第10話 整備班長と約束のビール
アメリアに言われるがままに廊下を出ると、空気が一変した。建物内の蛍光灯の冷たさと、外に続く大きな格納扉から差し込む陽光の熱がせめぎ合う。誠は入口の反対側へ向かうつもりで、足取りを確かめるように廊下を進む。ところどころの壁に貼られた注意札、床に残る古いワックスの光……軍施設独特の無骨さが、どこか懐かしさを呼び覚ます。
行き止まりに差し掛かると、そこに鉄扉があった。ものものしく、ハンドルも分厚く、見るからに『秘密基地』の匂いを漂わせている。
「なんか、秘密基地っぽいな。良い雰囲気……まるでアニメの世界みたいだ」
誠は思わず笑いを漏らすが、瞬間的に見つけたのは左右に並ぶ大きな押しボタン。ひとつは緑で出っ張り、もうひとつは赤でへこんでいる。どこかマンガ的な配置だが、誠は無意識に『出っ張ってる方を押す』理屈に従い、勢いよく緑を叩いた。緑がへこみ、赤が出っ張る。鉄がうなりを上げ、扉がゆっくりと開いていくその機械音が、誠の鼓動と共鳴するようだった。
「なんだかすごく『秘密兵器』が隠されている場所みたいで……整備班ってことはそれこそ最新式の秘密のシュツルム・パンツァーとかを扱ってるんでしょ?こういう時はドライアイスで煙が出ると雰囲気出るんだけどな……その方が強そうだし」
ドライアイスの煙の代わりに扉の向こうから、ロックンロールが流れてきた。うんこ座りのヤンキーがタバコを吸いながら車座になって、隣のスピーカーから周りの迷惑を考えずに平気で流れているあれである。スピーカーの低音が床に反響し、埃っぽい空気が踊る。
「まさに不良のたまり場って感じ」
壁にインクで落書きされFワードを見て誠はそんなことを考えていた。漂う匂いは、油とガソリン、古いゴムと汗が混ざり合った濃厚なものだ。誠の鼻腔は瞬時に吸い込まれた情報を処理に追われる。大学の自動車部の新歓の匂いが、遠い思い出とともに蘇る。だが、ここはそれよりもずっと『場』が濃い。時間が油と鉄に染み込んでいる。
中に入ると、空間は思ったより広かった。三十メートルほど奥行きがあり、所狭しと誠が見たことも無いようないわゆる旧車と呼ばれる地球の20世紀末に作られた自動車やバイクが並べられている。床にはオイルのシミが点々と広がり、その濡れた艶が陽光を受けてかすかにきらめく。天井から下がる工業用ライトは、一つだけ切れていて、暗い影を作っていた。工具箱、エアホース、油まみれのウエスが無造作に積まれ、壁には旧いレースのポスターが黄ばんで張られている。空間そのものが『ここで生きてきた者たちの履歴書』のように見えた。
「すいませーん」
まったく人影が見えないので誠は叫んだ。反応はなかった。
「誰かいますかー」
反応の無さに誠は少し大きめの声でそう叫んでいた。しばらくすると、床の奥からガサゴソと金属が擦れる音。ジャッキアップされた白と黒のツートン旧車の下から、油まみれの顔がにゅっと現れた。長身の誠よりさらに体格のいい男。つなぎは水色、胸には『実働部隊』の刺繍。顔中に残る油と、額の汗が、酷暑の昼下がりを雄弁に語る。
「あのー島田さんですか?」
誠にはやたら眼光の鋭い大柄の男に向ってそう尋ねた。
「ちげーよ。うるせーな、いい曲聞いてんだよ。雑音混ぜんな……なんであんな馬鹿と一緒にされなきゃいけねえんだよ。班長は駐車場。またバイクでもいじってんだろ」
男はぶつぶつと呟きながら車の下に戻ろうとする。声には粗野さと、どこか居心地の良さを感じさせる自信がある。誠は躊躇しながらも尋ねる。
車の下から顔を出した男は一瞬だけ誠を見下ろし、そのまま車の下に潜り込むように身体を滑らせた。男の手は油で黒光りし、その動きは熟練の手つきだ。誠は戸惑いながらも、右手で革のカバンの肩紐をぎゅっと握りなおした。
「あのー駐車場は……」
仰向けになって車の下に入ろうとする大男に声を掛けた。男は物わかりの悪い誠にうんざりしたような顔をすると大きな扉の向こうを指さした。
「あっち。見りゃわかるだろ?そんなことも分かんねえのか?オメエ馬鹿だろ?まったく、邪魔しやがっって。班長が『こいつはこれまでの青瓢箪と違って、見どころがある』って言ってたけど、身長だけじゃねーか。他よりましなところは……」
右手の方を指さすと男はそのまま車の下に潜りこむ。
「こういう時、何を言っても無駄ですよね……」
誠は男の大きな態度に少しおびえを感じながら遠慮がちにそう言った。
「わかってんなら自分で勝手に行けよ。ガソリン車の旧車のバイクの前で座ってタバコ吸ってるような馬鹿は他にいねーから。格納庫の入り口からすぐわかる。さっさと行け!俺は忙しいんだ!そんなの見りゃわかるだろ!気が利かねえ奴だな」
声は低く、しかし命令口調でそう言った。
「なんだかなあ……」
とりあえず上半身裸の馬鹿そうな男を見つけたら声を掛けようと決めて、誠は歩き出した。誠は高さ二十メートルを超える大きな扉の隙間から外を眺めた。そこにはこれまでの話を総合した結果、あるべき場所にあるべき駐車場がそこにあった。
広い駐車場に車の数はまばらで、その中央に明らかに場違いなランの黒い最新型の高級自動車があった。多くは明らかに違法改造を施された車高の低いスポーツカーが占めており、そして残りは税金が安くなる『軽自動車』の可愛らしい車が並んでいた。
誠は車の見本市と化している駐車場に足を踏み入れた。
「スポーツカーは技術部の人達のかな?技術系の人は男が多いからこう言うスポーツカーに金を惜しまない人多そうだな。運航部の女子は基本的に軽かな。ポップな色は女の子っぽいもんな。それと……どう見ても型落ちの軽。これも技術部の男衆だな。金が無くて廃車置き場にある鉄くずを再生した……そう言う先輩いたな……大学時代も」
そんな独り言を口にしながら、誠は学生時代を思い出していた。
誠が車の陰を回ると、そこに見えたのは半裸でうんこ座りの男。日焼けした背中に、筋肉が躍動している。彼の背後には古いバイクが一台、丁寧に磨かれて置かれていた。エンジン周りは光を放ち、整備の行き届いた匂いが油の匂いに混じる。
「あそこか……それにしても……敷地内に森?」
何故かその半裸の男の向こうには森があった。
東和陸軍の敷地の中には、こうした森があることがあるのが一般的だと聞いていたので、誠はどうせ神社でもあるのだろうと割り切って、深く考えないことにした。
近づくとその日焼けした背中を見せる男の向こうにバイクが停まっていた。その隣の青い箱がクーラーボックスだとわかった。誠は汗をぬぐいながらそのチンピラ風の茶髪の男の方に向かった。
『いくら暑いからって上半身脱いで……あんな馬鹿そうなのが僕の機体を整備する班長班の班長なの?部下からも馬鹿扱いされてたし……』
空は先程の曇り空から、カンカン照りの快晴に変わっていた。日差しが容赦なく誠に照り付ける。もうすでに汗を拭く用を足さなくなっていたハンカチを手に東和共和国宇宙軍の夏服がいかに東和の夏に向かないものか、誠は身をもって体験していた。
誠が近づくと、別の軽自動車が一台、勢いよく入ってきた。明らかに技術部の所属であることは誠にも一目で分かるそれは半裸の男とバイクの前で停まった。若い声の主の運転席から降りてきたのは小柄なつなぎを着た整備員だった。
「遅れました!」
明らかに自分より年下の小柄な白いつなぎの整備班員はそう叫びながらクーラーボックスを抱えて駆け寄る。若者の慌てぶりに、島田は苦笑いを浮かべつつ誠を一瞥した。
「西!早くしろよ…後輩が見てんぜ……先輩として仕事はしっかりしているところは見せてやれ。それが社会のルールって奴だ」
半裸の島田はややからかうように西と呼ばれた若い整備班に向けて声を上げた。整備場の空気には上下関係と連帯感が渦巻いている。
西がおんぼろ軽自動車から取り出したクーラーボックスが交換されると、若い整備員は誠と目を合わせて小さく敬礼した。若者の目には好奇心と少しの緊張が共存している。島田はその一部始終を見て、ぐっと肩をすくめて笑う。
「そいつは新米。お前は先輩だ。気をつかうことはねえんだ。オメエが生まれた階級と生まれた身分がすべての『甲武国』ではそうかもしんねえが、ここは『東和共和国』だ。同じ遼州同盟加盟国とは言え俺の兵隊は俺流で育てる……敬礼なんぞ止めて、そこにある空き缶の箱。とっとと積んで帰れや。オメエの仕事はそこまでだ。とっととやれ」
その言葉を受けても、二十歳に届くかどうかの若い整備員は誠と整備班長の間で困っていた。
「さっさと片付けろ!俺の言うことが聞けねえのか!整備班じゃ俺がルールだ!何度言ったらオメエはそれが理解できるんだ!」
整備班長に怒鳴られ、その若い整備員は弾かれるように段ボール箱に飛びつき、それを軽自動車の後ろに押し込んでそのまま車を走らせて消えていった。
「あのー」
誠は先程の指示があまりに乱暴なので注意しようとした。
誠が半裸の男の真後ろに立った時、その男はクーラーボックスを開けた。
「遠いところようこそ。喉乾いてんだろ?冷えたビールを持ってこさせたわ。飲むだろ?うちは組織は軍隊に準拠してるらしいねえ……そんなことは俺には関係ねえけど。俺は好きなようにやる。クバルカ中佐からそうやって良いって許可の元、俺はここに居るんだ。そこんとこ忘れんなよ?」
言葉は乱暴だが、どこか恩着せがましい温かみが滲んでいる。誠は勤務中の飲酒に一瞬ためらうが、喉の渇きと何よりもこの場の空気に促されて、差し出された缶を受け取る。プルタブを引くと、氷のように冷たい金属の感触が掌に伝わる。栓を開けた音が小さく弾け、最初の泡が喉元で弾ける。誠は一口で流し込んだ。冷えた苦味が内側から染み渡り、汗で火照った身体が少しだけ軽くなる。
先程の空き缶の数からして、相当飲んでいるはずだった。男の前にはバイクがあった。実に見事な整備されたバイクだった。エンジン回りは磨き上げられて光を放っていた。
「バイク……好きなんですね」
半裸の男の隣に立って、誠はそう言った。男は誠を無視するように新しいビール缶に手を付けた。
「いきなり飲酒だなんて……今は勤務中ですよ」
拒む誠を見て男はニヤリと笑う。笑顔の似合う二枚目。醤油顔の典型的な顔。見える上半身は鍛え上げられていて、筋肉質だった。
「島田……島田正人」
男は自己紹介をする。その名が告げられた瞬間、誠はこの人が単なる不良ではないと感じた。粗暴さの裏にある『面倒を見る気質』が、そこに確かにある。顔立ちは醤油顔で、笑うと目尻に寄る皺が粗野な優しさを語る。彼の手は無骨だが、工具を扱う指先は繊細だ。古いバイクのキャブレターをいじるその所作には職人の誇りが匂う。
「僕は……」
誠が話し出そうとすると、島田は一気にビールを口から流し込んだ。
「知ってるよ。俺には一応部長権限があるからな。そんぐらいわかる。オメエは平の隊員だから部長代理でもある俺の事は知らねえと思って言っただけだ」
冗談とも本気ともいえない口調で島田はそうつぶやいた。
「ランの姐御から聞いた話じゃ……相当操縦ヘタなんだって? お前みたいなデカイのは逆に操縦で損することがある。手足の長さとかリーチ感覚が違うからな。でも、安心しろ。教えりゃ伸びるタイプだ。問題は性格だ。変な生き方してなきゃ、乗れるようになる」
島田の言葉は粗いが実直だ。誠は自分が『下手』と断じられるたびに感じていた内なる劣等感を思い出す。大学時代の挫折、就職活動の空虚さ、そして母の剣道場で鍛えられた礼節。島田はそれを見抜くような口ぶりで、しかし責めるのではなく、励ます。
「でも面倒くさいねえ……演習にでも行ってエンコかましたら、こっちが徹夜で回収だ。お前が壊した機体を直す俺らにとっちゃ、笑えねえ冗談だ。シュツルム・パンツァーは無限のパワーを持つスーパーロボットじゃねえんだ。無理をさせれば、すぐ機体にガタが出てくる。そうなりゃ次の敵とどう戦うんだ?うちの二人の女は馬鹿か?クバルカ中佐以外の二人の女はそんな当たり前のこともわかりゃしねえ。自分の操縦通り動くのが普通だと思ってる。そう言う風に整備してるのは誰だ?俺達整備班だろうが!そんなことも分からねえのか……使えねえな。まあこここで無茶な操縦はしねえって、ここで約束しろ。機体を殺したら、まず俺らの顔を思い出せ。いいな?」
そんなかなめとカウラへの愚痴をつぶやくと島田はビールを口にした。そして口元を流れる泡を拭うと誠に向き直った。
「そんなの真似すんじゃねえぞ。真似をするならクバルカ中佐の操縦を真似しろ。オメエが下手なのは分かってるけど、クバルカ中佐の指導で多少はマシになってくれや。姐御の機体はどんなに激しい機動をしようが関係なく本当に綺麗だ。ビスの一本のゆるみもねえ。機体のすべてを把握して操縦してるからできる操縦だ。あんな操縦は普通の人間には無理だな。ああいうのが『エース』って呼ばれるやつだ。嫉妬すんなっても無理だが、尊敬はしろ。技術ってもんは、敬意から始まる。『遼南内戦』での500機越えの撃墜数も納得の見事な操縦だよ。その力に嫉妬した連中が『粛清者』とか『虐殺者』とか言ってんだ。あの人にそんなひでえことが出来るわけはねえ!機体を整備している俺達にもあれだけ気を使えるんだ。あそこまでなれとはいわねえが、オメエなりに頑張ってくれや」
島田の語り口は勢いがある。彼の話には無駄な着飾りがなく、直接的だ。誠は缶を握る手に力が入る。暑さでほてった顔が微かに引き締まる。誠は島田のペースに合わせるように缶ビールを飲み干した。
『あのちびで毒舌な『人外』の『魔法少女』が、誰かからここまで信じられている……僕はそんなちっちゃくてかわいい『魔法少女』と呼んでいいような立派な人の部下になるんだ……気合いを入れないと』
目の前のヤンキーのランへの敬意の言葉に誠は思いを新たにした。
「オメエ、飲み足りねえ顔をしてるな……まだビール飲めるか?」
島田が笑う。誠はもう一つ飲むことをためらわず手を伸ばした。
「いいんですか?じゃあ、いただきます」
ここは治外法権なんだと自分に思いきかせて誠はそれだけ返して島田からさも当然のようにビールを受け取ると缶を空ける。ビールの苦みが、口内の余分な緊張を洗い流していく。
島田は背中に浮かぶ汗をぬぐい、腕を組んで誠を見下ろした。その目は厳しいが、決して冷たくはない。整備場の喧騒の中、彼の一言一言が誠にとっては船の羅針盤のように響く。
「まあ、これまで来たすかした連中は俺の話なんざろくに聞かずに自分に配備される機体がどんな機体かという話ばっかしてきやがった。そんなパイロットもどきと違うお前がここに来るってんなら、俺が面倒見てやる。厳しいぞ、手間と小言は多い。だが、ここで腐るのが一番勿体ない。オレが見てやるから、甘えるな。わかったらまず挨拶だ。若ぇのに礼儀が無いのは論外だ。分かったか?オメエはパイロットだ。さっき俺が言ってたこととは矛盾するけどその気概……忘れんじゃねえぞ」
その口調はヤンキーそのものだが肝心な約束は揺るがない。誠の胸に、少しずつだが何かがほどけていくのを感じた。青空の光がトタン屋根に当たって眩しく反射し、工具の金属が小さく光る。ここは荒れているが、生きている場所だ。島田の手の中で育つものは、粗野でも確かな技術と連帯感だ。
誠は缶をもう一度口に運び、乾いたのどを潤した。島田の存在は荒々しい足場だが、その足場に掴まることで誠は次の一歩を踏み出せるかもしれないと、ほんの少し思った。




