第197話 鱧と呼ばれた英雄
「おい、神前!こっち来い!アタシのオメーだけへのいー訓示をしてやる!」
鍋の具材や恐らくクエの刺身や内臓を軽く湯通ししたものを細切りにしたものまで乗った巨大な皿がいくつも置かれた上座のランの席でちっちゃなランが誠に手を振っていたので誠はその異常な量を食べきる様を見たいという好奇心に駆られてランの所まで歩いて行ってその隣に座った。
「中佐、本当にその量を食うんですか?確かに寿司をおごってもらった時も僕が食べたちらし寿司の倍くらいの大きさの丼を包んでもらって『寝る時につまむんだ』と言った時に驚いたのは覚えているんですが……」
誠はテーブル一杯に並んだクエの身に圧倒されながらそうつぶやいた。
「こんなのふつーだろ?それより、クエっていう魚について……オメーはどれだけ知ってる?」
すでに伏見の良い酒を飲みながらランはいかにも中佐と言う風格に似合った迫力のある眼光で誠を見上げてきた。
「いいえ、今切り身を見たのが初めてです」
そのちっちゃいわりに圧倒的な眼力のランに負けて誠は正直にそう答えるしかなかった。
「クエっつー魚は。5キロくらいまでは普通の魚だ。だが、そこからはいかにもクエらしい生活を送り、それゆえにこのクエの身の独特な味がはぐくまれることになる。基本的にクエは頭と口がやたらデカい泳ぐのが苦手な魚だ。だからひたすら目の前を通る獲物を待ち続けて瞬時に飛び出して食う。だから、瞬発力を磨くための白い筋肉が発達してこういう白身が見事で適度に油が乗った見事な白身魚に仕上がるんだ」
ランは得意げにそう蘊蓄を披露した。その姿はまさに誠も世に聞く『昭和のオヤジ』のそれだった。さらに手酌で日本酒を飲んでいるだけにその昭和再現度はかなり高かった。
「ただ、このクエってのはその習性ゆえに大きくなりすぎると味が落ちるんだ。大体、45キロを超えると脂が付きすぎて味がしつこくなる。そうなるとアタシは刺身は御免だな。それくらいは鍋ならちょうどいい。アタシの贔屓にしている力士に福山場所ではアタシ自ら激励傍ら名物のクエを振舞うんだが、そん時は70キロとかのデカいのを振舞う。いわゆる強く大きくなれってことの意味を込めた縁起物だな。ただ、縁起物としては食うがアタシはそいつの味には期待してねえ。そこまでデカくなるともう運動不足のクエは脂まみれだ。それこそ脂に味があるのが売りのクエの偽物として世に流通している『アブラボウズ』の方が旨いくらいだ。あれは脂が売りの高級魚だからな。そっちは脂があってなんぼ。クエはその微妙なバランスが一番の売りなんだから」
ランは目の前の皿の上の25キロと言うランには理想的な大きさのクエの身を眺めながらそう言った。
「へえ、さすがは中佐は物知りなんですね」
感心したようにそう言う誠の肩にランが突然手を伸ばしてきた。
「オメーはアタシに言わせれば魚で言えば『鱧』だな。うん、それがオメーにはぴったりの例えだ」
ランの突然の比喩の意味が分からず誠は困惑した。
「『鱧』ってなんです?」
そんな誠の言葉にランは明らかに呆れ果てたようにため息をついた。
「まー、関東の人間は『鱧』を知らねーな?甲武育ちの隊長や西園寺辺りなら知ってるだろーし、東和でも関西では重宝される」
ランは得意げにそう語った。
「ああ!姐御!アタシも鱧の梅肉添えは好きだぜ!」
どうやら二人の会話に聞き耳を立てていたらしいかなめがここで茶々を入れてきた。
「でも中佐、甲武でしょ?あそこの海は硫酸の海じゃないですか?鱧って硫酸の中に入れても溶けないんですか?どんな魚なんです?」
誠の頓珍漢な言葉にランはさすがにうんざりしたようにため息をついた。
「あのなあ、硫酸を浴びて生きていられる魚なんて居る訳ねえだろ?鱧はな、見た目は太刀魚みたいな形をしているが顔はさらに狂暴そうな顔をしている。そして何よりその生命力がその売りだ。普通の魚なら甲武まで三日も星間コンテナに積んだら生きた魚を運ぶのには水槽を用意しねーと駄目だが、その点、鱧は大気中でも甲武の鏡都に着いてもまだ噛みついてくるくらい元気があるほどの生命力なんだ」
得意げに語るランに誠は確かに誠もランの普通の人間なら不可能だと誰もが思うランニングメニューをこなしてきた自負から静かにうなずいた。
「そして、オメーが鱧と似ているのはその調理法だ。そもそも鱧が食えるようになるにはものすごく手間がかかる。オメーも手間がかかったな。何かというと吐くし、体力を使い潰すまで走らせねーと余計なことを考えて訓練に集中できねー。そんな手間がかかるところは鱧とそっくりだ」
「それって誉めてます?どう見ても貶してるようにしか……」
誠の抗議にランは静かに右手を上げて誠を制した。
「その鱧って魚はな。全身のほとんどの身に小骨が多くてそのままじゃ食えたもんじゃねーんだ。その為に骨切りと言う作業が必須なんだ」
空になったお猪口に一升瓶を片手に酒を注ぎながらランはそう言った。
「骨切り?」
誠の言葉にランは静かにうなずいた。
「全身にある小骨を、よく切れる包丁で腕のいい板前が丁寧に細い切れ込みを入れるように切る作業だ。それをして初めて鱧はその鱧の味が生み出され最高の魚になる。ちょーど、その鱧は今の時期が旬なんだが、この手の板前はうちの『釣り部』にも居ねーからこの艦じゃー鱧は食えねーんだ。その骨切りの作業無しに鱧は食えたもんじゃねーんだから」
そこで急に笑顔になったランは誠を真正面から見つめた。
「オメーはパイロットとしてはまさに鱧だ。アタシと言う骨切りの出来る腕のいー板前に出会って初めてその料理の頂点に立つ魚になる!オメーはまさに鱧!パイロットの鱧を目指せ!それだけだ!」
「あのー……すべてを聞き終えてから言うのも何なんですが……それって誉め言葉ですか?」
誠はいいことを言ったというようにうなずきつつ酒を煽るランを見ながらそう言った。
「いずれわかるさ、オメーが最上級の京料理の鱧尽くしになれるよーにアタシは指導する!その頂点を目指せ!と言うわけでアタシの訓示は終わり!西園寺たちが待ってるぞ!」
まるで謎をかけるようにそう言うとちっちゃなランは誠に席に戻るように言った。
誠はそこで考えるのをやめた。目の前にいるのは、8歳児の姿をした何かである。その何かが酒を飲み、クエを語り、自分を鱧に例えている。ならば理解しようとする方が間違っている。誠にもその事だけは分かった。
ランを理解することを諦めて席に戻ると、そこでは誠の帰りを待ちわびていたかなめ、カウラ、アメリアの姿があった。
「さあ……入れるぞ!」
かなめはさっそく、クエの身のほとんどを土鍋の中に放り込む。
ドボドボ、と豪快な音を立てて白い身が熱湯に沈む。その瞬間、ひよこの表情が曇るのが、誠にもはっきり見えた。
「普通だしが先じゃないのか?鍋という物は普通の水炊きでも最初に昆布を入れる。クエ鍋でも違いは無いと思うのだが……違うのか?」
カウラは、鍋の隣に置いてあった小鉢に入った、いかにも『だし』だとわかる黄金色の液体を指さした。
クエの骨から取った濃厚な香りが、小鉢からふわりと立ち上る。
「なんだこれ?」
自分のした間違いを認めたくないかなめは、白々しくそう言った。
「それはクエのアラで取っただしです!それを入れないとおいしくないですよ!」
ひよこはそう叫んで、急いでクエのアラで取っただしを鍋に投入した。
じゅわっ、と音が立ち、さきほどまでただの『熱湯』だった鍋から、一気に上品な香りが立ち昇る。
誠が隣の鍋をのぞき見ると、いつの間にか現れた嵯峨が、鍋の隣に置いてあった『クエのだし』を、ごく自然な手つきで先に入れているところだった。
手慣れすぎていて、もはや料理人である。
「貴様は家事の苦手な私よりも料理という物が分かっていないとは……お姫様もここまで行くと致命的だな。その上勢いばかりで正確な判断力に欠けて、感情に流される。貴様の悪いところがこの一件でもよくわかる」
同じように嵯峨の行為を見ていたカウラは、かなめに向けてそう言い放った。
「うるせえ!腹に入ればなんでも同じだ!カウラだって皿をアタシに差し出しながら箸を持ってクエの身を入れようと準備してたじゃねえか!」
かなめが怒りに任せてそう怒鳴る。
確かに、カウラの箸の先にも、クエの切り身が一切れ乗っている。
カウラは呆れたような表情で黙り込んだ。
そしてアメリアは早速、かなめの鍋を見限って、他の鍋への襲撃計画を練り始めているようだった。視線が、より具沢山の鍋を物色している。
島田とサラは馬鹿なので、あまりカウラの辛辣な言葉が分かっていないような笑みを浮かべていた。
ひよこは少し呆れたような笑みを浮かべると、そのまま他のテーブルへと小走りに向かっていった。
「まあ良いじゃないですか。お二人とも仲良くしましょうよ。お二人が居なければ今の僕は無いんですから。それより、ビール回ってますか」
誠が、なだめるように顔を出した。
英雄と持ち上げられた本人は、相変わらず空気を読む側に回っている。
「割に気が利くじゃねえか……」
誠の気遣いで少しばかり怒りを沈めたかなめが、缶ビールを受け取った。プルタブを引く音が、妙に大きく聞こえる。
「私ももらおうか?」
カウラのその言葉。周りの空気が、今度こそはっきりと凍りついた。
誠から見ても、誰もが酒を手にするカウラを見るのが初めてだということは、空気で理解できた。
「おい、大丈夫なのか?」
さすがのかなめも尋ねる。ラムの瓶を握ったまま、真顔だ。
「正人……カウラちゃんがビールを飲むんだって」
具の乱切り大根とシイタケ、水菜を鍋に投入しているサラは、そう言って隣の島田の肩を叩いた。
「まさかー。そんなわけないじゃないですか!ねえ。いつもの烏龍茶を運ばせますから」
烏龍茶は会場に用意が無かったので、気を利かせて島田が部下に声をかけようとする。
「いや、ビールをもらおう」
カウラのその言葉に、島田の動きも止まった。
周囲の視線が、ビールグラスを待つカウラの横顔へと集中する。
……少し酔えば、言えるだろうか。
……自分でもよく分からないこの感情を、言葉にするための『燃料』として。
カウラは、自分でも驚くほど素直にそう考えていた。
戦場では、迷いなく引き金を引けるのに。
目の前の青年一人に対してだけは、どうしても一歩が踏み出せない。
「カウラが酒を飲む?大丈夫か?お前。なんか悪いものでも喰ったのか?それとも……神前と何かあったのか?」
にらむ先、かなめの視線の先には誠がいた。誠は何もできずに、ただ愛想笑いを浮かべていた。
「僕は何もしてないですよ!」
そう言い返すほかに、誠にできることは無かった。誠は戦いが世界を変えたかもしれないこと以上にこの変わることが無いと思っていた『特殊な部隊』まで自分が変えてしまったかもしれないと思うとさらに怖くなった。
「だろうな。オメエにそんな度胸は無いだろうし。なんと言ってもオメエは『モテない宇宙人』の遼州人だからな」
かなめはそう言って空になったグラスに手持ちのラムを注いだ。
あっさりそう言われるのも誠は癪だったが、事実なので仕方がない。
カウラはと言えば、別に気にする様子もなく、ビールを待っている。
「飲み過ぎるんじゃねえぞ」
かなめは疑り部下そうにそう言うとカウラにビールを手渡した。
「ああ、分かっている」
カウラの返事はいつも通り短かった。ただ、ビール缶を置いた指先が、ほんの少しだけ机をなぞっていた。普段なら絶対にしない、落ち着きのない動きだった。
「まあ飲めるんじゃない?基礎代謝とかは私たち『ラスト・バタリオン』はほぼ同じスペックで造られているから……まあかなめちゃんみたいにサイボーグの鉄の肝臓を頼りにラムを水でも飲むみたいにガバガバストレートで飲むんなら別だけど」
乾杯の音頭も聞かずに飲み始めているアメリアが、空になったグラスを振りながらそう言った。
人造人間の規格がほぼ同じであろうことは誠も想像がついていたので、いつも月島屋でビールを飲んでいるアメリア程度の量なら、カウラも飲めるだろうと思えた。
「じゃあいいんですね」
誠はそう言うと、運ばれてくるビールのグラスに目を向けた。泡立つ黄金色の液体が、宴会の始まりを告げる鐘のように見える。
「はい、そこどいた! 熱い鍋持ってるんだから!」
「こっちの酒、早く持ってきてくれー!」
会場は既に、別の意味での『戦場』のような騒ぎだった。
クエの香りと酒の匂い、笑い声と怒鳴り声が入り混じるその中心に自分がいる。
世界の軍事バランスを揺るがした青年と、彼をめぐって静かに、そして騒がしく火花を散らす女たちがいた。




