第200話 酔いどれ小隊長と逃げる女王様
ランの歌が終わり静かになるどころかハンガーには隊員達の笑い声が満ち、余計に騒がしいチェーン系居酒屋の店内のような雰囲気になって来た。ただ、供される料理は高級料亭ですら滅多に出すことが無い最高級のクエ鍋である。
クエとだしの香り、アルコールの匂い、人いきれ。格納庫の冷たい鋼鉄の床の上に、まるで場末の居酒屋の空気が再現されている。
「大丈夫か?ってカウラさん!何してるんですか!」
コップを空にした誠が、かなめの声に気づいて、その視線の先を見た。
カウラが、一息でコップの中のビールを空けていた。
喉を鳴らして飲み干すその姿は、静かな緻密な戦場制圧者というより完全に『イケイケ新卒社員』である。
誠、かなめ、アメリアはじっとその様子を観察している。
「慣れないビールなんて飲んだらすぐ潰れると思っていたが……大丈夫みたいだな」
かなめは、カウラの初めてとは思えない飲みっぷりに息をのみながらそうつぶやいた。
「舐めるな西園寺、別にどうと言う事はない。なるほど。これがビールか」
カウラには特に変化は見られなかった。
ごく普通に座り、いつものように背筋は伸び、目もすっきりしている。グラスを指先でくるりと回す仕草すら、妙に様になっていた。
「こっち、酒足りねえぞー!」
「誰だ、クエの身を全部取ったやつは!」
そんな怒号が、あちこちのテーブルから飛び交っていた。
クエの白身をめぐる争奪戦も、既に局地戦の様相を呈している。
「さっき追加したのももうそろそろ煮えたんじゃないの?鍋、沸騰してきてるじゃない。火を小さくしなきゃ」
アメリアはそう言うと、土鍋の中を箸でかき回してクエの身を捜した。
湯気の向こうで、その糸目がきらりと光る。
「お前は野菜を食え!クエなんて高級品はアタシ等の後ろで見てただけの休憩所代わりの艦に乗ってただけのオメエには向かねえ!」
かなめはそう言ってアメリアをにらみつけた。
「今回のヒーローを支えた影の主役の私に向ってそれは無いんじゃないの?それこそかなめちゃんが食べれば良いじゃない。いつも野菜不足のかなめちゃんにはちょうどいいかもよ?ネギは嫌い、パセリは嫌い、セロリは嫌い、ピーマンは嫌い……天丼の野菜抜きナスマシマシなんて注文する人にはそれが一番かも」
アメリアは嫌味のつもりでかなめに向って冷ややかな目つきを向けた。
「うるせえ!アタシの嫌い野菜の名前を口にするんじゃねえ!それ以前にクエを入れたのはアタシだ!だからアタシが食う!いくら活躍しようがオメエが裏でどう動こうが今回が初出撃の新兵や見ているだけで何の役にも立たなかった無能な艦長にはそんな資格はねえ!」
「なによ!その理屈!そんなことを言い出したら釣ってきたのは『釣り部』じゃない!」
「うるせえ!バーカ!」
かなめとアメリアはいろいろ言い合いながらも、土鍋をつつきまわしていた。
箸の先はしっかりクエの身を狙っているあたり、利害はきっちり一致している。
「僕はクバルカ中佐が歌を歌っている間にクエは結構食べたので……じゃあ水菜を足しますね」
誠はクエの身を諦めてとりあえず二人の対立を何とかしようと、皿に乗った水菜の残りを足そうとする。
鍋から立ち上る湯気が、誠の前髪をしっとりと濡らした。
「神前、気が利くじゃないか?それと豆腐も入れろ!」
誠の遠慮から出た言葉を言葉通りに受け取ったかなめはそのまま誠をこき使うつもりでそう言いだした。
「かなめちゃん、豆腐苦手じゃなかったの?」
どこまでも誠を使おうとするかなめに嫌な顔をしながらアメリアはそうツッコむ。
「馬鹿言うな!鍋の豆腐は絶品なんだ!っておい!」
カウラがラムを飲み干した瞬間、かなめの箸が止まった。アメリアの笑顔が固まった。島田が『これは見なかったことにしましょう』と小声で言った。誠だけが、何が起きたのかまだ理解していなかった。
かなめが目を離したすきに、かなめの自分用に注いでいたラム酒を、カウラが一息で空にしていた。
エメラルドグリーンの髪の下……カウラは明らかに理性が吹き飛んだ顔をしていた。
白い肌が、みるみる赤くなっていく。
そして彼女を中心として、しばらく奇妙な沈黙が流れた。
さっきまでの喧噪が、音量だけほんの少し下がる。
誠には、しばらく時が止まったように感じられた。
あたりを沈黙が占める。
「なるほど。これがラム酒というものなのか?思ったより……甘いな……それに喉が焼ける。アルコールのせいか?」
そこには、ろれつが回っていないカウラが出来上がっていた。
アルコール度数40度のラム酒をグラス一杯……鉄の肝臓を持つかなめなら耐えられる文字通り『ストレート』であおったカウラが、ふらふらし始める。
「神前!支えろ!初めての酒だってアタシのラムなんかあんなの一気飲みしたら普通の人間なら死ぬぞ!」
かなめが、ふらふらとし始めたカウラを見て、すぐに叫んだ。
誠は慌てて立ち上がり、カウラの背中に手を当てて支えた。
制服越しに伝わる体温と、わずかに早くなった呼吸が、酔い方の危うさを教えてくる。
カウラは緩んだ顔を、とろんとした緑の瞳で誠を見つめた。
「神前。貴様……気持ち良いのれ、ふらふらしちゃってますれす」
完全に出来上がっている。
頬を赤く染めて、ぐるぐると頭を動かすカウラを見て、誠は確信していた。
「大丈夫ですか、カウラさん」
誠はカウラを支えると同時に周りを見回した。
かなめもアメリアも、明らかに『全責任は誠にある』とでもいうような冷めた目付きで誠を見つめていた。
誠はカウラを支えながら、心の中で必死に整理した。酒を飲んだのはカウラ。酒を置いたのはかなめ。煽った空気を作ったのはアメリア。なのに、なぜ自分が責任者なのか。この部隊では、だいたいそういうことになる。
整備班の誰かは、さっきからこっそり携帯端末で動画を撮ろうとして、後ろから島田に小突かれている。
「大丈夫れすよ!大丈夫!おい!そこの悪のサイボーグめ!これに何を入れたのだ!」
いつもの冷静さを失って子供に帰った調子でカウラはかなめを指さしてそう叫んだ。
「それはアタシのラムだ!しかもグラスごと持っていきやがって!テメエが勝手に飲んだんだろうが!」
自分の酒を飲まれたことを思い出して、かなめはそうカウラを怒鳴りつけた。
「ダメよ、かなめちゃん。酔っ払いをいじめたら」
かなめは睨みつけ、アメリアはそれをなだめる。
初めての状況だというのに、二人は完全に立ち位置を決めていた。カウラの暴走に関わりたくない。自分だけはいつでも抜けることができるように二人が腰を浮かせて逃げる準備をしているのは誠にも見えた。
そして当然、誠は『介抱役』のポジションに押し込まれている。
そんなあてにならないかなめとアメリアを見てため息をつくと誠はカウラの揺れる上体を支えようと手を伸ばした。
「カウラさん!しっかりしてくださいよ!」
かなめとアメリア全部を誠のせいにして逃げる気満々な中、自分しかこの場をどうにかできる存在はいない……かなめは自分の酒を盗まれたことで頭がいっぱいだし、アメリアは完全に傍観者を気どって一切関わり合いになる様子は見えない。
そんな義務感が、誠にそんな叫び声を上げさせていた。
「貴様!何を言うのら!ベルガー大尉と呼ぶのれす!貴様の小隊長に対する態度はみるに値しないものれした!今こそ小隊長である私に敬意を払うべき時なのれす!」
そう言うとカウラは、今度は急にしっかりとした足取りで立ち上がる。
しかし、誠の手を離すと、ほんの少しよろめき、またすぐ誠の肩に寄りかかった。
「何!どうした……って!カウラ!なんでこうなった……って西園寺!オメーだろ!なんでこいつにオメーしか耐えられねー飲ませたの!ひよこ!ひよこはどこだ!」
大量のクエを豪快に食べてご機嫌だったランが騒ぎを聞きつけて慌てた顔でやって来た。
小さな軍靴の足音が、ゴザの上をぺたぺたと鳴らす。
そして呼ばれたひよこが、空いた皿を手に、ランの後ろを急ぎ足で歩いてくる。
「姐御!アタシじゃねえよ!あの馬鹿が勝手に飲んだんです!それにひよこの力が必要なほどじゃないですよ!」
ランのまん丸の鋭い眼光は、まるでかなめをまったく信じていないと言う色に染まっていた。ランは幼女の見た目からは想像もつかないような酔っぱらいの扱いに慣れた手つきで揺れるカウラの状態を支えると、軽くカウラの顔の前に手をかざし、その息を手に当ててため息をついた。
「こりゃーかなり出来上がってんな。まー確かにこれくらいならひよこの力が必要なほどじゃねーな。神前、介抱しろ!これも新入りの仕事だ」
ランはそう言うと、そのまま軍医を探しに、クエ鍋の列の向こうへと消えて行った。
残された誠は、完全に『酔っ払い担当』として確定した。
騒ぎを聞きつけた嵯峨がお湯割りの焼酎の入ったグラスを手に近づいてきて、誠たちを眺めた。
「どんだけ飲んだんだ?カウラは」
手に焼酎のグラスを持ったままで歩いて来た嵯峨が、かなめにめんどくさそうに尋ねた。
「ラム酒をコップ一杯」
かなめも、策士で叔父である嵯峨に聞かれたら正直に答えるしかなかった。
「アルコールに強いかと思ったが、さすがに40度のラム酒は無理だったか……まあ、死なないんじゃないの?こいつは『ラスト・バタリオン』だから普通の人間よりは肝臓は頑丈にできてるだろうし」
嵯峨がグラスを手にしながらため息をついた。
「まあ同じ量でアメリアが潰れたこともあったしな。それにしても情けねえ話だな」
嵯峨はそう言うと、手にしていた焼酎の入ったグラスをあおいだ。
持ち込んだ一升のパック酒の焼酎を半分以上は空けているはずなのにこちらはまったく顔色が変わっていない嵯峨を見て、誠は驚かされた。
やっぱり、この人たちはどこかおかしい。この場に置いて誠はそう確信する。
……普通の人間基準で物事を考えるのが、もう間違いなんだ。
これで、自分が先輩達のおもちゃにされることは回避されたことだけが、誠にとっての『救い』だった。
「しょうがねえな……」
嵯峨はため息をつきながらも、倒れそうなカウラに目を向けた。
「隊長にお願いしたい事がありますれす!」
カウラはそう言うと、急に背筋を伸ばし敬礼した。
その動きだけは、いつもの『ベルガー大尉』そのものだ。
嵯峨は最初、明らかに見物人の顔をしていた。だが、カウラが敬礼した瞬間、その顔から笑みが消えた。長く生きた男の本能が告げていた。これは、近寄ってはいけない酔っ払いだ。
かなめとアメリアはいかにも嫌そうな顔でカウラの動向を見る。
「何?聞きたくねえけど、仕方ねえから聞いてやるよ」
完全にどうでもいいという表情の嵯峨がそう尋ねた。
「わたくし!カウラ・ベルガー大尉は悩んでいるのであります!」
嵯峨の表情が、さらにうんざりしたものに変わり、そのまま右手の端で鍋からクエの身を取り出して酒をあおった。
「悩んでるんだ……へー……」
薄情な嵯峨の言葉が、カウラの言葉を見事に翻訳する。
「何言い出すんだ!馬鹿!」
かなめが思わずカウラを止めようとするが、『駄目人間』とは言え人生の先輩の嵯峨は、飛び出したかなめの前に手をかざしてすばやくその機先を制する。
「そう。じゃあ隊長として聞かなければならねえな。続けていいよ」
話半分にシイタケをつまみに焼酎を飲みながら、嵯峨は話の先を促した。
周りのテーブルからは、すでに『何か始まったぞ』という好奇の視線が集まり始めている。
「はいれす!わたひは!その!」
またカウラの足元がおぼつかなくなる。
仕方なく支える誠。
エメラルドグリーンの切れ長の目が、とろんと誠を見つめている。
「何言いだすつもりだ?この酔っ払い!」
カウラから奪い取ったグラスにラム酒を注ぎながら、かなめはやけになって叫んだ。
しかし、誠から離れたカウラの瞳がじっと自分を見つめている……。
いや、自分の胸のあたりを見つめている——ことに気づくと、かなめはわざとその視線から逃れるように天井を見て、黙って酒を口に含む。
「このドSサイボーグが神前をたぶらかそうとしてるのれあります!」
かなめはカウラの突然の言葉に、思わず酒を噴出す。
周囲の数名も、同時に咳き込んだ。
そんなかなめを見ながら、アメリアはカウラの言葉に同調してうなずいた。
そして誠は、自分がこれまでかなめにひたすら虐められてきたのは、かなめが天性のサディストだからという事実を、ようやく言葉として突きつけられた。
「たぶらかすだと!んでアタシがそんな事しなきゃならねえんだ?まあ、こいつが勝手に、その、なんだ、あのだな、ええと……」
「たぶらかしてるわね……支配して調教しているわね……銃で」
いつの間にかこのテーブルにやってきていた、ライトブルーのショートカットのパーラ・ラビロフ中尉がそう言った。
「確かに俺達には命令口調ばかりの西園寺さんが、神前が相手となると口調が少し柔らかくなるな……うらやましいというかなんと言うか……」
パーラの発言を聞いて、鍋を見回ってきていた島田がそう言った。
島田と一緒にやってきたサラも、同意するようにこくこくとうなずいている。
「テメエ等!なにふざけたこと抜かしてるんだ!無事に遼州の地面を踏めると思うなよ!この糞野郎!」
顔を真っ赤にして、かなめは激高して反論した。
「かなめちゃん!正人の言う通りよ!かなめちゃんは誠ちゃんを贔屓してるじゃない!」
サラは酔いの勢いを借りていつもならその銃で男女を問わず隊員を恐怖で支配している『女王様』かなめに向けてそう叫んだ。一方の島田にはまだ理性が残っているようでかなめの一言とその脇にある銃を見て顔色が一瞬で青ざめる。
「やっぱりさっきの発言、取り消せませんか?西園寺さん」
島田は野生の勘でかなめの殺気を察して逃げ腰でそう言った。
「しずかにするのら!外野はしずかにするのら!」
嵯峨の目の前で、目の座ったカウラが叫んだ。
「そう言うわけだ。静かにしなさいね……」
一方的にカウラに絡まれている嵯峨は、恨みがましい目で誠を見つめた。
全員の目は頬を真っ赤に染めたカウラに向ってた。誰のせいでこうなったと思ってんだ、とでも言いたげに。その声は、不自然なほどまっすぐで、誠の胸に突き刺さる。
誠は自分の鼓動の音だけが、クエ鍋の沸騰音よりも大きく聞こえた。
急にカウラは誠に顔を近づけてきた。周囲の見守る一同が一瞬黙り込んだ。
「神前は、わたしの小隊員です。つまり、わたしには管理責任があります。管理責任とは……ええと……好きかどうかを確認する義務です……神前……お前、わたひを好きれすか……?」
頬を真っ赤にして、カウラが潤んだ瞳で誠を見つめていた。
その声は、不自然なほどまっすぐで、誠の胸に突き刺さる。
突然のカウラの言葉に、誠は何も言えずに、頭が真っ白になるのを感じて自分が『モテない宇宙人』遼州人を改めて自覚した。
周囲の視線が、一斉に自分の頬の温度を上げてくるのを感じながら……。




