序章2 核の時代と、外宇宙という逃げ道
『ここは、僕の配属先である『特殊な部隊』の喫煙所だった』
『隊長である嵯峨惟基特務大佐は、いつものようにそこで煙草を吸っていた。隊員全員から『駄目人間』と認定されている男である』
『電気もガスも水道も、金が無いせいで止められているらしく、嵯峨はほとんど自分のボロアパートに帰らない。仕事は夜中に片づけているらしく、日勤の隊員が嵯峨を見るのは、大抵この喫煙所だった』
『誠はかつては『甲武陸軍一の奇才』と呼ばれた嵯峨から策士を自認する嵯峨らしい皮肉に満ちた地球圏に関する話を聞かされることがあった』
『それは、あまりに絶望的で救いようがない地球圏がどうやって今まで存続し続けているかと言う理由だった』
『『ま、要するにだ。地球人は核を『兵器』じゃなくて『会計処理』にしたわけだ』嵯峨は煙草を唇の端にくわえたまま、薄く笑った』
『その笑みは楽しそうというより、もう笑うしかないという種類のものだった』
『地球じゃな、核兵器は最後の手段じゃなくなった。便利な清掃道具になったんだよ。敵国民ごと土地を空けりゃ、統治コストはゼロだ。実に合理的だろ?』
『そんな嵯峨の乾いた口調で語られる言葉に僕は返事ができなかった』
『『合理的』、という言葉が、これほど気味悪く聞こえたことはなかった。そして地球人にとっては『合理的』であることが人の命より大事なのだと僕は感覚で理解した』
こうして地球圏での戦争においては『核』が主力兵器として認識されるようになっていった。もはや『超富裕層』の『富の独占への憧憬』を止められる人間は地球圏には誰一人いなかった。そのような心を持つものもただ沈黙して自分が『絶対的現状の肯定者である』ふりをすること以外に生きるすべは何一つなくなっていった。
ただ、こうして戦争には必ず『核』と『民族浄化』が伴うことが常識となった地球は『超富裕層』の自由競争の果ての『自由競争の勝者一人による』富の独占という果てしない欲望のために次第に放射能に汚染されていった。
絶望しきってもはや『超富裕層』を賛美することしかしなくなった『市民』も失業率が90%を超えることが当たり前になった社会は、『超富裕層』にとっても情報操作が崩れかねない危ういものだった。
これらの戦勝国では戦争そのものが民間市場が消滅した社会では雇用対策であることを宣言することにより『戦争が生命を守る唯一の手段』と『市民』の思考を誘導することで、そういった『隣国』への憎悪を煽り『兵士』として一時的職業を得ることが『市民』の生活を支える数少ない手段だとされるようになった。
どの国家の『市民』達も自らの生きる糧を求めて絶え間ない戦争を『超富裕層』に希求した。
そしてその『市民』の戦争と憎悪の連鎖が政治・経済を完全掌握した『超富裕層』にとって効率的に政権を握り同時に自己の資産を拡大させる手段であることが共通認識と化していった。
仕事は無い。
だが、『福祉とは贅沢品であり、そこに自分の資産を使うのは愚か者のすることだ』というのが『超富裕層』の常識だった。
彼らは福祉としてではなく、権力強化の手段として、市民に住居と通信端末、そして政権党系のSNSやメディアを無料で与えた。
『超富裕層』は自分の権力を支えることがいかに有益で愛国的な行為であり、それこそが『市民』に与えられた義務であるという認識を拡散することで生活費を得ることができるシステムを政府が『市民』に無料で支給するネットワーク端末で提供した。
それをすべて自分とは異なる『他国』の存在に押し付けて能弁に語る強力なリーダーの言葉に酔った人々は彼等の真の狙いも知らずにただひたすら『強い美しい言葉を語るリーダー』を求めるという地球人の本能に従うようになった。
『『つまり……戦争を止める人はいなかったんですか?』僕がようやくそう言うと、嵯峨は喉の奥で笑った』
『『いたさ。いたから消された。地球じゃ、正しいことを言う奴はコストが高いんだ……あくまでコストの問題。この国ではそれが低いってだけ。正しいことを言うのはどんな星でも難しいもんだよ』煙草の火が、嵯峨の指先で小さく赤く光った』
『僕には地球で起きたこの悪夢のような出来事は僕の国でも十分起きることと嵯峨は言っているように聞こえた』
21世紀は既に核武装が済んでいる国や核武装の準備がいつでもできている国だけが核を独占して支配地域を拡大していく時代だったのに対して、22世紀に入ると核武装はどんな小国でも当たり前のことになり、そんな小国の気まぐれな指導者が引き起こす核戦争が当たり前になった。
勝利し敵国民を絶滅させることに成功した戦勝国の国民はその栄光ある勝利を推進し敵国を絶滅させる国家指導者の『善行』に酔い、世界各地では次々と『自由と民主主義という理想郷』を名乗る実質的な独裁政権が生まれた。
ただ、彼らは自らが独裁政権と呼ばれることを嫌いネットや完全統制されたメディアで国民を扇動し特に若者に強いリーダーにより率いられた成長過程の国というイメージを作り上げて民主主義的制度で選ばれた正当な政府であるということをアピールすることで既存の核保有国に自らの正当性を理解させる政策をとった。
『ここまで説明すると嵯峨はそこで言葉を切り、煙草を灰皿に押しつけた』
『『つまり、地球圏じゃ貧乏人は票で、兵隊で、燃料だ。人間じゃないんだ』僕はその言葉をすぐには飲み込めなかった』
『その言葉の意味を僕が理解するまでにはまだ時間がかかるように感じられた』
誰もがほぼ永久に放射能防護服無しでは生存が出来ないほどに放射能に侵された地である東アジアの二の舞を舞いたくはなかったということだった。
また、22世紀に入ると21世紀中盤まで中進国以上の豊かさの国を悩ませた少子化問題も、AIとロボットの普及により労働者が絶滅したことで『地球人は生存限界に近づくほど出生率が上がる』と言う当たり前の原則により解決した。男性は戦争が起きれば『使い捨ての兵士』として戦場に駆り立てられて一時金を得ることが出来た。
それが出来ない女性は失業率100%の世界にあっては『使い捨ての兵士』の一時金を頼りに家族を持ち糊口をしのぐ以外の生活手段を持たなかった。
結果、女性の未婚率はほぼ0%になり、出生率も上昇した。だが、医療制度が『超富裕層』とエリート階層の独占物と化したこの時代では、『市民』の新生児死亡率は狩猟採集時代の水準まで跳ね上がった。
国家を指導する『超富裕層』は工場やデータセンターの掃除などのロボットを導入することでは資本回収が認められないというような単純労働だけを押し付けられた市民を生存限界以下の生存環境に置いた。
残された労働はデータセンターでの清掃業務だが、それだけでは自分一人が生きることすらできないような給与しか得ることができないということで、建設現場等での男性に偏りがちな強度の高い肉体労働にそれなりの対価を払うことで男性の収入を上げることを『超富裕層』や彼らに付き従う高級官僚たちは志向した。
さらに絶対的に固定化された社会階級により来世への願いを込める下級階層の支持を得ることで旧宗教が再び絶対権力として力を回復し始めると、『家族』というものをより重視した社会常識が一般化し、それまで低下傾向にあった出生率を反転させることにより、22世紀に入ると21世紀に数多くの核戦争で失われた人口は驚異的な速度で回復した。
すべてを支配するアメリカ・ロシア・インド・ヨーロッパ・イスラエルなど『民意を背景にした絶対的支配者』としての『超富裕層』は21世紀に絶対的権力を手にした手段を踏襲して自分に従順な人間だけの生存を許すという戦略により、自らの富を加速度的に増加させていった。
ただ、一方的に拡張するキリスト教・ヒンズー教・ユダヤ教などの宗教勢力に対し、教義の性質上人口が増え続ける傾向にあるイスラム教圏は宗派の枠を超えて他の核を保有する宗教国家に対決するために『アラブ連盟』を結成してこれに対抗した。
しかし、すでに核武装を終えたキリスト教・ヒンズー教・ユダヤ教国に対する核武装に遅れた代償は大きかった。
さらにこれまでアラブ諸国を支えていた化石燃料の消費が激減する中で中東やアフリカや東南アジアのイスラム教圏はただひたすらアメリカやイスラエルやインドの『市民』に兵士としての雇用を確保するための良い戦場と化してひたすら敗北を続け、イスラム教国は聖地メッカすらイスラエルに占領されイスラエルの許可なしには巡礼すらできない状況に陥りこれに『アラブ連盟』が核の攻撃を仕掛けるという繰り返しによりさらに地球での核戦争の数を加速度的に増やすことになっていった。
そうして迎えた22世紀はちょうど16世紀にはじまったヨーロッパ諸国による植民地争奪戦のように『超富裕層』の指導する国家による富を蓄えた小国を奪い合う弱肉強食の時代だった。イギリス、フランス、そして新たに核武装したドイツ、イタリア以外の国は西欧のこれらの国に駆逐されるかロシアの勢力下に入るかの二択を迫られることになった。
これらの『弱者』は前世紀の絶滅戦争の悪夢から逃れるために地球人の持つ権威主義的本能に頼ることで生き延びるしかなくなった。『核』という時代の最強兵器を持つ『強者』の論理がすべてを支配し、それを持たない『弱者』は盲目的に従うことを望んだ。
ただ多くの場合『強者』は『弱者』の絶滅を望み、多くの国や民族がこの時代に消えていった。そしてその度にまき散らされる放射能物質により地球は汚染されたがそれを気にする『強者』は誰もいなかった。
『強者』と呼ばれる国にもその論理のあまりの暴力性に異を唱える人物がいないでもなかったが、『民衆はそれを望んでいる』や『民意がすべて』という『超富裕層』の振りかざす論理により多くの知識人が逮捕・処刑されていった。
そもそもネットの普及を理由に多くの国では学校制度そのものを廃止して『自ら学ぶ人間だけが学べばいい』という論理が世界を支配した。学校は『超富裕層』とそれに絶対的忠誠を誓う高級官僚や軍人の為だけに存在するものとなり、『市民』は知性に関して本能的な違和感を感じて『何も考えずにただ神と私に従え』と叫ぶ『超富裕層』の言葉に従い、地球の九割の人間は地動説すら信じなくなり、天動説が当たり前のものとなり科学文明は『超富裕層』に選ばれたエリートの役人階層にのみ教育されるのが当たり前となっていた。
そんな中世的な価値観とネットワークの中に生きる『市民』が多くを占める100億の人類に5000家族の富裕層が自由自在に権威と富を独占する現状を当たり前と思わない地球人は誰一人いなくなった。
『嵯峨は煙を吐いた。換気扇は回っているはずなのに、白い煙はしばらく天井の下に溜まっていた』
『『嫌な話だろ?俺も話していてイヤな気分になるが……現実に起きちまったことだ。誰にもそれは否定できない』僕はうなずくこともできなかった』
『嫌だ、という言葉では足りなかった』
『だが、それ以上の言葉を僕はまだ持っていなかった』
度重なる『民族浄化』の為の残留放射能により居住不可能な地域が広がった。そもそも放射能に関する知識を与えられていない『弱者』はそれを当たり前のことと受け止めたが、より強欲な『超富裕層』はそこでも強制的に『弱者』を扇動することでその地を強引に開発させ富を得た。『弱者』はそれが自らの命を縮めるだけの行為だとも考えず『富者』の称賛の言葉に酔い、平均寿命30歳以下で死んでいった。まるでそれを望むかのように。
地球は地球の富を完全に独占する『超富裕層』と言う支配者階級と、それに忠誠を尽くす『軍人』や『官僚』による中世でいう『騎士階層』に属する人々。そして生産活動においてはロボットの補助として、また戦争が起きた際には貴重な職業軍人の弾避けとしての機能しか期待されない存在である全人口の99%以上を占める『市民』に分断されることになった。
そんな時代に地球人たちは『外宇宙』への進出が可能であるという技術を手にすることになった。
『超富裕層』はこれを歓喜をもって迎えた。プロパガンダの手段として無料で与える娯楽であるテレビで放送される、『国家の威信』を保つためのオリンピックに遺伝子強化と品種改良を受けたスポーツ選手が出場するスポーツ放送以外の娯楽を持たない『市民』に画期的な成功譚を与えることができる。それが地球の有力国家を支配する『超富裕層』の頭にまず浮かんだことだった。
もはや『超富裕層』間での潰しあい以外により多くの富を得ることはできないと考えて、より大きな大戦争を計画していた彼らはその先に地球そのものの破滅が待ち受けているかもしれない大戦争よりも『地球圏の太陽圏外への拡大の可能性』が生まれたことは『超富裕層』にとっても『騎士階層』にとっても、そしてただひたすら彼等を支える為だけに生存しているだけの存在となった『市民』にとっても待ちわびた出来事だった。
『超富裕層』やその権威の恩恵にあずかる『騎士階層』にとっては新たな移動技術『亜空間跳躍』を駆使した異星系への移民に希望を持たせることは次第に確定しつつある名前を伴わない身分制に疑問を持ち始めた『市民』の目を逸らすにはこれ以上ない好都合な『革命』だった。
彼らも知っていた。もうすでに地球は放射能汚染と酸素供給量によりもうそれほど長くは地球人が生きていける環境ではないということに。そして、同じように地球と同じ環境があれば富をめぐり国家や『超富裕層』同士の富の分捕り合いによりそれをただひたすら消費し、使い潰すだけの存在であるということに。
心ある彼等の多くは自分達がこの宇宙の『寄生虫』というより『癌』であり、そのたどり着いた星がただ使い潰されるだけの使い捨ての星であることは理解していた。
そして同時にそれが地球の経済学の基本理念であることも同時に理解してそれを正当化することで宇宙開発に唯一の進路を見出すことができて地球人に新たな可能性が生まれたと安堵することになった。
『『そんな連中に亜空間跳躍なんてもんを渡したら、どうなると思う?』嵯峨は煙を吐きながら、誠を横目で見た』
『僕は何一つ思いつかなかったので静かに首を横に振ったが、嵯峨はそれを見ると僕がそういう態度をとることだろうと分かっていたかのようにニヤリと笑うとタバコの灰を灰皿に落とした』
『『希望?開拓?人類の夢?違うな。連中にとっちゃ、新しい食い物置き場だ。それ以上の意味なんて連中には無いよ』そう冷たく言い切る嵯峨を見て僕は背筋に冷たいものが走るのを感じた』
『その『食い物置き場』の一つが、遼州だった』




