第1話 戦争を拒んだ首席
遼州星系第二惑星……甲武国。
その陸軍大学校の講堂は、昭和の軍隊を思わせる規律と緊張に包まれていた。
壇上には詰襟の制服に身を包んだ若き士官たち。
古びた国旗の赤が、薄暗い照明の中で血のように滲んで見える。
そんな中、ひときわ若い男が壇上へと歩み出る。
名を……嵯峨惟基中佐。
二十歳そこそこの年齢で首席卒業。
それだけで、この国の常識を裏切っていた。
静寂に包まれた会場。壇上には、誇り高き士官たちが並ぶ。
だが、この式典には、ある異様な緊張感が漂っていた。
その男は、一見すれば二枚目の軍人だった。だが……その目には、光がなかった。
冷酷にも見えるが、どこか力の抜けた表情。その目は何を考えているのか分からず、不気味な印象を与えた。
筋肉質な体を包むベージュの詰襟の制服。その襟には二つ星が光り、彼がその年にして中佐の階級であることを示していた。
『陸軍大学校』は昭和初期の日本の陸軍を模した『幹部候補養成機関』であり、在校生の多くは佐官クラスの『将来の将軍』を養成する軍学校である。すべての卒業生達は、『陸軍士官学校』の優秀卒業生か、幹部候補生として陸軍に奉職して五年以上の猛者ばかりだった。
当然、彼等の年齢は最低でも二十五歳以上となる。その『首席卒業生』の若さはそう言った常識から考えればどう見ても異常な光景だった。
明らかに若すぎる『首席卒業者』はその証書を受け取るとそのまま演壇を歩いて修了者の整列する方に向き直った。
この国、甲武国、そして同盟を結ぶ『国家社会主義』を国是とする『ゲルパルト第四帝国』とこの星系『遼州星系』の独立のきっかけを作った遼州人の帝国『遼帝国』の三国を枢軸とする『祖国同盟』は地球圏から受ける多くの経済制裁打開のため世論は『対地球・対半祖国同盟開戦』へと動きつつあった。
そんな中で開かれる軍の次なる最高指揮官を輩出することになる軍学校の空気はその宇宙情勢にふさわしい緊張感を孕んでいた。
そして、その緊張は、壇上へと歩みを進める一人の若者によって、さらに高まることになる……。
嵯峨中佐はそのまま演壇を卒業席の居並ぶ会場に向けて歩いていくと、含みのある笑みを浮かべて会場を見渡した。
嵯峨は壇上で足を止めると、静かに微笑んだ。
証書を受け取ると、彼は無言でそれを掲げた。
そして……ゆっくりと、破り捨てた。
紙片が宙を舞う音だけが響く。
会場にざわめき。
だが嵯峨は、にやりと笑った。
笑顔のまま、観衆を見渡す。
その笑みは挑発でも狂気でもなく、絶望を知る者の笑みだった。
破れた紙の破片が、ゆっくりと宙を舞う。
その場にいる全員が息を呑んだ。
その明らかな『暴挙』に、『甲武国』の陸軍幹部と未来の幹部たちはどよめいた。
そんな『将来の幹部達』の狼狽する様を嵯峨は笑顔で見渡した。その笑顔は狂気よりも落ち着きを払い、いかにも楽しそうな表情だった。
「はい!みなさん。なんだかみんな俺のしたことに相当驚いてるみたいだねえ……。折角の首席の卒業証書を破るなんてもったいない?」
悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべる嵯峨。会場はどよめいていたが、その暴挙はあまりに意表を突いており、誰も止めることができなかった。
「式典を荒らすな?なら、あんたらが俺より優秀だったら、俺の出番なんか無かったろ?そんなことも分からないのか?アンタ等馬鹿じゃないの?」
嵯峨の瞳に光が宿る。
それまで無表情だった青年が、急に燃え上がる。
「戦争をしたい奴、手を挙げろよ。恥ずかしがらなくていい。……なあ、アンタら戦争、好きだろ?地球人は戦争が大好きだ。今でも地球人同士核戦争の連続だ。そこに俺達遼州圏の元地球人が介入する……その考え自体は戦争屋である俺としても悪い考えじゃないね。どうせ地球人は戦争を捨てられないんだもん。今回、俺達が連中を支配して地球圏に戦争を無くす……それ自体は一つも悪い考えじゃ無ない。遼州人の俺にはそう見える」
沈黙。
その沈黙を切り裂くように、嵯峨は煙草に火をつける。
「だがね、この戦争勝てるの?」
突然の首席の問いに一同は言葉を失った。
戦う前から敗戦を予言する首席。その存在にあるものは唇をかみ、あるものは殺意を込めた視線で嵯峨を三ら見つける。
「まあまあ、そんな怖い顔で見なさんなって。俺は遼州人だから物事を戦争で解決するという地球人の発想は理解できないんだ。でも、まあいいや。戦争したいんだよね?この国は。今朝の朝刊もいつ開戦するかって記者さんもそればかりが気になるような論調だったよ。街を歩けば戦争とは全く関係なさそうな子供やおばちゃん達ですら地球圏や反祖国同盟の国の悪口で一杯だ。そんなに人の事を悪く言うもんじゃないって教えてやってくれよ。人の悪口を言うといずれ自分にも返ってくるものなんだから。そんぐらい、アンタ等も親御さんにならったよね?士族の立派な教育を受けた親御さんだ。そのくらい言えて当然だ」
ざわめく聴衆を一望すると嵯峨は一度大きくタバコの煙を吸い天井に噴き上げて演説を続けた。
「戦争に勝つのに大事なものは何か……教わったでしょ?この学校で。幼年校では精神だという……でもそれは間違い。士官学校では兵器の質と兵士の練度だという。それも間違いだと教えるのがこの陸軍大学校だ。そうだよね?教わらなかった?俺はその授業は出てないけどその教授の出した論文の課題はちゃんと正解を書いて満点だったよ……それは『国力』だ」
嵯峨の言葉に誰もがうなずかざるを得ないことに悔しさを噛みしめていた。それを覆すための戦争。これまでの『祖国同盟』に対する数々の地球圏や反地球圏の経済制裁が今の困窮した国力差を生んだのだと叫びたいものもいた。しかしこの場はその嵯峨と論議するための場ではないという判断が彼等を沈黙させていた。
「経済制裁がそれを生んだとでも言いたいの?外惑星のヘリウム、遼北のアルミニウム、そして西モスレムの原油。それを禁輸されたら確かに甲武はどうすることもできなくなって……それで今の状況なんだけどさあ。それを回避するための政治。そして軍事力はその政治力を補佐する目的で存在する。そんな当たり前のことも知らないの?結局その努力を避けて逃げてきた結果が『国力』差なんだよ。いい加減理解しなよ戦争の帰趨を決するのは『国力』……そして地球圏と反祖国同盟の国の『国力』を比べるとどうなるか……そんなの子供だってわかることだ」
吐き捨てるように嵯峨はそう言った。そして、その言葉の意味はこの場に居る全員が分かっていた。
甲武、ゲルパルト、遼。合わせたところで遼州圏で反祖国同盟を掲げる旗頭である遼北人民共和国一国と同程度。この遼州圏内でも他にその遼北に歩調を合わせている外惑星社会主義共和国連邦、西モスレム首長国連邦が加われば祖国同盟の国力での優位は無い。
しかも、この国の軍部や世論はその遥かに上を行く国力を持つ地球圏全体との全面戦争を望んでいる。一同は息を飲んで壇上で余裕の笑みを浮かべる嵯峨を見つめていた。
「その国力をひっくり返す方法は無いではない。おそらく、賢いゲルパルトやこの国の海軍の偉い人はみんなそれを使う気でいる。確かにこの遼州圏では禁じ手だが、地球圏じゃあ年中使ってるんだから遠慮はいらないってわけだ。でも、そこ落とし穴があったりすると俺は考える……核を使うんでしょ?先制奇襲核攻撃。それ以外に地球圏と国力で芥子粒以下の祖国同盟が戦争を始めてどうにかできる方法は無いものね」
その嵯峨の言葉に会場の卒業生の間にざわめきが走った。先制奇襲核攻撃。明らかに国際法違反の禁じ手である。ただ、それ以外に地球と祖国同盟の国力差を埋める手段が無いのは誰もが認める事実だった。
「たぶん、ゲルパルトと甲武海軍の偉い人はそれで地球の主要都市と主要軍施設地球の植民惑星の主要基地が使用不能になるから地球圏は講和のテーブルに着くと考えて……」
ここまで嵯峨が言ったところで何人かの卒業生が静かにうなずいたがその顔を見ると嵯峨はあざけるような笑みを浮かべてその数人を一人ひとりゆっくりと見つめた。
「……はいないだろうね。そんなに、あの人達も馬鹿じゃないよ。その後、その奇襲作戦で指揮命令系統が混乱している地球圏に一気にゲルパルトが誇る飛行戦車と我が国、甲武が誇る人型機動兵器『シュツルム・パンツァー』……ああ、これはドイツ語だから敵性言語じゃないからね。まあ、特機九七式を主力とした通常兵器で冥王星基地あたりを奇襲しようって腹なんだろうけど……」
また何人かの卒業生が笑みを浮かべて嵯峨を見つめるが嵯峨の目は相変わらずの軽蔑の色を讃えてその卒業生を見つめる。
「それでも地球圏は交渉のテーブルには乗ってこないだろうねえ……たぶん先制奇襲核攻撃でも戦争遂行を判断できるクラスの人間は誰一人死なないだろうし、冥王星基地は粘るだけ粘って地球圏がまだ持ってない兵器である飛行戦車と九七式の特性を観察する……九七式はその名前は地球圏も反祖国同盟の国も知ってるけど実物を見たことが無いからね。初戦くらいは通じるんじゃないの?地球圏の主力の航宙戦闘機の40mm機関砲じゃ当たり所が悪くないと落とせないって」
甲武国の誇る人型機動兵器『シュツルム・パンツァー』九七式特戦。その圧倒的な機動性と運動性、そして航宙戦闘機では撃破不能な装甲は甲武軍の誇る秘密兵器と言えた。それを嵯峨は『初戦くらいは通用する兵器』と平然と斬って捨てる。愛国者を自認する何名かの卒業生は思わず立ち上がろうとするがそのタイミングで振った美嵯峨は口を開いた。
「そしてゲルパルトの三号飛行戦車はこの前の『アーリア人民党』の結党委記念日の軍事パレードの模擬飛行でお披露目済みで、その主砲が100mmクラスでしかもその主砲の脇についている誰が見てもそれとわかる電子加速装置を見ればその威力も十分わかるし、あの形を見れば軍人だったらその正面装甲と弱点である上部装甲の厚みだって見当がつくもんだ。今頃対抗できる兵器が地球圏の主要国では設計中じゃないの?100mmを超える電子加速砲が主砲で100mmの砲に耐えられる飛行戦車が相手……九七式の持てる火器でどうにかできる限界を超えてるよね?」
そんな何気なく世間話でもするように言った言葉に一同は黙り込むしかなかった。九七式は運動性確保のために装甲を犠牲にしていることは誰もが知っている事だった。そこを指摘されてしまえば反論のしようがない。
「まあ、それが戦場に出てくるまでは勝てるんじゃない?どこまで責められるかは作戦屋の皆さんのお仕事だけど。でもね、たとえどこまで負けても地球圏は和平交渉のテーブルには着かない。だって、相手はまだまだ土俵際まで余裕がたっぷりあるもん。それに遼州圏内の反祖国同盟の国がどう動くかなんて俺は一言も言ってないよ。そこに戦力を割けば……目も当てられないな。それに……おそらくこの戦争でも中立を守り続けるであろう東和共和国の動静も俺は何も言ってない」
これまでの抜けた目つきから変わった鋭い目つきで嵯峨は会場を見回した。恐らく、開戦回避不能との宰相官邸からの連絡を受けているだろう陸軍大臣の目を射抜く嵯峨の目。その目の前で陸軍大臣は思わず目を逸らした。そのしぐさに勝利したように嵯峨は笑みを浮かべた。
「それから先も戦いは続く。海王星、天王星、土星、木星、アステロイドベルト、火星……そして月だ。ここまで着くのにゲルパルトと海軍はどれくらいかかると思ってるのかねえ……宇宙戦には素人の陸軍の俺でも6か月はかかると見た。この6か月。先制核攻撃で主要都市を失って生産能力が低下した地球圏がその生産能力を回復するには十分な時間だ……その頃には出て来るよ……さっき言った地球圏の飛行戦車がうんざりするほどね」
相変わらずまるで自分がこの戦争とは無関係の軍事評論家のような調子でタバコをくゆらせながら嵯峨は話を続けた。
「しかも、その6か月でその大量生産ラインを作るなんて言うのはちきゅ県と祖国同盟の国力差を考えると簡単な話なんだ。それに外惑星辺りはもうそれくらいの飛行戦車を開発済みで密かに大量配備してたりして。まあ、あそこは何度もゲルパルトには煮え湯を飲まされてきたんだもん。その辺には抜かりはないさ。それと半年もあれば無傷の九七式を地球圏が手に入れる機会も必ずある。研究大好きな地球人……当然徹底的に調べ上げてその弱点を見つけ出すだろうねえ……ああ、アンタ等も元地球人だったな。失敬」
あくまで抜けた調子だが、どれも軍の未来の幹部なら想定の範囲内の事象である。それをこの壇上で冷静にすべてをまとめ上げて演説して見せるところがいかにも嵯峨の『奇才』たるゆえんだった。
「そうなったらもう、奇襲作戦での被害を理由に講和のテーブルに着く理由は地球圏のどの国家にも無いわけだ。『うちは宣戦布告も無しに先制核攻撃を受けた被害者なんです!悪いのは祖国同盟です!だから皆殺しにします!』そう言って笑う地球圏の金持ちたちの顔が目に浮かぶよ……」
もうすでに場は嵯峨の独壇場となっていた。話させるだけ話させろ。そんな諦めに似た雰囲気が会場に漂っていた。
「まだ降伏しないならということでアンタ等は地球への降下作戦を開始する。ここでようやく俺達陸軍の出番だ。でも、そこまで俺達をどうやって運ぶのよ?そのことを考えたことある?」
相変わらず謎をかけるように嵯峨は笑顔でタバコをふかす。言っている内容の深刻さとその笑顔の乖離にこの場に居る卒業生たちは冷や汗をかいた。
「遼州圏から地球圏まで……一番早い輸送艦でも三週間かかる……一番早い艦でだ。そんな三週間で戦闘状況が急激に変わるなんて言うことはここで習ってるはず……ああ、俺はその人の論文を読んだだけで授業は出てないからもしかしたら言わなかったことかもしれないけど一軍を指揮するならそれくらいは常識だよね」
その見下すような視線、静まり返る会場。嵯峨の言うことに何一つ間違いがないだけに誰一人としてそれに反論できないでいる。その様子に満足げに嵯峨は演説を続けた。
「その頃にはすでに地球圏はゲルパルトが三号飛行戦車より大火力の支援飛行戦車を主力戦車としたのに対抗できる飛行戦車を生産ラインに乗せてるよ。その頃には普通にある地球の飛行戦車に一切通用しない三号飛行戦車の主砲の直撃を食らうと無事じゃあ済まない九七式ももはやただの紙の装甲の『お人形』だ。そこから本当の祖国同盟対反祖国同盟の戦争が始まるわけだ」
この辺りまで来ると卒業生の多くは嵯峨を見る事すらできずに俯いた。この戦争には勝ち目は無いのは半分は分かっていた。しかし、現状を打破するには他の方法は無い。足りないものがあれば精神力で補え。前線勤務のある卒業生なら部下の下士官に何度かそんな台詞を吐いたこともあるだろう。
「先制核攻撃をすれば地球圏の国力は七割以下になる?そんなの希望的観測だって。地球圏では核の使用は自由だもん。この遼州圏みたいに核を撃とうもんなら東和共和国の電子戦でその国のインフラや生命維持装置が完全停止するところとはわけが違うんだよ。地球圏の人間は核戦争のプロだ。使い慣れない核を持て余してるゲルパルトや甲武の核ではせいぜい殺せて20億……それでも多すぎるくらいだ」
嵯峨は冷たくそう言い放つとタバコを一度揉み消して二本目のタバコに火をつけて鋭い目つきで前列の陸軍大学校の卒業生を一人一人見つめていった。
「この戦争の俺のシミュレーション。間違ってるかな?たぶん陸海軍合同本部のシミュレーションと一部の違いも無いと思うよ。それでも戦争を始めたいなら、まずアンタらが死ね。 戦争で死ぬのは、軍人だけじゃねえ。第一撃の地球への先制核攻撃で片がつかないことは説明済みだ」
誰もがこの時点でこの男は狂っていると思った。しかし、その言葉には一つの間違いも無い。その『奇才』と呼ばれた男の脳髄にはその地球降下作戦後の果てしなく続く撤退戦、そして、遼州圏内の反祖国同盟との共同作戦でゲルパルトや甲武に襲い掛かるまだ見ぬ地球軍の最新鋭飛行戦車の影が見えていた。
「アンタ等の賢い頭なら何度も言わずともわかるだろ?いずれは国力に勝る地球圏がこの甲武に嫌でも攻めてくる。そうなりゃ、テラフォーミングのおかげでそれなりに生命維持に関する施設を攻撃されても平気なゲルパルトやそもそもそんなものが必要が無い大気の下で生きている遼帝国と違って、この生命維持の施設が無いと数分と生きていられない甲武の人々が死んでいくことになるという事実……その責任……アンタ等は取れるのか?」
嵯峨の視線は一人の眼鏡の中佐に集中した。その30代と思われる中佐はその迫力を帯びた嵯峨の眼光に負けて思わず目を逸らした。
「別にアンタには聞いてないよ。恐らくアンタじゃ答えられないだろうがな。そん時に死ぬ人間の命の保護をアンタ等は出来るのか?確かに今の平民達は奇襲攻撃で地球圏が再起不能と思えるほどのダメージを受ければ一斉に旗を振って大賛成するだろうとアンタ等は思ってこんだけ世論を開戦一辺倒に導いたんだ……でもそんな奇襲攻撃の効果なんてもんは一時的なもんだ。祖国同盟と地球圏の国力差。そんなもんで埋められるほど甘いもんじゃねえ。アンタ等も陸軍大学校で地球圏と祖国同盟の戦力差を理解してるんだろ?そうなったらどうなるか……理解できないほど馬鹿じゃねえはずだ。そうなれば被害を受けるのは誰か……平民も、女も、子供も、全部だ。」
腰の刀を抜く。
その刃は、鋭く光を返した。
「そんな想像力のかけらもない馬鹿は俺が殺してやるよ。そうすりゃ戦争は起きねえ。 俺が督戦隊を指揮してやる。地球に先制核攻撃するなら外惑星の小惑星の一つにでも乗り込んでアンタ等が銃剣突撃でもすりゃあいい。あそこは戦争は日常茶飯事だからアンタ等の自殺行為ぐらい大使が一枚わび状書けば済むことだ。俺の督戦隊は本気だ。戦う覚悟もねえ奴は、俺が後ろから撃ち殺す。それが俺の戦争だ。戦争?そんなもんはね、徴兵された素人のするもんじゃねえの。戦争は戦争のプロのするもの。陸軍大学校出てるんだったら職業軍人と徴兵された臨時兵士の戦力としての価値がどっちがあるかなんて知ってて当然だろ?アンタ等は戦争のプロだ。それなりの戦果を期待してるよ」
会場に、凍てつくような沈黙。
そもそも彼がこの場に立っていること自体『異例』だった。
嵯峨は士官学校を経ていない。
最上流貴族子弟の予科校……『甲武国高等予科学校』を満点で卒業した、百年に一人の天才。
それでも彼は、権威も、制度も、信仰もしなかった。
「脳味噌の代わりに糞が詰まった連中には、戦争しか残らねえ。そんなに戦争がしたいの?奇襲攻撃すれば絶対に勝てるの?勝てないってことは俺がさっき証明して見せた。大体、奇襲なんてするのは国力に劣る負ける軍隊のする事だ。今回の戦争も負ける戦争……そんなことも知らずにこの場にいるなんて……アンタ等馬鹿か?」
その言葉を最後に、嵯峨惟基中佐は彼に渡されるべき配属辞令を会場に呆然と立つ式典担当の将官から取り上げた。
破れた証書の欠片だけが、講堂に残る。
そう言って、戸惑う陸軍大学校の校長の陸軍大臣から辞令を取り上げると、嵯峨は手元のマイクを握ってそれを読み上げた。
「へー、『甲武国』陸軍作戦総本部の諜報局長補佐……どうせあれだろ?戦争を始めたい政治家連中に、暗号文の読み方教える『連絡係』だろ?そんな『お手紙当番』は興味ねえや、やなこった」
嵯峨はそう言うとマイクを捨てて、手にした日本刀を構えて議場をにらみつける。
「だから!アンタ等が死ねば。『近代兵器』を使った戦争は起きねーんだ!俺、嵯峨惟基、甲武国陸軍中佐は『全権督戦隊長』以外は全部拒否する!俺の督戦活動は半端じゃねえぞ!アンタ等は俺の督戦隊の機関砲を避けながら敵陣向けて全力突撃しか許さねえからな……振り向いたりひるんだりしたら、容赦なく俺が打ち殺すから。戦争の勝敗だ?そんなの知るか!」
嵯峨惟基中佐は『甲武国』陸軍大学校の卒業式の壇上から降りた。
降りきって会場を出る時、嵯峨は静かに振り返って式場の嵯峨を注視する視線を見つけてため息をついた。
「俺はね、アンタ等が憎いんじゃないよ、戦争そのものをその指摘も待て外れだよ。て外れだよ。勝ち目のない戦争を、素人と民衆の血で埋めようとする、『脳味噌の代わりに糞が詰まった』今の宰相とその取り巻き。俺の親父を引きずり降ろして招いた結果がこれだよ。じゃあ、あの連中は何がしたくて親父を宰相の位から引きずり下ろしたんだ?そんなに権力が欲しいのか?気を付けなよ、アンタ等も。権力は時に人を狂わせるものだ」
嵯峨はそれだけ言うとくわえていたほとんど火の消えかけた吸い殻を投げ捨てて立ち去った。
陸軍大学校首席卒業者、嵯峨惟基中佐。
彼には追って『陸軍中尉』への降格処分と、『東和共和国、甲武国大使館勤務二等武官』への配属先変更の通知が出された。
3か月後、『甲武国』は『ゲルパルト第四帝国』と『遼帝国』との『祖国同盟』を理由に、『遼州星系同盟』と地球軍の連合軍との泥沼の戦争に突入した。
嵯峨の予告通りの先制核攻撃で地球の100億の人口の20億が失われたが、まるでそれを覚悟していたかのように地球内部まで祖国同盟軍を引き入れてせん滅する地球軍の圧倒的『物量』が勝負のすべてを分けた戦いは、後に『第二次遼州大戦』と呼ばれた。
開戦の三日後、地球の死者が自分の予想通り祖国同盟が狙った70億には届かず20億で終わったことを知った嵯峨は妊娠中の妻を伴って、任地の中立国である東和共和国に赴いた。そこで『甲武国』の駐留武官として『東和共和国』の首都『東都』の大使館に勤務する生活が始まった。
地球圏からの干渉や遼州星系での勢力争いを嫌い、『中立不干渉』を国是とする『東和共和国』に赴任した嵯峨は平穏な暮らしを送っていたとされる。
しかし、開戦の4か月後……。
嵯峨は、忽然と姿を消した。
彼が最後に確認されたのは、東和共和国の『甲武国大使館』の内部。
大使の部屋へと入る姿が、監視カメラに映っていた。
だが……。
出てくる姿は、どこにもなかった。
まるで、嵯峨惟基という人間が、この世界から消え去ったかのように——。
嵯峨が『甲武国』に帰還したのは、『甲武国』が属した『祖国同盟』の崩壊から三年後だった。『甲武国』と『ゲルパルト第四帝国』と『遼帝国』で構成された『祖国同盟』は地球軍の支援を受けた『外惑星社会主義共和国連邦』や『西モスレム首長国連邦』と『遼北人民共和国』に敗れ、甲武星もまた外惑星軍の爆撃で焼け野原となっていた。
大戦後期に起きた非戦派の政治家だった嵯峨の義父、西園寺重基を狙った『テロ』事件の巻き添えで、嵯峨を待っているはずだった嵯峨の妻、エリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨の墓の前で、呆然と立ち尽くす嵯峨を知人が目撃したと言う。その時から彼の『嵯峨惟基』としての人生は再開した。
嵯峨惟基はその三年後、九歳になった娘の茜を連れて、『甲武国』を出国し、かつての軍人生活を始めた因縁の地、『東和共和国』暮らし始めた。
時は流れた。
その十七年後、平和な時代が遼州星系を包み始めた時代から物語は始まる。
時に西暦2684年『遼州星系』。
地球から遠く離れた植民惑星遼州は、どこまでも『アナログ』な世界だった。
遼州星系を訪れた『地球圏』の人々は遼州星系の印象をそう評した。
遼州星系……。
そこは、地球から遠く離れた植民惑星。
そしてその一角に存在する、『東和共和国』。
まるで、時が止まったかのような、二十世紀末の日本のような世界。
だが……。
ここから、新たな物語が動き始める。




