、その実46歳らしい老獪な笑みだった。
薄い唇がにやりと歪み、エメラルドグリーンの瞳を細めたカウラの顔を覗き込む。
誠は助けを求めようと、周囲のテーブルを見回した。
だが、技術部の島田の整備班の兵隊達や、アメリアの部下である運航部の面々は……完全に『このまま他人の目を気にしないラブシーンが繰り広げられる』と期待している様子だった。
彼等は日頃はかなめの銃が怖くて近づけないでいる機動部隊の詰め所で、かつて現役の『女王様』だったと公言するかなめの言葉責めの内容を、ついに生で聞ける……そんな幸運だけを気にしているように見えた。
何を言い出すか分からないカウラの調子に慌てふためく誠だが、この明らかに『特殊』な状況を『最高の酒の肴』としか見ていないようで、誰一人として助け舟を出す気配はない。
視線だけはちょくちょくこちらに飛んでくるが、全員がそろって知らん顔を決め込んでいた。
軍医を探しに行っていたはずのランですら、ランの常識の範囲にあるラブシーンしか想像できないカウラが相手とあって。いつの間にか嵯峨のいる上座の鍋にいつの間にか自分の席から運んで来た大皿に乗せられたクエの身を投入して勝手に占領し、誠達を一瞥することもなく、箸を鍋に突っ込んでクエの身をさらっている。さらにランはもうここから一歩も動かないと言うように嵯峨の〆うどん用の出汁まで普通に使っている。ランの置いた皿の中の25キロのクエの身はもうすでに七割が空いており、今もまたランは旨そうにクエの身を頬張りながらもカウラが何を言い出すかを酒の良い肴にしようと傍観を決め込んでいた。
……完全に、見世物扱いだ。
この雰囲気に逃げ出したい衝動を何とか抑えながら、ここで逃げたらカウラやかなめが何を言い出すか分からないと言う恐怖から誠はカウラの次の言葉に耳をそばだてた。
「それはれすね!西園寺のような『女王様』に苛められると、神前がMに目覚めるのです!女との関係は縛られて、鞭うたれて、蠟燭を垂らされて初めて意味があると神前は考えるようになるのれす!『モテない宇宙人』である神前には女は全員そうして男を支配するのが当たり前でそうしない女に意味は無いと考えるようになるのれす!あの『女王様』がいつでも神前を自分好みの奴隷に仕立て上げようと企んでいることくらいわらしにはお見通しなのれす!ただ、西園寺はそれが『愛を知らない男』に与える義務だと考えていることも私には隠しきれていません!そんなものが異常で西園寺だけの自己満足なのは分かっているのれす!ただ、西園寺が『女王様』として今でも虐めて欲しいと電話をかけて来る変態が居るのは私も知っています!」
ここまでカウラが言った瞬間に誠は思わず飲んでいたビールを吹いた。
『カウラさん違う!僕がいつそんなことを望んでるって言いました?』
誠は心の中でそう叫んだ。かなめが『女王様』らしいとは思っていたが、リアルにその『下僕』が存在することでかなめが本人が言う通り真正のサディストで誠を本気で苛め抜きたいと思っているのが本心だと分かってしまったことに誠は恐怖を覚えた。
それでもカウラは誠救出の『ジャンヌ・ダルク』を自分は志願しているんだと言う演説は続いた。
「そう言う変態は世の中にはたくさんいる!そこに付け込むのがもっと質の悪い女であるアメリアれす!あの『面白ければ全てよし』がモットーのアメリアがその様子を盗撮してネットに流すのは間違いないのれす!アメリアのことなのでその画像が違法な過激な内容になるのは間違いないのれす!そんなことになれば困るのはわたしなのです!」
ろれつの怪しい声が、宴会場のざわめきの上にくぐもって響いた。
頬を真っ赤に染めたカウラが、ぐらつく上体を誠の肩に預けながら、力説する。
「神前がMに目覚める?そいつはまずいなあ……うちにはもっと手におえないレベルのドMが来る予定になってるんだよ。ねえ、『偉大なる中佐殿』?アイツ……オメエも『アレは手に負えない』って言ってたけどあの変態は本気でうちに来たがってるんだ。俺は基本的にはどんな変態でも来る者は拒まずの主義なの。仕事でも、私生活でも。そいつもかなめ坊に調教された成果を姉であるかなめ坊に見せる以外になんか目的があるみたいなんだ……しかもその目的が今じゃ宇宙のヒーローなんだ……火に油、マゾに蠟燭状態だよね。どうするよ?」
意味不明なカウラの言葉に、嵯峨はわざとらしく肩をすくめて、話題をランに振った。
「別にSMクラブはこの東和にも堂々と店を構えているんだから違法じゃなきゃいーんじゃねーか?それとそのドM。日野のことだろ?アタシは今はOKしてねー。それはそれ、これはこれ。そんな変態がアタシの近くで仕事をしているのを見るのはアタシは御免だ。ただ、すでにそんな変態として西園寺がうちにいるのはアタシにも否定できねーし、コイツは今んところ県警のお世話になってねーからまーそう言う趣味の人もいると言う認識だな、アタシは。もうすでに西園寺はうちにいるし、今んとこ他人に迷惑かけなきゃ、それもアリなんじゃねーか?ただ何度も言うが日野の話は別だ。アイツの話を隊長から聞く限りアレは間違いなく県警にすぐにマークされる危険人物だ……性的な意味で。アイツは島田以上の問題を起こすのは間違いねーんだ。確かに裏であの西園寺と日野の母親である『甲武の鬼姫』が糸を引いてるからあの女にしごかれて今の地位を築いた隊長じゃどうしよーもねーことは理解している。でもアタシは『反対していた』ということだけは理解しといてくれ。しかも日野はアタシの鍛える対象としてる神前の野郎をとても人前じゃ口にできねー神前の男性的特徴がギネス級だと言う理由で来たいとか抜かしてるんだろ?余計迷惑だ」
ランは解体前は25キロあったはずのクエの最後の身を頬張りながら、無責任にそう言った。
こういう時は頼りになりそうなランですら酒の入った一升瓶を片手にぶら下げたまま、カウラの騒動に対してはまるで他人事である。誠から見ていずれ誠を狙ってやってくるらしいかなめの妹なのに名字が『日野』という人物がいかに危険かということにしか今のランには関心のないことの様だった。
「ちっちゃいのに何てこというんですか!僕はマゾじゃないですよ!それとその『日野』って人は誰なんです!西園寺さんの妹なのになんで名字が違うんですか?それと僕の……その……確かに中学時代は『馬』とか『AV男優としてそれだけで生きていける』とかクラスで言われていじり尽くされましたけどそんなことを理由に近づいてくる女性なんて僕は嫌ですよ!」
今のところはMに目覚めたくない誠は、やる気のないランの言葉にそう叫んで反論した。そしてまだ見ぬ自分のコンプレックスを『愛すべき理由』だと信じて近づいてくるかなめの妹がろくな人間でない事だけは誠にも想像がついた。
周りからクスクスと笑いが漏れる。そして、一部男子の視線が羨望のまなざしに変わっていることが誠には痛かった。
「なるほどねえ……カウラちゃんも良いこと言うわね。かなめちゃんが、誠ちゃんに餌をやったり芸を仕込んだりするところを撮影してネットにあげれば……結構儲かるかも……そのまま首輪をつけて全裸で街を徘徊する誠ちゃんとそれを飼い主として引き回すかなめちゃん……需要有りそうね。それと、誠ちゃんに事前に教えておくけどかなめちゃんの妹で誠ちゃんの恥ずかしがってるけど実は自慢して良いものを狙ってうちに来たいとか言ってる人の名前は『日野かえで』。今の所属は甲武海軍第一近衛旅団第一教導連隊長。そして階級は甲武海軍少佐。甲武じゃ『斬弾正』とか呼ばれてる切れ者よ……確かにかなめちゃんから聞く限り限りなくドMで、男でも女でもいける口の私が是非私の運航部のみんなで作ってるエロゲの企画原案担当兼声優として迎えたくなるほどの完全無欠の変態らしいけど……『モテない宇宙人』である誠ちゃんには相手が美人ならたとえどんな変態でも喜んで彼女にしてあげるわよね?これで『彼女いない歴=年齢』という境遇から脱出できるかもよ?」
アメリアは、糸目をさらに細くして満足げな笑みを浮かべる。誠は誠に好意を持っているらしいかなめの妹『日野かえで』なる人物については多少の情報を知ることができたが、その好意を持っている理由と彼女が究極のド変態であると言う事実を知らされて、いくら『モテない宇宙人』である遼州人とは言え困惑せざるを得なかった。
彼女の言葉を聞きながら誠は理解を諦めた。もう『美人』とか『少佐』とか『変態』とか、情報が渋滞しすぎて、何を怖がればいいのかすら分からない。
肩を落とす誠を見るアメリアの糸目は、もはや『面白い』ではなく『売れる』と言っていた。
そんな誠のなんとも言えない顔を見て満足そうな顔をしたアメリアは手元の缶ビールをくるくる回しながら、すでに頭の中では『アダルトビジネスモデル』が組み立てられているような顔だ。
『誰か止めて!それと確かに僕は常々『モテたい』と思ってた典型的な遼州人だけど『変態にモテたい』と思ったことは一度もないんだけど!僕は普通に優しい彼女が欲しかっただけなんです!遼州人は確かにモテないけど!』
心の中で誠は悲鳴を上げたが、誰も止めるつもりは無い。
むしろ技術部の若い兵士が、『それ見たいっすね』と小声で盛り上がっているのが聞こえてきて、余計に絶望的だった。彼等も、恥をかくのは誠とその変態なかえでとか言うこの『特殊な部隊』への編入を希望する変わった人物だけで、その迷惑をこうむるのが『できの悪い部下の面倒を見るのが何よりの趣味』というちっちゃい副隊長であるランだけということであればただ日常に刺激が加わる歓迎するべき出来事の一つに過ぎなかった。
それでも、まだカウラの演説は続く。
「わたしは!見過ごせないのれす!神前がタレ目女王様として覚醒を迎えるのを見過ごせないのです!ですから隊長!」
急にカウラは、ふらつきながらも直立不動の姿勢をとる。
酒の入った体から、ピシッと軍人としての癖だけは抜けないらしい。
その時、嵯峨は〆のうどん玉を鍋に投入している最中だった。
麺を湯の中でほどきながら、上目遣いでカウラをちらりと見る。
また自分に話題が回ってきたことに、心底『面倒だ』と言いたげな顔をしつつ、嵯峨は仕方なく作業を中断する。
「だからなに?俺は今、締めのうどんを食べたいの。ランが勝手に俺の鍋を占領して自分の鍋の続きを始めちゃったけど、俺はランみたいな大食漢じゃないから。俺みたいな貧乏人にはこれも貴重なカロリーなんだ。手早く済ませてよ」
さすがに飽きてきたのか、嵯峨の口調は投げやりだった。嵯峨はうどんをすすりながら後悔していた。どう考えても、『酔っ払いを煽って本音を吐かせる』という行動は、隊長として褒められたものではないと。だが、途中から面白くなってしまったのだから仕方がない。
そんな背中を丸めてうどんを啜る嵯峨を他所にカウラは一人勝手に盛り上がっていた。
「こういう状況で何をするべきか、それを教えていただきたいのです!誠!わらしはなにをしたらいいのら!」
酔っぱらって理性の吹き飛んだカウラに、理屈は通用しなかった。
誠に向けた訴えなのか、隊長への相談なのか、その境界線すらあやふやだ。
「ベルガーが何をしたらいいのかねえ……って、神前支えろ!」
嵯峨の言葉を聞いて、誠は慌てて動き出した。
仰向けにひっくり返りそうになったカウラを、あわてて両腕で支える。
その誠の頭を、カウラはぽかぽかと柔らかいこぶしで殴った。
全然痛くはないのに、妙に胸のあたりがざわざわする。
パーラ、サラ、島田の三人は、呆れ顔をしつつも、次のカウラの絡み酒の標的になる事を恐れて、退散するタイミングを計っていた。
視線だけが、泳ぐようにカウラと嵯峨と出口のあたりを行ったり来たりしている。
一方、アメリアは……。
カウラの壊れっぷりに慌てふためいて誠がぶっ壊れて意味不明なことを言い出さないので、むしろ苛立っているように見えた。
『もっと面白い絵が撮れるはずなのに』とでも言いたげに、唇をとがらせている。
「そりゃあ、愛って奴じゃねーの?カウラは地球人の遺伝子を元に作られた『ラスト・バタリオン』だ。愛とは縁がねー遼州人と考え方が違ってもおかしなことは一つもねーな。アタシの手に負えねー日野の入隊を断るいー口実になる。カウラよ、神前と愛に目覚めちまえ」
ボソッとクエの胃袋を肴に酒を飲んでいたランがつぶやいた。
その瞬間、カウラの動きが一瞬止まった。
その場にいた誰もが、ぴくりと顔を上げてランの顔を見る。
騒がしいハンガーのざわめきの中で、その一言だけがすっと耳に残った。誠の『愛って、そんなに特別なものなのか?』的なごく短い心の声が心の中に走るのを感じていた。
ランは、自分でもつまらない事を言ったなあと言う表情を作って、そっぽを向いた。
隣でクエの身を頬張っていた軍医は、彼女にかかわるまいと、露骨に『自分には関係ありません』という顔をする。
そして、また直立不動の姿でかかとを鳴らして敬礼したカウラに、全員の視線が集中した。
「サラ! サラ・グリファン少尉、応答しろ!」
真顔のまま、ものすごい勢いでカウラはサラに迫った。
酔っているはずなのに、その足取りだけやけに素早い。
「ハイ! 大尉殿!」
その場にいた誰もが、カウラに絡まれることが決定したサラに哀れみの視線を投げた。
特に島田は、彼女を助けに行けない自分の非才を嘆いているような顔をしていた。
「愛とはなんなろれす?サラ。おしえれもらうしか、ないのれす?」
カウラは真剣な表情で、困惑するサラに尋ねた。
瞳だけは酔いではなく、別の何かを探しているように見える。
「教えろったって……ねえ……ひよこちゃんに聞けばいいんじゃない……愛と言ったらポエムのテーマだからあの子のポエムの題材とかに有りそうだし」
サラの表情は、明らかに危険を感じており、すぐにでも逃げ出したいように見えた。
ただ、誠は彼女と島田の日常を知っていたので、この二人の意見が全く参考にならないということも、よくわかっていた。
だからこそ、誠は椅子から腰を上げた。
酒も入っているのに、妙に頭だけは冷静だった。
「愛か……」
ランが珍しく真剣な目をした。
「答えは簡単じゃねーよ。遼州人のアタシには理解不能だが、地球人の連中ではごく普通らしい。だからこそ、皆んな悩むんだろうな……ただ、あの『日野』は日常的に愛とか恋とか口走って好き勝手やってるらしーや。それをそう仕込んだ西園寺は隊に着いたら処刑だな」
ランはそう言って、一人で日本酒を口にした。彼女の小さな喉が、ごくりと鳴る。
『あのークバルカ中佐。僕は愛は欲しいとは思っていますけど、『愛は虐める事である』と考える女性に愛されたいとは一度も言った覚えはないんですけど!なんで僕の周囲には『調教』とか『奴隷』とか『女王様』とかしか出てこないんですか!だからって変態需要に目覚めたいわけじゃない!』
誠はかなめの本当の怖さは銃ではないとこのことで初めて認識していた。




